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新潟放送

株式会社新潟放送[5](にいがたほうそう、: BROADCASTING SYSTEM OF NIIGATA INCORPORATED[5] 略称 BSN[2])は、新潟県放送対象地域とするラテ兼営特定地上基幹放送事業者である。

株式会社新潟放送
BROADCASTING SYSTEM OF NIIGATA INCORPORATED
本社全景と信濃川
(左鉄塔は新館 右鉄塔は旧館)[注 1]
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社
市場情報
東証スタンダード 9408
1969年4月15日上場
[1]
略称 BSN[2]
本社所在地 日本
951-8655[1]
新潟県新潟市中央区川岸町
3丁目18番地[1]
北緯37度54分32.1秒 東経139度1分41.7秒 / 北緯37.908917度 東経139.028250度 / 37.908917; 139.028250座標: 北緯37度54分32.1秒 東経139度1分41.7秒 / 北緯37.908917度 東経139.028250度 / 37.908917; 139.028250
設立 1952年10月14日[1]
業種 (情報・通信業)
法人番号 5110001004521
事業内容 放送法による基幹放送事業及び
一般放送事業
(ラジオテレビの放送)。
放送番組の企画、製作、及び販売。
美術、音楽、スポーツ、映画、
演劇、芸能、科学等各種催物の
企画、製作、販売及び興行。
出版物の企画、発行及び販売他[1]
代表者 代表取締役社長 佐藤隆夫[1]
資本金 3億円
(2022年3月31日現在)[3]
発行済株式総数 600万株
(2022年3月31日現在)[3]
売上高 連結: 210億5105万9000円
単独: 57億7175万5000円
(2022年3月期)[3]
営業利益 連結: 13億4229万8000円
単独: 2億8010万3000円
(2022年3月期)[3]
経常利益 連結: 14億4167万5000円
単独: 3億8561万6000円
(2022年3月期)[3]
純利益 連結: 10億5840万1000円
単独: 3億5584万1000円
(2022年3月期)[3]
純資産 連結: 202億7415万5000円
単独: 123億9110万8000円
(2022年3月31日現在)[3]
総資産 連結: 262億9597万2000円
単独: 139億4213万5000円
(2022年3月31日現在)[3]
従業員数 連結: 764人
単独: 119人
(2022年3月31日現在)[3]
決算期 3月31日[4]
会計監査人 新宿監査法人[3]
主要株主 #資本構成参照
主要子会社 BSNアイネット 65.5%
BSNウェーブ 100%
ビーアイテック 100%(間接保有100%)
(ITスクエア) 74.4%(間接保有52.5%)[3]
外部リンク https://www.ohbsn.com/
(テンプレートを表示)

ラジオ中波放送〈AMラジオ放送〉およびFM補完放送〈ワイドFM〉)はJRNNRNクロスネット局コールサイン(JODR)(新潟 1116kHz)を筆頭に全3通り。

テレビJNNの単独ネット局。コールサインは(JODR-DTV)(新潟 17(ch))、(リモコンキーID)はキー局のTBSテレビと同じ「6」。

会社概要

テレビではデータ放送を実施しており、番組表サービス「Gガイド」を配信している。

系列新聞新潟日報(ラジオのローカルニュースの名称『新潟日報ニュース』)。

また、特定地上基幹放送事業者で唯一の、地方ローカル局としても数少ない株式上場企業である(東証スタンダード市場[注 2]証券コード9408)。

キャッチフレーズは「ニイガタぞっこん宣言」で、イメージキャラクターは「ハレッタ」。

2023年(令和5年)6月1日に、民放テレビ局が4局体制の地域では初となる、認定放送持株会社体制へ移行する予定である。これに伴い、株式上場の特定地上基幹放送事業者は消滅することとなる。

事業所所在地

本社・支社[1]

関連会社

出典:[3]

  • BSNアイネット(情報処理サービス)
    • ビーアイテック(情報処理サービス、BSNアイネット子会社)
    • (ITスクエア)(情報処理サービス、BSNアイネット子会社)
  • BSNウェーブ(建物サービスその他、旧・新潟放送興業)

以上は連結対象子会社。これらを含む連結子会社4社、非連結子会社3社、及び関連会社4社でBSNグループを構成する。

資本構成

概要

新潟県企業の新潟日報社(14.21%)と越後交通(9.65%、2011年3月以前は越後交通と同社子会社の長鐡工業で分割所有)は、キー局のTBSHD(8.08%)よりも出資比率が高い。かつては政治家の田中角栄が大株主であった。

2022年3月31日

出典:[6]

資本金 発行済株式総数 株主数
3億円 6,000,000株 730
株主 株式数 比率
新潟日報社 852,000株 14.21%
越後交通 579,000株 09.65%
TBSホールディングス 485,000株 08.08%
光通信 449,000株 07.48%
第四北越銀行 299,000株 04.99%
第四北越リース 256,000株 04.27%
サトウ食品 136,000株 02.26%
エスアイエル 125,000株 02.09%
ROYAL BANK OF CANADA
(CHANNEL ISLANDS) LIMITED
– REGISTERED CUSTODY
120,000株 02.00%
みずほ信託銀行 107,000株 01.78%

過去の資本構成

企業・団体は当時の名称。出典:[7][8][9][10][11]

沿革

新潟放送
基本情報
英名 BROADCASTING SYSTEM OF NIIGATA INCORPORATED[5]
略称 BSN[2]
本社 〒951-8655[1]
新潟県新潟市中央区川岸町
3丁目18番地[1]
演奏所 本社と同じ
公式サイト https://www.ohbsn.com/
ラジオ
放送対象地域 新潟県
系列 JRNNRN
愛称 BSNラジオ
(呼出符号) JODR
(呼出名称) にいがたほうそう
開局日 1952年12月24日
親局 / 出力 新潟 1116kHz /  5kW
主な中継局
テレビ
放送対象地域 新潟県
ニュース系列 JNN
番組供給系列 TBSテレビネットワーク
愛称 BSNテレビ
(呼出符号) JODR-DTV
(呼出名称) にいがたほうそう
デジタルテレビジョン
開局日 1958年12月24日
リモコンキーID 6
デジタル親局 新潟 17ch
アナログ親局 新潟 5ch
ガイドチャンネル 5ch
主な中継局
主なアナログ中継局
(テンプレートを表示)
  • 1952年昭和27年)
  • 1953年(昭和28年)12月1日 JODO直江津(現上越)放送局開局。
  • 1954年(昭和29年)9月15日 JODE長岡放送局開局
  • 1955年(昭和30年)10月1日 新潟大火本社演奏所焼失[注 4]
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月1日 彌彦神社事件報道特別番組[注 5]
    • 5月24日 川岸町新局舎第1期工事終了。ラジオ演奏所、2代目 第1スタジオ(24坪)を運用開始。
    • 6月3日 川岸町新局舎の新本社・スタジオの竣工式を行う[12]
    • 12月25日 山ニツ送信所運用開始(東芝製1kW送信機1台。送信球交換で最大3kWの送信が可能)。
  • 1957年(昭和32年)3月1日 地方局初、全時間モニター・オンエア同時録音開始。
  • 1958年(昭和33年)
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月10日 当時の皇太子御成婚の模様(パレード含む)を、ラジオ東京テレビから生中継ネットを行う。これに伴い、同社からもこの中継のためにKRTに中継応援スタッフやフィルム撮影機材等が出動する。
    • 8月1日 当時のラジオ東京テレビのニュースネットワークであるJNN (Japan News Network)が発足し、同局も発足当初から加盟する。
    • 12月14日 新潟港での北朝鮮帰還第1船の模様を、テレビ・ラジオの両方にて生中継する。テレビではJNN報道特番として、JNN系列18局に同時生中継を行う(制作には、自局を含めJNN7局が協力して行った)。
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月1日 会社名、放送局名を株式会社新潟放送(BSN:Broadcasting System of Niigata[注 7])に変更[13]
    • 6月30日 高田テレビ中継局開局[14]
    • 7月20日 歌詞を公募していた『(新潟放送のうた)』発表。選者:野坂昭如、作詞:加茂市 藤田道郎、作曲:いずみたく、歌:(ブラック・キャッツ)。
    • 9月15日 BSN長岡放送局(JODE)、一部の時間帯にて、長岡放送局周辺の新潟県中越地方独自のラジオ番組を放送開始。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)
  • 1964年(昭和39年)
  • 1965年(昭和40年)
  • 1966年(昭和41年)
    • 8月10日 2代目 テレビスタジオ(50坪)運用開始。
    • 10月12日 本社新館竣工。
  • 1967年(昭和42年)
    • 6月 3段中継可能のラジオカーを2台導入。
    • 10月 新潟放送十五年のあゆみ(新潟放送社史編纂委員会・編、651ページ)を発行[17]
    • 11月2日 テレビ、ローカル独自送出によるカラー放送を初めて行う[注 11]
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)
    • 4月15日 株式を店頭公開(当時は旧新潟証券取引所。その後ジャスダックを経て2022年4月より東証スタンダード)。
    • 5月 テレビ小型中継車導入。
  • 1970年(昭和45年)
    • 1月1日 新春生放送、『BSNラジオでおめでとう』(0時30分〜5時)放送開始。
    • 6月1日 ローカルテレビニュースをカラー化。
    • 8月30日 大型カラー中継車導入[注 14]
    • 10月5日 ゴールデンタイムのテレビ番組が完全カラー化される。
    • 10月10日 局初のラジオワイド番組『ハロー!!ジャンボサタデー』放送開始。初代司会は井口ひろし(タレント)。
    • 12月31日 ラジオ『(オールナイト・ハッピー・パーティー)』スタジオ生放送。
  • 1971年(昭和46年)
    • 4月 ラジオ『ミュージックポスト』が、新潟放送局周辺の新潟県下越地方独自の番組として放送開始。後に、大倉修吾がパーソナリティーを担当したのを機に、局の看板番組となる。
    • 10月5日 ラジオ放送にてマスターAPCが稼動し、放送が24時間化される(日曜深夜を除く)。
    • 12月1日 ローカルでのスタジオ全制作番組が完全カラー化される[注 15]
  • 1972年(昭和47年)10月2日 本社屋上に情報カメラ設置。
  • 1973年(昭和48年)
  • 1974年(昭和49年)
    • 4月 ラジオ『ミュージックポスト』全県放送開始[注 16]
    • ハンディカメラ、携帯用VTRを導入。
    • 6月29日 財団法人「BSN教育文化振興基金」を設立。
    • 9月1日 ラジオカー「スナッピー2号」運用開始。
  • 1975年(昭和50年)
  • 1976年(昭和51年)
  • 1977年(昭和52年)
    • 4月4日 テレビ、局初のローカルワイドニュース番組、『BSNニュースワイド』放送開始[18]
    • 10月9日 創立25周年記念「いつもあなたと〜交通遺児救済キャンペーン ラジソン」、25時間生放送する。
  • 1978年(昭和53年)
    • 4月 BSNラジオの歌『(いつもあなたと)』を発表。作詞:外山真理(当時ラジオCM部員)、作曲:(小倉靖)[19]
    • 5月28日 日立製作所製の1インチVTRを導入。
    • 11月23日 ITU国際電気通信連合の取り決め(それまでの10kHz刻みの周波数から、9kHz刻みの周波数に変更)に従い、午前5時、ラジオの周波数がJODO上越局以外[注 20] 一斉に変更される[注 21]
    • 12月 山ニツラジオ送信所の局舎、送信設備を一新する(5kW送信機1台、予備機)。
  • 1979年(昭和54年)
  • 1980年(昭和55年)
    • 5月10日 ラジオ『歌のない歌謡曲』1万回記念公開放送(新潟ナショナルショールーム(現 パナソニック リビング ショウルーム 新潟))。
    • 11月中旬 NEC製のテレビ用マスターAPS設備及びネット回線設備の音声多重化改造工事を完了。
    • 11月28日 テレビの弥彦山送信所の送信機が更新される(NEC製、音声多重放送対応)。
    • 11月29日 テレビ音声多重放送開始(新潟県初)[注 22]
      • 開始当日を始め、ステレオ番組を中心とした記念番組が多数放送される。
      • 同日より、『BSNニュースワイド』内の天気予報を除くローカルの天気予報の全時間帯がステレオ化される。
  • 1981年(昭和56年)
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月31日 テレビ放送にて、16mmフィルムによる取材を全面廃止[注 24]
    • 5月17日 「BSN愛の募金」が常設される。
    • 8月7日 ラジオ送信機能のプリエンファシス方式を『30時間ラジソン』番組生放送内(同日22時過ぎ)で切り替える[注 25]
    • 9月13日 上越放送局送信所、上越水害で床上浸水する。
  • 1983年(昭和58年)10月1日 新潟テレビ21(NT21→UX)開局により、テレビ朝日系列の番組が移行、テレビ東京系列全国独立放送協議会加盟局(いわゆる独立放送局)などの番販ネットを除いて、TBSの完全系列局になった。
  • 1984年(昭和59年)4月7日 テレビ『土曜はヨイショ!!』放送開始。後に同局のローカルテレビの看板番組となる。
  • 1985年(昭和60年)12月1日 緊急警報放送システム EWS運用開始。
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月7日 川岸町、本社敷地内の新館増築工事完了。移転開始。
    • 4月6日 ラジオ、テレビのマスターが新館局舎に移転。
      • これにより、新館局舎のテレビ、ラジオの全スタジオがステレオ放送に対応し(ラジオマスター(4階):東芝製、テレビマスター(3階):NEC製)、同時に、同局舎内の3代目の第1ラジオスタジオ(51坪)[注 26] も運用を開始する。
  • 1989年平成元年)
  • 1992年(平成4年)
    • 4月1日 CI実施、現行のロゴに変更。
    • 10月 新潟放送四十年のあゆみ(新潟放送四十年史編纂委員会・編、566ページ)を発行。
  • 1993年(平成5年)10月4日 ラジオの深夜放送にて、約17年半ぶりに、TBSラジオ『歌うヘッドライト』のネット受け放送が再開される(これに伴い、ニッポン放送の『オールナイトニッポン』第2部のネットは打ち切りとなる)
  • 1994年(平成6年)テレビ放送、終夜放送(天気予報フィラー)を開始。
  • 1997年(平成9年)10月1日 テレビ文字多重放送開始。
  • 1999年(平成11年)2月1日 テレビ放送にて、日本の地方テレビ局としては初めて、ビットキャストによるデータ多重放送「BSNデータパレード」を開始する[注 29]
  • 2000年(平成12年)1月 JRA主催の日曜競馬中継(当時は「スーパー競馬」)が制作局フジテレビの系列局NST新潟総合テレビに移行したのを最後に、テレビ東京系列以外の他系列番組が姿を消す。
  • 2004年(平成16年)
    • 5月 興和MOデジタルオーディオレコーダー (AF770) を2台導入し、ラジオ放送の収録でのテープレス化を開始する[20]
    • 10月23日 新潟県中越地震(新潟県中越大震災)発生。午後6時過ぎから24日午前0時まで震災関連をCM抜きで6時間行った。
  • 2005年(平成17年)
    • 3月 ラジオマスターを更新(NEC製)。
    • 4月30日 アナログ・テレビに於けるビットキャストによるデータ放送「BSNデータパレード」を終了する[注 30]
    • 6月10日 地上デジタルテレビ放送予備免許を取得(NHK新潟放送局、他の民放テレビ3局も同時に取得)[注 31]
    • 9月5日
      • テレビ放送の主調整室(マスター)設備をアナログ・デジタル統合型に更新(NEC製)。
      • 同時に、ソニーハイビジョンVTRのHDCAM-SRを番組送出用として配備する。
    • 10月1日 地上デジタルテレビ放送の試験電波発射(弥彦送信所のみ。初めは出力30Wから。送信機は東芝製)。
    • 10月25日 午前4時30分、地上デジタルテレビ放送の試験放送開始(局舎タワーのハイビジョンお天気カメラの映像のライブ放送も含む)。
    • 11月1日 地上デジタルテレビ放送の出力が3kWになる。
    • 12月12日 地上デジタルテレビ放送のデータ試験放送開始(県内初)。
  • 2006年(平成18年)
    • 1月上旬 地上デジタルテレビ放送のワンセグ試験放送開始(県内初)。
    • 2月1日 午前5時、地上波デジタルテレビ放送のサイマル試験サービス放送開始(県内初。同時にワンセグでのサイマル試験放送も開始)。ローカル番組ではニュースの一部と天気予報の一部のみハイビジョン化される。
    • 3月30日 地上デジタルテレビ放送の本免許を取得(NST新潟総合テレビも同日に取得)[21]
    • 4月1日 午前5時、地上デジタルテレビ本放送開始。
      • この日、地上デジタルテレビ本放送開始記念番組として、NHK新潟放送局、NST新潟総合テレビとのハイビジョン共同制作番組『はっしん!デジタル2006』を放送する。
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)
    • 4月1日 緊急地震速報の運用開始。
    • 11月15日 長岡支社が同市千歳1丁目3番43号の「(メディアぷらっと)」内に移転する。
      • これに伴い、同支社内からのハイビジョン中継が可能になり、更に、同支社にて一部の報道に於いてのハイビジョン取材を始める。
    • 12月頃 本社報道センターでの報道番組のハイビジョン取材を始める[注 33]
    • 12月23日 BSNテレビ開局50周年記念番組として『発見! 発掘! 新潟とテレビの50年』が放送された。
  • 2009年(平成21年)
    • 4月7日 ラジオの平日放送を午前3時から4時まで放送休止(放送終了アナウンスの後、1時間フィラー)となる[注 34]
    • 4月中旬 本社にてハイビジョンSNG・FPU中継システムを自社導入、稼動開始[注 35]。同システム導入より、ローカルテレビ中継でのハイビジョン運用を開始する[注 36]
    • 7月7日 ラジオにおいて、HARD OFF ECOスタジアム新潟のこけら落とし試合である、セ・リーグ公式戦「広島東洋カープ阪神タイガース」の試合を、オープニングセレモニーから試合終了まで放送した(放送時間は17時45分 - 21時54分)。中国放送の制作でJRN全国ネットにて実況生中継を行い、その際の技術協力も行った。
    • 9月6日 HARD OFF ECOスタジアム新潟のセ・リーグ公式戦「横浜ベイスターズ中日ドラゴンズ」の試合のローカルテレビ生中継(同局の本格的単発中継番組)において、初のハイビジョン生中継放送を行う。
  • 2011年(平成23年)
    • 7月24日 正午、地上アナログテレビ放送が終了。23時59分には、同電波が完全に停波する。停波直前には、当時の現行クロージング映像が下部に「JODR-TV アナログ放送を終了します」の字幕が表示されながら放送された。アナウンスは近藤丈靖アナウンサーの声で「JODR-TV。ご覧のBSNアナログテレビ放送は、まもなく完全に電波を停止します。今後は、デジタル放送で、BSNの番組をお楽しみ下さい。」というものだった。
    • 10月初旬頃 TBSテレビ系列以外(テレビ東京等)からのハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ体制が整う。これに伴い、テレビ東京の番組『ウイニング競馬』のBSNテレビでの放送がハイビジョン化される。
  • 2012年(平成24年)
    • 1月 創立60周年に当たり、60周年宣言「BSNは幸せの種をまきます」をキャッチフレーズとして展開する。
    • 4月2日 ラジオ部門、インターネットIPサイマルラジオ「radiko」に参加。同日正午より、エフエムラジオ新潟、新潟県民エフエム放送と共に新潟県内のみにて実用化試験配信を開始。
    • 7月 創立60周年の「BSNは幸せの種をまきます」をキャッチフレーズに伴い、新キャラクター「タネマキスキー」と「はぐっくま」が登場する(これに伴い、前のキャラクター「ぷる」の使用終了)。
  • 2013年(平成25年)
    • 5月1日ミュージックナビ〜昨日と今日との交差点〜』のネット開始によりラジオが土曜日、日曜日の深夜を除き24時間放送に戻る。
    • 8月 1966年(昭和41年)に建てられ県内最古のテレビスタジオが残されていた旧局舎の解体完了。
    • 本社 事業局(企画事業部、コンテンツ事業部)が川岸町から万代のメディアシップの13階に移転。
      • BSNウェーブ(旧・新潟放送興業)も同階に入居している。
  • 2014年(平成26年)
    • 1月14日 自社傘下のホテルイタリア軒の売上低迷による経営悪化に伴い、同ホテルを、NSGホールディングスに同年4月1日付で売却することで合意。同日付で、同社に売却譲渡した。
    • 5月1日 テレビ放送、フィラー時間帯に「TBSニュースバード(現在のTBS NEWS)」を開始。
    • 11月4日 ラジオ部門が、(「radiko.jpプレミアム」(エリアフリー聴取))に参加。これに伴い、同サービスを通じて、新潟県外でも有料にて、ラジオの放送を始める(日本国内のみ)。
  • 2015年(平成27年)
    • 7月15日 - AMラジオと同一内容を放送する、災害用のFM補完中継局(ワイドFM)の予備免許を取得(周波数:92.7MHz、出力:1KW。送信所はテレビと同じ弥彦山)[22][23]
    • 10月20日 - FM補完中継局(ワイドFM)の本免許を取得[24]。これに伴い、同放送のAMとのサイマル放送を開始[25]
    • 11月1日 - FM補完中継局(ワイドFM)開局。これに伴い、ラジオ放送のキャッチコピーが、「つながるFM、ひろがるBSNラジオ」に変更される[25]
  • 2017年(平成29年)
    • 6月29日 同局元アナウンサーである佐藤隆夫が同局代表取締役社長に就任。竹石松次社長は代表権のある会長になる。
  • 2019年令和元年)
    • 8月19日 テレビ放送、主調整室(マスター)設備を更新。メーカーも開局から使用されたNEC製から東芝製に変更された。
  • 2020年(令和2年)
  • 2022年(令和4年)
  • 2023年(令和5年)
    • 1月 局内のテレビスタジオのサブを更新(池上通信機製 4K対応)。[26]
    • 6月1日(予定) 放送法などの手続や総務大臣の認可などを経て認定放送持株会社に移行することとし、現在の新潟放送は『株式会社BSNメディアホールディングス』に社名が変更となる予定。全国で12社目、大都市圏以外でかつ民放テレビ局が4局体制の地域では初めて認定放送持株会社体制へ移行となる。また2022年(令和4年)9月上旬に設立する準備会社『株式会社新潟放送分割準備会社』に、現在の新潟放送が持っている放送事業を吸収分割形式により承継した上で、同日付で『株式会社新潟放送』(2代目法人)に社名を変更することになっている。新会社ではテレビ放送事業とラジオ放送事業を分割せず、従来のラ・テ兼営体制を継続する予定[27]。当初は4月1日に移行を予定[注 37]していたが、総務省からの許認可が3月時点で得られていないため、移行日を変更している[28]

災害当時の放送体制

55年新潟大火当時の放送態勢

 
新潟大火の直後に民放連が発刊したパンフレットの表紙。タイトル『ラジオ新潟は生きていた』の「新」以下の字右側にある建物がラジオ新潟のあった大和新潟店
  • 1955年9月30日 台風22号が夜半に佐渡沖を通過する恐れが出たため、定時放送終了後もフィラーを流しながら30分刻みで台風情報を伝えると同時に停電に備え、電源が安定している網川原送信所にアナウンサーが待機する。理由は、当時、ラジオ新潟本社の自家発電装置は古い自動車エンジンを使用していたため、停電が長引くと装置が不安定となり使えなかったからである。
  • 1955年10月1日1時36分 停電。網川原送信所へ台風関連の原稿が送られ放送が続けられる。
  • 2時50分 新潟市医学町二番町、新潟県教育庁の木造庁舎から出火。強風に煽られ東中通、西堀通を延焼。
  • 3時05分 最大瞬間風速33.6mを記録(新潟気象台)。
  • 3時10分 本社スタジオの当直者に火事の情報が入る。
  • 3時15分 「県庁脇、交番付近から火災発生」の一報を網川原送信所から放送、フィラーを止め火災のニュースが繰り返される。アナウンサーがデンスケを肩に下げ火災現場に向かう。放送や消防車のサイレンで火災を知った社員がスタジオに集合する。火災情報の原稿を本社から送信所へ送り、そこから放送していては情報が追い付かないと判断し、大和デパート新潟店地下に設置してある自家発電装置の始動を試みる。
  • 「教育庁全焼」、「北村知事、自衛隊新発田駐屯地に出動を要請」、「東中通に延焼、新潟日報(当時、新潟日報社は同地にあった)も危険」の情報を網川原送信所から放送する。
  • 3時30分 自家発電装置が始動する。「新潟日報はラジオ新潟に避難開始」、「大黒屋旅館に延焼」の情報が本社スタジオから放送される。梁取清助調整部長らが強風と火の粉が舞う中、大和新潟店7階演奏所屋上にマイクロフォンを設置する。
  • 4時15分 丹羽国夫アナウンサーが屋上のマイクロフォンから市中心部の火災の様子を実況開始。丹羽アナウンサーの実況と共に、走り回る消防車のサイレンがラジオから流れ続ける。
  • 4時35分 「小林デパート(前記、大和デパートのほぼ斜め向かいに位置する。のちの新潟三越)から火が出ました。では・・・実況を・・・この辺で打ち切る事にします。危険ですからこの辺で実況を打ち切ります。」と、20分間の実況放送を中止し、集合した社員達は午前中に放送された番組の収録テープや十数枚のLPレコード盤、CM原稿と2,3個の機材を持ち出し避難する[29]
  • 4時36分 「JODR、こちらはラジオ新潟です。本社スタジオは火災のため放送不能となりましたが、引き続いて、ここ送信所から火災情報をお送り致します…」の第一声で網川原送信所より放送を再開。
  • 4時50分 大和新潟店と屋上のラジオ新潟に引火、全焼。
  • 夜が開け、網川原送信所に全社員が集合。送信所のテラスに毛布で囲まれた臨時スタジオが作られる。長岡放送局と直江津放送局から必要な放送機材を集める。
  • 10時00分 放送機材整備のため一時間放送を休止する。
  • 11時00分 平日番組に復旧する。
  • 夕方過ぎ、信越放送、ラジオ東京(現・TBSラジオ)、ラジオ東北(現・秋田放送)から可搬型録音機録音テープ、マイクロフォン、ミキサー、レコード盤、文具などの応援物資が到着する(以後、全国の民放局から応援物資が届けられる)[注 38]
  • 新潟大火の実況放送の全ては長岡放送局で録音されており、その日のうちに長岡放送局から網川原送信所へライン送出され、無事だった新潟-東京間の専用回線でラジオ東京へ送られ全国放送された。
  • ラジオ新潟の仮本部は坂口献吉社長自邸に設けられ、その後、火災から免れた古町八番町の元料亭に移動する。編成制作、技術は網川原送信所に設けられた。

新潟地震当時の放送体制

1964年6月16日 13:01に発生した新潟地震発生後の番組編成、活動状況は下記の通り。

  • 13時01分 ラジオ『(歌で歩む50年)』、テレビ『いつか青空』を放送中に地震発生、新潟市で震度6を記録する。川岸町本社は停電と、本社-送信所間の地下埋設放送線が断線したためラジオ、テレビは放送不能になる。局舎に隣接する北陸瓦斯のガスタンク2基がガス漏れにより爆発の危険が出たため全社員に避難命令が出るが、数十分後に解除される[30]
  • 14時15分 テレビ放送再開。スタジオのカメラを屋上へ設置し、炎上する昭和石油からの2つの黒煙や落下した昭和大橋などを放送する。
  • 14時33分 屋上のカメラから信濃川を逆流する180cm津波を放送すると同時に2インチVTRにも収録する。
  • 15時05分 ラジオ、山ニツ送信所から放送再開。大和デパート新潟店で中元取材中、地震に遭遇した報道部の藤田実記者は徒歩で山ニツ送信所へ向かい、昭和大橋の被害、昭和石油の火災、津波国鉄が不通などの情報を放送する。
  • ラジオ再開後、テレビはラジオ音声を流し始める。
  • 15時25分 本社→県警察本部(新光町)→警察庁(霞が関)→東京支社(当時は銀座にあった)経由でTBSラジオへ支援要請。
  • 16時01分 ラジオ、県庁に設置された県災害対策本部から災害情報や尋ね人の放送を開始(本社スタジオは放送不能のため、新潟県庁に駐車したラジオカーから送信したFM波を直接山ニツ送信所で受信し放送する)。
  • 17時15分 見舞い文に改められたラジオCM放送再開。
  • 20時00分 ライフライン、公的情報、災害状況、尋ね人、新潟を訪れている修学旅行生の安否情報などを終夜放送する。
  • 20時14分 川岸町本社 - 電電公社新潟電話局(現・NTT東日本新潟支店)間の電電公社の中継回線を仮復旧。『クイズ・クイズ・クイズ』のネット受けを途中から開始。
  • 深夜、テレビは放送休止
  • 1964年6月17日 16日の応援要請を受けて、秋田放送と東京放送(TBS)から総勢57人のスタッフ、テレビ中継車と電源車、放送復旧機材等が新潟に到着。
  • 18時00分 川岸町本社スタジオからラジオ放送を再開(本社 - 山ニツ送信所間をTBSが持参したFM広帯域一対向によって仮復旧)。特集『29時間後の新潟市から』を放送。
  • 22時30分 ラジオ、尋ね人を約5,000人などを伝えた災害放送を終了。

この放送中に新潟市災害対策本部からの要請で県内の化学製品工場の関係者あてに化学消防車を昭和石油火災現場に派遣してほしい趣旨の救援放送を実施。ラジオを聞いていた関係者により当日深夜化学消防車が応援に駆け付けた。

新潟県中越地震当時の放送体制

2004年10月23日 17:56に発生した新潟県中越地震発生直後の番組編成状況は下記の通り。

  • 17時56分 地震発生後、字幕(地震情報)での対応
  • 18時00分 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』を通常通り定刻開始。
  • 18時15分頃 上記番組を中断し、地震関連の放送開始。
  • これ以降、翌日午前0時頃まで予定の番組を変更し、さらに、TV-CMを全面カットして、TBSテレビ発のJNN報道特別番組を含め、BSN独自編成で地震の詳報を伝え続けた。
  • TBSラジオでは、24日午前0時から午前4時までの間、『JUNK』と『B-JUNK』を中止し県内向け生放送を「報道特別番組」として同時放送した。

呼出符号 (コールサイン)

  • ラジオ放送 新潟局 (JODR) 長岡局 (JODE) 上越局 (JODO)
  • テレビ放送 JODR-TV
  • デジタルテレビジョン放送 JODR-DTV
  • データ放送 JODR-TDM
  • 音声多重放送 JODR-TAM
  • 文字多重放送 JODR-TCM

ラジオ

概要

  • 放送時間
    • 2009年4月6日までと2013年5月1日より平日は24時間放送。
    • 2009年4月7日より2013年4月30日までは4時を起点とする名目上は23時間放送とし、日曜深夜(月曜未明)を除く毎日 3:00 - 4:00(2013年4月以後~2021年9月26日までは土曜深夜=日曜未明については4:00-5:00)[31]フィラーの時間は「深夜音楽」という番組扱いとなっており、事実上の24時間放送となっていた。
    • 上記の通り2013年5月1日付けの放送から月-金曜深夜(火-土曜未明)分は24時間放送を正式に再開したが、土曜深夜=日曜未明の『深夜音楽』は引き続き4:00 - 5:00で2021年9月27日(=26日深夜)まで継続していた。
      • ただし「深夜音楽」が放送されている時間でも必要に応じてメンテナンスのために短時間停波することがある[注 34](日時はJST)。
  • 生放送以外の時間帯で震度3までの地震が発生した場合、ネット番組や録音番組内に割り込んで地震速報を流すことは無い。

ラジオ周波数

 
BSN新潟放送 山ニツラジオ送信所 全景
(新潟市中央区山二ツ
中央の紅白ポールで両脇に張られたアンテナ線を支えている。左のパラボラアンテナ鉄塔は川岸町の本社からのSTL波を受ける設備

現在

AMラジオ放送[32]
親局 識別信号 周波数 空中線電力 備考
新潟 (JODR) 1116kHz 5kW 政令指定都市が存在する県で唯一の1桁出力であるAM局[33]
中継局 識別信号 周波数 空中線電力 備考
上越 (JODO) 1530kHz 1kW
長岡 (JODE) 1062kHz 100W
塩沢 1485kHz
柏崎 1062kHz
十日町
糸魚川 1530kHz
小出 1026kHz
FM補完中継局[32]
中継局 識別信号 周波数 空中線電力 備考
(BSN新潟FM) 92.7MHz 1kW 2015年11月放送開始[25]
(BSN高田FM) 94.8MHz 30W 2020年12月1日放送開始[34]
BSN大和FM 94.8MHz 100W 2022年11月1日放送開始
BSN糸魚川FM 94.8MHz 100W 2022年12月1日放送開始

過去

中継局 周波数 空中線電力 所在地 備考
川口 1485kHz 100W 2004年(平成16年)10月28日 - 12月31日までの予備免許。
新潟県中越地震災害に伴う中継局で、北魚沼郡川口町およびその周辺地域において、
より明瞭に提供するための措置。

トンネル内再送信サービス実施箇所

その他

正式な送信所ではないが、災害時にクレーン車を使った移動式中波アンテナ(空中線)を設置する技術を2013年に開発、予備送信設備として総務省の認可を受けている[35]。クレーン車自体を空中線の一部として使用することで、クレーン車到着から電波発射まで約1時間で作業が完了するほか、コストもクレーン車のレンタル代以外は自社設備を流用するため非常に低く抑えられるという[35]

現在放送中の主な自社制作番組

2023年4月時点。

その他の番組は、公式サイトの ラジオトップページ あるいは ラジオ番組表 を参照。

過去に放送した番組

自社制作番組

終了した番組は、公式サイトの 終了した番組 も参照。

平日朝

  • にいがた西東
  • BSNおはようワイド
  • モーニングピアス
  • Morning Cafe(2004年3月29日 - 2012年3月30日)
  • はや・すた(2012年4月2日 - 2021年3月26日)

平日午前

平日昼

  • (BSNサテライト・ヒットパレード)[注 39]
  • コンビニラジオ 昼ラジ

平日午後

  • 2時のア・ラ・カルト
  • ハレバレジョッキー お元気ですか!
  • (はればれワイドにっこり大放送)
  • 石塚かおりの午後の楽園
  • ゴゴイチ
  • ゴゴラク!

平日夕方

金曜日

土曜日

日曜日

その他

  • RNKヒットメロディー
  • 佐渡汽船 ジェットフォイルミュージック
  • 波塚和子の演歌心の歌
  • 鈴木かおるの全力投球
  • 子育て日記
  • (夜はおまかせベストテン)[注 40]
  • 新潟ミュージックメイト
  • 奥様音楽をご一緒に
  • スキップ・オン・マイク
  • ドライバーのあなたに
  • レディズ・アワー
  • ニイガタ・トゥナイト
  • テレフォンリクエストパレード
  • 代々泉民謡教室
  • 本町花のれんアワー(下越地域のみ放送[注 41]。新潟市本町商店街提供)
  • ラジソン
  • 金ちゃんと乾杯!!宿六大行進
  • みのるとよう子のびっくりナイター
  • 金親顕男のポップス専科
  • 土曜スクエア鈴木かおるの全力投球!
  • 学園かわら版にいがた・なう
  • 今夜もゼッチョー!!
  • 盗難車情報
  • チャーリー高坂のネクラでバンザイ
  • チャーリー高坂の今夜は絶頂
  • Switch On Pops
  • とびきりトミーのぶっちぎりサタデー
  • かぎとみ徹のラジオはフランキー
  • わくわく11時(各エリア別内容)
  • 元気で候
  • 純情倶楽部
  • トワイライト・ジョッキー
  • 実と京子の大勝負がっぷり四つ
  • 海の気象ニュース
  • キャプテン宝島の佐渡へこいっちゃ
  • ぽっぷるランド
  • 電リクネットワーク
  • サツと修吾のハッピートーク
  • こちらジャスコ放送局(新潟市青山のジャスコLから公開生放送)
  • アイ※・ウイ※・佐渡ヶ島(※はハートの記号、ラブと読ませる)
  • ライブリポート430
  • ライブリポート445
  • ライブリポート
  • かぎとみ徹の熱烈!ラジオSHOW
  • クチコミラジオ 越後じまんず
  • 祐介・りんりんのギューギュー戦隊ハチキレンジャー
  • ミノファーゲン 医学なんでも相談室
  • やまだみつるのみみかき通信
  • ウチらの実験室 〜10代のホ・ン・ネ〜
  • ポプキン
  • 怪傑バナゴング
  • 朝日山おもしろ百科
  • 夕ラジ
  • Swing street
  • J-ポッパー
  • Love & Live Dステーション
  • 大杉りさのMidday cafe
  • (日曜日もごきげんで!)
  • (黒崎識正のオレンジ魂)
  • (ひるbanana)
  • (ヨシモト にいがた生ラジオ)
  • (海津ゆうこのさたばな)
  • ふるさと散歩
  • 新海史子のLINK!!
  • 久住小春のMEDIASHIP 927
  • Angel Generationのsweet Heart
  • 北原里英のMOONLIGHTING(2017年10月2日 - 2019年3月25日)
  • 情熱にいがた〜新潟の経営者たち〜
  • 越後家のすったもんだ
  • 新潟県伝説の旅
  • (Mondeo) こぶしロック!
  • (酒井泰彦)のMUSIC HOUR!
  • 宝石みのわ きらめき★タイム
  • 中田エミリーのとりあえず生で!
  • みのわコレクション
  • NGT48のガチ!ガチ?カウントダウン![注 42]
  • 志田愛佳のLuna×Mona
  • 大杉りさのRcafe
  • BSNニュース&ウエザー
  • Oceanネットスーパーpresents佐藤智香子10分間のアルデンテ

ラジオパーソナリティ

男性
女性

過去のラジオパーソナリティ

男性
女性

ほか

テレビ

ニュースネットワークの移り変わり

  • 1958年(昭和33年)12月25日 テレビ本放送開始。ラジオ東京テレビ・日本テレビとネットワークを組む。
  • 1959年(昭和34年)3月1日 日本教育テレビとこの日開局したフジテレビともネットを組む。
  • 1959年(昭和43年)8月1日 JNN発足と同時に加盟。ニュースはラジオ東京テレビ単独、それ以外はフリーネットとなる。
  • 1967年(昭和42年)6月 民間放送教育協会発足と同時に加盟。
  • 1968年(昭和43年)12月16日 NST新潟総合テレビの開局により、ニュース以外も(TBSテレビ系列)となるが移行されなかった番組のみ、番組販売という形で放送を継続することとなった。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 大阪準キー局の腸捻転解消により、関西発の同時ネットが朝日放送テレビから毎日放送に切り替わる。同時に、番販ネットが毎日放送から朝日放送テレビに切り替わる(1983年9月30日まで続く)。
  • 1981年(昭和56年)4月1日 テレビ新潟放送網の開局により、日本テレビ系列の番組が姿を消す。また、フジテレビ・テレビ朝日系列の番組の一部がNST新潟総合テレビに移行。
  • 1983年(昭和58年)10月1日 新潟テレビ21の開局により、民教協制作以外のテレビ朝日系列の番組が姿を消す。2年前の時点で移行しきれなかったフジテレビの番組は、『競馬中継』と仙台放送製作の東北電力一社提供番組を除きNST新潟総合テレビに移行。これにより、TBSテレビ系列のフルネット局となった。
  • 2000年(平成12年)1月1日 フジテレビの競馬中継が、NST新潟総合テレビに移行。
  • 2001年(平成13年)3月 仙台放送 (OX)製作の東北電力一社提供番組のネット受けが終了。

チャンネル

デジタルテレビ放送

 
TBSテレビ系列局のリモコンキーID地図
リモコンキーID:6
キー局のTBSテレビや、IBC岩手放送・北陸放送などのアナログ親局・IDと同じ。アナログの親局5は引き継がず(新潟県は新潟テレビ21に割り当て)、国内の民放において唯一リモコンキーIDがアナログ放送の親局より大きい番号となった。ただし、BSN自身もアナログ中継局に6chを使っていた。
(呼出名称):にいがたほうそうデジタルテレビジョン
  • 高田 18ch
  • 津南 18ch
  • 新井 44ch
  • 守門 18ch
  • 妙高高原 44ch
  • 三川 39ch
  • 津川 39ch
  • 村上 18ch
  • 村松 39ch
  • 高柳 37ch
  • 津南上郷 18ch
  • 両津 31ch
  • 外海府 24ch
  • 関川 43ch
  • 青海 18ch
  • 小出 24ch
  • 相川 28ch
  • 湯沢 17ch
  • 栃尾 43ch
  • 川口 17ch
  • 鹿瀬 17ch
  • 大和 18ch
  • 津南田中 17ch
  • 六日町 18ch
  • 高千 17ch
  • 糸魚川大野 18ch
  • 糸魚川早川 32ch
  • 朝日 32ch
  • 府屋 31ch
  • 土樽 32ch
  • 安塚 28ch
  • 勝木 18ch
  • 小千谷真人 36ch
  • 中里 45ch
  • 黒川 31ch
  • 湯之谷 24ch
  • 柿崎 28ch
  • 松代 28ch
  • 新発田赤谷 34ch
  • 越路 37ch
  • 鯖石 18ch
  • 塩沢 37ch
  • 新津 36ch
  • 牧 43ch
  • 下相川 17ch
  • 牛野尾谷 44ch
  • 関川女川 28ch
  • 津南中津 18ch
  • 柏崎山口 24ch
  • 中郷 46ch
  • 宮古木 20ch

アナログテレビ放送 (2011年7月24日運用終了)

  • 親局:5ch JODR-TV 弥彦送信所(出力=映像:5kW、音声:1.25kW)
呼出名称:にいがたほうそうテレビジョン
  • 中継局
  • 魚沼守門 6ch
  • 高柳 6ch
  • 糸魚川 6ch
  • 佐渡相川 6ch
  • 津川 9ch
  • 魚沼 9ch
  • 上越 10ch
  • 松代 11ch
  • 妙高高原 22ch
  • 三川 31ch
  • 柏崎北条 31ch
  • 魚沼湯之谷 31ch
  • 津南上郷 36ch
  • 津南中里 36ch
    (垂直偏波)
  • 村上 42ch
  • 関川女川 42ch
  • 津南田中 43ch
  • 鹿瀬 44ch
  • 新津 44ch(垂直偏波)
  • 津南中津 44ch
  • 松之山湯之島 44ch
  • 山北府屋 45ch
  • 朝日 45ch
  • 柏崎山口 45ch
  • 青海 45ch(過去は1ch)
  • 佐渡外海府 45ch
  • 佐渡鹿伏 45ch
  • 佐渡大滝 45ch
  • 越後湯沢 46ch
  • 新発田赤谷 50ch
  • 越後川口 50ch
  • 能生栄 50ch
  • 糸魚川早川 50ch
  • 佐渡両津 50ch
  • 津南 51ch
  • 小千谷真人 52ch
    (垂直偏波)
  • 山北勝木 55ch
  • 関川 55ch
  • 村松 55ch
  • 下田牛の尾 55ch
  • 越路 55ch
  • 南魚沼六日町 55ch
  • 柏崎鯖石 55ch
  • 新井 55ch
  • 糸魚川大野 55ch
  • 黒川 56ch
  • 栃尾 56ch
  • 南魚沼大和 56ch
  • 塩沢 56ch
  • 越後湯沢土樽 56ch
  • 牧切光 61ch
    (垂直偏波)

現在放送中の番組

詳細は、公式サイトの テレビトップページ あるいは テレビ番組表 を参照。

自社制作番組

ネット番組

太字は同時ネット。

TBS系列番組
テレビ東京系番組
民教協の番組
その他の番組

過去に放送した番組

自社制作番組

ネット番組

TBSテレビ系の番組(時差ネットを含む)

ほか

旧ロゴ時代に放送されていた主なTBSテレビ系の番組

(※は現ロゴになってからも放送)

注:TBSテレビ系のネット番組は、1968年12月16日のNST新潟総合テレビの開局時点から、BSNはTBSテレビ系の単独ネット局になったため、大部分の番組がネットされる事になった。

テレビ東京系の番組
(姫ちゃんのリボン)→(赤ずきんチャチャ)→(ナースエンジェルりりかSOS)→(こどものおもちゃ)→カウボーイビバップ発明BOYカニパン超発明BOYカニパンビックリマン2000(途中打ち切り)
(嬢王)→(下北GLORY DAYS)→(2ndハウス)→怨み屋本舗

ほか

FNN系列のNST新潟総合テレビがクロスネット(FNN、NNNANN)だった時代、同局でネットしきれないフジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日などの番組を購入して放送していた。また、スポンサーの関係でフルネット化後も移行せずに放送されていた番組もある。以下に主な番組を記す。


フジテレビ系の番組
(マジンガーZ)
SF西遊記スタージンガー→SF西遊記スタージンガーII→円卓の騎士物語 燃えろアーサー→燃えろアーサー 白馬の王子→(おじゃまんが山田くん)

ほか

テレビ朝日系の番組

★は1981年4月1日以降NST新潟総合テレビへ(1981年4月1日テレビ新潟放送網開局に伴い、NST新潟総合テレビのテレビ朝日系番組増加に伴うもの)、☆は1983年10月1日以降新潟テレビ21へ

秘密戦隊ゴレンジャージャッカー電撃隊バトルフィーバーJ電子戦隊デンジマン太陽戦隊サンバルカン大戦隊ゴーグルファイブ科学戦隊ダイナマン

ほか

日本テレビ系の番組(テレビ新潟放送網開局まで)

※はテレビ新潟放送網に開局と同時に(一部はテレビ新潟放送網のサービス放送の時から)移行

ほか

その他の番組

アナウンサー

アナウンサーは全て報道制作局・情報センターに所属している[要出典]

現職

男性
女性
アナウンス担当部長
  • 2014年4月1日から報道制作局長兼情報センター長の(五十嵐幹史)が兼務している[41]

過去のアナウンサー

●は元アナウンス部長。○はアナウンサーではなくラジオパーソナリティ

男性
  • 1952年 今村英成、斉藤威友
  • 1954年 丹羽国夫(1955年の新潟大火では、社屋屋上から延焼の様子を実況)
  • 1957年 水沢英男
  • 1958年 池葉宏(退職後、エフエム新津の創立に参加)、秋丸洋
  • 1962年 中村靖国、三村基明
  • 1964年 上野勝、大倉修吾○(2006年6月退職。その後はフリーで活動していたが、2016年7月に死去[42])、大塚浩平林勝芳
  • 1967年 金親顕男(顧問)、竹石松次(代表取締役会長)
  • 1972年 鈴木馨
  • 1974年 河内潤一
  • 1976年 小柳実●(元NHK、新潟アナウンススクール代表・講師)
  • 1980年 杉浦健(報道制作局報道部記者)
  • 1981年 鍵冨徹○●(営業局次長・ラジオセンター長[43]
  • 1982年 高坂元巳BSNウェーブ取締役)、佐藤隆夫
  • 1987年 和田司(現在[いつ?]報道制作局報道部記者・報道解説委員)
  • 1989年 磯村茂昭、服部陽介現在[いつ?]フリー。ファーストキャスト(個人事務所)代表)
  • 1991年 星野一弘
  • 2000年 東宏典(毎日コミュニケーションズ
  • 2004年 高橋知幸(-2013年3月、東海テレビアナウンサー)
  • 2006年 喜谷知純(-2014年9月、フリーアナウンサー[44]
女性
  • 井上清子(1972年入社)
  • 荏原幸子(1972年入社)
  • 北見裕子(1973年入社)
  • 山中景子(1974年入社)
  • 斉藤千恵子(1974年入社)
  • 小原三永子(1976年入社)
  • 小島京子(1976年入社)現在[いつ?]フリー。現姓近藤。
  • 小野沢裕子(1980年入社 - 1986年退職)現在[いつ?]フリー。
  • 増山由美子●(1981年入社 - 2013年)編成局次長・考査広報部長[43]
  • 中岡みち(1982年入社)
  • 伊藤充(1983年入社)
  • 中津川英子(1983年入社)現在[いつ?]フリー。契約パーソナリティとしてラジオニュースとテレビ「さわやか新潟」(新潟市広報番組)MCを担当。
  • 前川乃利子(1983年入社)
  • (佐藤友美)(1986年入社)
  • 杉山朋子(1987年入社)現在[いつ?]フリー。2006年に契約パーソナリティとして復帰。
  • 白田彰子(1988年入社)
  • 渡辺菜穂子(1990年入社)
  • 斎藤文栄(1991年入社)現在[いつ?]社会民主党党首・参議院議員福島瑞穂秘書。
  • 伊藤麻子(1993年入社 - 2006年退職)旧姓早川。高校教諭から転身し入社。
  • 中川美希(1993年入社)
  • 大杉りさ(1994年入社)○ラジオパーソナリティ
  • 佐野佳世(1996年入社)旧姓表(おもて)。現在も[いつ?]ラジオで活動。
  • 土井里美(1996年入社 - 2001年退職)現在[いつ?]フリー。
  • 兼子香(1996年入社 - 2010年退職)
  • 村山恵美(1997年入社 - 2001年退職)同年NST新潟総合テレビへ移籍し2008年退職。
  • 川瀬純子(1998年入社[45] - )
  • 渡辺裕子(1998年入社)現在[いつ?]フリー。
  • 大島さやか(2001年入社)その後福井放送へ移籍したのち退職。
  • 小林恵子(2001年入社 - 2005年退職)現在[いつ?]フリー。2005年 - 2007年はWOWOW契約キャスター。
  • 枦山南美(2002年入社 - 2004年退職)2010年12月末までフリーとして活動。プロサッカー選手松下年宏夫人。
  • 佐々木美佳子(2005年チューリップテレビから移籍 - 2009年退職)
  • 田中理紗(2006年入社 - 2009年退職)のちにNHK大津放送局キャスターを経て退職。
  • 伊勢みずほ(2002年入社 - 2010年退職)現在[いつ?]フリー。
  • 武内実江(2008年入社 - 2011年退職)のちにNHK金沢放送局キャスターを経て2012年退職。
  • 米澤和代(2009年入社 - 2012年退職)地上デジタル放送推進大使。
  • 水島知子(2005年佐渡テレビジョンから移籍 - 2012年退職)現在[いつ?]フリー。
  • 實石あづさ(2005年入社 - 2012年退職)元NHK放送センター契約キャスター。
  • 森本晴香(2011年入社 - 2012年退職)現在[いつ?]四国放送アナウンサー。
  • 磯部恵美(2012年入社 - 2014年退職)元西日本放送アナウンサー
  • 門脇瑛子(2012年入社 - 2014年退職)元NHK和歌山放送局契約キャスター
  • 手島千尋(2013年入社 - 2016年退職)現在[いつ?]TOKYO FMアナウンサー。
  • 田中美紗貴(2014年入社 - 2016年退職)現在[いつ?]テレビ静岡アナウンサー。
  • 久能木百香(2015年入社 - 2020年退職、2016年に、アナウンサーに転属。)
  • 田中碧(2017年入社 - 2019年退職)のちにテレビ神奈川アナウンサーを経て、2023年からフリー。
  • 渡邉智世(2016年入社 - 2019年退職)現在フリー。2020年からNHK新潟放送局契約キャスター。
  • 田巻直子(1993年入社 - )2020年12月現在、CSR推進室。
  • 林莉世(2017年入社 - 2021年退職)現在フリー。
  • 新海史子(2011年入社 - 2022年退職)現在フリー。

アナウンサー以外の著名社員

  • 金子恵美2001年大卒後一般職で入社。1年で退職した後に2004年ミス日本関東地区代表。フリーライター→新潟市議会議員→新潟県議会議員を経て、2012年衆議院議員<新潟県4区選出>。政界引退後はタレント・コメンテーター)

情報カメラ設置ポイント

過去に設置していた場所

  • NEXT21(万代島ビルに移設)

イメージキャラクター

現在のキャラクター

  • 「ハレッタ」(2022年 - )

過去のキャラクター

  • 「ぷる」(2002年10月 - 2012年6月)
    • BSNの創立50周年を記念して登場。キャッチコピーは「プルプルブルンBSN」[46] で、大中小のおたまじゃくしを模したキャラクター。姉妹キャラとしてデジタル放送を意識した「デジぷる」も存在していた。
  • 「はぐっくま」と「タネマキスキー」(2012年7月 - 2022年7月)
    • 「はぐっくま」は、茶色い小さな植木鉢のキャラクター。「タネマキスキー」は、ピンク色の森の妖精のキャラクターである[47]
    • これらの2キャラクターは、BSN創立60周年のキャッチフレーズ「BSNは幸せの種をまきます!」にちなんで登場し、登場前月(6月)の29日の「金曜パラダイス」で初お披露目された。

補足

  • 新潟放送の呼出符号「JODR」は、1952年3月7日に予備免許を交付されるも工事落成期限に間に合わず、1952年9月22日に免許を取り消された兵庫県姫路市姫路市営放送に割り当てられていたものである。仮に姫路市営放送が予定通りに開局していた場合、新潟放送の呼出符号は現在秋田放送(ABS)が使用している「JOTR」になっていた。
  • ラジオにおいても、1990年代中盤までは午前11時台などに地域別の番組枠が設けられており、中越地方(長岡支社制作)、上越地方(上越支社制作)には本社とは別途に放送枠・スポットCM枠が設定されていた(『ラジオガイド』など)。その後県内各地でコミュニティFM局の開局が相次ぐなどしたこともあり、現在は全県同一内容の番組を放送している。
  • 戦後、新潟市内には県・市など自治体が運営する美術館が存在しなかったことから、文化活動の一環として1964年5月1日、新潟市一番堀通町(現中央区)の新潟県庁第一分館(現新潟市役所第一分館)横に「BSN新潟美術館」を開館させた。その後、1970年代後半になって市立美術館の整備計画が具体化した事から「県都唯一の美術館としての使命を達成した」として1985年11月5日に閉館した。所蔵品は前月の10月13日に開館した新潟市美術館に寄託され、敷地跡は市役所第一分館の駐車場に転用された。
  • 同局のラジオ番組「キンラジ」→「独占ごきげんアワー」の人気コーナー「今すぐ使える新潟弁」のCD「文法編」・「日常生活編」が2005年12月7日に2枚同時発売されている。また、同CDの続編として2006年12月6日に「ラブラブ編」・「結婚・出産編」が発売された。
  • 数年前から社会貢献活動の一環として「にいがたキッズプロジェクト」を実施している。
  • 毎年HARD OFF ECOスタジアム新潟にて開催されている横浜DeNAベイスターズの公式戦を主催しており、過去には球団の公認ファンクラブである「B☆Spirit Niigata」を運営していたこともある。
  • 同局のラジオ中継車として「スナッピー」が活躍する。1974年から1990年代中頃までは2台体制で運用され二元中継も行われていたが、1990年代後半からは1台体制となっている。火曜から金曜は「近藤丈靖の独占!ごきげんアワー」と「ゴゴラク!」内で登場し、新潟県内の各所から中継を行う。歴代の担当リポーターは(スナッピー (ラジオカー)#BSNラジオ)を参照。
  • 1970年代後半、ラジオ独自のキャッチフレーズ『いつもあなたとBSNラジオ』を使用していたが、90年代中盤にテレビとキャッチフレーズが統一化されたため、現在は使用していない。
  • 同局のラジオ番組「クチこみラジオ 越後じまんず」は特定のスポンサーをつけず、サポーターからの番組育成金によって運営されるという異例のスタイルをとっていた。
  • 新潟放送のドメインは、Web開設当初は「bsn-niigata.co.jp」、現在は「ohbsn.com」を使用している。「bsn.co.jp」はドメイン取得段階で既に他の企業が取得していた[注 58]ため、使用できなかった。
  • ラジオのオープニング・クロージングで周波数を告知する際、千の位を「せん」ではなく「いっせん」と読んでいる。例えば、親局である新潟放送局の周波数・1116kHzの場合、「せんひゃくじゅうろっキロヘルツ」ではなく「いっせんひゃくじゅうろっキロヘルツ」となる。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ この画像では見えないが両鉄塔間にはダイポールアンテナが渡されている。これは『BSNラジオ競馬中継』でラジオNIKKEI第1放送から『中央競馬実況中継』をネット受けする際に使用していたものであるが、2021年8月末で使用を終えている。
  2. ^ JASDAQ市場。
  3. ^ 2010年6月に閉店し、跡地は「(新潟プラザビル)」に変わっている。
  4. ^ 大和新潟店7階の演奏所が完成からわずか3年足らずで焼失する。しかし、引火する寸前まで大和屋上から火災の実況生中継を行い、実況スタッフが避難した直後より網川原送信所から行った臨時放送と合わせ、各方面から高く評価された。この日から新社屋が機能するまでの約8ヶ月間、送信所内の仮設アナブースからの番組と県内各所からの公開番組で放送をカバーする。
  5. ^ 二年参りで混雑する弥彦神社で深夜0時過ぎ、参拝客が将棋倒しになり死傷者201人の大惨事が発生。ラジオ新潟の社員2人が現場に居合わせたため早期取材体制に入る。放送開始時間を30分繰り上げ4時30分から放送開始。この日に予定していた正月特番を急遽報道番組に変更する。
  6. ^ 当時のラジオ東京(KRT)テレビ等で放送された当番組が第13回芸術祭大賞を受賞したため、ビデオテープで収録していた本放送をこの日に全国にマイクロネットで記念再放送したもの。同番組は現在、TBSテレビの番組における最古の番組資料でもあり、またビデオテープでもある。
  7. ^ ちなみにこのタイプの英文社名は、BSNの他にはこの3か月後に株式会社ラジオ山陰(RSB)から社名変更した株式会社山陰放送(BSS:〜 of San-in)だけである。
  8. ^ 尚、番組編成上、同局のカラー放送開始は翌々日の10月3日となった。
  9. ^ 同局のカラー放送第1弾は、日本テレビからのネットで、米映画ドラマ『(カート・ライト兄弟)』だった(同日20時からの55分番組)。同局のカラー放送開始当初、レギュラーのカラー番組は同番組の他に、日本テレビの『私のクイズ』、TBSテレビのカラーアニメ『(トムとジェリー)」の計3番組だけだった。
  10. ^ 同局のテレビでも、同大会をカラーまたは白黒で連日放送した(時間不定期)。
  11. ^ 初めはテストケースで行われた。番組内容は記録映画『若人の祭典』だった。
  12. ^ 後に音声多重化等の改造工事等も行ったが、新館局舎移転になる前日の1987年(昭和62年)4月5日まで使用された。
  13. ^ 同年の4月からNHKがカラー契約を開始したことや、同局の「テレビスポットコンクール」の開始が同日だったこと、更に同年の11月29日にNST新潟総合テレビがサービス放送を開始したこと(同局の開局は翌月の16日)が影響している。
  14. ^ 同中継車の初運用は、同年9月20日放送の『中央競馬中継』(新潟競馬場からの生放送)だった。
  15. ^ カラー化に伴いテレビスタジオには、東芝製カラープランビコンカメラ3台が配置される。
  16. ^ ただし、番組の前半部分は『ミュージックポスト』放送開始以降、新潟放送局周辺以外の地域(上越・中越地方)でも放送していた。
  17. ^ それまでは朝日系をTBSテレビ系列の局が、毎日系をNET系の局がネット受けしていた。
  18. ^ ただし、朝日放送テレビの一部の番組(NST新潟総合テレビの番組枠の都合で放送できない番組、一部の一本買いの番組等)は、1983年9月30日の新潟テレビ21開局前日まで放送された。
  19. ^ 但し、NRN公式サイトでは昭和45年加盟となっている。
  20. ^ JODO上越放送局の1530kHzは、9kHzごとの所定の周波数であったため、変更する必要がなかった。
  21. ^ JODR新潟局:1120kHz→1116kHz、JODE長岡局:1060kHz→1062kHz、塩沢中継局:1560kHz→1485kHzにそれぞれ変更された。
  22. ^ ちなみに初めの同放送は、朝6時57分の『天気予報』のステレオ放送で、同日放送開始前のテストパターンの音楽もステレオ放送だった。
  23. ^ 16時からの55分番組。ステレオ放送だったものの、同日の新聞のテレビ番組欄には同番組のステレオ番組の表記がなかった。
  24. ^ その後は、ENGを使ったビデオ取材に1本化される。
  25. ^ この時は、番組の演出上、シンガーソングライターの泰葉がピアノを弾きながら歌っている最中(楽曲は『水色のワンピース』)に切り替えられた。また、この変更の瞬間を収録したテープを送ってプレゼントを当てる懸賞キャンペーンも行われた。
  26. ^ 第1ラジオスタジオ内の吸音素材にはラジオスタジオでは日本初、特殊セラミックパネルを壁一面(副調整室のある壁面のみ張られていない)に張る工法を採用し、完成後は多くの放送、音響に関わる関係者が見学に訪れた。またこの頃は、セラミックパネルの効果を活かした生演奏企画が番組内で多く行われた。
  27. ^ スタジオには、東芝製カラーCCDカメラが3台導入される。音声はステレオ対応。このスタジオ運用開始に伴い、ローカル番組『土曜はヨイショ!!』がステレオ放送になる。
  28. ^ ローカル番組でも、『土曜はヨイショ!!』等のテレビスタジオの番組にて同放送が行われた。
  29. ^ JNNでは、TBSテレビ、毎日放送に次いで3局目であった。
  30. ^ 同放送が、後に開始される地上デジタルテレビ放送におけるデータ放送に変わることによる処置である。
  31. ^ この日は新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
  32. ^ スタジオカメラはテレビ放送開始以来東芝製であったが、ハイビジョン放送の開始に伴い初めてソニー製(品番:HDC-900)になる。
  33. ^ 報道取材に於けるハイビジョン取材の開始は、JNN系列では最も遅い方だった。
  34. ^ a b 局の経済的事情により4時を起点とする23時間放送となる。番組表では、午前3時から4時のフィラーの時間は『深夜音楽』という番組タイトルになっているが、毎日同じクラシック音楽J.S.バッハ作曲 『ブランデンブルク協奏曲』第4 - 6番)と途中2回(同曲第5・6番の冒頭後直ぐ)IDが読まれるだけである。この処置に伴い、以前同時間帯でTBSラジオからネットしていた『JUNK ZERO』と『MIXUP』の2番組が打ち切りとなる。同日時点で信越放送(SBC)でも同じ処置が採られていた(SBCのそれはフィラー音楽がなく、停波を伴う休止枠だった)が、2009年秋よりネット受けを再開。現在は全国で唯一ネット受けをしていない。なお、2013年度(同4月6日深夜=4月7日から)は、土曜深夜(日曜未明)の『深夜音楽』の時間が3時-5時に拡大されるため、日曜日付けの実質的な放送は5時開始となる。
  35. ^ 自前でのローカルテレビ中継でのハイビジョン化は、県内民放では最も遅かった。いずれも報道等の簡易中継用である。
  36. ^ 但し、スポーツ等の大規模な中継番組は、引き続き自前のSD画質の大型中継車を使って行っている。
  37. ^ 九州朝日放送株式会社(KBCグループホールディングス株式会社)と同日に移行予定であった。
  38. ^ 火災の翌々日、秋田放送からもお見舞いの社員2人が送信所を訪れトランク2つ分の各種電気工具コード等を持参し寄贈した。秋田放送技術部長の指示によるもので火災で何もかも亡くしたのだから工具なんかなくて困っているだろうと自社のストック品を提供してくれたため何もなくて困っていた技術系社員は感激したという。
  39. ^ リクエストランキングデータがTBSテレビ製作『ザ・ベストテン』のラジオ総合ベスト10のBSNのデータとして毎週提供されていた。(1978年-1985年頃まで)
  40. ^ 1985年頃より、『BSNサテライト・ヒットパレード』から『ザ・ベストテン』のラジオ総合ベスト10のBSNのデータとして毎週提供されていた。
  41. ^ 新潟本局からのみ放送(他の親局では非放送)。
  42. ^ a b 2019年3月25日放送回をもって放送を一時休止。2020年9月時点の 番組ページ では終了と記載。
  43. ^ 不定期ながら土曜 16:00 - 17:00の枠で再放送あり。
  44. ^ 『土曜ランチTV なじラテ。』の中の1コーナーを編集して再放送。
  45. ^ カメラマンが魅せた新潟の風景(深夜から早朝にかけてのフィラー番組(過去には「TBS NEWS」休止時または開始前の時間調整として放送)で、県内の四季の風景映像を放送している。ただし、新潟本社演奏所あるいは弥彦送信所において停波を伴う大規模工事を行う場合はこの限りではない。)なお、県内の民放4局での通常時での終夜放送を初めて行った局でもある(1994年よりお天気フィラーを実施。)
  46. ^ 土曜のみ時差ネット。
  47. ^ 制作局と同時刻だが遅れネット。
  48. ^ CBCテレビでは48分番組として放送されているが、当局では30分編集版が放送されている。
  49. ^ スポーツ中継等で短縮もしくは休止の場合あり。
  50. ^ レギュラー放送第2期はテレビ新潟で放送。
  51. ^ ウルトラマン クロニクルZ ヒーローズオデッセイ』までの作品は県内未放送。
  52. ^ 前作は県内未放送。
  53. ^ スポンサーのJRAの都合で、日曜日の競馬中継を1999年12月まで放送していた。
  54. ^ 1981年3月までNNSに加盟していたNST新潟総合テレビは当大会の中継には不参加。(他にNNSに加盟しながら当大会の中継に参加しなかった局はKTSである。)
  55. ^ NST新潟総合テレビの競馬中継が7月の『FNSの日』や10月第2日曜の『F1日本グランプリ』等で放送休止された時に放送。
  56. ^ ラブライブ!スーパースター!!』はNHKEテレ・新潟で放送。
  57. ^ 1970年代半ばには既に設置されていた。同カメラは1985年に完成された現在の新潟県庁舎(新潟市中央区新光町)の工事状況の映像をこまめに保存しており、その模様は、2008年12月23日の「発見! 発掘! 新潟とテレビの50年」にて放送された。2005年10月には既にハイビジョン化されており、サイマル試験放送前のデジタルテレビ放送の試験電波でも、このカメラで撮った生の映像がハイビジョンで放送されていたことがある。
  58. ^ BS日本(BS日テレ。日本テレビ系BS放送局)もこの影響でドメインが「bs-n.co.jp」となっており、新潟放送や該当の他社と紛らわしくなっていた(2008年にBSデジタルリモコンキーID「4」を意味する「BS4」を略称としたことで「bs4.jp」に変更)。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 会社概要 -BSN新潟放送
  2. ^ a b c 株式会社新潟放送 定款 第1章第1条2項
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 株式会社新潟放送 (2022-06-23). 第92期(2021年4月1日 - 2022年3月31日)有価証券報告書 (Report). 
  4. ^ 株式会社新潟放送 定款 第7章第42条
  5. ^ a b c 株式会社新潟放送 定款 第1章第1条
  6. ^ 株式会社新潟放送 (2022-06-23). 第92期(2021年4月1日 - 2022年3月31日)有価証券報告書 株式等の状況 (Report). 
  7. ^ “有報リーダー”. Lafla. 2017年6月19日閲覧。[]
  8. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、183頁。 
  9. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、263頁。 
  10. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、284頁。 
  11. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2015』コーケン出版、2015年11月20日、303-304頁。 
  12. ^ 新潟日報2017年12月4日付テレビ欄の下部広告(P.28)に記載。
  13. ^ 1960年11月29日に、株式会社ラジオ東京がTBS(株式会社東京放送)に社名を変更した流れを受けたものであるといわれている。また、この頃より旧ロゴ(1992年(平成4年)3月末まで用いられたもの)の使用を開始した。
  14. ^ 『新潟放送四十年のあゆみ』(1992年10月15日、新潟放送発行)76pより。
  15. ^ 新潟日報の同日付の新聞の番組欄に記載。同新聞の2017年12月4日付テレビ欄の下部広告(P.28)にも記載されている。
  16. ^ 新潟放送社史編纂委員会 編集『新潟放送十五年のあゆみ』新潟放送、1967年、416頁。 
  17. ^ 『新潟放送十五年のあゆみ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  18. ^ 2017年12月4日付テレビ欄の下部広告(P.28)に記載。放送時間は、平日の18時から30分間。
  19. ^ 『新潟放送四十年のあゆみ』(1992年10月15日、新潟放送発行)146pより。
  20. ^ 導入された際の模様がKowaのウェブサイトに掲載されている [1]
  21. ^ 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年3月23日付
  22. ^ 株式会社新潟放送の災害対策用FM補完中継局に予備免許(報道資料2015年7月15日)(総務省信越総合通信局)
  23. ^ BSNにFM補完中継局の予備免許交付 - BSN会社情報(2015年7月15日)
  24. ^ 株式会社新潟放送の災害対策用FM補完中継局に免許を付与(報道資料2015年10月20日)(総務省信越総合通信局)
  25. ^ a b c BSNラジオ FM補完放送について
  26. ^ a b 池上通信機ニューストピックス2022年8月24日付「株式会社新潟放送様から、ニュースサブシステム、テレビサブシステムをあわせて受注」(2023年3月11日閲覧)
  27. ^ [2]
  28. ^ 新潟放送(BSN)、持株会社移行を6月1日に変更,新潟日報デジタルプラス,2023年3月19日
  29. ^ 『新潟放送十五年のあゆみ』(1967年10月15日、新潟放送社史編纂委員会発行)p125
  30. ^ 『新潟放送四十年のあゆみ』(1992年10月15日、新潟放送発行)87pより。なおウィキペディアの記述では最大震度が5
  31. ^ 東京ポッド許可局(TBSラジオ)ネット開始のため。
  32. ^ a b c BSN放送エリア -BSN新潟放送
  33. ^ 新潟放送新潟放送局・無線局免許状 - 総務省
  34. ^ “BSN高田FM94.8MHz 開局!(予定) - BSN新潟放送|ラジオ”. 2020年11月30日閲覧。
  35. ^ a b ◆予備施設・バックアップ施設を確保している例 - 内閣官房
  36. ^ 新潟放送弥彦山テレビ送信所・無線局免許状 - 総務省
  37. ^ 新潟放送四十年史編纂委員会編『新潟放送四十年のあゆみ』、1992年10月、420頁
  38. ^ ザテレビジョン長野・新潟版』1994年3月30日、12月21日、1995年1月11日、18日発売分掲載の番組表
  39. ^ 北國新聞縮刷版 1974年9月および10月分より。
  40. ^ 『戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜』は新潟テレビ21で放送。
  41. ^ 2014年3月1日付け新潟日報の新潟放送人事異動記事に掲載。
  42. ^ 大倉修吾さん急死 ラジオで追悼コーナー特設「天国でゆっくりして…」 - スポニチアネックス、2016年7月23日配信、2016年10月26日閲覧
  43. ^ a b 2013年1月(日付は不明)の新潟日報の新潟放送の人事異動記事に明記されている。
  44. ^ 2016年10月29日放送のNHK Eテレ『全日本ソフトテニス選手権』の実況担当者として記載あり(週刊ザテレビジョン北海道・青森版2016年11月4日号 p45及び週刊TVガイド北海道版2016年11月4日号 p53で確認、いずれも2016年10月26日閲覧)
  45. ^ NHKウィークリーステラ1998年ウィークリーステラ全国アナウンサーキャスター名鑑6月12日号 全国アナウンサー/キャスター名鑑
  46. ^ http://texfarm.com/works/entry-199.html TEX FORM INC,ホームページ
  47. ^ 松本 [@matsushin1978] (2021年8月26日). "BSN新潟放送のキャラ、熊っぽいほうが「タネマキスキー」、植木鉢のほうが「はぐっくま」なの、見た目の印象とキャラの名前が逆じゃないですか…?" (ツイート). Twitterより2022年12月15日閲覧

外部リンク

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