川崎 大治(かわさき だいじ(たいじ)、本名:池田 政一(いけだ まさかず)[1]、1902年3月29日 - 1980年8月8日)は、日本の児童文学作家。プロレタリア児童文学の運動にも関わった[2]。
略歴
北海道札幌市で生まれた。幼少期は巖谷小波に関心をもち、図書館に通って巌谷の本を二百冊以上読んでいた[1]。1919年に中学校を卒業後に上京、巌谷小波のもとを訪ねて師事。早稲田第二高等学院を経て早稲田大学文学部英文学科卒業。在学中に大杉栄の全集を読んで影響を受け、早大童話会にも所属していた。また巌谷の翻訳業の下請けをして学費や生活費を稼いでいた[3]。 1926年に早稲田大学を卒業後、東京大学文学部の聴講生として通い、サンスクリット語などを学んだ。1929年に(新興童話作家連盟)に加入、童謡などを発表した。
1930年に、日本プロレタリア作家同盟に加入、『戦旗』などに作品を発表した。また1931年に、槇本楠郎との共著で『小さい同志』を刊行。直ちに発売禁止となった。1933年に検挙され、留置場生活を送ったが、同年中に釈放。なお、留置場生活中に巌谷小波の死を知ることとなった[4]。
1935年に(童話作家協会)に加入。『文学評論』などに作品を発表していた。1937年に結婚し、1942年に長男が誕生、つづく1943年に次男が誕生[5]。戦時中は一時東京都西多摩郡に疎開していたが、1952年から再び一家揃っての生活を送った。戦後、日本児童文学者協会の設立に関わり、後年同協会の会長も務めた。