後藤 佑季(ごとう ゆうき、1996年7月30日 - )は、NHKのアナウンサー。元NHKパラリンピック放送リポーター[4]。
人物・来歴
岐阜県岐阜市出身[5]。2歳半の時に先天性の聴覚障害(ペンドレッド症候群(Pendred syndrome)による(感音性難聴))であることが判明、以来補聴器を装用して幼児期を過ごす。その頃、難聴幼児通園施設の「みやこ園」(岐阜市)に通っていた[6]。
両親の方針で小学校から普通学級での教育を受けることとなる[7]。小学校低学年の頃に障害の程度が重度へ進行、9歳で人工内耳の手術を受け、半年間リハビリに励んだ[4][8]。
2017年、慶應義塾大学商学部3年生の時に、NHKが障害者を対象に公募したパラリンピック放送リポーター[注釈 1] に応募して選ばれ、東京2020パラリンピック競技大会の放送では主にパラ陸上競技の中継を担当した[11]。また当時は、障害者リポーターとしての取材活動に係るIT技術を特集で取り上げた『NHK NEWS おはよう日本』にも出演している[12]。
嗜好・挿話
- 趣味・特技は、料理、カメラや書道準5段、手話技能検定準2級。陸上(100m走など短距離)、水泳、バドミントンのスポーツ歴もある[4]。岐阜県立岐阜高等学校では陸上部に、慶應義塾大学でも陸上競技のサークルに所属した[5]。
- 慶應義塾大学商学部を首席で卒業(パラリンピック放送リポーター時代の上司談)[4]、成績優秀者表彰を受ける。
同期のアナウンサー
脚注
注釈
出典
- ^ - ウェイバックマシン(2021年5月31日アーカイブ分)
- ^ “FD(Faculty Development)講演会”. FD活動. 慶應義塾大学 大学院社会学研究科. 2022年6月12日閲覧。 “登壇者:後藤佑季(商学部出身 元NHKリポーター/外資系IT企業勤務)”
- ^ "新人アナウンサー 奮闘中". どーも、NHK. 2022年6月12日. 該当時間: 25分35秒以降. NHK総合。
- ^ a b c d “”. あの人を訪ねたい. 日本商工会議所 (2019年12月1日). 2021年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月12日閲覧。
- ^ a b . 中日新聞. (2021年8月26日). オリジナルの2021年8月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ 障害の先にあるもの.
- ^ "言葉を探し続けるパラスポーツを伝えるリポーター後藤佑季さん". カンパラプレス. 一般社団法人 カンパラプレス. 24 August 2021. 2022年6月12日閲覧。
- ^ “第1回 手話は言語”. 後藤佑季さんに教わるはじめての手話。. ほぼ日刊イトイ新聞 (2021年8月23日). 2022年6月12日閲覧。
- ^ - ウェイバックマシン(2017年7月14日アーカイブ分)
- ^ . Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年10月23日). オリジナルの2021年10月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “VTR出演者の紹介”. NHK文研フォーラム2022. NHK放送文化研究所 (2021年12月20日). 2022年6月12日閲覧。
- ^ "特集 "音声を文字化する" テクノロジーが可能にした新しいコミュニケーション". NHKニュースおはよう日本. 2021年6月16日. NHK総合. 2021年7月3日時点のオリジナルより。
(NHKパラリンピック放送リポーター 後藤佑季)【2021年6月16日放送】
- ^ “”. NHKアナウンス室. 2022年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月12日閲覧。
- ^ 福島テレビ [@ftv_sata] (2016年4月30日). "【公式】福島テレビ 『サタふく』" (ツイート). Twitterより2022年6月15日閲覧。(「サタふく」)の項目も参照。
参考文献
外部リンク
- NHK アナウンサー・後藤佑季(ごとう ゆうき)
- NHK大阪放送局 アナウンサー・後藤佑季(ごとう ゆうき)