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槙野智章

槙野 智章(まきの ともあき、1987年5月11日 - )は、広島県広島市西区出身[1]サッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダーフォワード。元日本代表

槙野 智章
日本代表での槙野智章(2018年)
名前
愛称 マキ、マッキー、トンジ
カタカナ マキノ トモアキ
ラテン文字 MAKINO Tomoaki
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1987-05-11) 1987年5月11日(36歳)
出身地 広島県広島市西区
身長 182cm
体重 77kg
選手情報
ポジション DF / FW
利き足 右足
ユース
1994-1999 井口明神FC(広島市立草津小学校)
2000-2002 サンフレッチェ広島ジュニアユース(広島市立庚午中学校)
2003-2005 サンフレッチェ広島ユース(広島県立吉田高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 サンフレッチェ広島 127 (20)
2010-2012 1.FCケルン 8 (0)
2012 浦和レッズ(loan) 33 (6)
2013-2021 浦和レッズ 280 (26)
2022 ヴィッセル神戸 16 (1)
通算 464 (53)
代表歴2
2005-2007  日本U-18/19/20
2009-2019 日本 38 (4)
監督歴
2023- 品川CCセカンド
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月22日現在。
2. 2019年1月17日現在。
(■テンプレート)((■ノート) ■解説■サッカー選手pj
槙野智章の俺じゃけん
YouTube
チャンネル
  • 槙野智章の俺じゃけん
活動期間 2021年2月1日 -
ジャンル サッカー
登録者数 6.43万人
総再生回数 5,494,058回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年12月24日時点。
(テンプレートを表示)

経歴

プロ入り前

サッカーファンで実際にサッカーをやっていた父[2] と、既にサッカーを始めていた2人の兄[注 1]の影響で小学1年生からサッカーを始めた[3]。地元草津の草津小学校のサッカー少年団は4年生からしか入団できなかったため、隣町井口の井口明神小学校のサッカークラブに入団し[3]、小学6年次にはFWとしてフジパンカップ広島県大会で3位入賞した。

2000年にサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団。同期には森重真人、(左山晋平)などがいる。当初はFWのポジションでプレーし、森重や平繁龍一と2トップを組んでいたが、トップ下、サイド、ボランチなど様々なポジションを経て、中学3年次にコーチの月岡利明によりセンターバックにコンバートされた[3]

2003年にユースチームに昇格。ユース時代からの同期には、木原正和福本尚純らがいる。2年次からセンターバックとしてレギュラーを獲得し、ユースレベルでの3大大会の全てで決勝に進出し2冠達成に貢献した。一学年上の藤井大輔と組んだセンターバックは森山佳郎監督から「同世代には絶対に破れない」と賞賛された。3年次には広島ユースおよびおかやま国体における広島県選抜の主将を務めた。各年代別代表にも招集されここでも主将を務め中心選手として活躍した[3][4]

サンフレッチェ広島時代

2006年、橋内優也趙佑鎮らと共にサンフレッチェ広島トップチームに昇格。

2007年8月にダリオ・ダバツおよび盛田剛平が負傷したため先発メンバーに抜擢された。以降は、レギュラーとして定着した[5]。J2降格が決まった際、元日本代表FW佐藤寿人と広島残留を表明する。

流動的に動いた2008年は、元日本代表SB駒野友一の移籍で空いた背番号5をつけて、出場停止1試合を除く全試合に出場する。その結果、悲願のJ1昇格に貢献した。

2009年は初めてJ1で一年間レギュラーとして出場し続け、センターバックではリーグ最多の8得点を挙げた。

2010年はリーグ全34試合に出場、うち33試合ではフル出場し、初のJリーグベストイレブンに選出。また、全試合に出場しながら警告、退場が1つもなく、フェアプレー個人賞を受賞した。

ケルン時代

2010年12月、ドイツへ渡った。欧州挑戦を目指し、ボルシア・ドルトムントホッフェンハイムの練習に参加した。しかし、独誌キッカーの回答としては、「1対1の弱さがあり、右サイドバック向きとして獲得は現実的ではない」と評された。欧州レベルでは、センターバックとしては評価されなかった。結局、正式契約には至らず、槙野は日本帰国する。しかし同年12月30日、当時ケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケの誘いでドイツ・ブンデスリーガ1.FCケルンへ完全移籍[6][7]。契約期間は2013年6月30日まで。元代理人は長谷部誠香川真司らと同じトーマス・クロートであった。

2011年1月29日、FCザンクトパウリ戦でブンデスリーガデビュー。ケルンは敗れたが、センターバックとしてフル出場。その後は、出場機会に恵まれず、移籍1年目の出場は5試合にとどまった。翌2011-12シーズンも3試合の出場のみとなり、レギオナルリーガのケルンIIの試合にも出場した。

浦和レッズ時代

2012年1月11日、復活を目指して、ミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任した浦和レッズへの1年間の期限付き移籍が決定した[8][注 2]。浦和加入後、ペトロヴィッチ監督の愛弟子としてチームを牽引。6得点を記録し、チームの2008年以来のACL出場に貢献。また、自らが音頭を取り、浦和サポーターが勝利の凱歌として歌う『We are Diamonds』をホーム開催試合に限り、メンバー入り選手全員もサポーターと共に歌うなど、持ち前の明るいキャラクターでチームとサポーターの距離を縮める施策を実行した。12月4日、2013年シーズンより浦和への完全移籍加入が発表された[11]。また背番号を5番に変更し、この年はリーグ戦34試合全試合に出場した。

2015年9月8日、サウジアラビア1部の強豪・アル・ナスルから約5億円の年俸での獲得オファーを受けたが、断り浦和に残留した[12]

2016年は29試合3ゴールでチームの年間勝ち点1位に貢献した。12月3日の鹿島アントラーズとのチャンピオンシップ第2戦の後半34分、自陣ペナルティーエリア内で鈴木優磨に対してファールを犯し、その後PKを決められた[13]。12月4日、中国1部の強豪・広州恒大から年俸は言い値という破格のオファーを受けたが、浦和の一員としてリーグやACLで悲願のタイトルを目指すため断った[14]

2017年3月19日、J1第4節のガンバ大阪戦でJ1通算250試合出場を果たした。

2018年8月19日、J1第23節の清水エスパルス戦で史上100人目となるJ1通算300試合出場を果たした[15]。この年、2010年以来2度目の警告・退場0を記録した。

2019年11月16日、AFC年間最優秀選手賞の候補に選ばれた[16]

2020年10月10日、J1第21節のサガン鳥栖戦でJリーグ通算400試合出場(J1通算359試合、J2通算41試合)を果たした。シーズン終了後、国内外の複数クラブが槙野の獲得に動いたが、浦和の延長オファーに合意した[17]

2021年11月16日、シーズン終了後に浦和レッズを退団することをクラブが発表した[18][19]。12月19日、国立競技場で開かれた天皇杯決勝、後半ATに劇的な決勝ゴールを決め浦和を8度目の優勝に導き、来季のACL出場獲得へ貢献した[20]

ヴィッセル神戸時代

2021年12月24日、ヴィッセル神戸に完全移籍することが決定[21]

2022年2月19日、開幕戦でスタメン出場し、J1通算400試合出場を果たした[22]。2月22日、J1第9節古巣浦和レッズ戦で、後半42分にMFアンドレス・イニエスタのクロスをヘディングであわせて移籍後初得点を挙げた[23]。5月14日のJ1第13節サガン鳥栖戦にフル出場し勝利に貢献したが、その試合で負傷し長期離脱を余儀なくされた[24]。復帰後は試合終盤のクローザー的役割を担った。

日本代表

2006年11月に開催されたAFCユース選手権2006および翌2007年7月に開催された2007 FIFA U-20ワールドカップでは福元洋平とセンターバックでコンビを組み、守備の要として、またムードメーカーとしても活躍した。カナダで開催されたU-20ワールドカップ本大会では髪を赤に染めていたが、これは当時広島でチームメイトだった戸田和幸FIFAワールドカップ・日韓大会でのヘアースタイルを真似たものである。現地では「ジャパニーズ・ベッカム」と評され注目を集めた。2009年にA代表に初招集されたときにも同様の髪型にしている[25][26]

2009年5月にはキリンカップおよび2010 FIFAワールドカップ・アジア予選に臨む日本代表合宿に初招集されたものの出場はなかった。

2010年1月、既に予選突破を決め、若手が起用されたアジアカップ最終予選イエメン戦で代表初出場を果たし、ゲームキャプテンも務めた[27]。5月に発表されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会本大会の日本代表メンバーからは落選したが、予備登録選手に選出された。同年末にはAFCアジアカップ2011に臨む日本代表に選出されたものの、怪我により大会直前に途中離脱した。

2012年2月24日のキリンチャレンジカップアイスランド戦で代表初得点を挙げた。

2017年11月10日、国際親善試合ブラジル戦で得点を決めた。なお、日本代表がブラジル代表相手に得点したのは、2006年ドイツW杯で決めた玉田圭司から11年ぶりであり、DFで得点した初めての選手となった[28]

2018年6月、ロシアワールドカップメンバーに選出された。2017年後半以降、欧州遠征で全試合にレギュラーとして出場するなどW杯でもスタメンとして出場すると思われたが、第1戦のコロンビア戦では事前合宿のテストマッチ最後の試合で活躍した昌子源にレギュラーの座を奪われ、ロシアW杯本番でスタメン落ちとなる[29]。しかしながら、ベテランとして本田圭佑と共に控え選手として裏側で日本代表チームを支え[30]、第3戦のポーランド戦でW杯初出場を果たした[31]。前評判の低かった日本代表チームはGL突破し、ベスト16進出を2大会振りに果たした。

現役引退 

2022年12月24日に放送された日本テレビ『』の冒頭で現役引退を発表した。番組内では本田圭佑からメッセージが送られた。同時刻、ヴィッセル神戸公式サイトからも現役引退が発表された。 「現役引退および槙野劇場第二章 開幕宣言会見」が2022年12月26日12時10分から行われ、未来へのビジョンをプレゼンした[32]

プレースタイル

森山佳郎曰く「一言で言うとファイター」[33]ミハイロ・ペトロヴィッチ曰く「DFらしいDF」。コーチングに優れ、高い身体能力と闘争心を持ち、1対1の局面での強さに定評がある[4][5]

また、得点への意欲が非常に高いのも特徴[注 3]。広島では3バックの一角を務めていたが、試合中もセットプレーのみならず、流れの中で自由に前線へ上がり、強引なドリブル突破からシュートを放つシーンもしばしば見られ、自らのポジションを「DFW(DFながらFWの役割も果たす)」と称する[5]。フリーキック、ペナルティキックなどのプレースキッカーも務めており、特にFKは高い精度を持つ。PKにおいては、後ろ向きの状態から反転してキックを放つという独特の蹴り方を行う。

人物

好きな言葉は木村孝洋元サンフレッチェ監督が語った、アーセナルFCの下部組織に所属する選手が教わるという『Big heart』と、広島ユースの監督森山佳郎の『気持ちには引力がある』であるとインタビューで語っている[34]

2011年3月24日に大手芸能プロダクションのホリプロとマネージメント契約[35]スカパー!「URAWAチャンネル」内のコーナー「槙野の部屋 〜俺たちの休日〜」MC担当。

2016年9月発売のサッカーゲーム「FIFA 17」日本版のパッケージになった。

2016年6月に共通の知人を交えた食事会にて知り合った女優高梨臨と、約1年6か月の交際期間を経て翌2017年12月17日にプロポーズし、翌2018年1月20日、高梨との結婚を正式発表[36]。同年2月9日に婚姻届を提出した[37]

2013年頃から2018年頃にかけてスパイクを左右非対称で履く「槙野スタイル」が注目された。本人曰く「サッカーを好きになる人を増やすため、悪いプレーをしたら注目されるためそうならないためにプレッシャーをかけている」とのこと。なお、スパイクはプレデター、ナイトロチャージ、アディゼロ、エース、X、ネメシスを使った。

2021年のJリーグ最終節、名古屋グランパス戦での勇退を表明していた審判員村上伸次への感謝のメッセージを自身のアンダーシャツに書き込み、両チーム選手によって作られた花道を村上が通る際に見せ、村上からイエローカードを貰うという場面もあった。なお、このイエローカードは公式記録には記載されていない。

5月11日生まれであり、2022年時点ではチームメイトに同じ誕生日にアンドレス・イニエスタ、日高光揮がいる。槙野が35才となった2022年の誕生日では三人一緒に顔中にクリームを塗られて祝福された[38]

好きなサッカー選手は森保一で、今でもアンケートに書く時は“森保一 選手”と書く時が有る[注 4]

パフォーマンス

「プレー以外の面でも観客にサッカーを楽しんで欲しい」という考えから、ピッチ内外において様々なパフォーマンスを行なっている。

トリックPKが後に反則行為と判断されたり[39]、遅延行為だとして主審にゴールパフォーマンスを制止されたり[40] と、その派手なパフォーマンスは時に物議を醸している。槙野はパフォーマンスを巡る意見について、「サッカーファン以外の人、これからサッカーを好きになっていく子供たちにも、もっとサッカーを好きになってほしいという一心でやっている」とコメントしている[41]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 (リーグ杯)(オープン杯) 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 広島 28 J1 1 0 1 0 0 0 2 0
2007 18 1 4 0 5 0 27 1
2008 5 J2 41 7 - 4 1 45 8
2009 J1 33 8 2 0 2 0 37 8
2010 34 4 4 1 1 1 39 6
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2010-11 ケルン 43 ブンデス1部 5 0 - - 5 0
2011-12 18 3 0 - 0 0 3 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012 浦和 20 J1 33 6 4 0 3 0 40 6
2013 5 34 6 4 0 1 0 39 6
2014 31 4 7 2 1 0 39 6
2015 33 3 0 0 3 0 36 3
2016 29 3 1 0 0 0 30 3
2017 32 2 0 0 1 0 33 2
2018 32 4 4 0 4 1 40 5
2019 32 0 2 1 0 0 34 1
2020 26 2 0 0 - 26 2
2021 31 2 11 1 5 1 47 4
2022 神戸 14 16 1 2 0 2 0 20 1
通算 日本 J1 415 46 46 5 28 3 489 54
日本 J2 41 7 - 4 1 45 8
ドイツ ブンデス1部 8 0 - 0 0 8 0
総通算 464 53 46 5 32 4 542 62
その他の公式戦
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2010 広島 5 4 1 -
2013 浦和 6 0 -
2015 5 1 -
2016 7 0 -
2017 14 1 2 0
2019 14 2 -
2022 神戸 14 6 0 -
通算 AFC 56 5 2 0
その他の国際公式戦

出場歴

タイトル

クラブ

サンフレッチェ広島ユース
サンフレッチェ広島
浦和レッズ

代表

日本代表

個人

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 38試合 4得点(2009年 - 2019年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2009 0 0
2010 4 0
2011 4 0
2012 3 1
2013 3 0
2015 8 1
2016 2 0
2017 4 1
2018 8 1
2019 2 0
通算 38 4

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2010年1月5日  サナア (アリー・ムフセン・スタジアム)   イエメン ○3-2 岡田武史 AFCアジアカップ2011予選
2. 2010年4月7日  大阪 大阪長居スタジアム   セルビア ●0-3 岡田武史 キリンチャレンジカップ2010
3. 2010年9月4日  横浜 日産スタジアム   パラグアイ ○1-0 原博実 キリンチャレンジカップ2010
4. 2010年9月7日  大阪 大阪長居スタジアム   グアテマラ ○2-1 原博実 キリンチャレンジカップ2010
5. 2011年6月7日  横浜 横浜国際総合競技場   チェコ △0-0 ザッケローニ キリンカップサッカー2011
6. 2011年8月10日  札幌 札幌ドーム   韓国 ○3-0 ザッケローニ キリンチャレンジカップ2011
7. 2011年9月6日  タシュケント パフタコール・マルカジイ・スタジアム   ウズベキスタン △1-1 ザッケローニ 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
8. 2011年10月7日  神戸 ホームズスタジアム神戸   ベトナム ○1-0 ザッケローニ キリンチャレンジカップ2011
9. 2012年2月24日  大阪 大阪長居スタジアム   アイスランド ○3-1 ザッケローニ キリンチャレンジカップ2012
10. 2012年5月23日  袋井 エコパスタジアム   アゼルバイジャン ○2-0 ザッケローニ キリンチャレンジカップ2012
11. 2012年8月15日  札幌 札幌ドーム   ベネズエラ △1-1 ザッケローニ キリンチャレンジカップ2012
12. 2013年7月21日  ソウル ソウルワールドカップスタジアム   中国 △3-3 ザッケローニ EAFF東アジアカップ2013
13. 2013年7月28日  ソウル 蚕室総合運動場   韓国 ○2-1 ザッケローニ EAFF東アジアカップ2013
14. 2013年9月10日  横浜 横浜国際総合競技場   ガーナ ○3-1 ザッケローニ キリンチャレンジカップ2013
15. 2015年3月27日  大分 大分スポーツ公園総合競技場   チュニジア ○2-0 ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2015
16. 2015年6月11日  横浜 日産スタジアム   イラク ○4-0 ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2015
17. 2015年6月16日  さいたま 埼玉スタジアム2002   シンガポール △0-0 ハリルホジッチ 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップUAE予選
18. 2015年8月2日  武漢 武漢体育中心   朝鮮民主主義人民共和国 ●1-2 ハリルホジッチ EAFF東アジアカップ2015
19. 2015年8月5日  武漢 武漢体育中心   韓国 △1-1 ハリルホジッチ EAFF東アジアカップ2015
20. 2015年8月9日  武漢 武漢体育中心   中国 △1-1 ハリルホジッチ EAFF東アジアカップ2015
21. 2015年10月8日  マスカット シーブ・スタジアム   シリア ○3-0 ハリルホジッチ 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップUAE予選
22. 2015年11月17日  プノンペン プノンペンナショナルスタジアム   カンボジア ○2-0 ハリルホジッチ 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップUAE予選
23. 2016年6月7日  吹田 市立吹田サッカースタジアム   ボスニア・ヘルツェゴビナ ●1-2 ハリルホジッチ キリンカップサッカー2016
24. 2016年10月11日  メルボルン ドックランズ・スタジアム   オーストラリア △1-1 ハリルホジッチ 2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選
25. 2017年10月6日  豊田 豊田スタジアム   ニュージーランド ○2-1 ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2017
26. 2017年10月10日  横浜 日産スタジアム   ハイチ △3-3 ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2017
27. 2017年11月10日  リール スタッド・ピエールモーロワ   ブラジル ●1-3 ハリルホジッチ 国際親善試合
28. 2017年11月14日  ブルッヘ ヤン・ブレイデルスタディオン   ベルギー ●0-1 ハリルホジッチ 国際親善試合
29. 2018年3月23日  リエージュ スタッド・モーリス・デュフラン   マリ △1-1 ハリルホジッチ 国際親善試合
30. 2018年3月27日  リエージュ スタッド・モーリス・デュフラン   ウクライナ ●1-2 ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2018
31. 2018年5月30日  横浜 日産スタジアム   ガーナ ●0-2 西野朗 キリンチャレンジカップ2018
32. 2018年6月8日  ルガーノ (スタディオ・コルナレド)  スイス ●0-2 西野朗 国際親善試合
33. 2018年6月28日  ヴォルゴグラード ヴォルゴグラード・アリーナ   ポーランド ●0-1 西野朗 2018 FIFAワールドカップ
34. 2018年9月11日  吹田 パナソニックスタジアム吹田   コスタリカ ○3-0 森保一 キリンチャレンジカップ2018
35. 2018年10月12日  新潟 デンカビックスワンスタジアム   パナマ ○3-0 森保一 キリンチャレンジカップ2018
36. 2018年11月20日  豊田 豊田スタジアム   キルギス ○4-0 森保一 キリンチャレンジカップ2018
37. 2019年1月9日  ドバイ アルナヒヤーン・スタジアム   トルクメニスタン ○3-2 森保一 AFCアジアカップ2019
38. 2019年1月17日  アル・アイン ハリファインターナショナルスタジアム   ウズベキスタン ○2-1 森保一 AFCアジアカップ2019

ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2012年2月24日 日本大阪   アイスランド ○3-1 キリンチャレンジカップ2012
2. 2015年6月11日 日本、横浜   イラク ○4-0 キリンチャレンジカップ2015
3. 2017年11月10日 フランスリール   ブラジル ●1-3 国際親善試合
4. 2018年3月27日 ベルギーリエージュ   ウクライナ ●1-2 キリンチャレンジカップ2018 in EUROPE

指導者歴

  • 2023年 - 品川CC
    • 2023年 - トップチーム テクニカルアドバイザー
    • 2023年 - セカンドチーム 監督

関連出演

テレビアニメ

2014年

テレビ

ラジオ

CM

  • AS進学セミナー(2010、広島限定)
  • 「守ろうよ広島」広島県消費生活相談窓口周知キャンペーン(2010-2011、広島限定)
  • SIXPAD(2016年 - )
  • クオリティファースト(QUALITY 1st) オールインワンシートマスク(2017年)
  • DAZN(2018年)
  • 明治安田生命「Jリーグ2018シーズン」篇(2018年2月24日 - 3月11日)
  • アルペン スポーツデポ 試着フェス『休日コーデに』篇(2018年4月)

著書

  • 守りたいから前へ、前へ(2014年3月28日、幻冬舎)(ISBN 978-4344025509)
  • ビッグ・ハート 道を切り拓くメンタルの力(2014年3月31日、朝日新聞出版)(ISBN 978-4021902420)

脚注

注釈

[脚注の使い方]
  1. ^ 兄の一人は2011年時点富士ゼロックス広島SCに所属するGK・DF登録の選手。2003年・2004年の全広島サッカー選手権大会決勝でチームとして対戦が実現、兄は2試合ともGKとして試合に出場したが弟は出場していない。
  2. ^ 代理人を通じサンフレッチェ広島にも打診をしたが、獲得オファーは無かった[9][10]
  3. ^ 「得点王を狙います」(入団会見のコメント)、「シーズン10得点が目標」(2008年の個人目標を聞かれた際のコメント)といったコメントをしばしば発し、目標の選手には田中マルクス闘莉王を挙げるなど。
  4. ^ 2022年12月4日放送分のTBSテレビ『アッコにおまかせ!』にて、槙野自ら公表。

出典

  1. ^ “サッカー日本代表槙野智章、世界の舞台へ 小柄な点取り屋”. 47NEWS(中国新聞) (2018年6月2日). 2018年6月21日閲覧。
  2. ^ 河上清、澤田優子『サッカースターの少年時代 プロになった16人の成長物語』株式会社学研マーケティング、2013年、82ページ、ISBN (978-4-05-800104-2)
  3. ^ a b c d 紫熊倶楽部2006年2月号
  4. ^ a b 中国新聞 (2006年2月9日). “2006新戦力 DF槙野智章 U-19随一の守備力”. 2010年1月23日閲覧。
  5. ^ a b c サンフレッチェ広島公式 (2008年12月25日). “言葉の力 DF 5 槙野智章”. 2010年1月23日閲覧。
  6. ^ 槙野智章選手、1.FCケルンへの完全移籍合意のお知らせ サンフレッチェ広島公式サイト サンフレNews2010/12/30
  7. ^ 槙野智章 コリサカ
  8. ^ “槙野智章選手、加入内定のお知らせ”. 浦和レッズ (2012年1月11日). 2012年1月11日閲覧。
  9. ^ 槙野智章(インタビュアー:吉崎エイジーニョ)「浦和レッズ・槙野智章「広島サポーターからすれば『クソ食らえ』でしょう」」『週プレNEWS(集英社)』、2012年3月13日http://wpb.shueisha.co.jp/2012/03/13/10227/2011年11月24日閲覧 
  10. ^ 田邊伸明 (2013年5月14日). “なぜ槙野智章は広島に戻らなかったのか? 代理人が語る移籍市場の見方”. フットボールチャンネル (カンゼン): p. 2. http://www.footballchannel.jp/2013/05/14/post4511/2/ 2016年11月24日閲覧。 
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  41. ^ 【2010Jリーグアウォーズ】フェアプレー個人賞/槙野智章選手(広島)コメント J's GOAL 2010年12月6日付、2010年12月15日閲覧
  42. ^ 人気者でいこう!」の復活特番。

関連項目

外部リンク

  • 槙野智章 - National-Football-Teams.com (英語) 
  • 槙野智章 - Soccerway.com (英語) 
  • 槙野智章 - FootballDatabase.eu (英語) 
  • 槙野智章 - WorldFootball.net (英語) 
  • 槙野智章 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語) 
  • - FIFA主催大会成績 (英語) 
  • 槙野智章 - J.League Data Siteによる選手データ 
  • 槙野智章 - Fussballdaten.de (ドイツ語) 
  • 浦和レッドダイヤモンズによる公式プロフィール
  • 槙野智章 (@tonji5) - Twitter
  • 槙野智章 Tomoaki Makino (@makino.5_official) - Instagram
  • 槙野智章の俺じゃけん - YouTubeチャンネル
  • 槙野智章 - LINE BLOG
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