寺田 理恵子(てらだ りえこ、1961年7月15日[1] - )は、日本のアナウンサーである。元フジテレビジョンアナウンサー。生島企画室所属。A型[1]。アイドル女子アナの元祖と呼ばれている[2][3]。
来歴
東京都世田谷区出身[4]。東京女学館中学校・高等学校を経て[5][6]、聖心女子大学文学部外国語外国文学科英語英文学専攻を卒業[4]。社会人になった後、武蔵野大学人間関係学部人間関係学科を卒業[4]。
大学生時代には、『クイズタイムショック』(テレビ朝日)のアシスタントとして同番組に出演していた[7]。
マスコミの勉強もしておらず、マスコミセミナーにも参加していなかったものの、テレビ朝日、日本テレビ、フジテレビ3局の就職試験を受け、唯一フジテレビから内定通知を受ける。内定通知後は「タイムショック」出演を辞退していたが、フジテレビの試験時に同番組出演の件を伝えていなかったため、後から事実を知った人事担当者から「手垢のついた者はいらない!」と言われ、一旦は内定が白紙になりかける。しかし、フジテレビ社内で寺田の採用を強く推した人物がいたことで決定が覆り、大学卒業後の1984年にアナウンサー(契約社員)として入社[7]。1985年4月、翌年に男女雇用機会均等法が施行されることに先駆け正社員となる[8]。
高視聴率を誇っていた番組『オレたちひょうきん族』の初代“ひょうきんアナ”山村美智子が新婚旅行に行く代役として出演。2代目ひょうきんアナとして人気を博した[9]。番組内の「ひょうきんベストテン」で島田紳助と1年半司会を務めた。「私は落ちこぼれで仕事がなかったんです。先輩の山村美智子アナウンサーが新婚旅行に行く時、代打を務めて、退社した時に後釜になりました」と当時を振り返った。
1986年には『ときめき Lonely Night』でCDデビューも飾るなど、元祖アナドル(アナウンサー+アイドル)として活躍[1][9][8]。
1989年7月にドラマ演出家との結婚を機に寿退社しフリーアナウンサーに転身[1]。TBS『ビッグモーニング』、フジテレビ『ビッグトゥデイ』、テレビ朝日『スーパーJチャンネル』などの情報番組でキャスター・リポーターを務めた[4]。
その後、第一子となる長女を出産[10]。その長女はシンガーソングライターの(ゆりえ)(旧・藍沢ゆりえ)[11]。ゆりえは、2019年に俳優の大浦龍宇一と結婚している[12]。
1998年に離婚[1]。
2000年、NEC元会長・関本忠弘の長男で、当時、広告代理店の電通社員であった関本雅一と再婚、アナウンス業から引退した。
2014年、生島ヒロシから声をかけられ生島企画室所属で活動を再開[1]。10月からTBSラジオの「生島ヒロシのサタデー・一直線」のアシスタントとして仕事に復帰した[1][10]。
人物
認定心理士、中学・高校教員免許、ワークショップデザイナー、上級心理カウンセラー、生涯学習2級インストラクター、健康マスターエキスパート、戸塚刺しゅう師範、認知症サポーターなど数多くの資格を所持[13]。
出演番組
テレビでの報道・情報番組(フリーも含めて)
期間 | 月 - 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | |
---|---|---|---|---|
1986.10 | 1987.3 | (黄金世代!)1 | ||
1987 | 1988 | ショットガン (ニュース)2 | ||
1988.4.1 | 1989.3.31 | FNNモーニングコール1 | ||
1990.10.1 | 1994.3.31 | ビッグモーニング1(TBS) | ||
1995.4.3 | 1995.9.29 | 3時ヨこい!1(フジテレビ) | ||
1995.10.2 | 1997.3.28 | ビッグトゥデイ1(フジテレビ) | ||
1998.10.3 | 1999.10.1 | (なし) | スーパーJチャンネル3(テレビ朝日) | |
1999.10.6 | 2000.3.31 | (なし) | スーパーJチャンネル3(テレビ朝日) | |
|
テレビでのバラエティ番組・その他(学生時代・フリーも含めて)
- 新ハングマン 第14話(1983年11月11日、ABC / 松竹芸能) - 国立競技場そばの壁でテニスの練習をする女
- ザ!地球どんぶり(1984年10月 - 1985年3月、フジテレビ)
- オレたちひょうきん族(「(ひょうきんベストテン)」2代目サブ司会・ひょうきんアナ担当。1985年4月 - 1986年10月、フジテレビ)
- 金曜おもしろバラエティ 心はロンリー気持ちは「…」III(1986年2月21日、フジテレビ)
- 純ちゃんのごぶサタデー(1986年4月 - 1987年9月、フジテレビ)
- アナウンサーぷっつん物語(1987年4月、フジテレビ)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(1987年10月 - 1988年3月、フジテレビ)
- 一枚の写真(1992年3月16日、フジテレビ)
- クイズダービー(1991年8月10日ゲスト回答者、5枠週替わり回答者・1992年8月1日、10月24日、TBS、総合成績は10勝6敗とゲストとしてはかなりの好成績だった。)
- 峰竜太のホンの昼メシ前(日本テレビ)
ラジオでの出演番組
- 生島ヒロシのサタデー・一直線(2014年10月4日 - 2018年3月31日、)
- 生島ヒロシのおはよう一直線(2021年10月1日、8日・TBSラジオ)明治チョコレート効果 presents 生島ヒロシの健康ライフ - ゲスト
CM出演
音楽
シングルEP (日本クラウン) レコード番号/CWP-77 1986年8月21日発売
花のアナウンサー・ファミリーもんた隊(寺田理恵子、徳光和夫、大沢悠里、有村かおり、加藤明美 (アナウンサー)、佐藤仁美 (アナウンサー)、渡辺宜嗣ほか)名義 (ビクター) レコード番号/SV-9134 1986年発売
著書
- テーブルクロスをかえた日は サンドケー出版局 (1995年2月1日) (ISBN 4914938553)
- ウチの子がいちばん 小学館 (1996年3月1日) (ISBN 4093112142)
- 「毎日音読」で人生を変える ―活力が出る・若くなる・美しくなる (さくら舎) (2021年9月9日) (ISBN 4865813098)
- 60代、ひとりで前向きに生きる (さくら舎) (2022年3月10日) (ISBN 4865813349)
- 四季を感じる毎朝音読 ―心と脳が若くなる (さくら舎) (2022年12月8日) (ISBN 4865813691)
雑誌
朗読劇など
- Teatime 朗読会-内幸町ホール(東京)、2023年1月31日予定
- 朗読劇「ことばの玉手箱」-武蔵小杉サロンホール(神奈川)、2023年2月19日予定
同期入社
関連項目
- 東京都出身の人物一覧
- 落合正幸(最初の配偶者)
脚注
- ^ a b c d e f g “元祖アイドル女子アナ寺田理恵子が還暦 セクハラ、離婚、死別 すべて語る”. 日刊スポーツ (2021年7月1日). 2021年7月1日閲覧。
- ^ “寺田理恵子“セクハラ”ない時代のひょうきん族「今じゃ、放送できない」”. 日刊スポーツ (2021年7月12日). 2021年7月12日閲覧。
- ^ ““元祖アイドルアナ”寺田理恵子が「フジ同期会」報告「話題は尽きることなく…楽しいひととき」”. 日刊スポーツ (2022年7月30日). 2022年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e “寺田理恵子”. 生島企画室プロフィール. 2021年7月1日閲覧。
- ^ “2代目ひょうきんアナ寺田理恵子、60代の人生サポーター目指す/女子アナ日下千帆の「美女は友達」(SmartFLASH)”. flashニュース. 2023年2月23日閲覧。
- ^ “寺田理恵子『オルセースクールミュージアム』”. 寺田理恵子オフィシャルブログ Powered by Ameba. 2022年3月16日閲覧。
- ^ a b “局アナ内定取り消し…実は私も…”. 寺田理恵子オフィシャルブログ「Riely's Garden」 (2014年11月21日). 2017年8月14日閲覧。
- ^ a b “寺田理恵子、86年CDデビューで“局アナのタレント化”の走りも”. 日刊スポーツ (2021年7月13日). 2021年7月13日閲覧。
- ^ a b “寺田理恵子アナ、レオタード着せられた「フジ時代の葛藤」”. 週刊ポスト (2020年5月6日). 2021年7月1日閲覧。
- ^ a b c 寺田理恵子アナ、14年ぶり活動再開!「いろいろありました」サンケイスポーツ2014年9月28日。同年10月4日閲覧
- ^ “寺田理恵子 朗読ライブで共演の娘ゆりえに「感謝」”. 日刊スポーツ (2018年9月9日). 2018年9月10日閲覧。
- ^ “大浦龍宇一 寺田理恵子長女ゆりえと22歳差婚”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2019年3月25日)2019年3月25日閲覧。
- ^ “オフィシャルブログ プロフィール”. Amebaブログ. 2021年7月1日閲覧。
外部リンク
- 寺田理恵子 - 生島企画室
- 寺田理恵子オフィシャルブログ「Riely's Garden」
- 寺田理恵子 FaceBook
- 寺田理恵子の音読チャンネル - YouTubeチャンネル