小笠原 忠総(おがさわら ただふさ)は、豊前国小倉藩の第4代藩主。小笠原家宗家5代。
生涯 享保12年(1727年)8月22日、第3代藩主・小笠原忠基の6男として豊前国企救郡(小倉)(小倉城?)で生まれる。はじめ阿波徳島藩主・蜂須賀宗鎮の養子になる予定であったが、寛保元年(1741年)に長兄の忠貞が死去したため、養子縁組を解消して父から世子に指名された。同年12月、従五位下、伊予守に叙任される。宝暦2年(1752年)、父の死去により家督を継いだ。
藩政においては、(犬甘知寛)を家老として登用し、藩財政再建を目指す。そして倹約令の強化、身分制の強化、税制の強化、借上などを行なう。寛政2年(1790年)11月8日に死去した。享年64。
跡を養子の忠苗が継いだ。
系譜 - 父:小笠原忠基(1682年 - 1752年)
- 母:常 - 涼心院、(木村重房)娘
- 正室:能姫 - 養寿院、浅野吉長の養女、浅野長賢の娘
- 側室:魏 - (山崎権蔵)娘
- 生母不明の子女
- 養子
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