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大阪フィルハーモニー交響楽団

大阪フィルハーモニー交響楽団(おおさかフィルハーモニーこうきょうがくだん、Osaka Philharmonic Orchestra)は、大阪市西成区岸里に本拠地を置く、日本を代表するオーケストラのひとつ。日本オーケストラ連盟正会員。公益社団法人大阪フィルハーモニー協会が編成し、事業を行っている[1]

大阪フィルハーモニー交響楽団
専用練習場の大阪フィルハーモニー会館
基本情報
出身地 日本
大阪府大阪市西成区岸里
ジャンル クラシック音楽
活動期間 1947年 -
公式サイト 大阪フィルハーモニー交響楽団
メンバー 音楽監督
尾高忠明
桂冠指揮者
大植英次
ソロ・コンサートマスター
崔文洙
コンサートマスター
(須山暢大)
旧メンバー 創立名誉指揮者
朝比奈隆

概要

年間10回の定期演奏会のほか、レコーディングも活発に行う。西成区岸里に専用練習場「大阪フィルハーモニー会館」を持ち、長年にわたり「大フィル(だいフィル)」の愛称で親しまれている。公式サイトの「プロフィール」に掲載されていた記事によれば、「日本で一番多くレコード、CDを発表しているオーケストラ」。

創立者(現・創立名誉指揮者)朝比奈隆の時代に、ブルックナーベートーヴェンなどの交響曲の演奏で全国的に知られるようになった。1975年10月12日リンツ郊外の聖フローリアン教会でのブルックナーの交響曲第7番や、1994年7月24日サントリーホールでの交響曲第8番などの演奏の多くは、今日でもCDで聴くことができる。

2003年大植英次が音楽監督に就任し、同年5月9日および10日のザ・シンフォニーホールでの音楽監督就任披露演奏会でマーラー交響曲第2番「復活」、2005年3月20日サントリーホールでの就任後初の東京定期演奏会でマーラー第6番「悲劇的」を取り上げ、いずれも大成功を収めた。大植の指揮で、定期演奏会では演奏会形式のオペラ(『サムソンとデリラ』(2004年)、『トスカ』(2005年))も披露したほか、近代曲などもとりあげた。

朝比奈隆の時代から、ヨーロッパ(とりわけドイツオーストリア)のオーケストラの音に連なるいわゆる「大フィルサウンド[注釈 1]」で知られる。なお、朝比奈隆時代の最後はコンサートマスターに(岡田英治)と梅沢和人、第2ヴァイオリンの首席に(藤井允人)を擁していた。2004年9月から、梅沢に加え、首席コンサートマスター(ロバート・ダヴィドヴィチ)(Robert Davidovich)、首席客演コンサートマスター長原幸太が就任。2006年4月から、首席コンサートマスター長原、コンサートマスター梅沢の体制になり、加えて2009年11月から崔文洙が入団、客演コンサートマスターに就任。梅沢は2010年2月をもって退団。

2012年3月、大植が音楽監督を退任、同時に長原も退団した。大植は、音楽監督は退任したものの、「桂冠指揮者」として引き続き大フィルとの関係を保つこととなった。同年9月、田野倉雅秋が特別客演コンサートマスターに、渡辺美穂がコンサートマスター[注釈 2]に、それぞれ就任。

2014年4月、井上道義が首席指揮者に、田野倉雅秋が首席コンサートマスターに、それぞれ就任。同年12月、コンサートマスター渡辺美穂が退団。

2016年4月、角田鋼亮が指揮者に就任。

2017年3月、井上道義が首席指揮者を退任、同年4月、尾高忠明がミュージック・アドヴァイザーに就任。

2018年4月、尾高忠明が第3代音楽監督に就任。

また、大フィルメンバーで結成された「ブルーメンクァルテット[注釈 3]」、「Quartetto RoSSo[注釈 4]」、「Quartet 雅[注釈 5]」、「アンサンブル「弐」[注釈 6]」や、大フィルメンバー以外の奏者も参加している「ベルリントリオ[注釈 7]」、「ザ・シンフォニーホール弦楽合奏団ストリングクインテット[注釈 8]」など、多くの室内合奏団が結成されて、中には東京公演を行う合奏団もあるなど、活発な演奏活動を続けている。

年譜

  • 1947年 朝比奈隆と鈴木剛ら関西経済人の尽力により、関西交響楽団として設立。
  • 1950年
    • 4月 社団法人関西交響楽協会設立。専任指揮者朝比奈隆、理事長鈴木剛、専務理事兼事務局長原善一郎。関響のコンサートマスターが長谷川孝一から宮本政雄に交代。
  • 1951年
    • 1月20日 この日の初日(2回公演)から5月5,6日(6日のみ2回公演)の最終回(「フィデリオ」序曲と第9番「合唱付き」を演奏)まで5回に分けて、朝比奈隆の指揮により第1回目のベートーヴェン・チクルスを行う。会場はすべて(毎日会館)であった。以来、2007年大植英次の指揮による楽団創立60周年記念のものまで、関響・大フィルを通じてベートーヴェン・チクルスは11回を数えた。11回目の大植指揮のもの以外は圧倒的多数が朝比奈指揮による公演であるが、中にはコシュラー指揮による4番5番(1969年1月17日)といった公演もあった。1977年の楽団創立30周年記念のチクルス以後は、すべて朝比奈隆の指揮による公演であった。その後、2018年には音楽監督尾高忠明の指揮による12回目のベートーヴェン・チクルスが行われた。
    • 9月 コンサートマスター宮本政雄が常任指揮者に就任。これに伴って、コンサートマスターは小杉博英に交代。
  • 1953年 関西交響楽団として初の東京公演。
  • 1960年
    • 4月2日 関西交響楽団として最後となった第125回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により毎日ホールにて行う。ソロ・ピアニストに(賀集裕子)を迎え、演奏曲目はチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ピアノ協奏曲第1番交響曲第5番という、当時の朝比奈隆が最も得意としていたオール・チャイコフスキー・プロで臨み、関西交響楽団としての13年間にわたった演奏活動の掉尾を飾った。
    • 大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。定期公演の回数は、改称とともに改めて1から勘定している。
    • 5月14日 大阪フィルハーモニー交響楽団第1回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により毎日ホールにて行う。ソロ・ヴァイオリニストに辻久子を迎え、演奏曲目は、カバレフスキー組曲「道化師」よりプロローグ、ギャロップ、ワルツ、パントマイム、スケルツォ、エピローグの6曲、ハチャトゥリアンヴァイオリン協奏曲ショスタコーヴィチ交響曲第5番であった。この当時のコンサートマスターは小杉博英(1951年9月就任)。この演奏会は、大手紙の関西文化欄等において、「練習不足が目立つ」(朝日)、「前途多難」(毎日)、「演奏に熱気が感じられた」(読売)、「再建の気迫欠く」(産経)と報じられた。
  • 1961年
    • 6月 (安田英郎)がコンサートマスターに復帰。以後、1980年1月に交通事故で急逝するまで、19年間の長きにわたってコンサートマスターを務めた。
    • 9月 初の外国人コンサートマスターとして、(ブレーメン交響楽団)より(マルチン・バウエルト)を招聘。
  • 1962年
  • 1968年
  • 1969年
  • 1970年
  • 1971年
    • 11月4、5日 初の海外公演となる大韓民国ソウル特別演奏会をソウル市民会館にて行う。1日目の4日は朝比奈隆の指揮、2日目の5日は(林元植)の指揮であった。
  • 1972年
  • 1973年
    • 7月24日 第12回東京定期演奏会(上野・東京文化会館)を朝比奈隆の指揮により行う。演奏曲目は、R・シュトラウスのクラリネットとファゴットのための二重小協奏曲と、ブルックナー交響曲第5番であった。終了後の聴衆の熱狂は凄まじく、交響曲は後日、当時のFM東京でも放送され、「朝比奈/大フィルのブルックナー」を広く印象づけた。朝比奈隆自身も、「自分がブルックナーをやって行けると確信したのは、この東京での『5番』がきっかけだった」と回想している。その後1976年から1978年にかけて、劇場「渋谷ジァン・ジァン」支配人の高嶋進の資金提供を得て、吉野金次による録音のもと、ブルックナー交響曲全集を収録。
  • 1975年
  • 1977年
    • 8月25日 大阪フィルハーモニー交響楽団第1回岐阜定期演奏会を手塚幸紀の指揮により岐阜市民会館にて行う。岐阜定期演奏会はこの後、翌1978年のみを例外として毎年行われている(1987年のみ2回開催)。
  • 1978年
    • 6月30日 貴志康一の母校である甲南高等学校の新講堂の竣工記念に、朝比奈隆の指揮により同講堂にて演奏会を行う。ソプラノ樋本栄、ソロ・ヴァイオリニストに辻久子を迎え、演奏曲目は貴志康一の歌曲、ヴァイオリン協奏曲、交響組曲「日本スケッチ」であった。この演奏会は、「朝比奈、友情のタクト振る」と新聞、テレビ、ラジオで大きく報じられ、ライブ盤のレコードもリリースされて、貴志康一復活の大きな原動力となった。(本項目は、2009年3月31日にザ・シンフォニーホールにて行われた「貴志康一生誕100年記念コンサート」のプログラムに甲南高等学校元教諭の日下徳一(『貴志康一─よみがえる夭折の天才』(音楽之友社、2001年)の著者)寄稿のコラム記事「朝比奈隆と貴志康一」に全面的に依拠している。)
  • 1980年
  • 1984年
  • 1985年
    • 9月6-10日 台湾演奏旅行。台中台南高雄基隆台北(日程順)の5都市において1公演ずつ行う。最後の台北公演(会場は国父記念会館)のみ朝比奈隆が指揮台に上り、台北以外での指揮は朝比奈千足が務めた。
  • 1986年
  • 1987年
  • 1991年
    • 7月29日 大阪市西成区岸里の南海電鉄天下茶屋工場跡地に地上3階建ての「大阪フィルハーモニー会館」が完成[3]。交響楽団、協会がともに移転。これにより、交響楽団がかねてから念願の自前の練習場を確保するとともに、楽団と協会の同居を実現した。
  • 1992年
  • 1995年 大植英次初めて大阪フィルを客演指揮、1996年に再度客演指揮。
    • 1月17日 第285回定期演奏会が阪神淡路大震災のため中止となる(関響、大フィルを通じて、定期演奏会が中止となったのはこの回のみである)。幸いにも大フィル団員およびその家族に震災による犠牲者はなかった[4]。この後、1月30日より演奏活動を再開した。
  • 1996年
  • 2001年
    • 10月24日 大阪フィルハーモニー交響楽団2001年秋名古屋演奏会を、朝比奈隆の指揮により愛知県芸術劇場コンサートホールにて行う。ソロ・ピアニストに小山実稚恵を迎え、演奏曲目はチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番交響曲第5番であった[注釈 12]。終演後拍手は鳴り止まなかったが、朝比奈隆は極度の疲労のためカーテンコールに応えることができなかった。この公演の直後、体調不良により入院。病床から願い続けた復帰は遂に叶えられることがなかったため、この名古屋演奏会でのチャイコフスキーが朝比奈隆の指揮台での最後の姿となった。最後の舞台のプログラムは朝比奈がその長かった指揮者人生で一貫して得意中の得意としてきたチャイコフスキーであり、しかも、奇しくも1960年4月2日における関西交響楽団最後の定期演奏会のプログラムとほぼ同じであった。なお、チャイコフスキーの交響曲第5番は朝比奈最後の演奏会から5年後の同月、2006年10月の第402回定期演奏会において、音楽監督大植英次の指揮で演奏された。
    • 12月29日 音楽総監督・朝比奈隆逝去。享年93。
  • 2003年 定期演奏会の会場をフェスティバルホールからザ・シンフォニーホールに移転し、2日間公演とする。
    • 5月9,10日 大植英次音楽監督就任披露定期演奏会(本文参照)。
  • 2005年
    • 3月20日 大植英次音楽監督就任後初となる第42回東京定期演奏会(本文参照)。
  • 2006年
    • 4月29日 大阪城西の丸庭園において、大植英次の指揮により楽団史上初の野外コンサートを開催。9,300人以上を動員する一大イベントとなり、大成功を収める。演奏曲目は、「キャンディード」序曲、「惑星」より"木星"、序曲「1812年」交響詩「ローマの松」より"アッピア街道の松"他。
    • 7月6,7日 第400回定期演奏会を、正式の演奏会では初の客演となる大野和士の指揮により行う。ソロ打楽器奏者に(中村功)を迎え、演奏曲目はモーツァルト交響曲第33番(定期初演)、細川俊夫の打楽器協奏曲「旅人」、ショスタコーヴィチ交響曲第15番であった。
    • 9月3-9日 大植英次のプロデュースにより、大阪フィルハーモニー協会と大阪市の主催で、「大阪クラシック -御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿いの18の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計50公演(ごく一部の団員が出演しない公演をも含んだ数)を行う。大植によれば、1つのオーケストラの団員が1週間にわたって「街に出て」公演を行うというのは「僕の知る限りおそらく世界の都市で初めての試み」。主催者側の当初予想を2倍以上上回る入場者数延べ約22,000人を達成、大成功を収める。
  • 2008年
    • 7月23日 大阪府議会本会議にて2008年度補正予算が可決成立、これにより翌年度の大阪府から大フィルへの助成金の廃止が正式決定した。
  • 2009年
    • 11月1日 客演コンサートマスターとして崔文洙を迎える。
  • 2010年
    • 2月28日 コンサートマスター梅沢和人が退団。
  • 2011年
    • 4月1日 客演コンサートマスター崔文洙が首席客演コンサートマスターに就任。
  • 2012年
    • 3月31日 「大植英次スペシャルコンサート」を大植英次の指揮により行う。演奏曲目はブルックナー交響曲第8番であった。このコンサートを最後に大植は音楽監督を退任。また、首席コンサートマスター長原幸太、セカンドヴァイオリントップ奏者佐久間聡一もこのコンサートを最後に退団した。さらに、ホルントップ奏者(池田重一)、打楽器トップ奏者(坂上弘志)もこの日をもって退団した。これにより、「桂冠指揮者」と首席客演コンサートマスターのみで常任の指揮者もコンサートマスターも欠くという、プロオーケストラとしては極めて異例の状態となった。
    • 4月1日 大植英次が「桂冠指揮者」に就任。社団法人大阪フィルハーモニー協会が公益社団法人大阪フィルハーモニー協会に移行。
    • 4月5日 大阪市の改革プロジェクトチームが取りまとめた「施策・事業の見直し(試案)」が公表され、大阪フィルハーモニー協会への運営補助金は2012年度以降、対2011年度比で25パーセント削減されることが示された[注釈 13]
    • 9月1日 田野倉雅秋が特別客演コンサートマスターに、渡辺美穂がコンサートマスターに、それぞれ就任した。これにより、上記の「プロオーケストラとしては極めて異例の状態」のうちコンサートマスターについては解消された。
  • 2013年
    • 9月25日 2014年度シーズンより、井上道義を首席指揮者として招くこと[注釈 14]、及び定期演奏会の会場を2日間開催は維持した上で新生フェスティバルホールに戻すことが発表された。これにより、上記の「プロオーケストラとしては極めて異例の状態」が全面的に解消されることとなった。
  • 2014年
    • 4月1日 井上道義が首席指揮者に、特別客演コンサートマスター田野倉雅秋が首席コンサートマスターに、それぞれ就任。
    • 12月31日 コンサートマスター渡辺美穂が退団。
  • 2016年
    • 4月1日 角田鋼亮が指揮者に就任。
    • 7月21,22日 第500回定期演奏会を井上道義の指揮により行う。メゾ・ソプラノ サンドラ・フェランデス、バリトン ガスパール・コロン、ソロバンドネオン奏者に三浦一馬を迎え、演奏曲目はバカロフの「ミサ・タンゴ」およびベートーヴェン交響曲第3番「英雄」であった。定期演奏会500回を記念して、関西交響楽団、大フィルのすべての定期演奏会の会場、指揮者、ソリスト、演奏曲目を記録した小冊子『定期演奏会全記録』が聴衆全員に無償配布された。
    • 11月28日 首席指揮者井上道義2017年3月31日をもって3年の任期の終了に伴い退任すること、尾高忠明が同年4月よりミュージック・アドヴァイザーに、2018年4月より、朝比奈隆(音楽総監督)、大植英次に続く大フィルの第3代音楽監督に就任することが公式発表された。
  • 2017年
  • 2018年
    • 1月16日 第505回定期演奏会および2017年7月14,15日のバーンスタインの「ミサ」上演の成果により、井上道義とともに2017年度音楽クリティック・クラブ賞本賞を受賞。
    • 4月1日 尾高忠明が第3代音楽監督に就任。(須山暢大)がコンサートマスターに就任。
    • 4月7,8日 尾高忠明音楽監督就任披露第517回定期演奏会を尾高忠明の指揮により行う。演奏曲目は三善晃の「オーケストラのための「ノエシス」とブルックナー交響曲第8番であった。
    • 4月26日 大フィルの公式twitterアカウントが「本日大阪フィルは71歳の誕生日を迎えました。」とツイート。4月26日は、1947年に戦災に焼け残った朝日会館にて関西交響楽団の第1回定期演奏会が行われた日であり(本年譜該当項目を参照)、この日を大フィルが公式に誕生日と位置づけていることが明らかとなった。
  • 2019年

歴代常任指揮者・音楽監督等

この他、秋山和慶宇宿允人外山雄三若杉弘、尾高忠明などが、常任指揮者やミュージック・アドヴァイザーなどとして在任した。

演奏会

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 「大フィルサウンド」は、2018年度および2019年度の京都特別演奏会(それぞれ2018年10月6日、角田鋼亮の指揮、2019年10月6日、尾高忠明の指揮により、京都コンサートホールにて開催)の公式フライヤーに「都に響く! 縦横無尽の大フィルサウンド」と謳われているとおり、大フィルとしても公認の表現となっている。
  2. ^ コンサートマスターを女性が務めるときはコンサートミストレスといわれることがあるが、大フィルでは男女とも同じである。
  3. ^ 「ブルーメン(Blumen)」は、ドイツ語で「花々」という意味である。なお、公演プログラムによっては「ブルーメンカルテット」という表記も見られる。メンバーは、第1ヴァイオリン田中美奈、第2ヴァイオリン力武千幸、ヴィオラ松本浩子、チェロ松隈千代恵。
  4. ^ メンバーは、第1ヴァイオリン宮田英恵、第2ヴァイオリン黒瀬奈々子、ヴィオラ岩井英樹、チェロ石田聖子。2019年10月20日にはメセナひらかた会館においてベルリントリオ(注釈7を参照)との合同公演を行い、フィナーレには両室内合奏団のメンバー全員でシューマンのピアノ五重奏曲を演奏した。
  5. ^ メンバーは、第1ヴァイオリン田野倉雅秋、第2ヴァイオリン高木美恵子、ヴィオラ佐藤まり子、チェロ石田聖子。
  6. ^ メンバーは、フルート井上登紀、オーボエ大島弥州夫、クラリネット船隈慶、ホルン蒲生絢子、ファゴット日比野希美。
  7. ^ メンバーは、ピアノ宮本聖子、ヴァイオリン宮田英恵、チェロ石田聖子。2019年10月20日にはメセナひらかた会館においてQuartetto RoSSo(注釈4を参照)との合同公演を行い、フィナーレには両室内合奏団のメンバー全員でシューマンのピアノ五重奏曲を演奏した。同年11月29日にはムラマツリサイタルホール新大阪において結成5周年記念リサイタルを行い、スメタナのピアノ三重奏曲他を演奏した。
  8. ^ 大フィルからは、ヴァイオリン田野倉雅秋、ヴィオラ木下雄介が参加。
  9. ^ 演奏曲目の記載順序は、当演奏会のポスターに番号付きで掲載されているものに従う。
  10. ^ 1950年3月まで在任。後に大阪音楽大学教授を務めた。
  11. ^ この時のことを、セカンドヴァイオリン奏者近藤緑は「第2楽章と第3楽章の間に(中略)朝比奈先生がちょうど手を胸のあたりまで上げたところで鐘が鳴り始めたため、静かに手をおろしました。私たちも目を閉じ、鐘の音に聞き入りました。演奏中私は教会に響き渡る音色に全身が震え、ほとばしる感動を覚えました。私の人生の中で最も幸せなひと時でした。」と述懐している[2]
  12. ^ この時のことを、ヴィオラトップ奏者小野眞優美は「「何もしなくていい!やりたい事は全部判っているので、最後までそこにいてくれるだけでいい!」と弾きながら祈るような気持ちでした。」と述懐している[5]
  13. ^ 2011年度に大阪フィルハーモニー協会が1億1000万円、文楽協会が5200万円であったものが、2012年度から2014年度までは両者合計で1億2200万円。両協会それぞれ単独での内訳は資料に明記されていないが、25パーセント削減を当てはめると大阪フィルハーモニー協会の削減幅は2750万円となり、両協会合計での資料上の数字とも合致する。
  14. ^ 大フィルは当初、音楽監督への就任を依頼したが、井上がすでに音楽監督を務めていたオーケストラ・アンサンブル金沢に「気を使って多少遠慮して大フィルには首席指揮者という名義で就任した」という経緯があった[6]

出典

  1. ^ 大阪フィルハーモニー協会定款
  2. ^ 第493回定期演奏会プログラム、「私のお気に入りのCD」に掲載。
  3. ^ 南海電気鉄道『南海二世紀に入って十年の歩み』1995年、68,108頁。 
  4. ^ 第286回定期演奏会プログラムの冒頭に掲載された「謹告」による。
  5. ^ 第464回定期演奏会プログラム、「大阪フィルの間」に掲載。
  6. ^ 井上道義公式サイトのブログ「道義より」の記事による(「 」内の部分は井上本人による記述である)。

関連項目

外部リンク

  • 公式ウェブサイト
  • 大阪フィルハーモニー交響楽団 (@Osaka_phil) - Twitter


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