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木村功

木村 功(きむら いさお、1923年6月22日 - 1981年7月4日)は、日本俳優広島県広島市出身。

きむら いさお
木村 功
1954年
生年月日 (1923-06-22) 1923年6月22日
没年月日 (1981-07-04) 1981年7月4日(58歳没)
出生地 日本広島県広島市千田町
(現:中区千田町
身長 175 cm
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1946年 - 1981年
配偶者 木村梢
主な作品
野良犬』、『生きる
七人の侍』、『天国と地獄
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来歴

広島市千田町(現・中区千田町)生まれ。広島二中(現・広島県立広島観音高等学校)卒業後に上京し1941年文化学院文学部に入学する。在学中より演劇運動に没頭し、様々な学生演劇に出演した。1943年、文化学院演劇部『華々しき一族』で邦枝梢と共演して見初める。入隊前に梢との結婚を申し込むが、この時は父で作家の邦枝完二の許しは得られなかった。また、東宝撮影所でアルバイトをしていた友人を訪ねたとき、山本嘉次郎監督にスカウトされ、『ハワイ・マレー沖海戦』に出演した。1943年、文化学院閉鎖に伴い1年繰上げで卒業後、召集され1944年から1年間海軍生活を送る。1945年、終戦による復員で広島へ帰郷したが、家族は8月6日の原爆で被爆し、市内中心部の勤務先にいた父親は即死、自宅にいた母親も戦後間もなく死に、天涯孤独となった。

1946年、失意のうちに再び上京俳優座に入団。1948年4月1日、邦枝梢と結婚し同年暮れより藤沢市鵠沼の梢の実家に同居する。ロベルト・ロッセリーニの『戦火のかなた』など、戦後のイタリア映画が展開したネオ・リアリズムに傾倒した。1949年、痩せこけた俳優を探していた黒澤明監督の目に留まり『野良犬』に出演する。三船敏郎が演じる刑事に追われる惨めな復員兵の犯人役で、戦争の深い傷跡を表現し大きな注目を集めた。以後も『生きる』、『七人の侍』、『天国と地獄』など黒澤明中期作品の常連でもあった。

 
1955年

1950年、保守的に傾き始めた幹部たちと対立して俳優座を退団した。木村も各新劇団の若手であった岡田英次金子信雄高原駿雄らと「青年俳優クラブ(劇団青俳)」を結成し[1]、劇団青俳では翻訳劇・創作劇を意欲的に上演、また映画『億万長者』などの製作も行い、劇団の中心的存在として活躍する。一方、『人間魚雷回天』、『米』、『(宮本武蔵)』、『関の弥太っぺ』、『暗殺』、『雪国』など大作・話題作映画に出演。また戦後左翼運動の台頭などで活発化した独立プロ運動に共鳴し『山びこ学校』、『真空地帯』、『雲ながるる果てに』、『足摺岬』、『樹氷のよろめき』など独立プロ製作の作品にも多数出演し名声を確立した。年齢不詳の若さがあり、スマートでダンディ、またニヒルなかげりがあって女性ファンも多かった[2]

1954年10月、鵠沼を離れ東京都渋谷区西原へ転居した。

1981年7月4日、食道癌のため58歳で死去した。

木村は『七人の侍』の俳優陣では最年少者ではあったが、最初に亡くなった加東大介に続き同じ癌で病没した。

一方、木村は近年売れっ子となった個性派俳優の梅津栄の師匠としても知られている。

「劇団青俳」は個性的な俳優陣を多数輩出したが、二本柱だった岡田と木村の意見に次第にズレができた。岡田がやや前衛的思考だったのに対し、木村は正統派の新劇を守っていこうという立場だった[3][2]1968年「劇団青俳」は、劇団内部の戯曲選出の意見の対立から分裂し、岡田は清水邦夫、蟹江敬三蜷川幸雄らの「現代人劇場」に参加[3][4]1970年には社長だった本田延三郎も離れ、テレビ・映画で活躍する著名俳優が次々と移籍、独立し、看板俳優は木村と織本順吉だけとなった。また、劇団社長が劇団以外で儲けようと音楽出版に手を出すなどの乱脈経営で1979年に多額の負債を抱え倒産した[2][5]。木村自身も1億7千万円の借金を背負った。青俳結成当時のメンバーだった倉橋健も「木村君は滝沢修さんのように日本の演劇を変えたわけではないんです。しかし、従来の事大主義だったイデオロギーを超えて新劇の幅を広くしました。その後、彼の演劇観は変わらなかったんです。それに対して若い蜷川幸雄などはついていけず脱退しました。結果、取り残されたのが彼の悲劇といえます。彼は演劇より映画でいい仕事をしました。巧い役者で、カンが良く、マジメで努力家だった。素材としては、非常に貴重な役者で、いい監督と脚本に恵まれると、特に力が出ましたね」と追悼した[2]

妻の木村梢はエッセイストで回想記『功、大好き』(講談社、のち講談社文庫)がベストセラーとなった。また編著に『功、手紙ありがとう』(三笠書房)がある。

主な出演

映画

テレビドラマ

トーク番組

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^
  2. ^ a b c d 週刊新潮、1981年7月16日号125頁
  3. ^ a b 高橋豊『蜷川幸雄伝説』河出書房新社、2001年、51-62頁
  4. ^
  5. ^
  6. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN (4-924609-00-5)。 

外部リンク

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