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正木 利英(まさき としひで)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。成田氏の家臣。家紋は(菊水紋)。『新編武蔵風土記稿』には正木丹波守勝英の表記となっている[1]
経歴
天正2年(1574年)(羽生城の戦い)での功績により、主君成田氏長から(栢間)に加え(郷地)と(笠原)を与えられた[2]。
『忍城戦記』などによれば、天正18年(1590年)に忍城の戦いが起きた際には、正木は忍城の東南に位置する「佐間口」(地図)を守備し、豊臣方の長束正家の軍勢と戦闘を繰り広げたとされている[3][4]。
忍城の戦い後、主君である成田氏には付き従わず、正木は武士の身分を捨て現地に留まると、豊臣方、成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に高源寺を建立、守天和尚を招き開山した[3][4][5]。正木は天正19年(1591年)に没するが、その墓は境内に現存している[1][3]。
演じた俳優
出典
参考文献
- 「成田分限帳」長久寺本
- 成田記
- 「佐間村 高源寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ216埼玉郡ノ18、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):764009/88。
- 行田市史編さん委員会編 『行田市史 資料編 古代中世』 行田市教育委員会