» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

山本文郎

山本 文郎(やまもと ふみお、1934年昭和9年〉12月23日 - 2014年平成26年〉2月26日)は、日本フリーアナウンサー司会者[1]タレント[2]TBS[注釈 1]アナウンサー5期生。愛称は文さん(ぶんさん)またはブンさん[3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14]。妻はタレントの(山本由美子)[2]

やまもと ふみお
山本 文郎
プロフィール
愛称 文さん
ブンさん
出身地 日本 東京都文京区
生年月日 1934年12月23日
没年月日 (2014-02-26) 2014年2月26日(79歳没)
血液型 O型
最終学歴 早稲田大学第一文学部国文科
所属事務所 オフィスぶん
職歴TBSアナウンサー
活動期間 1957年 - 2014年
ジャンル 演芸・歌謡・情報報道
配偶者 一般人(1959年 - 1997年死去)
山本由美子(2008年 - 2014年)
出演番組・活動
出演経歴テレポートTBS6
モーニングEye
輝く!日本レコード大賞』 など
アナウンサー: (テンプレート) - (カテゴリ)

東京市小石川区(現在:東京都文京区小石川)出身。一人っ子[15]1994年9月にTBSを退職[16][17]してからは、個人事務所の「オフィスぶん」に所属していた。

来歴

1944年、母方の実家がある島根県に一人で疎開する[18]

父親は開業医だったが、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍召集広島陸軍病院勤務中の1945年8月6日被爆して全身に火傷を負った末、15日後に死去した[18]。母親は薬剤師で、父親と死別後、一人息子である山本を連れて、子連れ同士で再婚した[19]

東京都立九段高等学校を経て、早稲田大学第一文学部国文科を卒業[1][20]オリンピックの実況を夢見、スポーツ担当アナウンサーを志し[21]1957年4月、アナウンサー(5期生)としてラジオ東京に入社。同期入社のアナウンサーには(青柳純一)・岡部達・(金坂光春)・(仁村秀雄)・(麻生雅子)・(石川知子)・(大場ゆかり)・(草間範子)・佐藤美智子・(鈴木美江)・(須藤孝子)・(前田和子)・町田教子[注釈 2]・(三好和子)がいる[24][25]。大学の友人から「東京生まれの東京育ちだから、言葉のなまりが何もないのでアナウンサーのテストを受けたら」と言われて、ラジオ東京の他に、NHK等にも内定していたが、結局ラジオ東京に入社した[3]

主に歌謡[16][17]・演芸[16][17]・情報番組[16][17]を担当、念願だったスポーツアナウンサーとして活動していた[26]後述)。この間、1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いチーフ・アナウンサー[27]、報道局ニュース部専門職部長、報道局編集部専門職部長兼ラジオ局アナウンス室専門職部長(1982年8月10日)[28]、報道総局社会情報局専門職局長(1988年7月26日)[29]、社会情報局理事(1992年1月1日)[30]等を歴任。また、1976年10月から1987年9月25日までは、テレビの関東ローカルワイドニュース番組『テレポートTBS6』で2代目メインキャスターを担当。関東地方では11年にわたって、「TBS夕方の顔」として人気を博した。降板後、『ニュース22プライムタイム』の司会となった森本毅郎に代わって1987年10月5日からはTBS系列全国ネットのワイドショー『モーニングEye』の2代目総合司会となる。1994年9月にTBSを定年3か月前で退職[注釈 3]後はオフィスぶんを設立してTBSと専属キャスター[1][36]契約を結び[20][34]、『モーニングEye』の総合司会を引き続き務め、1996年9月27日の番組終了まで9年間にわたって出演し、『スペースJ』、平日午後の全国ネット生放送番組(『素敵なあなた』→『わいわいティータイム』)でも司会を務めていた[20]

1996年10月には完全にフリーとなり[1][20]、土日の2日間にゴルフコンペを主催したり[37]、「昭和九年会」(昭和9年=1934年生まれの芸能人による親睦会)のメンバーとしても活動していた[38]

私生活では、学校卒業後は家事手伝いとして過ごしていた前妻と1958年のお見合いの末、1959年2月7日に結婚[34]。宮内庁職員が利用する皇居内の式場にて挙式[34]1997年の元日に前妻を脳梗塞で亡くしたが、73歳の時に2008年1月に31歳年下の由美子と再婚[33]。2008年3月、再婚を機に千葉県鎌ケ谷市へ移住[39][4]。この再婚が大きな話題になったこと(後述)から、2008年の新語・流行語大賞授賞式で司会を務めたほか、バラエティ番組やトーク番組にゲストで出演する機会が増えた。ちなみに、由美子は山本との結婚を機に、「オフィスぶん」で山本のマネージャーを兼務するようになった[40]

2014年2月26日2時6分、(肺胞出血)のため千葉県の病院で死去[5][41]。79歳没。前週の19日まで由美子と共にパーティーの司会をこなしてから[42]21日の深夜に背中や胸の痛みを訴えて入院していた[6][7][10][41]

人物

親しみやすいキャラクター[43]、軽妙なしゃべり口[43]、柔らかな語り口と人柄から[31]『テレポートTBS6』『モーニングEye』の総合司会を務め[6]、人気を博す[7]

73歳での再婚は、浅利慶太の70歳を上回る「芸能界最高齢での再婚」として話題になった[8]。後妻である由美子との馴れ初めは、TBS時代に司会を務めていたラジオ番組『こども音楽コンクール』に、彼女の兄が出演していたことによる[40][33]。やがて山本は、由美子の1回目の結婚披露宴でも司会を担当[44]2007年に前妻を亡くした直後に由美子の離婚を年賀状で知ったことから、久々の再会で相談を受けているうちに愛が芽生えたという。なお、山本は先妻との間に1男を授かりその1男の孫2人もいたが[9][33]、再婚によって由美子の連れ子である2男を養子縁組に[40]。再婚後は、2009年に『新婚さんいらっしゃい!』(ABCテレビ)の新春特集「芸婚さん いらっしゃーい! 2009」などの番組に夫婦揃って出演したほか[45][46]、雑誌のインタビューなどで私生活を告白することもあった。

2014年2月27日には2009年11月19日[47]から2011年9月29日[48]まで木曜日のコメンテーターを務めていたレギュラー番組『ひるおび!』(TBSテレビ)では、第1部の冒頭で、下記のエピソードやTBS時代の映像を交えながら山本の訃報を伝えた[10]。2月28日には山本家は神道信者であるため[49][50]、千葉県鎌ヶ谷市で近親者のみで密葬神式で営まれた[51]。4月13日には山本は前妻の突然の死を悔やんでいた節があり、死後も幸せになるならと決めて前妻の墓に納骨[52][53][54][55]5月8日には湿っぽいこと[56][57]と葬式が大嫌いで、「葬式司会だけは受けてくれないで」とよく言っていたことがあり[11]、「生涯現役」を貫いた山本の姿勢を尊重すべく、由美子の意向で「『さよならはいわないよ』文さん“引退式”」という名のお別れ会を東京・赤坂BLITZで開催。TBSアナウンサー同期の岡部達木元教子(旧姓:町田)、TBSアナウンサー後輩の久米宏生島ヒロシ渡辺真理、TBSの後輩にあたる石井ふく子堂本暁子、フリーアナウンサー仲間の徳光和夫小倉智昭、芸能・スポーツ界から関口宏毒蝮三太夫市村正親仲本工事小室等ボニージャックス渡嘉敷勝男千代の富士貢九重親方)、千代の国憲輝桂由美が参列[58][59]。由美子は「引退式」の後に、山本の仕事を引き継ぐ格好で、タレントとして本格的に活動する意向を表明[60]。由美子自身の息子でもある2人の連れ子に対して、「(山本や自分と同じく)テレビ業界の仕事をして欲しい」と望んでいることも明かした[60]

エピソード

アナウンサーとしてのモットーは、「担当番組のスタッフを大事にすること」。口癖は、「生涯現役」[3]「スタッフが作ったものを、その通りに伝えることが僕の仕事」。

ラジオ東京への入社後に、スポーツアナウンサーとして卓球バレーボールラグビー相撲野球アイスホッケー競馬を担当する[61]。野球中継の時、スポンサーの企業名をずっと間違えて言い続けて、スポンサーを怒らせたことがある[12]プロ野球公式戦の中継でサイクルヒット達成の瞬間を実況したことがある。達成した選手は第4打席でレフトスタンドに本塁打を放ちサイクルヒットを達成した。しかし山本は、第4打席で打球が上がった直後に遊撃手が後退したことから、誤って「ショートフライ」と実況。その直後に左翼手が後退する姿が見えたため、慌てて「レフトフライでした……レフト! レフト! ホームラン! サイクルヒット達成です!」と訂正したものの、この試合を最後にスポーツ実況の担当を外されたという[62]

早稲田大学およびアナウンサーとしての後輩に、逸見政孝がいた。逸見はフジテレビアナウンサー時代の1978年10月2日から、関東ローカルワイドのニュース番組『FNNニュースレポート6:30』で初代キャスターに抜擢。抜擢を前に、放送時間は異なるもののライバル番組であった『テレポートTBS6』キャスターの山本に電話でアドバイスを仰いだ。これに対して山本は、できるだけニュースの現場に出ることを逸見に推奨。逸見は『ニュースレポート6:30』で山本のアドバイスを実践すると、後継の全国ネットニュース番組(『FNNニュースレポート6:00』→『スーパータイム』)でも長きにわたってメインキャスターを担当した[62]

『こども音楽コンクール』の司会をしていた時、横浜市内の中学校のブラスバンド部を紹介した同校生徒の吉川美代子に対して「素晴らしい紹介だったよ。君は将来の吉川アナウンサーですね」と褒めた。吉川はこれがアナウンサー職を志すきっかけとなり、TBSのアナウンサー採用試験では山本がいる前でこのエピソードを披露して、1977年に同局に就職した。1978年に『こども音楽コンクール』の司会を在局2年目の吉川に担当させる際には山本から直接伝え、その後も吉川にとって山本は心の支えになっていたことを、山本急逝後の2014年5月にTBSを定年退職した吉川は同年7月のテレビ出演で明かしている[63][64]

関東ローカルの報道番組『テレポートTBS6』で11年間キャスターを務めていたが、番組進行が主でありニュース原稿を読むことはほとんどなかった。報道局から料治直矢藤林英雄奈良陽がニュースを伝えていた。情報バラエティ番組の担当が専門だったからである。久米宏生島ヒロシ小島一慶渡辺謙太郎石川顯松下賢次林正浩中村秀昭などもTBSアナウンサー時代はニュース原稿を読むことはなかった。1992年10月5日の『モーニングEye』放送時間拡大後はニュース原稿を読むようになった。

40代までは、1日に40本以上のたばこを吸うほどのヘビースモーカーであったという。しかし、42歳の時に糖尿病を患い[13][1][65]、糖尿病から派生した心臓病肺気腫間質性肺炎も抱えていたが[14]、体質改善の一環でタモギダケ茶を愛飲。フリーアナウンサーへの転身後に、タモギタケ茶と緑茶のブレンドによる「文さんの健康抹茶」シリーズの開発に携わった[66]

出演番組

ラジオ東京→TBS

テレビ

ラジオ

  • 歌謡クイズ(1958年)[17]
  • こども音楽コンクール(1959年 - 1977年)TBS版司会[16][17]
  • TBS歌謡プレゼント(1961年)[17]
  • 暮らしのダイアル(1963年)[17]
  • 人気歌手の歌(1963年)[17]
  • 今週のベストテン(1963年)[17]
  • ファン対抗歌謡曲ナイター(1963年)[17]
  • 花形歌手 夢のステージ 三人娘アメリカで歌う(1964年5月10日)実況[70]
  • 歌謡曲でぶっとばせ(1967年)[17]
  • レッツゴー・ドライバー(1969年)[17]
  • TBS それ行け!歌謡曲(1970年)[16][17]
  • ミッチと歌おう(1970年)[17]
  • 朝のファンファーレ〜一口ゼミナール〜(1974年)[17]
  • 郷愁の歌(1975年)[17]
  • ウィークエンドインタビュー(1985年)[17]
  • 昭和探検隊(1988年)[16][17]
  • つりと私(1990年)[17]
  • スポーツ中継(プロ野球実況など)

フリー

出演テレビドラマ

出演映画

出演CM

ビブリオグラフィ

著書

  • ハートをまるごと盗む人間攻略の秘密:この一言がすべての人を惹きつける!(1984年、ロングセラーズ〈ムックの本〉)
  • だれでも話せる冠婚葬祭・短いスピーチ集:いざというとき恥をかかないために(1984年、大泉書店)
  • つきあい上手:本当にいい人だと思われる初対面の秘訣(1986年、ロングセラーズ〈ムックの本〉)
  • 友人代表のスピーチ:好感をもたれるwedding speech 「何を、どう話せばよいか」コツがすぐわかる 披露宴・二次会(1995年、大泉書店)
  • そのまま使えるスピーチ百科:立場別・ケース別の「構成のポイント」がわかる(1996年、大泉書店)
  • スピーチ出だしの言葉と実例集:聞く人の心をつかむ(1998年、大泉書店)
  • いつまでも心に残る3分スピーチ実例集:あらゆるスピーチに対応できる:ケース別マニュアルbook(2003年、日本文芸社)
  • 文さんのわかりやすいわが家の相続:相続税はなくても争続は起こる(2005年、ビジネス情報企画〈文さんシリーズ;1〉)
  • 文さんのわかりやすいわが家の医療&介護(2005年、ビジネス情報企画〈文さんシリーズ;2〉)

雑誌連載

  • 日刊ゲンダイ「文さんのTVワールド」(2006年4月 - 7月、日刊現代)

雑誌記事

  • 山本文郎「特集 別れは誰にも訪れる これから女房孝行をと思っていたのに…」『婦人公論』第84巻第16号、中央公論新社、1999年8月7日、41-43頁。 
  • 山本文郎「特集 大人の恋の理想と現実 30歳差を飛び越えて、熟年再婚しました 「後は死ぬだけ」と思っていた僕を目覚めさせた春の鼓動」『婦人公論』第93巻第10号、中央公論新社、2008年5月7日、44-47頁。 
  • 山本文郎、内海桂子、成田常也「山本文郎夫妻(31歳年下婚)×内海桂子夫妻(24歳年下婚) 惚れる気持ちに年なんて関係ない--70歳からの「愛とセックス」 老いてますますアゲアゲ対談」『週刊朝日』第116巻第3号、朝日新聞出版、2011年1月28日、34-37頁。 

監修書籍

  • 式辞とあいさつ : ビジネス・PTA・お祝い・弔事にすぐ使える(1991年、主婦の友社)
  • ポイントを押さえた乾杯・献杯のスピーチ実例集(2001年、日本文芸社)
  • さすが!と言われる乾杯・献杯・締めのスピーチ(2007年、日本文芸社)
  • 恥をかかない大人の敬語力(2008年、泉書房)
  • 乾杯・献杯のスピーチ : さすが!といわれる(2012年、日本文芸社)

学会誌

  • 山本文郎「放送と話しことば」『研究所年報』第9巻、駒澤大学マス・コミュニケーション研究所、1991年3月、63-86頁、NCID AA11800387。 

関連書籍

  • 山本由美子『文さん、大きな愛をありがとう』鳳書院、2018年3月16日。ISBN (978-4-87122-192-4)。(全国書誌番号):(23038991)。 

脚注

注釈

  1. ^ 会社法人としては、現在のTBSホールディングス、放送局としては現在のTBSテレビTBSラジオ。TBSは、2009年3月までは、東京放送の略称であったが、同年4月以降はTBSテレビの略称となっている。
  2. ^ 町田教子は1956年5月にTBSに嘱託採用され編成局嘱託の後に社員採用され5期生アナウンサー。『TBS50年史』では1957年5月に社員採用となっている。[22][23]
  3. ^ 一部文献にはTBSを定年退職としているが誤り[3][21][6][7][31][12][32][33][34][35]

出典

  1. ^ a b c d e 「いきいきと健康で年を重ねるために」『8020運動20周年記念号 歯っぴいスマイル』、日本歯科医師会、2008年10月、4頁、2016年6月15日閲覧 
  2. ^ a b “総合芸能プロダクション「カロスエンターテイメント」-山本由美子 プロフ-”. カロスエンターテイメント. 2015年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月19日閲覧。
  3. ^ a b c d “元TBS山本文郎アナ死去!最後まで「6」づくし見事「平成26年2月26日午前2時6分」”. J-CASTニュース. ジェイ・キャスト (ジェイ・キャスト). (2014年2月27日). http://www.j-cast.com/tv/2014/02/27197832.html?p=all 2015年8月24日閲覧。 
  4. ^ a b “73歳山本文郎アナ30歳年下と再婚”. 日刊スポーツ. (2008年1月9日). http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20080109-304832.html 2015年8月24日閲覧。 
  5. ^ a b “本紙で連載も 元TBSアナウンサー山本文郎さんが死去”. 日刊ゲンダイDIGITAL. (2014年2月27日). http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/148294 2015年12月1日閲覧。 
  6. ^ a b c d “元TBSアナ山本文郎さん急死 79歳”. 日刊スポーツ. (2014年2月27日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140227-1263126.html 2014年2月27日閲覧。 
  7. ^ a b c d e “山本文郎さん突然の死 由美子夫人明かす”. 日刊スポーツ. (2014年2月28日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140228-1263533.html 2014年10月10日閲覧。 
  8. ^ a b “73歳山本文郎アナが30歳差再婚”. 日刊スポーツ. (2008年1月8日). http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20080108-304716.html 2014年2月27日閲覧。 
  9. ^ a b . 夕刊フジ. (2008年1月8日). オリジナルの2017年9月15日時点におけるアーカイブ。. 2018年4月19日閲覧。 
  10. ^ a b c “ひるおび! 2014年2月27日放送回”. NTTレゾナント. 2015年11月28日閲覧。
  11. ^ a b “お蔵入りした2ショットの宣材写真…山本文郎夫人の思い出”. 日刊ゲンダイ. (2015年2月15日). http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/157208/ 2017年9月15日閲覧。 
  12. ^ a b c “フリーを拒否し続けた山本文郎さんの“TBS愛””. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2014年2月28日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/36167 2015年5月28日閲覧。 
  13. ^ a b “山本文郎さん、肺胞出血で死去 87年から9年間TBS朝の顔”. サンケイスポーツ. (2014年2月27日). https://www.sanspo.com/article/20140227-X67X6JZBE5OMXFFFXS4GGHSSJA/ 2017年9月15日閲覧。 
  14. ^ a b “【甘口辛口】元TBSアナウンサー山本文郎さん、内助の功を天国で感謝しているに違いない”. サンケイスポーツ. (2014年3月2日). https://www.sanspo.com/article/20140302-Q5WH3TCFDNKB3JIHCI5MZ5GTRA/ 2015年8月24日閲覧。 
  15. ^ . 日刊ゲンダイ (日刊現代). (2006年6月30日). オリジナルの2006年7月13日時点におけるアーカイブ。. 2015年8月24日閲覧。 
  16. ^ a b c d e f g h i j 東京放送 編「III. 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。"山本文郎[1994.9退社]『演芸、歌謡、情報番組』 R「こども音楽コンクール(1962)」「それ行け!歌謡曲」「昭和探検隊(1988)」 TV「テレポートTBS6(1976)」「モーニングEye(1987)」「スペースJ(1994)」"。 
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」(DVD-ROM & PDF)『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、10頁。"山本文郎…[66.1R局放送部兼TV編成局アナウンス部][67.11 アナウンサー研修室][80.11 兼TV本部報道局ニュース部][84.2 報道局編集部兼R局アナウンス部][85.6 報道局兼R局][87.10 社会情報局兼R局][88.7 報道総局社会情報局][94.9退社] 『演芸、歌謡、情報番組』 R「歌謡クイズ(58)」「TBS歌謡プレゼント(61)」「こども音楽コンクール(62)」「暮らしのダイアル(63)」「人気歌手の歌(63)」「今週のベストテン(63)」「ファン対抗歌謡曲ナイター(63)」「歌謡曲でぶっとばせ(67)」「レッツゴー・ドライバー(69)」「それ行け!歌謡曲(70)」「ミッチと歌おう(70)」「朝のファンファーレ〜一口ゼミナール〜(74)」「郷愁の歌(75)」「ウィークエンドインタビュー(85)」「昭和探検隊(88)」「つりと私(90)」 TV「楽しいジェスチュア(57)」「野球クイズ(58)」「歌謡アラベスク(61)」「私のえらんだ人(61)」「ビクター・オンパレード(63)」「四時です、さあ皆さん(64)」「スターロータリー(66)」「東西お笑い大作戦(67)〜東西爆笑トンチくらべ」「スターの窓(67)」「土曜デポルテ(71.4〜)」「ミッドナイトリサイタル(72)」「演芸特選会(75)〜落語特選会」「テレポートTBS6<二代目キャスター>(76)」「モーニングEye(87)」「ふるさと讃讃(90)」「スペースJ(94)」"。 
  18. ^ a b “第5回 山本文郎さん(フリーアナウンサー)”. 著名人が語るおばあちゃんの知恵袋. NPOおばあちゃんの知恵袋の会. 2015年5月28日閲覧。
  19. ^ 山本由美子 2018, p. 70, §5.
  20. ^ a b c d e f g h i 「≪基調講演≫ 演題「文さんの人生録」フリーアナウンサー 山本 文郎 様」(PDF)『第968回例会』、千葉東ロータリークラブ、2013年2月22日、6頁、2016年6月15日閲覧 
  21. ^ a b “山本文郎 新情報番組は自然体でいきたい(ズームアップ)”. 朝日新聞夕刊: p. 9. (1997年3月21日) 
  22. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。"1956.5<嘱託採用> 3名編成局嘱託(女3) 町田教子 〜(1957.5社員採用)"。 
  23. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」(DVD-ROM & PDF)『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、9頁。"56.5 <嘱託採用>3人 編成局嘱託 町田 教子… 〜(57.5 社員採用)"。 
  24. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。"1957.4<5期生> 15人入社(男5・女10) 青柳純一 岡部 達 金坂光春 仁村秀雄 山本文郎 麻生雅子 石川知子 大場ゆかり 草間範子 佐藤美智子 鈴木美江 須藤孝子 前田和子 町田教子 三好和子"。 
  25. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」(DVD-ROM & PDF)『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、9-11頁。"57.4 <5期生>15人入社(男5・女10) 応募2600人 青柳 純一 岡部 達 金坂 光春 仁村 秀雄 山本 文郎 麻生 雅子 石川 知子 大場ゆかり 草間 範子 佐藤美智子 鈴木 美江 須藤 孝子 前田 和子 町田 教子 三好 和子"。 
  26. ^ 「座談会 炎の声〜スポーツとともに生きたアナウンサー達」『TBS社報』、TBS、1997年“出席者:小坂秀二 渡辺謙太郎 鈴木治彦 山本文郎 岡部達 池田孝一郎 藤田和弘 山田二郎 石川顯 司会:初田啓介” 
  27. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」(DVD-ROM & PDF)『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、22頁。"1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 チーフ・アナウンサー 鈴木治彦、山本文郎"。 
  28. ^ “東京放送人事・機構改革(7月28日、8月10日)コメント付き。”. 日経産業新聞: p. 15. (1982年8月12日) 
  29. ^ “東京放送(会社人事)”. 日経産業新聞: p. 27. (1988年7月28日) 
  30. ^ “TBS(会社人事)”. 日経産業新聞: p. 27. (1992年1月9日) 
  31. ^ a b 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2012〜2014』日外アソシエーツ、2015年3月25日、627頁。ISBN (978-4-8169-2527-6)。 
  32. ^ “山本文郎(やまもとふみお)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年11月24日閲覧。
  33. ^ a b c d “山本文郎アナ最高齢記録!30歳差再婚”. スポーツニッポン. (2008年1月9日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/01/09/kiji/K20080109Z00001030.html 2018年4月19日閲覧。 
  34. ^ a b c d 「夫婦の階段 第89回 酒好き女好きのキャスターを支えた古女房の極意」『週刊朝日』、朝日新聞社、1995年5月26日、102-105頁。 
  35. ^ “TBS「安住紳一郎」がフリー転身なら楽勝で「打倒・羽鳥慎一」 いつ退社するか?”. デイリー新潮 (新潮社). (2018年8月25日). https://www.dailyshincho.jp/article/2018/08250731 2018年10月8日閲覧。 
  36. ^ 「ドクターは話し上手・聞き上手 : - 明確に意思を伝える話術 - アナウンサー 山本文郎」『日本臨床外科学会雑誌』Vol.62No.supplement、日本臨床外科学会、2001年、162頁、2016年6月15日閲覧 
  37. ^ “「ほとけの文さん」… 愛され亡くなった山本文郎さんの思い出”. 夕刊フジ. (2014年3月1日). http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20140301/enn1403011452010-n1.htm 2014年10月10日閲覧。 
  38. ^ “「昭和九年会」も多くが鬼籍に 藤村俊二らメンバーがコメント次々”. 夕刊フジ (産経新聞社). (2016年7月21日). http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160721/enn1607211535014-n1.htm 2016年8月6日閲覧。 
  39. ^ “「メレンゲの気持ち」2009年11月28日(土)放送内容”. テレビ紹介情報. 価格.com. 2015年8月24日閲覧。
  40. ^ a b c 「山本文郎アナ『時間無駄使いできないから夫婦喧嘩しない』」『女性自身』第2557号、2012年10月https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1608297/2021年7月1日閲覧 
  41. ^ a b 山本由美子 2018, pp. 100–105, §8.
  42. ^ 「フリーアナウンサー・山本文郎さん ニュースと視聴者の懸け橋つくった」『朝日新聞』2014年3月29日付夕刊、9面、惜別。
  43. ^ a b “山本文郎さん“引退式”久米、徳光、小倉らシモネタで送る”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2014年5月8日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/89596 2015年5月28日閲覧。 
  44. ^ 週刊ポスト 2008年2月1日号 pp.173-175 ビートたけしの21世紀毒談(第919回)山本文郎アナ
  45. ^ “”. 2015年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
  46. ^ 山本由美子 2018, p. 36, §2.
  47. ^ a b “山本文郎のTV出演情報 12ページ目”. ORICON STYLE. 2016年5月26日閲覧。
  48. ^ a b “「ひるおび!」2011年9月29日(木)放送内容 - テレビ紹介情報”. 価格.com. 2016年5月26日閲覧。
  49. ^ 「山本文郎アナ 急逝から1年…31歳年下妻が「新しい恋をします!」」『女性自身』、光文社、2015年2月26日、2021年7月1日閲覧 
  50. ^ 「故・山本文郎アナ妻、年齢差婚を「お金のため?」と言われる」『週刊女性』、主婦と生活社、2015年3月31日、2017年9月28日閲覧 
  51. ^ “山本文郎さん葬儀 由美子夫人涙こらえる”. 日刊スポーツ. (2014年3月1日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140301-1264276.html 2014年10月10日閲覧。 
  52. ^ “山本文郎さん 遺骨は前妻眠る墓に…妻・由美子さん「バトンタッチ」”. スポーツニッポン. (2014年5月12日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/05/12/kiji/K20140512008148150.html 2015年5月14日閲覧。 
  53. ^ “故・山本文郎さんの妻が明かす“夫ロス” 前妻のお墓に納骨した理由とは…”. スポーツニッポン. (2018年4月13日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/04/13/kiji/20180413s00041000433000c.html 2018年4月19日閲覧。 
  54. ^ “爆報︕THE フライデー 芸能⼈の死後トラブル&あの⼈は今 大追跡SP 2018/04/13(⾦)19:00放送 TBS”. TVでた蔵. 富士ソフト. 2018年4月19日閲覧。
  55. ^ 山本由美子 2018, p. 5, §はじめに.
  56. ^ “徳光和夫、久米宏アナら先輩追悼 山本文郎さんお別れ会”. スポーツニッポン. (2014年5月9日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/05/09/kiji/K20140509008124970.html 2016年8月6日閲覧。 
  57. ^ “山本文郎さん“引退式”笑顔でお別れ(2)”. デイリースポーツ. (2014年5月9日). http://www.daily.co.jp/gossip/obituaries/2014/05/09/1p_0006944097.shtml 2016年8月14日閲覧。 
  58. ^ “山本文郎さんお別れ会に久米宏ら500人”. 日刊スポーツ. (2014年5月8日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140508-1297906.html 2014年12月1日閲覧。 
  59. ^ “徳光和夫「ブンさんは下半身も生涯現役」山本文郎さん“引退式””. サンケイスポーツ. 産経デジタル. (2014年5月9日). オリジナルの2015年5月29日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20150529082508/http://sonae.sankei.co.jp/news/article/140509/n_sosai0002-n1.html 2017年9月15日閲覧。 
  60. ^ a b “山本文郎アナの妻がタレント転身へ”. デイリースポーツ. (2014年5月9日). http://www.daily.co.jp/gossip/2014/05/09/0006943855.shtml 2014年5月9日閲覧。 
  61. ^ 「座談会 炎の声〜スポーツとともに生きたアナウンサー達〜」『TBS社報』1997年1月号、23頁。 
  62. ^ a b 週刊宝石 1989年3月14日号 本人記事
  63. ^ “あの人に聞きたい 著名人にロングインタビュー 吉川美代子さん(上)”. 日刊スポーツ: p. 21. (2015年2月28日) 
  64. ^ “2014年7月20日放送 21:00 - 21:54 日本テレビ 行列のできる法律相談所”. テレビでた蔵. 2022年5月8日閲覧。
  65. ^ 山本由美子 2018, p. 102, §8.
  66. ^ “”. (ガイアワークス). 2014年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
  67. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」(DVD-ROM & PDF)『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、24頁。"1972年4月10日 *テレビ新番組、スポーツ・レジャー情報「土曜デボルテ」登場"。 
  68. ^ 放送ライブラリー program番号:123362
  69. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」(DVD-ROM & PDF)『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、30頁。"1987年9月28日 *テレビ「モーニングEye」スタート(山本文郎、長峰由紀)"。 
  70. ^ 放送ライブラリー program番号:132962
  71. ^ 山本文郎 - オリコンTV出演情報
  72. ^ 放送ライブラリー program番号:142475
  73. ^ “星は何でも知っている”. 日活 (2016年9月6日). 2016年10月27日閲覧。 “山本文郎(ラジオ東京アナウンサー)”とキャスト一覧に記載。
  74. ^ “お問い合わせ”. セレコーポレーション. 2014年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
  75. ^ “山本文郎さん通夜…妻・由美子さん最期語る”. 日テレNEWS24 (日本テレビ放送網). (2014年2月27日). http://www.news24.jp/articles/2014/02/27/08296517.html 2016年12月28日閲覧。 

参考文献

  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 
  • 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2012〜2014』日外アソシエーツ、2015年3月25日。ISBN (978-4-8169-2527-6)。 
  • 山本由美子『文さん、大きな愛をありがとう』鳳書院、2018年3月16日。ISBN (978-4-87122-192-4)。(全国書誌番号):(23038991)。 

外部リンク

ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。