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安藤 信義(あんどう のぶよし)は、江戸時代後期の大名。陸奥国磐城平藩3代藩主。官位は従四位下・対馬守、山城守、近江守。対馬守系安藤家第8代。
生涯
天明5年(1785年)9月4日(天明7年(1787年)とも)、安藤信厚の長男として誕生した。
父・信厚は祖父の信成に廃嫡され、叔父・信馨が跡を継いでいた。しかし文化9年(1812年)に重馨が死去すると、信馨の長男・信発の早世や五男・信由の幼少などもあって、信義が信馨の養子として家督を継いだ。
文化11年(1814年)に対馬守に叙任され、文化13年(1816年)に奏者番に任じられた。文政12年(1829年)7月5日、従弟で養子の信由に家督を譲って隠居し、天保14年(1843年)12月25日に死去した。享年60(満58歳没)。
系譜
父母
正室、継室
養子