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大奥 (漫画)

大奥』(おおおく)は、よしながふみによる日本フィクション時代物少女漫画。隔月刊誌『MELODY』(白泉社)にて2004年8月号から2021年2月号まで連載された[1]

大奥
ジャンル SF時代劇フィクション歴史改変SF
漫画
作者 よしながふみ
出版社 白泉社
掲載誌 MELODY
レーベル ジェッツコミックス
ヤングアニマルコミックス
発表号 2004年8月号 - 2021年2月号
巻数 全19巻
話数 全79話
アニメ
原作 よしながふみ
監督 阿部記之
シリーズ構成 たかすぎ梨香
脚本 たかすぎ梨香
キャラクターデザイン 佐藤陽子
音楽 川井憲次
アニメーション制作 スタジオディーン
製作 Netflix
配信サイト Netflix
配信期間 2023年夏 -
(テンプレート) - (ノート)
プロジェクト 漫画
ポータル (漫画)

連載中から多くの日本の漫画賞#受賞歴)を受賞し、ジェンダーに対する理解を深める内容を称えられジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞も受賞・国内外での評価は高い。雑誌『ダ・ヴィンチ』が発表した2012年の「Book of the Year 2012」では女性誌コミックランキング部門で4位[2]。2020年12月時点でコミックスの累計発行部数は電子版を含め600万部を突破している[1]

メディアミックスも行われ、2010年に実写版映画第1弾、2012年にテレビドラマ・実写版映画第2弾。2023年1月からNHKドラマ10」枠でドラマ化(#実写作品を参照)。Webアニメは2023年夏よりNetflixにて配信予定(#Webアニメを参照)。

作風

江戸時代がモデルの日本で謎の疫病で男子人口だけ急減し社会秩序や権力の構造が男女逆転する様を江戸城から描く。

代々の将軍や幕臣・史上男性であった人物が女性に、女性であった人物が男性に置き換えられ、春日局大奥を作ったことや、当時のカピタン[3]報告にある「御簾越しに家光に拝謁、少年のような声だった。その場は若い男ばかりが同座した。市井では女が多く働いていた」との詳細な史実[注釈 3][注釈 5][11][12][注釈 10]疱瘡は実際には女性の方が罹患率が高いという事実[17]から異世界のフィクションを紡ぎ出す。掲載誌『MELODY』では「男女逆転!パラレル時代劇」「これは日本の江戸時代とは似て非なる物語」と必ず記載され、いわゆるSF作品(歴史改変SF)と位置付けられる。

あらすじ

関東のとある山で熊に致命傷を負わされた少年の村から赤面疱瘡と呼ばれにだけ伝染る疫病が流行り出す。若い罹患者は致死率80%、瞬く間に感染拡大し、凡そ80年経過すると男子人口は女子の1/4に迄減少、将軍職も三代目以降が継いでいた。男の子は子種を持つ大切な宝物扱い、女が全ての労働を担い家業を継ぐ。夫を持てない貧しい女達は花街で種を付け、婿取りは富裕層の特権に。男達を無駄に囲い貴重な子種を無駄にさせる贅沢こそが公方様のご威光の証し[18]…美男3000人を集めた女人禁制の城[19]…それが大奥である。

本作は八代将軍吉宗を基点に、従前は彼女が読む『没日録』内で描かれる。

なお、本項では以下便宜上将軍の代替わりで区切る。

吉宗編

赤面疱瘡発生から80年以上経過、将軍吉宗は政の旧慣にふと疑問を持ち御右筆頭村瀬を訪ね『没日録』を見せられる。この大奥を作った春日局はどんな男だったか聞かれ村瀬は答える「春日局様は女性でした。三代家光公も元は男性であられたのです」。衝撃を受けた吉宗は、春日局の命で大奥の始まりから全てを記した『没日録』の頁を捲り始めた。

家光編

赤面疱瘡が流行り始めた三代将軍・家光(男)の時代。公家出身の僧・有功は、小僧の玉栄諸共還俗させられ家光の小姓として大奥に入れられる。本来の家光が赤面疱瘡で急死してしまったので、家光の御落胤千恵に世継ぎを産ませる為だった。春日局は大奥を美男を集めた場所に作り替えていた。

春日亡き後、千恵は全国の大名に本来の家光の死を明かし、自ら女将軍として統治を宣言、後継問題に悩む大名は追随する。

3人の姫を遺し千恵は死去。有功は遺命で出家せず大奥総取締として留まる。

家綱編

四代将軍・家綱は政務を老中らに任せたが先代からの幕臣の支えで政権は安定する。

明暦の大火[注釈 12]の晩、家綱は突如有功への好意を告白するが、有功は大奥を去った。家綱は世継ぎの無いまま薨去、綱吉が後を継ぐ。

綱吉編

五代将軍・綱吉[注釈 13][注釈 14]柳沢吉保側用人を重用し公方様にのみ許された我儘贅沢[注釈 16]三昧。京から呼び寄せた右衛門佐を気に入るが、右衛門佐は辞退。代わりに大奥総取締の地位に就く。

世継ぎの急死や赤穂事件[26][27]生類憐れみの令の影響で綱吉の評判は下落したが、右衛門佐と結ばれ父の呪縛を断ち切り自ら家宣を後継に指名する。

家宣編

家宣の側用人・間部詮房に拾われた勝田左京は詮房に恋心を抱くが、詮房は左京を家宣の側室にする。

六代将軍となった家宣は先代悪政を正し[注釈 17]、庶民からも善政を期待されたが程無く薨去。左京は詮房と関係を持ってしまい江島生島事件の序章となる。

家継編

落飾した側室左京の局改め月光院の娘で七代将軍家継は僅か4歳で病弱、早くも後継者争いがおきる。正室・天英院紀州派の謀略で御年寄江島が捕らえられ尾州派月光院・間部詮房の不義密通を証言させん死罪を申し渡される。月光院は紀州吉宗を推す代わりに江島の命乞いをし天英院は受け入れる。

家継は病没。八代将軍は吉宗に。

家重編

『没日録』読了後吉宗は、男が少ない現状の国防力に危惧の念を抱き、赤面疱瘡根絶に取り組み始める。

後顧の憂い無く見えた頃廃嫡老中は上申。家重は障害で言語不明瞭だが知能は正常なので吉宗は隠居する。しかし大御所[28]として健在だったが為、家重は九代将軍を継いでも無能[注釈 18]扱いされた。

吉宗治世の負の遺産[注釈 20]天災があり田沼意次が始動、遺命で長崎平賀源内を遣わして青沼を大奥に招き蘭学を教えさせる。

家治編

十代将軍家治[注釈 22]は田沼意次を側用人とし赤面疱瘡根絶を命じる。意次は更に老中に取り立てられるが仮にも武士が唯金主義とはあさましいと松平定信に罵倒される。

青沼と黒木らは洋書[注釈 23]から人痘法に辿り着いて成功し大奥内で人痘の「種」を継いでいた中、定信の甥が副反応で初の死者となってしまう。相次ぐ天災[35][36]家基の死・意知[注釈 25][注釈 26][注釈 27]の暗殺等重なり、意次は失脚、青沼は打首、黒木らは追放される。

一橋治済は人痘接種済みの息子・家斉を男将軍に就ける。

家斉編

家斉[注釈 28]は十一代目男将軍に就いたが実権は母・治済が握る。家斉は極秘に赤面疱瘡研究を再開させ、やがて副作用のない「熊痘」で成功。治済は息子・娘を殺された嫁達に復讐の毒を盛られ寝たきりに。

強権で「熊痘」を徹底させ男子人口は急速に回復し、家斉は家慶を十二代将軍に就け大御所として実権を握る。

家慶編

男子家督相続が復活するなか阿部正弘は女性寺社奉行として腕を振るい老中に。家慶の娘・祥子の守りに瀧山を中奥入りさせる。

祥子は、黒船来航の年に十三代将軍家定になる。

家定編

家慶から性的虐待を受けていた家定を阿部正弘は広大院の協力で西の丸奥に守ろうとするが家慶は意趣返しに家定の継室を毒殺する。

黒船来航で家慶は急死し家定は将軍に。正弘は米親書に対する意見書を公募し長崎海軍伝習所[44]を開設。日米和親条約を結び鎖国は終わりを告げた。

家定は近衛胤篤一橋慶喜擁立の為薩摩が送り込んだ御台所と見抜くが胤篤は家定に心から尽くす。懐妊した家定は出産前に薨去[注釈 29]。胤篤は遺命で落飾せず天璋院と名のり、紀州の福子を将軍に就ける。

家茂編

福子改め家茂が十四代将軍に就くと公武合体で孝明天皇の弟・和宮が降嫁。だが、やって来たのは男装した姉の親子内親王で、嫌がる弟の身代わりをかって出たと明かす。

尊王攘夷派と開国派の軋轢が激化、勅命を盾に取る薩摩に求められ慶喜は将軍後見職に就く。しかし慶喜は頭は切れるが人望が無く参預会議も瓦解する。

家茂は病をおして参内し、勝海舟大政奉還を指示する。「跡継ぎは養子の亀之助を」との家茂の遺志は却下され慶喜が十五代・最後の将軍職に就く。

大奥の終焉

家茂の死を口実に長州征伐は停戦、大政奉還王政復古の大号令で慶喜は朝敵の謗りを受ける事を恐れ敵前逃亡してしまう。全権を丸投げされた勝海舟は官軍の西郷隆盛との談判に臨んだ。西郷が「女が統治した恥ずべき歴史を無にするため慶喜の死が必要」とぶつや従者に扮し次の間に控えていた和宮が激怒し乱入、和宮のとりかえばや・孝明天皇への献毒に新政府側の岩倉具視が関わっている証拠の宸翰を見せ総攻撃の中止を迫った。西郷は郷中教育式に長考し「代々の将軍は男名だから皆、男だった」とすることで合意、無血開城は約された。

明治四年。瀧山の商談に随行・初洋行の島津胤篤が、同じ船で米国留学に向かう6歳のに、将来内助の功の為に政府高官に嫁ぐのではなく「国を動かすのはあなた達自身…」と語るところで物語は幕を閉じる。

登場人物

声の項はWebアニメ版における声優を示す。ドラマCD版のキャストは後述

吉宗編の人物

単行本1巻および7巻の吉宗編登場人物。

水野祐之進(みずの ゆうのしん)/ 進吉(しんきち)
声 - 関智一[46]
貧乏旗本部屋住み町道場師範代の腕前。当主の母の方針で種付け料稼ぎはしなかったが貧しい女達には同情から只で付けていた。大奥で嫉まれる程の稀な美貌の持ち主で御三の間に上がり「水野」と呼ばれる。藤波の策略でご内証の方[47]として公には死罪になるが、実は吉宗の計らいで町人進吉として田嶋屋に婿入りし吉宗考案の町火消しに参加する。
水野頼宣(みずの よりのぶ)
水野家当主。跡取り娘の婿取りと婿に行かない息子に頭を抱える。
お信(おのぶ)
声 - 佐藤みゆ希[46]
裕福な大店、薬種問屋・田嶋屋の跡取り娘。幼馴染みの祐之進が好きで縁談を断り続ける。
徳川吉宗(とくがわ よしむね)/ 信(のぶ)
声 - 小林沙苗[46]
8代将軍、未曾有の財政難に豪華な御掻取を持ってきた間部詮房を解雇、質素倹約を旨としリストラの口実[注釈 30]に美男には手を出さなかった。『没日録』読後は「男子が少ない現状の国防力では他国に侵略されかねない」と開国を諦め小石川養生所を設立、赤面疱瘡根絶に取り組ませる。
間部詮房(まなべ あきふさ)/ ふさ
吉宗を田舎大名と侮り解雇される。
加納久通(かのう ひさみち)/ おみつ
遠江、吉宗の股肱の臣。お庭番三郎左を江島の下に送り天英院と謀って吉宗を将軍に据える。
大岡忠相(おおおか ただすけ)
越前、町奉行。堅物女と吉宗に言われるがケチん坊同志気が合っている。
藤波(ふじなみ)
大奥総取締・御年寄筆頭。家継編では天英院派。
柏木(かしわぎ)
御中﨟。藤波のお気に入り。美男人員削減で大奥から下がる。家継編にも登場。
松島(まつしま)
御中﨟。美男人員削減で大奥から下がる。家継編にも登場。
鶴岡(つるおか)
松島のお気に入り。剣術の達人。
杉下(すぎした)
御三の間で10年の古参。水野の昇進に伴い部屋子となり後に御年寄に。家重編にも登場、大奥総取締。
副島(そえじま)
御三の間の一人。未だに若衆髷、新参の水野を虐めるが彼の昇進後は媚びへつらう。
垣添(かきぞえ)
呉服の間で憧れの水野ののお仕立て担当。
宮地(みやじ)/ 三郎左(さぶろうざ)
公儀お庭番。表向きは呉服の間の宮地。家継編にも登場。
お須磨の方(おすまのかた)/ 卯之吉(うのきち)
お半下、吉宗のお手付き。後に吉宗の長女福姫の父にされ側室となるが病死。
福姫(ふくひめ)
吉宗の長女、のちの家重。父親は吉宗が適当にお須磨の方と決めたが顔立ちはそっくり。発話の難がある。
浄円院(じょうえんいん)
吉宗の父。娘の側室候補達を連れて来る。
小宮山加解由(こみやま かげゆ)
吉宗の父が連れてきた側室候補。村瀬の死後、吉宗から御右筆頭に任ぜられる。
村瀬正資(むらせ まさすけ)
御右筆頭。吉宗に全てを伝えた後、終に息を引き取る。

家光編の人物

徳川家光(とくがわ いえみつ)
3代将軍、男色家。憂さ晴らしの辻斬り目的で夜歩き中お彩を手籠めに。その後31歳で赤面疱瘡で死亡。
家光(いえみつ)/ 千恵(ちえ)
声 - 松井恵理子[46]
家光御落胤。11歳で春日局に拉致され亡父の代理と男装を強要された。14歳で女とバレて強姦され不埒者は手討にするも妊娠・死産を経験[48]。有功との出会いと娘達の存在が人として成長させ政に才を発揮するが3人の姫を遺し27歳で死去。
お彩(おさい)
家光に襲われ千恵を身籠る。その時の従者・稲葉正勝脇差を証拠に春日局が乳母と屋敷を与える。11年後娘を奪われ殺害される。
とよ
春日局が千恵につけた乳母。口封じに殺される。
春日局(かすがのつぼね)/ 斎藤福(さいとう ふく)
声 - 井上喜久子[46]
明智光秀に仕えにされた斎藤利三の娘。黒井城主の姫として生まれたが本能寺の変後は外祖母の里方・三条西家に預けられる。関ヶ原で寝返った小早川秀秋家臣稲葉正成に嫁し千熊らを儲けたが、離縁し家光の乳母となる。幼時から辛酸を舐め、泰平の世を戦国時代に戻さぬ為に徳川の血筋を繋ぎ千恵に子を産ませるために大奥を男を集めた場に作り替えた。
稲葉正勝(いなば まさかつ)/ 千熊(せんくま)
春日局の実子で家光の側近。千恵に殉死
お万の方(おまんのかた)/ 万里小路有功(までのこうじ ありこと)
声 - 宮野真守[46]
公家・万里小路有純の三男。慶光院院主の継目御礼のため江戸へ下り還俗させられ千恵最愛の「お万の方[49]」となる。博学才穎・容姿・心映えに優れ千恵を支えるが子に恵まれず大奥総取締となる。
お玉の方(おたまのかた)/ 玉栄(ぎょくえい)
声 - 梶裕貴[46]
有功随行の小僧で共に還俗し部屋子として大奥入り。有功の頼みで側室「お玉の方」となり徳子を儲ける。
明慧(みょうけい)
有功随行の僧。
澤村伝右衛門(さわむら でんえもん)
剣術指南役、明慧を斬り捨てた春日局腹心
角南重郷
御中﨟。玉栄を嬲った意趣返しの罠に嵌り切腹
勝田頼秀
御中臈。のちに表使。
和田正隆
御中臈。のちに毒見役
六人衆
元々は春日局が付けた稲葉正勝ら家光の小姓達。松平信綱三浦正次阿部忠秋太田資宗阿部重次堀田正盛[50]
松平信綱(まつだいら のぶつな)
老中首座。娘を早逝した輝綱[注釈 31]と偽って育てる。
松平輝綱(まつだいら てるつな)/ しず
信綱の娘。亡き兄の身代わりに男装して元服。千恵の女将軍宣言後は女の姿に改めた。
酒井忠朝(さかい ただとも)
若年寄。松平家同様の事情で男装。千恵の女将軍宣言後は女の姿に改めた。
お楽の方(おらくのかた)/ 捨蔵(すてぞう)
声 - 福山潤[46]
千恵の側室・千代姫の父。古着屋の息子でプレイボーイ。呑気者だから「お楽」と千恵が名乗らせる。
千代姫(ちよひめ)
後の4代家綱
お夏の方(おなつのかた)/ 溝口左京(みぞぐち さきょう)
千恵の側室、名門の出。浅黒い肌なので「お夏」の名を与えられ綱重をもうける。
村瀬正資(むらせ まさすけ)
元浪人、有功の世話係。春日局の命で『没日録』を記す。

家綱編の人物

徳川家綱(とくがわ いえつな) / 千代姫(ちよひめ)
千恵とお楽の方の娘・4代将軍。政治や色事に無関心で能や狂言には興味を示す。保科正之から何を奏上されても「左様せい」で片付ける。
保科正之(ほしな まさゆき)
2代将軍秀忠庶子[注釈 32]。政治に無関心な家綱を諭す様有功に頼む。
お万の方(おまんのかた)/ 万里小路有功(までのこうじ ありこと)
家綱の父代わりに大奥総取締を勤める。
浅宮顕房(あさのみやあきふさ)
家綱御台所、有功が大奥を去ってから伏見宮家より降嫁。子はできなかった。
矢島局(やじまのつぼね)
家綱の乳母[注釈 33]。春日局の看病を頼まれても縁側で菓子を食べている。
花房(はなぶさ)
新参の御右筆。
倉持(くらもち)
家綱の「ご内証の方」に志願し離縁した妻子の面倒を有功に頼みおく。

綱吉編の人物

徳川綱吉(とくがわ つなよし)/ 徳子(とくこ)
5代将軍・千恵とお玉の方の娘・元館林藩主、世継ぎを失い心身のバランスを崩し桂昌院が痴呆になっても共依存状態だった。右衛門佐との一夜で自分を取り戻し自ら後継を指名し死亡。吉保に病死と公表されてしまう。
柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)/ おもと
綱吉の小姓側用人牧野成貞を失寵させ桂昌院と密通、危篤の綱吉を手にかけ大奥を去る。
桂昌院(けいしょういん)/ お玉の方(おたまのかた)/ 玉栄(ぎょくえい)
綱吉の父。「生類憐れみの令[注釈 34]」を出させる。
右衛門佐(えもんのすけ)/ 水無瀬継仁(みなせ つぐひと)
上臈御年寄[注釈 35]。綱吉に魅かれ、対等に渡り合うために男女関係より権力を望み大奥総取締となる。
鷹司信平(たかつかさ のぶひら)
綱吉の正室。
松姫(まつひめ)
綱吉とお伝の方の娘、5歳で病死。
お伝の方(おでんのかた)/ 小谷伝兵衛(こたに でんべえ)
松姫の父、黒鍬者から側室に。
小谷さよ(こたに さよ)
伝兵衛の姉[注釈 36]
牧野邦久(まきの くにひさ)/ 阿久里(あぐり)
牧野成貞の夫。阿久里は館林時代に綱吉がつけた女名。
牧野貞安(まきの さだやす)
牧野成貞のこの時代には珍しい男子の跡取り。
牧野時江(まきの ときえ)
成貞の嫁。
牧野成貞(まきの なりさだ)/ 貞(さだ)
綱吉の腹心。領地を返上し職を辞する。
浅野内匠頭(あさの たくみ の かみ)
この時代には珍しい男大名。馬鹿にされたと思い込み松の廊下で吉良に斬りつけ、切腹を賜る。
吉良上野介(きら こうずけ の すけ)
老女の大名。被害者とされ御咎め無し、それが不満の赤穂浪士に首級を取られる。
伊達左京亮(だて さきょう の すけ)
女性大名・勅使饗応役
大石内蔵助(おおいし くらのすけ)
男の城代家老。大石以下赤穂浪士は全員切腹。
徳川光貞(とくがわ みつさだ)
紀州藩主。幼い三女お信を綱吉に拝謁させる。
徳川綱教(とくがわ つなのり)
光貞の長女。次期将軍候補に名が挙がるが7年後死亡。
徳川頼職(とくがわ よりもと)
光貞の次女。姉の死後4ヵ月で急死。
お信(おのぶ)
後の8代将軍。綱吉に元服後の偏諱を受ける。
永光院(えいこういん)/ 万里小路有功(までのこうじ ありこと)
明暦の大火後落飾した有功。桂昌院の死後すぐ駆けつけた。
秋本(あきもと)/ 秋本惣次郎(あきもと そうじろう)
御台所付御中﨟・右衛門佐の部屋子・佐死去後は大奥総取締。当時高価だった眼鏡を買うために大奥に上がったと嘯くメガネ男子。
秋本絹江(あきもと きぬえ)
惣次郎の妹。兄が大奥から下がった後は娘共々幸せに暮らす。
秋本汀(あきもと てい)
絹江の娘。表向きは惣次郎の姪。幼少時別れた惣次郎伯父が実父とは知らない。

家宣編の人物

徳川家宣(とくがわ いえのぶ)
6代将軍。千恵とお夏の方の孫娘。猿楽師おふさを取り立て重用。左京との間に千代姫をもうける。
間部詮房(まなべ あきふさ) / おふさ
家宣の側用人、家宣への忠義に厚い。
左京の局(さきょう の つぼね)/ 勝田左京(かつた さきょう)
江戸の寺の住職の息子。母子相姦を強いられ元服させてもらえずやさぐれていた。詮房に拾われ家宣の側室に。
勝田玄白(かつたげんぱく)
加賀藩士。息子との間に2人も子をもうけている。
江島(えじま)
婿の貰い手がなく家宣の屋敷に仕えていた。左京に武家の作法を仕込む。
近衛國熙(このえ くにひろ)
家宣の正室。家宣との子は2人とも夭逝。
千代姫(ちよひめ)
家宣と左京の局の娘、のちの家継。
新井白石(あらい はくせき)
当代一の女儒者[注釈 37]。千代姫の学問の師。

家継編の人物

徳川家継(とくがわ いえつぐ)
7代将軍。
月光院(げっこういん)
落飾後の左京局、家継の父。
間部詮房(まなべ あきふさ)
家継の側用人。
江島(えじま)/ 江島慎三郎(えじま しんざぶろう)
大奥総取締、月光院側近。毛深く醜男の自分に恋愛は無縁と思っていたが芝居で生島新五郎に一目惚れしお互い好意を抱く。事件後瓦版で巷間に「絶世の美男」と広まった。
生島新五郎(いくしま しんごろう)
女性の歌舞伎役者。芝居見物帰りの大奥の男達に金で買われている。
市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)
若い娘の人気歌舞伎役者。
天英院(てんえいいん)
落飾後の家宣正室。紀州の隠密と密かに連携する。
藤波(ふじなみ)
天英院付。江島失脚後の大奥総取締。
柏木(かしわぎ)
藤波の部下。
松島(まつしま)
藤波の部下。
宮路(みやじ)/ 弥助(やすけ)
江島の部下、実は紀州隠密。江島生島事件の発端を作り三郎左にお庭番を引き継ぐ。
尾州吉通(びしゅう よしみち)
尾張徳川家当主・継友の姉、食後吐血し死亡。

家重編の人物

徳川家重(とくがわ いえしげ)
9代将軍。吉宗の長女。言語障害[注釈 38]・排尿障害があるが知能[注釈 39]は正常。将棋は吉宗以上の腕前。
大岡忠光(おおおか ただみつ)
家重の小姓頭。暇を乞うた龍を慰留する。
田沼意次(たぬま おきつぐ)/ 龍(たつ)
吉宗から家重の小姓、御側衆主殿頭、紀州の足軽出身。
平賀源内(ひらが げんない)/ 吉(きち)
お神酒天神で子供達を驚かせた平賀家の跡取り娘だったが、赤面疱瘡の治療薬を見つけたいと讃岐脱藩男装して権太夫と名乗り先ずは吉雄耕牛に蘭語を習おうとした。戯作者としては風来山人名義。火浣布の売込みで意次の目に留まる。竹トンボを作りながらマタギの話を聞き赤面疱瘡は熊からヒトに感染する業病ではないかと青沼らに諮り、「熊痘」は一考の余地ありと意次に励まされる。土用丑の日を勧めた「うな藤」に芳三鰻丼仕立てを教えた帰りに暴漢に襲われる。
青沼(あおぬま)/ 吾作(ごさく)
吉雄耕牛の弟子、蘭方医・通詞。オランダ人と丸山遊郭の遊女の間に生まれた金髪碧眼。御右筆として大奥に上がり蘭学を講義する。
吉雄耕牛(よしお こうぎゅう)
蘭語通詞・蘭方医。吾作を養子にし大通詞を継がせたかった。
杉下(すぎした)
御年寄の一人。吉宗の命で姫達の父代を務める。後に大奥総取締。
芳三(よしぞう)/ 善次郎(ぜんじろう)
名亭の板前から御膳所に上がる。嘗て焼方迄務めたならとお幸の方の膳部を任され鰻の焼き丼[注釈 40]を試食願う。後に御仲居頭。青沼らに源内御持たせ「うな藤」の蒲焼を鰻丼仕立てで温かく配膳する。
比宮実行(なみのみや さねゆき)
家重の正室。比宮の子を家重が流産した直後に病死。
お幸の方(おこうのかた)/ 梅渓守幸(うめたに もりゆき)
比宮附御中﨟、後に側室[注釈 41]。世継ぎ竹姫の父。お千瀬の方に嫉妬して斬り掛かり家重の勘気を被り入牢。
貴子(たかこ)
京の公家の姫。夫と死別後かつて許婚だった梅溪守幸との復縁を望むが、家重が手を回し近衛家の男性と再婚。
お千瀬の方(おちせのかた)
家重の側室。萬二郎[58]の父。お幸の方に斬り付けられた。
左近(さこん)
家重の側室。
吉野(よしの)
家重の側室。
松平乗邑(まつだいら のりさと)
老中[59]。家重廃嫡を上申。
田安宗武(たやす むねたけ)
吉宗の次女。
一橋宗尹(ひとつばし むねただ)/ 小夜姫(さよひめ)
吉宗の三女。
徳川家治(とくがわ いえはる)/ 竹姫(たけひめ)
家重の長女。父はお幸の方。将棋[注釈 42]は家重以上の腕前。
加納久通(かのう ひさみち)
吉宗の御側御用取次から西の丸若年寄まで勤めた。吉宗を将軍に就けるため尾州吉通紀州綱教紀州頼職を毒殺したと告白して没する。
徳川吉宗(とくがわ よしむね)
大御所として影響力を持ち続けた。意次に赤面疱瘡撲滅を遺言。

家治編の人物

田沼意次(たぬま おきつぐ)
家治より幕政を託され干拓事業に取り組むが相次ぐ天災で断念、失脚。
平賀源内(ひらが げんない)/ 吉(きち)
本草学者。謀られて梅毒をうつされるが田沼の為奔走し病状は悪化、歩行困難に陥っても手遊びに竹トンボを拵え瀬川菊之丞に看取られる。
瀬川菊之丞(せがわ きくのじょう)
女性の歌舞伎役者・源内の情人[注釈 43]
黒木(くろき)/ 黒木順太郎(くろき じゅんたろう)
御右筆助、青沼の助手。蘭医とは名ばかりの父に嫌気がさし大奥に上がった。
黒木良春(くろき りょうしゅん)
順太郎の父、医者の仕事は患者のご機嫌取りと嘯く。
黒木峰(くろき みね)
黒木家当主、順太郎の母。本家に頼み武家身分で息子を大奥に上がらせる。
僖助(きすけ)
御半下、人痘接種の実験台になる。実家は大店・紙問屋。
伊兵衛(いへえ)/ 青海屋伊予吉(おうみや いよきち)
呉服の間のお針子、人痘接種の実験台になる。廻船問屋・青海屋の次男。
青海屋仁左衛門(おうみや にざえもん)
田沼の干拓事業を請け負う廻船問屋の主・伊予吉の母。意次に連座し財産没収。
青沼(あおぬま)/ 吾作(ごさく)
御右筆、人痘接種に成功したが意次の失脚で死罪。
高岳(たかおか)
大奥総取締、意次に連座、解任される。
田安宗武(とくがわ むねたけ)
田安徳川家初代。
松平定信(まつだいら さだのぶ)/ 聡子(さとこ)
宗武の娘、松平家に養子に出される。意次失脚後老中に就任。
北橋(きたはし)
聡子の乳母。
田沼意知(たぬま おきとも)
意次の娘。
佐野善右衛門政言(さの ぜんえもん まさこと)
没落旗本。江戸城内で意知を暗殺。切腹を賜ったが江戸市中で「世直し大明神」と崇められた。
徳川家治(とくがわ いえはる)
10代将軍、奥医師脚気衝心と診断されるが実は薬湯砒素入りだった。青沼は一目見て砒素中毒と診断するが老中達は意次の讒言と決め付け黒幕の治済を暴けない。
五十宮倫仁(いそのみや ともひと)
家治の正室[63]、男児を授かるが家治が側室との間に千代姫を儲けたことを知り愕然となる。青沼の元で蘭学に励むが病死。
徳川家基(とくがわ いえもと)/ 千代姫(ちよひめ)
家治の娘・世継ぎ。病弱だったが成長につれ健康になる。しかし18歳で突然死。
お知保の方(おちほのかた)/ 保川(やすかわ)
家治の側室、家基の実父。
一橋治済(とくがわ はるさだ)
一橋徳川家2代目。
豊千代(とよちよ)
治済の長男。青沼の人痘接種のおかげで成人し男将軍になる。
松方(まつかた)
御中﨟、蘭学を嫌悪。高岳解任後大奥総取締に。
水野出羽守(みずの でわ の かみ)
老中。家治が危篤に陥ると反意次派に。
杉田玄白(すぎた げんぱく)
男の蘭医・源内の友人。『解体新書』翻訳が進まず青沼を講義室に訪ねる。

家斉編の人物

徳川吉宗(とくがわ よしむね)
唯一の「天文将軍」。自ら考案した「簡天儀」を西川正休に作らせ1747年に天文方に任命。洋書の禁書令を緩和、西洋の学術書を輸入し最新の科学技術を取り入れさせる[64]
徳川家斉(とくがわ いえなり)
男将軍として11代目を継いだはいいが子作りに専念せよと実権は母が握る。天文方附属翻訳局を設立。
松方(まつかた)
中奥総取締。青沼の受講生と渡りをつけたり「熊痘」探索に隠密を放ったが治済用美男集めの為と誤魔化したりして家斉に協力。家斉所望の鰻重を頻繫に中奥で調製させる[注釈 44]
庄司(しょうじ)
元大奥御右筆・青沼の同輩。青沼の講義用書付と蔵書を私物として中奥に隠す。
徳川治済(とくがわ はるさだ)
家斉の母。「退屈しのぎに家斉の気に入らぬ子を適当に間引くのも容易すぎてつまらぬ」と独り言ちる。自分に隠れて赤面疱瘡撲滅に取り組んだ息子も毒殺しようとする。
武田(たけだ)/ 武女(むめ)
治済の汚れ仕事担当。大奥総取締となるも治済に賜毒。
茂姫(しげひめ)
家斉の正室[67]・敦之助の生母。息子と総姫を治済に毒殺された真相に気付いたお志賀と手を結び、敵を討つため正気を失ったふりをする。
敦之助(あつのすけ)
家斉の四男・清水徳川家当主徳川重好[68]の養子・夭逝。
吉野(よしの)
茂姫付お中臈。
お志賀の方(おしがのかた)/ 滝沢(たきざわ)
家斉の側室・総姫の生母・大奥総取締。治済に美男を侍らせ八百善初鰹[69][70]迄取り寄せ毒見役を務めながら復讐の毒を盛る。
総姫(そうひめ)
家斉の五女・夭逝。
お宇多の方(おうたのかた)
家斉の側室・敬之助の生母。
敬之助(たかのすけ)
家斉の三男・尾張徳川家9代徳川宗睦の養子・夭逝。
お満武の方(おまんのかた)
家斉の側室・竹千代の生母。
竹千代(たけちよ)
家斉の長男・夭逝。
お楽の方(おらくのかた)
家斉の側室・敏次郎の生母。
徳川家慶(とくがわ いえよし)/ 敏次郎(としじろう)
家斉の次男・生き残った最年長の息子、45歳で将軍職を継ぐ。
お美代の方(おみよのかた)
家斉最晩年の寵姫。実父は感応寺住職日啓
松平定信(まつだいら さだのぶ)
老中、治済に罷免される[71]
黒木良順(くろき りょうじゅん)
元御右筆助・黒木改め市井の蘭医良順。「熊痘」を成功させ、大槻玄沢[72]に後事を任せ町医者に戻る。
青海伊兵衛(おうみ いへえ)
元呉服の間お針子、黒木と共に追放され養生所で助手となる。
僖助(きすけ)
元御半下、吉宗のご内証の方だった水野の婿入り先「田嶋屋」に縁付く。
黒木青史郎(くろき せいしろう)
良順の息子、隠密が持ち帰った瘡蓋を二叉針で植え付ける「熊痘」接種第一号となる。
るい
良順の妻、青史郎の母。
杉田玄白(すぎた げんぱく)
『解体新書』訳者。「熊痘」接種でも良順に協力。
岡田甫説(おかだ ほせつ)
玄白の弟子・蘭和辞典『ハルマ和解』編纂者。ジェンナー牛痘法を良順に伝えた。
高橋景保(たかはし かげやす)
女性の天文方役人[73]、算術・暦学・語学の天才。生前の青沼が庄司に秘匿を託した『ラランデ天文書』を良順から贈られる。
高橋遼太(たかはし りょうた)
景保の息子、青史郎の算術塾仲間で算額好きのメガネ男子。赤面疱瘡で急死。
渋川正陽(しぶかわ まさてる)
天文方役人[74]
渋川孫次郎(しぶかわ まごじろう)
正陽の次男。赤面疱瘡を遼太にうつして終う。
堀田正敦(ほった まさあつ)
若年寄・摂津守天文方支配。在任中伊能忠敬大日本沿海輿地全図[75]を作成、忠敬死後修正等を高橋至時景保父子が引き継ぎ完成。
青山忠裕(あおやま ただひろ)
老中・因幡守・治済の腹心。
安藤信成(あんどう のぶなり)
老中・対馬守

家慶編の人物

徳川家慶(とくがわ いえよし)
12代将軍・家斉の傀儡なのが不満。幼い祥子への性的虐待を阿部正弘が察知し広大院が問い詰めるもシラを切り通し、祥子を手元に留めたくて男子家督相続の時代になったのに次期将軍に指名する。
徳川家定(とくがわ いえさだ)/ 祥子(さちこ)
家慶の最年長の子。父の性的虐待に苦しみ江戸城を出て他家に嫁ぎたかった。
お美津の方(おみつのかた)
祥子の生母。父子相姦を見て見ぬふり、挙句嫉妬して祥子に毒を盛る。
歌橋(うたはし)
祥子の乳母、お美津の方に追随。
お久の方(おひさのかた)
家慶の側室。初之丞の生母。
徳川慶昌(とくがわ よしまさ)/ 初之丞(はつのじょう)
家慶の五男、一橋徳川家6代当主[76]
鷹司任親(たかつかさ ただちか)
家定の正室。初夜に家慶に毒を盛られ寝たきりとなる。正弘が材料と引き窯を御膳所に用意したので家定が好物のカステラ[注釈 45]を初めて手作りし見舞いに持って来た。
徳川家斉(とくがわ いえなり)
家慶の父。男子家督相続を復活させ、家慶に将軍職を継がせる。
広大院(こうだいいん)
落飾後の茂姫。奥女中の風紀の乱れを正弘に解決させる。
阿部正寧(あべ まさやす)
正弘の兄。母・阿部正精から家督相続したが重責に耐え兼ね、妹に譲り若隠居。
阿部正弘(あべ まさひろ)/ 真佐女(まさじょ)
阿部家相続を家斉に許された。寺社奉行として腕を振るい老中に就任。家定の避難所として西ノ丸奥を作り、表向きは世継ぎを儲けるためとする。
水野忠邦(みずの ただくに)
女性の老中。天保の改革で後に失脚。
堀田正睦(ほった まさよし)
老中。藩主としては佐藤泰然[78]を招聘し佐倉順天堂を開かせ蘭癖と呼ばれた。
日啓(にっけい)
感応寺の住職で家斉側室お美代の方の父。娘の権威を笠に着て女犯の罪を重ね正弘に流刑に処される。
遠山左衛門尉(とおやま さえもんのじょう)
男の町奉行。桜吹雪の彫物が有る。
青海先生(おうみ せんせい)
青海伊兵衛の息子、手習い所指南。新之助が助手や雑用を引き受ける代わりに月謝免除で蘭語を教える。将来、後を継がせたかった。
新之助の母
百人組の与力で、男子家督相続に移行する世に不満を持つ。自分の上司と夫の密通を知り二人を成敗し自害。
新之助の兄
不祥事を新之助に知らせた後、自刃。
瀧山(たきやま)/ 新之助(しんのすけ)
葭町陰間。女と見紛う美貌を持つ。お家断絶後は苦界に沈んでいた。正弘に身請けされ西ノ丸奥の総取締に。
吉川(よしかわ)
正弘の屋敷に仕える男の侍。花街通いの正弘を護衛し、お眼鏡に叶った瀧山の陰間の垢を落とすため武芸百般叩き込む。

家定編の人物

徳川家定(とくがわ いえさだ)
次期将軍として西の丸奥に逃げ込み父子相姦を強いる家慶を追い返したが毒を盛られる。父の急死で13代将軍に就任。
瀧山(たきやま)
西の丸奥総取締のちの大奥総取締。
徳川家慶(とくがわ いえよし)
家定の父。故・広大院から家定に触れることを禁じられ報復として家定の継室を毒殺。黒船来航のショックで発狂し死去。
姉小路(あねのこうじ)
京育ちで家定の継室選定を任された、家慶の息のかかった女官。
一条秀久(いちじょう ひでひさ)
家定の継室。
お志賀の方(おしが の かた)
家定の側室。
阿部正弘(あべ まさひろ)
老中主座。米大統領親書に対する意見書を公募した。
勝義邦(かつ よしくに)
旗本。先ず開国し外国交易で得た利益で軍艦を購入するよう意見書を出して採用され、海軍伝習所にて3年間航海術砲術ホイセン・ファン・カッテンディーケ[79]医学化学ポンペ・ファン・メーデルフォールト[80]らに師事。のちの勝海舟。
徳川斉昭(とくがわ なりあき)
水戸家当主。苛烈な攘夷論者。正弘から海防御用掛を任されるが開国派とぶつかり失脚。
島津斉彬(しまづ なりあきら)
島津家当主。広大院を例に正弘から御台所選定の相談を受ける。
近衛胤篤(このえ たねあつ)/ 島津忠敬(しまづ ただすみ)
島津斉彬の養子。

幕末編の人物

徳川家定(とくがわ いえさだ)
13代将軍。間食は食事の妨げと瀧山に叱られている時「冷え症に効くし食事の妨げにもならない」と生姜糖を胤篤に勧られ庭歩き・乗馬にも挑戦。好物のお菜・両様を御替りする程食欲旺盛になる。後に悪阻で好物の鯛のを食せず御仲居頭に詫びる口実に御膳所で胤篤にカステラ作りの腕を見せる。
瀧山(たきやま)
大奥総取締。陰間時代コッソリ蘭語[81]をお浚いしてはいたが、時流に合わせ勝海舟[82]に英語を習い、勉強嫌いの黒木には呆れられる。瓦解後は生活の途となり大奥一の着道楽と言われたセンスを生かした実業家に転身する。
仲野(なかの)/ 瀧山吉兵衛(たきやま きちべえ)
小姓・瀧山の部屋子。殉死しようとした瀧山を救命、彼の養子[83]となる。瓦解後は舶来品の仕入で何度も洋行するメガネ男子。
阿部正弘(あべ まさひろ)
伊勢守・老中主座。心労で倒れ、瀧山が家定御手製のカステラを見舞いに届けた際、家定・胤篤の事を託す。
堀田正睦(ほった まさよし)
備中守・老中主座。独断で勅許を得ようとする愚を犯し失脚。
近衛胤篤(このえ たねあつ)/ 島津忠敬(しまづ ただすみ)
今和泉島津家島津忠剛の次男。斉彬の養子・近衛忠煕の養子として輿入れ。家定は懐妊するがそれ故薨去。遺命で落飾せず「天璋院」と称し福子とその正室和宮に心を砕く。
幾島(いくしま)
胤篤付き御年寄。
中澤(なかざわ)/ 津村重三郎(つむら じゅうざぶろう)
胤篤付き御中﨟、実は薩摩の隠密。天璋院の御猫様・さと姫[84]のお世話係。
池谷(いけたに)
胤篤の裃をお万好みの流水紋で見事に仕立てた褒美に、御嘉祥の祝菓子[85]を特別に、呉服の間全員に振る舞われる。
豊倹院(ほうけんいん)/ お志賀の方(おしがのかた)
家定の側室。落飾し天璋院に挨拶に伺う。
島津斉彬(しまづ なりあきら)
島津宗家当主「太守様」。表向き水戸斉昭の息子・慶喜擁立派だが狙いは倒幕。井伊直弼が斉昭を失脚させた件に抗議・江戸進撃直前に急逝。
西郷吉之助(さいごう きちのすけ)
薩摩藩士。胤篤の輿入れ道具を贅を尽くして調えるよう命じられ、働き振りを胤篤に労われて感涙にむせぶ。後に錦の御旗を掲げ江戸総攻撃を画くするが勝海舟との談判の席に宸翰を携えた和宮が胤篤と乱入。慶喜は首の皮一枚で繋がった。
岩倉具視(いわくら ともみ)
和宮下向を万事手配し佐幕とみなされ蟄居したが錦の御旗薩長に作らせ倒幕派に。王政復古の大号令を奏上した。
徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
有栖川宮織仁親王の娘を母に、その血筋を鼻にかけ島津の分家出身と胤篤を見下す。
井伊直弼(いい なおすけ)
掃部頭・大老。攘夷派を「安政の大獄」で一掃するが水戸の恨みを買い「桜田門外の変」で暗殺される。
板倉勝静(いたくら かつきよ)
老中・周防守・松平定信の孫。家茂に何かと頼りにされる。歯に衣着せぬ勝海舟の江戸っ子べらんめぇ調に振り回されるも「任せられるのはこの男しかいないので」と頭を下げて回る。
勝海舟(かつ かいしゅう)
安房守・幕府陸軍総裁。「(主・家茂に)惚れた!」「惚れた女の為だ」と西郷との談判に臨む。対ナポレオン戦争でロシアが遂行した焦土作戦江戸火消し衆新門辰五郎[86]に依頼しておいた。無血開城確約後、天璋院に新政府軍に恭順せよとの通達を幕臣に出してもらう。
楠本イネ(しいもと いね)
シーボルトの娘。江戸城内で倒れた家茂を診察[87]
徳川家茂(とくがわ いえもち)/ 福子(とみこ)
紀州家の姫・福子として、神田祭祭礼行列見物に招かれ家定の御手製カステラを食し具合が悪くなる。「太守様の命はでていない」と薩摩の隠密は慌てるが、結局14代将軍に。薩摩銘菓かるかんで天璋院にもてなされ、和宮にカステラを差入れ花びら餅の方が美味しいと言われたその説明で「食べてみたくなる」と楽しみ、御前では衣冠束帯で朝参の公卿を驚かす。しかし病に侵され死の床では天璋院や瀧山、和宮に会いたいと叫びながら亡くなる[注釈 46]
静寛院宮(せいかんいん の みや)/ 和宮(かず の みや)
孝明天皇の妹宮。生まれつき左手が無く生後すぐ死んだ[89]事にされ隠されて育つ。男装の身代りを引受け降嫁。家茂の長征中はお百度を踏むが形見の袿・打掛[90]を前に号泣する。男装を解き落飾、静寛院宮として大奥の主として最後の花宴を主宰した。
田安亀之助(たやす かめのすけ)
16代目宗家、家定の又従兄弟・松平春嶽の甥。和宮を弔問し宮の好物・花びら餅[注釈 47]を頂く。
和宮(かず の みや)
本物の男宮。足が不自由なので降嫁を嫌がり、表向き自害した事にして出家する。
観行院(かんぎょう いん)/ 庭田(にわた)
和宮の生母。男装・官人として江戸に下る。
土御門(つちみかど)
和宮の官人。実は彼女の乳母。観行院と同じく男装して江戸に下る。
絵島(えじま)
真の和宮(男)附きだった男の官人。下沓を履かない御所風を通し江戸方に見咎められ騒ぎに。
佐竹(さたけ)
和宮の御湯殿係、実は女性である事を秘す為和宮の御小姓に、家茂自ら任命。
日下部(くさかべ)
和宮の御湯殿係、実は女性である事を秘す為和宮の御小姓に、家茂自ら任命。
能登(のと)/ お志摩(おしま)
家茂の乳母子。家茂の頼みで男装し官人・能登として観行院・土御門の世話をする。
孝明天皇(こうめい てんのう)
和宮の兄。妹・和宮親子内親王の身元を保証する宸翰を家茂に預ける。
黒木(くろき)/ 黒木源次郎(くろき げんじろう)
黒木清順の次男、青沼に師事した良順の孫。胤篤の御中﨟のちに和宮付き御中﨟。江戸城明け渡し後は官人として静寛院宮に仕える。
黒木の兄
黒木清順の長男。蘭医として「家定公診察団[注釈 48]だった。死因は妊娠後期の肝硬変で毒殺ではなかった。」と天璋院に告げた。

津田梅子(つだ うめこ)[注釈 49]

洋上で胤篤から昔、御台所だった、と秘密を明かされる。

用語解説

赤面疱瘡

男だけ感染する架空の伝染病。高熱を発し真っ赤な発疹が全身に広がり爛れ上がり死に至る。罹患者はほとんどが10代から20代、致死率80%。しかし長崎で吾作らが感染した弱毒性赤面疱瘡は2-3日で全快し死に至らない。国内固有の風土病。外国の例は確認されていない。

本作での大奥

大奥内の役職

お目見え以上
将軍にお目通りが許される「お目見え以上」。帯刀が許されるのは「お目見え以上」と、御火の番のみ。御年寄や御中﨟など上級職に就いた者には専用の部屋と使用人が与えられる。
  • 大奥総取締(おおおくそうとりしまり)
    • 大奥を取り仕切る。御年寄の中から一名がその任に就く。御年寄は上臈御年寄より格下だが、実際には大奥に仕える男達の中で最も力を持つ存在である。
  • 上臈御年寄(じょうろうおとしより)
  • 御年寄(おとしより)
  • 御客応答(おきゃくあしらい)
  • 中年寄(なかどしより)
  • 御中﨟(おちゅうろう)
    • 将軍御台所の身辺の世話係。この中から、「お手つき」が出る。専用の部屋と使用人が与えられ、部屋の主という意味で「旦那様」と呼ばれる。
  • 御小姓(おこしょう)
  • 御錠口(おじょうぐち)
    • 表御殿と大奥の境の詰め所で錠口の番にあたる役目。
  • 表使(おもてづかい)
    • 大奥で必要な種々の日用品の買い物を取り仕切る。
  • 右筆(ごゆうひつ)
    • 表向きへの文書作成、諸家への書状作成の他に、大奥で起きた全ての出来事を記録・執筆する役職。
  • 御伽坊主(おとぎぼうず)
    • 将軍付きの役職。正式な僧侶ではなく、去勢されて男性ではないことを示すために墨染め衣を纏っている。
  • 呉服の間(ごふくのま)
    • 大奥中の全ての衣服を仕立てる役職。一日中裁縫に明け暮れる。
  • 御広座敷(おひろざしき)
お目見え以下
将軍にお目通りが許されない。御火の番のみ帯刀が許される
  • 御三の間(おさんのま)
    • 「お目見え以下」の中では最も地位が高く奥仕えの振出しとも言える。
    • 御三の間仕えは揃いの(はなだ)色の着物と袴をつける。
    • 仕事内容は;
      1. 部屋の掃除。
      2. 湯水の運搬など雑用。
      3. 旦那様方の身の回りの世話全般。着物などに香を焚き染める。
      4. 旦那様方が部屋に戻った後は指示された部屋に夕餉を運ぶ。
  • 御火の番(おひのばん)
  • 御半下(おはした)
    • 清掃などに従事。「お目見え以下」の中でも最下位だが皆身元のしっかりした裕福な商家などの息子たち。

大奥の決まりごと

御内証の方(ごないしょうのかた)
3代将軍千恵が制定。未婚の女将軍に夜の手ほどきをする。「御内証の方」としてお勤め後死罪にする。破瓜によって将軍の体に傷をつける大罪人というのが建前であるが、実際は前述の千恵のトラウマが原因。
お褥すべり(おしとねすべり)
35歳を越えたものは将軍と閨を共にすることは許されない。

派生作品

ドラマCD

『大奥』極上音絵巻

  • 掲載誌『MELODY』と第1巻連動で行われた応募者全員サービスのために作られた。

声優

ドラマCD『大奥』

  • 第15巻の初回特装版に同梱されたもの。初期の人気エピソード「有功・家光編」を音と声で物語る。

声優

実写作品

2010年の水野・吉宗を主人公とした映画に続き、2012年に連続テレビドラマで有功・家光の時代、映画第2作で右衛門佐・綱吉の時代を描いた実写映像作品が製作された。これらはいずれもTBSテレビを中心とする製作委員会によるプロジェクトで、監督およびメイン演出は金子文紀による。

2023年1月からNHK総合テレビドラマ10」枠でドラマ化。3代将軍・家光編から物語のラスト・大政奉還まで映像化されるのはこれが初となる[95]

  • 大奥(2023年1月10日 - 3月14日)[96]、同年秋よりSeason2放送予定[97][98]NHK)

Webアニメ

2023年夏よりNetflixにて配信予定[46]

スタッフ

受賞歴

書誌情報

コミックス

  • よしながふみ 『大奥』 白泉社ジェッツコミックス→ヤングアニマルコミックス[注釈 50]〉、全19巻[109]
    1. 2005年10月4日発行、ISBN (4-592-14301-9)
    2. 2006年12月4日発行、ISBN (4-592-14302-7)
    3. 2007年12月25日発行、ISBN (978-4-592-14303-1)
    4. 2008年12月24日発行、ISBN (978-4-592-14304-8)
    5. 2009年10月5日発行、ISBN (978-4-592-14305-5)
    6. 2010年8月28日発行、ISBN (978-4-592-14306-2)
    7. 2011年6月28日発行、ISBN (978-4-592-14307-9)
    8. 2012年9月28日発行、ISBN (978-4-592-14308-6)
    9. 2012年12月3日発行、ISBN (978-4-592-14309-3)
    10. 2013年10月28日発行、ISBN (978-4-592-14310-9)
    11. 2014年8月28日発行、ISBN (978-4-592-14545-5)
    12. 2015年6月26日発行、ISBN (978-4-592-14546-2)
    13. 2016年4月28日発行、ISBN (978-4-592-14547-9)
    14. 2017年2月28日発売、ISBN (978-4-592-14548-6)
    15. 2017年12月28日発売、ISBN (978-4-592-14549-3)
    16. 2018年10月29日発売、ISBN (978-4-592-16276-6)
    17. 2019年8月28日発売、ISBN (978-4-592-16277-3)
    18. 2020年6月26日発売、ISBN (978-4-592-16278-0)
    19. 2021年2月26日発売、ISBN (978-4-592-16279-7) / ISBN (978-4-592-16280-3)(大奥-没日後録-付き特装版)
  • 英語訳 "Ōoku: The Inner Chambers" (VIZ Media) 、全19巻[110]
    1. 2009年8月18日、ISBN (1-4215-2747-2)
    2. 2009年12月15日、ISBN (1-4215-2748-0)
    3. 2010年4月20日、ISBN (1-4215-2749-9)
    4. 2010年8月17日、ISBN (1-4215-3169-0)
    5. 2010年12月21日、ISBN (1-4215-3669-2)
    6. 2011年7月19日、ISBN (978-1-4215-3961-4)
    7. 2012年7月10日、ISBN (978-1-4215-4220-1)
    8. 2013年9月17日、ISBN (978-1-4215-5482-2)
    9. 2014年1月21日、ISBN (978-1-4215-5877-6)
    10. 2014年11月18日、ISBN (978-1-4215-7242-0)
    11. 2015年11月17日、ISBN (978-1-4215-7979-5)
    12. 2016年11月15日、ISBN (978-1-4215-8643-4)
    13. 2017年11月21日、ISBN (978-1-4215-9215-2)
    14. 2018年11月20日、ISBN (978-1-4215-9775-1)
    15. 2019年5月21日、ISBN (978-1-9747-0316-6)
    16. 2019年12月17日、ISBN (978-1-9747-0840-6)
    17. 2020年8月18日、ISBN (978-1-9747-1488-9)
    18. 2021年6月15日、ISBN (978-1-9747-2223-5)
    19. 2022年3月15日、ISBN (978-1-9747-2654-7)
  • 中國語訳 『大奥』 (尖端出版) 既刊15巻(2019年2月現在)
    1. 2007年2月15日発行、EANコード 4717702205171
    2. 2007年9月10日発行、EANコード 4717702214357
    3. 2008年4月14日発行、EANコード 4717702216856
    4. 2008年12月24日発行、EANコード 4717702229382
    5. 2009年11月20日発行、EANコード 4717702230074
    6. 2011年1月1日発行、EANコード 4717702236724
    7. 2013年6月19日発行、EANコード 4717702242053
    8. 2014年4月3日発行、EANコード 4717702259983
    9. 2014年9月16日発行、EANコード 4717702262730
    10. 2015年6月16日発行、EANコード 4717702264390
    11. 2016年4月22日発行、EANコード 9789571065700
    12. 2016年9月30日発行、EANコード 9789571069111
    13. 2017年4月14日発行、EANコード 9789571073361
    14. 2017年12月8日発行、EANコード 9789571078557
    15. 2019年2月27日発行、EANコード 9789571084800

関連書籍

脚注

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注釈

  1. ^ カロンは20年以上駐日[4]したので1627年台湾行政長官ピーテル・ノイツ家光に拝謁を願った際通詞として参府[5]し重宝された。島原の乱鎮圧後家光は、ポルトガルに代わってオランダが必需品を提供できるかカロンに確認している[6]
  2. ^ フランス財務総監コルベールルイ14世東インド会社設立を進言し、VOC退職の後1665年にカロンは長官就任[7][8]。実現しなかったがカロンの日本と仏領東インドの貿易計画は長崎に伝わり1667年のオランダ風説書で幕府に報告された。
  3. ^ フランソワ・カロン[注釈 1][注釈 2]東京大学史料編纂所 日本関係海外資料 オランダ商館長日記 譯文編之四
  4. ^ ル・メールオランダ商館平戸から出島移転に先立ち参府老中酒井忠清らの「カトリック(ポルトガル)の情報提供」命令で毎年作製されたのがオランダ風説書[9][10]である。
  5. ^ マクシミリアン・ル・メール[注釈 4]東京大学史料編纂所 日本関係海外史料 オランダ商館長日記 譯文編之五
  6. ^ これに対して後継のオランダ商館長らは 謝意表明が無いと参府しても門前払い。事態を重く見たバタヴィア商務総監フランソワ・カロンが特使を派遣。カロンは幕府が臼砲に興味があるのを知っており臼砲献上と砲術士官ユリアン・スヘーデル[13]派遣は功を奏した。
  7. ^ ウィレム・フルステーヘン 著 永積洋子 訳『南部漂着記~南部山田浦[14]漂着のオランダ船ブレスケンス号船長(ヘンドリック・コルネリスゾーン・スハープ)(オランダ語版)の日記』キリシタン文化研究会(キリシタン文化研究シリーズ9)(1974年)
  8. ^ オランダ人船員が捕縛された報は、すぐ長崎に届き、新旧商館長オーフルトワーテルエルセラックが例年より早く参府し、家康の「オランダ船は日本のどの港にも寄港して良い」との朱印状を持参して見せ、船長(ヘンドリック・コルネリスゾーン・スハープ)(オランダ語版)以下10人の乗員は家光の取り計らい[注釈 6]で釈放された[注釈 7][15]
  9. ^ ファン・ツム家光に拝謁時、眼鏡・拡大鏡・レンズ・薬品等を献上。前日、大目付井上政重と面会しブレスケンス号乗員[注釈 8]のその後、タルタリアへの再航海の有無[16]東インドにおけるヨーロッパ諸国の勢力など問われた。
  10. ^ レイニール・ファン・ツム[注釈 9]東京大学史料編纂所 日本関係海外史料 オランダ商館長日記 訳文編之九
  11. ^ 明王朝滅亡後、1656年は商船航行禁止、中国磁器輸出は一時中断。ツァハリアス・ヴァグナー景徳鎮を見本にヨーロッパ人好みを作成依頼し伊万里焼海外輸出が始まった。コバルトブルー地に金はヴァグナー好み、現在香蘭社が継承[20][21]している。清の輸出再開後も伊万里焼輸出は継続した。
  12. ^ ツァハリアス・ヴァグナー[注釈 11]江戸参府明暦の大火に遭遇し、当時発明されたばかりの消防ポンプホース謹呈を思いつき、次の商館長ヨアン・ボウヘリヨン献上[22]
  13. ^ 史実では、湯島聖堂を建立して新井白石儒学者を輩し文治政治を目指した治世前半は、後に吉宗が範とした[23][24]
  14. ^ 1691年出島の三学者の一人でオランダ商館付き医師ケンペル綱吉謁見し「英邁な君主」と記し、謁見時垣間見た御台所を「小麦色の丸顔が美しくヨーロッパ的な黒目が印象的、背はかなり高く御年は36歳(実年齢41)位」と表した[25]
  15. ^ 史実では「能狂」で各座や流派の長を表向き猿楽を廃業させて士分に取り立て城内の私的演能で舞わせた。断れば追放・一座は解体、衆道を拒めば切腹もあった『常憲院殿御実紀』。狩野友信 著『幕府年中行事』(1898年)に見られる(正月3日江戸城で謡曲を謡う儀式)の様に、本丸西の丸には公式催事用表舞台が有り、将軍代替わり・婚礼・出産等の慶事、先祖の忌日・日光参詣等諸行事、貴賓の公式接遇の宴には必ず能楽が催されていた。
  16. ^ 『大奥 第1巻』p16[注釈 15]
  17. ^ 綱吉は「生類憐れみの令」厳守を遺言したが家宣綱吉の柩の前で吉保に「禁令に触れ罪に落ちた者は数知れない。私は天下万民のために敢て遺命に背く」と言った(徳川実紀)。
  18. ^ 近習の臣といえども常に見え奉るもの稀なりしかば御言行の伝ふ事いと少なし…御みずからは御襖弱にわたらせ給ひしが万機の事ども、よく大臣に委任せられ御治世十六年の間四海波静かに万民無為の化に浴しけるは有徳院殿の御余慶といへどもしかしながらよく守成の業をなし給ふ『徳川実紀』。また一条兼香の日記『兼香公記』では「武道は修めるも文道に及ばず酒色遊芸にふけり狩猟を好まず」とある。
  19. ^ 寛延の百姓騒動1748年[29]
  20. ^ 作中家重右近衛将監(老中 松平武元)に丸投げしている[注釈 19]
  21. ^ 親交のあった島津重豪は自ら長崎オランダ商館に出向き蘭船に搭乗し曾孫の斉彬を供にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトと会見、ローマ字を書き蘭語を話せた重豪と会見したシーボルトは「80余歳と聞いたが60歳前後にしか見えない開明的聡明な君主」と著述。オランダ商館長ヨハン・ウィレム・デ・スチューレル業務日誌およびシーボルトの『NIPPON[30]』に重豪の描写が見られる[31]
  22. ^ 出島の三学者の一人・出島商館付スウェーデン人医師カール・ツンベルク分類学カール・フォン・リンネの高弟で梅毒に対して昇汞を処方する水銀療法を通詞吉雄耕牛らに伝授しアレント・ウィレム・フェイト[注釈 21]に従い家治に拝謁。道中箱根などで植物標本を収集し大坂の植木屋でも植物を買いこんだ[32]
  23. ^ メアリー・ウォード・モンタギューは英国貴族の女性著述家。外交官の妻としてオスマン帝国に住み、トルコ社会について『(トルコ書簡集)(英語版)[33]』で著述した。1721年にチャールズ・メイトランド (医師)に頼み娘に人痘接種させ、1722年に国王の孫娘にも人痘接種された[34]
  24. ^ ❝Illustrations du Japon❞; Mémoires et Anecdotes sur la Dynastie régnante des Djogouns, Souverains du Japon, avec la description des fêtes et cérémonies observées aux différentes époques de l'année à la Cour de ces Princes, et un appendice contenant des détails sur la poésie des Japonais, leur manière de diviser l'année, etc.;Ouvrage orné de Planches gravées et coloriées, tiré des Originaux Japonais par M. Titsingh; publié avec des Notes et Eclaircissemens Par M. Abel Rémusat. Paris: Nepveu(1820年)[38]
  25. ^ 江戸に意知を嘲笑う落首が溢れ、オランダ商館長イサーク・ティチングは『鉢植えて梅か桜か咲く花を誰れたきつけて佐野に斬らせた』という落首を世界に伝えた「井蛙ぞろいの幕閣中、意知だけが日本の将来を考えていた。彼の死で早期開国の道は完全に閉ざされた」[37]カピタンとしては2度江戸参府し10代家治に拝謁、後に日本に関する著作[注釈 24][39]を残した。田沼時代の政治・社会情勢は特筆に価する。
  26. ^ ティチングは日本の機密を島津重豪[40]から得ていた、とフランスの博物学者で旅行家(シャルパンティエ・ド・コシニー)(英語版)に話した事が「ベンガル航海記」に記載され、その本はフランス革命戦争で本国が失われオランダ東インド会社が解散した1799年にパリで出版された。
  27. ^ ドゥーフ著『(オランダ獅子士勲章)(英語版)を賜りし出島の元商館長ヘンドリック・ドゥーフの日本回想録』(1833年)に「重豪は娘を将軍正室として嫁がせ幕府薩摩を結合させ、諸侯を服従させようと企てている」と記されている。
  28. ^ 1823年に来日したオランダ商館シーボルトは1824年出島外に鳴滝塾を開設、1826年ヨハン・ウィレム・デ・スチューレル江戸参府に随行して家斉に拝謁、島津重豪高橋景保らと交友。景保から最新の世界地図の見返りに日本地図を受け取った[41]重豪ローマ字を書き蘭語を話せ「80余歳と聞いたが60歳前後にしか見えない」とシーボルトの『NIPPON[42]』とデ・スチューレル業務日誌に描写が見られる[43]
  29. ^ お玉ヶ池種痘所[45]頭取伊東玄朴は1858年家定重態で初の蘭方内科奥医師に登用された。
  30. ^ 「美男なら婿の貰い手がいくらでもある」と美男人員を削減したが、自分が手をつけた男は跡継ぎ問題絡みで解雇できない。
  31. ^ 史実では島原の乱鎮圧の上使となった父・松平信綱に従い原城、落城後天草長崎平戸などを検分した。『嶋原天草日記』『続々群書類従4』所収 1663年撰
  32. ^ 史実では、秀忠正室の許可なくお手付きを孕ませたので、生まれた事も出生地も極秘だった。1629年家光に初対面。御連枝として松平姓を勧められたが、幼時の養育係保科正光への恩義から生涯保科姓を名乗る[51]
  33. ^ 史実では父の家光が既に世継ぎに決めていた赤ん坊なので乳母松平信綱が面接・採用。西の丸御年寄格に。奸智に長け病弱な家綱に取り入り政治的発言をし、正室の浅宮顕子上臈御年寄の姉小路・飛鳥井と対立した説もある[52]
  34. ^ 桂昌院の寵僧隆光の言で発布した生類憐みの令「御犬囲」の莫大な維持費で財政は悪化[53]した。
  35. ^ 史実の水無瀬家は、藤原隆家は叔父・道長摂関の地位争いで敗れ次男・経輔が水無瀬大納言と呼ばれたが、子孫坊門親信信成後鳥羽院の遺言(『後鳥羽天皇宸翰御手印置文』)で水無瀬離宮跡を託され水無瀬と称し明治維新まで続いた羽林家。15代兼俊孫女が右衛門佐局
  36. ^ (瑞春院#生涯)参照
  37. ^ 新井白石明暦の大火の翌日、焼け出された避難先で生まれた。白石の父・正済が目付として仕える久留里藩主土屋利直は、3歳で父の読む儒学書をそっくり書写した伝蔵(白石)を、怒ると眉間に「」の字に似た皺ができるので「火の子」と呼んで可愛がったという。
  38. ^ 御多病にて御言葉さはやかならざりし故近侍の臣といへども聞き取り奉る事難し『徳川実紀
  39. ^ 杜甫の『絶句二首の内其の二』[54]宗武と同じ様に吉宗に暗唱してみせる。
  40. ^ 江戸時代以前の蒲焼をブツ切り串に刺して焼き、味噌や塩をかけて食し、形が蒲の穂に似ていて「ガマ焼き」訛って「かば焼」と呼ばれた[55]。江戸時代に魚は上・中・下に格付けされていたので当初は屋台売りファーストフード・安価なスタミナ食。濃口醤油が開発されを開きタレに漬けて焼くようになるのは享保の頃で、冷めないように蓋・重箱使用も始まる。丼飯文化年間に誕生。宮川政運の「俗事百工起源」(1885年)に堺町(後の東京人形町)の芝居小屋中村座」スポンサー大久保今助蒲焼が冷めぬ様丼飯の間に挟ませ芝居小屋に届けさせたのが起源とある[56][57]
  41. ^ 史実の至心院生家梅渓家九条兼実慈円らの父、藤原忠通に迄血筋を遡る事ができる羽林家近衛尚通の子・晴通久我家に養子入りし、久我通世の子・季通が分家・梅渓家初代。その孫(通条)梅渓幸子。因みに3代(通条)の子孫12代通虎三女が池坊専永夫人池坊保子
  42. ^ 棋譜が残っており現在のアマ高段とされる[60]。また家治は新しい将棋用語を考案し例えば右上から「いろはにほへとちりぬるを」などと呼んだ。プロ棋士の二上達也は家治詰将棋は「他の追随を許さぬ名作・好作を残している」と絶賛[61]
  43. ^ 史実でも源内との仲は有名。人気演目『鷺娘』を長唄で初演した江戸の女形役者[62]
  44. ^ 芳三の念弟だった清吉が中奥御仲居頭を継いでいた。丼飯文化年間に誕生。宮川政運の『俗事百工起源』に堺町(後の東京人形町)の芝居小屋中村座」スポンサー大久保今助蒲焼が冷めぬ様丼飯の間に挟ませ芝居小屋に届けさせたのが起源とある[65][66]
  45. ^ カステラなど菓子作りが趣味だったとされる。春嶽からは「イモ公方[77]」と呼ばれた。しかし自ら調理したのは毒殺を恐れてとも言われる。
  46. ^ 咸臨丸で渡米前に拝謁した勝義邦は生涯の忠誠を誓い、訃報に接した際は日記に「徳川家、滅ぶ」と涙で綴った[88]
  47. ^ 花びら餅は当時はまだ求肥製ではない。家茂が亡くなった1866年に裏千家宗匠が思い付き初釜用に川端道喜が改良を重ねて明治期に完成された[91][92]
  48. ^ お玉ヶ池種痘所[93]頭取伊東玄朴は1858年家定重態で初の蘭方内科奥医師に登用された。
  49. ^ 瀧山が指摘した様に岩倉使節団随行・初の女子官費留学生なのにサンフランシスコに着いても洋装を買って貰えず談判し東海岸への途上シカゴでようやく誂て貰う[94]
  50. ^ 2016年6月にレーベル名変更となったため、13巻以前はジェッツコミックスとして、14巻以降はヤングアニマルコミックスとして発行。

出典

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  25. ^ ケンペル著『日本誌 Heutiges Japan』遺稿英語版(1727年)
  26. ^ 吉宗赤穂浪士討入り時に20歳、自著『紀州政事鏡』で吉良上野介幕閣の判断を非難している「一、先年浅野内匠頭 吉良上野介殿中において勅使登城の節の喧嘩は所と云い時節と云い短慮之致し方と諸人申事に候得共、全く左道に不可在候、諸大名の見る所にて高家の小身者に法外の悪口を被り致大名たるもの堪忍は難しく成處誠に武門の道なり……早速片落の御片付は誠に時の老中方愚味短知の事なり、吉良は同罪の中に重ねて不調法不可勝計、子細は指図致し候はゝ首尾よく相勤済可申處、欲心非道の者故段々不法の挨拶にて切掛候得は吉良は重き科に極たり……二、意趣有りて切掛るを意趣討と云ものなり、是を浅野計片落を被り仰付致候事は吉良へ御荷担同様の御政事なり」。
  27. ^ 徳川実紀』(1701年)「世に伝ふる所は吉良上野介義央歴朝当職に有りて積年朝儀に与るに依り公武の礼節典故を熟知精練すること当時その右に出る者無し。依って名門大家の族も皆曲折して彼に阿順し毎事その教を受たり。されば賄賂を貪り其家巨万を重ねしとぞ。長矩は阿諛せす、此度館伴奉りても義央に財貨を与へざりしかば義央密に此れを憎みて何事も長矩には告げ知らせざりし程に、長矩時刻を過ち礼節を失ふ事多かりし程に此れを恨み、斯ゝる事に及びしとぞ」
  28. ^ 関白兼香大嘗祭復活支援を吉宗に求め、1738年桜町天皇大嘗祭が催された。1739年には吉宗の依頼で優れた歌人中院通躬烏丸光栄・(三条西公福)・冷泉為久を推し吉宗に自作の和歌を提出させている。
  29. ^ 香川県仲多度郡 編『仲多度郡史』p897(1918年1月15日)
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  42. ^ 『日本』第1-6巻 シーボルト著 雄松堂出版(1989-1995年)
  43. ^ 『中津藩主奥平昌高(島津重豪次男)と西洋人との交流について~人物と交流(I)』ヴォルフガング・ミヒェル編分館村上医家史料料館資料叢書 中津市歴史民俗資料館(2006年)
  44. ^ ヤン・ドンケル・クルティウスは米国が砲艦外交で開国を迫ることを『別段風説書』で予告。1855年に日米和親条約が締結されるとヤパン号(のち咸臨丸)とエド号(のち朝陽丸)の発注、長崎海軍伝習所の設立、オランダ海軍士官(長崎海軍伝習所教官カッテンディーケ。彼に師事した勝海舟の立案で1864年に神戸海軍操練所が設立された。1859年帰国後も勝海舟カッテンディーケは文通を続けた)の招聘などに関与。1856年、日蘭和親条約締結。
  45. ^ 種痘所は1861年「西洋医学所」と改め1862年緒方洪庵、1863年松本良順が頭取に就いた。
  46. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “大奥:よしながふみの人気マンガが初アニメ化 Netflixで今夏配信 ”. まんたんウェブ (MANTAN). (2023年3月25日). https://mantan-web.jp/article/20230325dog00m200009000c.html 2023年3月25日閲覧。 
  47. ^ 史実の吉宗は、紀州で既に伏見宮家真宮理子女王御簾中に迎え死別している。
  48. ^ このトラウマが「御内証の方」制度を作った(後述)
  49. ^ 史実のお万の方生家六条家土御門通親の孫が初代で、戦国期一時中断し藤原定家子孫下冷泉家の(有広)が再興。その子(有純)女が永光院。(有純)の後代に松平定信が関わる尊号一件が続く宝暦事件に係る櫛笥隆望がいる。当代は(六条宏一)。
  50. ^ 史実では堀田正盛と阿部重次が家光に殉死。
  51. ^ 中村彰彦 著『保科正之徳川将軍家を支えた会津藩主』中公文庫(2006年)ISBN978-4-122-04685-6
  52. ^ 『新訂寛政重修諸家譜 第18』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1965年)寛政重修諸家譜 巻第千二百二十九
  53. ^ 三上隆三 著『江戸の貨幣物語』東洋経済新報社(1996年)
  54. ^ 杜甫黒川洋一 編『杜甫詩選』岩波文庫(1991)(ISBN 978-4003200490)
  55. ^ 本山荻舟 著『飲食事典』平凡社昭和33年12月25日発行58頁
  56. ^ 松下幸子 著『図説江戸料理事典』柏書房(1996年)
  57. ^ 飯野亮一 著『天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼』筑摩書房ちくま学芸文庫〉2019年9月9日ISBN 978-4-480-09951-8
  58. ^ 家重の次男・清水徳川家初代清水重好
  59. ^ 高野澄「第八代将軍吉宗 松平乗邑家重廃立の陰謀(特集 将軍家 血の暗闘史)--(将軍家継嗣騒動)」『歴史と旅:第26巻12号』秋田書店 1998年8月所収
  60. ^ 関西将棋会館 将棋博物館 将棋の歴史コーナー(Internet Archive)
  61. ^ 日本将棋大系」別巻3 二上達也『図式集』下巻 所収「象棊攻格 作品解題」筑摩書房(1978年)
  62. ^ 野島寿三郎編『歌舞伎人名事典』新訂増補日外アソシエーツ 2002年
  63. ^ 史実でも夫婦円満。新興の閑院宮家より降嫁、西の丸で長女を産むが夭折、御台所拝命の翌年次女を出産、側室腹の世子養母となる。吹上御庭の散策を楽しんだと徳川実紀にある『浚明院殿御実紀』。
  64. ^ 正休の父で1695年日本初の世界地誌『華夷通商考』を著した長崎天文家西川如見は1719年江戸で吉宗から天文に関する下問を受けている。
  65. ^ 松下幸子 著『図説江戸料理事典』柏書房(1996年)
  66. ^ 飯野亮一 著『天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼』筑摩書房ちくま学芸文庫〉2019年9月9日ISBN 978-4-480-09951-8
  67. ^ 系図上は従姉にあたる。
  68. ^ 家重の次男、生母はお千瀬の方
  69. ^ 山口素堂 作『目に青葉 山時鳥 初松魚~江戸新道』収録(1678年)
  70. ^ 江戸時代 魚は上・中・下に格付けされていた
  71. ^ 尊号一件
  72. ^ 大槻玄沢は1785年長崎遊学し吉雄耕牛らと交わり翌年江戸定詰仙台藩医、1788年『蘭学階梯』を記し翌年三十間堀芝蘭堂を開塾。1794年江戸参府中のヘイスベルト・ヘンミー一行をオランダ宿日本橋長崎屋に訪ね対談。オランダ商館長一行との対談は1816年迄6回行われた『西賓対晤』。「オランダ正月」を催し1795年大黒屋光太夫を招待。玄白の命で『解体新書』改訂版『重訂解体新書』を1804年脱稿(1826年上梓)。1811年天文方高橋景保の提唱で設置された蛮書和解御用翻訳官に任命された。
  73. ^ 史実では、天文方役人の高橋至時堀田摂津守正敦から『ラランデ暦書』の解読を言い渡され、得た知識は弟子の伊能忠敬日本測量に利用された。至時病死後、息子・景保は解読継続し蛮書和解御用設置を提唱、主菅就任、大槻玄沢も任命された。後年シーボルトが『大日本沿海輿地全図』縮図を国外に持ち出そうとして贈呈側の景保らは連座・斬罪。
  74. ^ 史実では全ての実子が早世した為、高橋景保の弟景佑を養子に迎えた。
  75. ^ 渡辺一郎 編『伊能忠敬測量隊』小学館(2003年)(ISBN 4096262056)
  76. ^ 幼少の勝海舟が初之丞の遊び相手に江戸城に召されている。
  77. ^ 松平慶永 著『逸事史補』(1870-1879年)
  78. ^ 次男の松本良順勝海舟と共に長崎海軍伝習所ポンペ医学を学ぶ。のちに将軍侍医を務め1866年大坂で病状が悪化した家茂の治療に不眠であたったが敢無く家茂は薨去した。
  79. ^ 1859年帰国後も勝海舟とは文通を続けた。
  80. ^ 松本良順の奔走で作られた医学伝習所で、ポンペがユトレヒト陸軍軍医学校で学んだ医学関連科目を全て教えた。シーボルトの娘・楠本イネも産科・病理学を学んでいた。
  81. ^ 『ドゥーフ・ハルマ AB冊・H~K冊C~G冊』1833年完成、1854年幕府刊行。
  82. ^ 史実では瀧山の叔父勝元良勝海舟の外祖父。
  83. ^ 瀧山の墓所は錫杖寺にある。大奥からの侍女仲野の実家は川口にあり瀧山は母方の叔母(旗本大岡義安の娘)で同じ奥女中の染嶋と供に仲野を頼って川口に隠棲したという。
  84. ^ 餌代は年間25両(現代の価値でおよそ250万円)精進日は生ものが食べられないため、鰹節を食べ世話係はサト姫の食べ残しを食べていたほどの贅沢。専用の鮑の貝殻型の器を使用、篤姫と一緒に御膳で食事、首輪は紅絹紐・鈴は製、毎月新しい物に交換、竹籠に縮緬の布団で寝た。3人の専属世話係内一人は御中臈ませ(瀧山の姪)、"サト姫が贅沢だ"。
  85. ^ 【徳川年中行事 六月十六日 嘉定御祝儀】熨斗もち・饅頭・羊羹・鶉餅・あこや・きんとん・白団子・麩etc檜葉敷き全国和菓子協会
  86. ^ 娘・お芳が慶喜の妾。禁裏御守衛総督に任じられた慶喜警護に子分を率いて上洛。二条城も警備した。
  87. ^ 1859年長崎海軍伝習所医学伝習所勝海舟らと供にポンペから産科病理学を学び再来日した父シーボルトから蘭学を学ぶ。1861年幕府に招かれ外交顧問に就いていた。
  88. ^ 石井孝 著『勝海舟吉川弘文館〈人物叢書〉(1974年)ISBN978-4-642-05062-3
  89. ^ 実在した同腹の第7皇子・胤宮は数え3歳で夭逝
  90. ^ 和宮は「空蝉の唐織り衣なにかせん綾も錦もありてこそ」の和歌を添えこの西陣織増上寺に奉納、のちに追善供養の際袈裟に仕立てられ空蝉の袈裟として現在まで伝わっている。「増上寺と江戸幕府」吉水成正 著『佛教文化学会紀要』第1996巻4-5号 佛教文化学会(1996年)
  91. ^ 奥殿大給松平家出身裏千家11代玄々斎の茶について神谷昇司(2013年)
  92. ^ 川端道喜 著『和菓子京都岩波新書(1990年)(ISBN 978-4004301196)
  93. ^ 種痘所は1861年「西洋医学所」と改め1862年緒方洪庵、1863年松本良順が頭取に就いた。
  94. ^ 山崎孝子 著『津田梅子』吉川弘文館〈人物叢書〉(1962年)NCID BN02347070]
  95. ^ “よしながふみ氏「大奥」再ドラマ化決定!来年NHK 4度目映像化で初の大政奉還まで 脚本は森下佳子氏”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2022年8月23日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/08/23/kiji/20220823s00041000168000c.html 2022年8月23日閲覧。 
  96. ^ “SNS反響の男女逆転NHK「大奥」ギャラクシー賞月間賞受賞「堂々とした歴史ドラマ」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年4月20日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/20/kiji/20230420s00041000278000c.html 2023年4月20日閲覧。 
  97. ^ “ファン待望!話題のNHK男女逆転「大奥」今秋シーズン2放送決定「医療編&幕末編」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年2月22日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/02/22/kiji/20230222s00041000126000c.html 2023年2月22日閲覧。 
  98. ^ “男女逆転「大奥」シーズン2 注目の青沼役は“筋肉体操”村雨辰剛「2つの夢」叶った!金髪碧眼の蘭学者”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年3月14日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/03/14/kiji/20230314s00041000617000c.html 2023年3月14日閲覧。 
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  102. ^ “手塚治虫文化賞 受賞作一覧 | 朝日新聞社の会社案内”. 朝日新聞社インフォメーション. 2022年9月27日閲覧。
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  107. ^ “2021年度 第21回Sense of Gender賞 The 21th Sense of Gender Award in 2021|ジェンダーSF研究会”. gender-sf.org. 2022年9月27日閲覧。
  108. ^ “メロディ編集部(白泉社)🌱📕✨の2022年8月29日午前11時23分のツイート”. Twitter. 2022年9月27日閲覧。
  109. ^ ジェッツコミックス>>大奥、2021年2月26日参照。
  110. ^ “VIZ Media products”. VIZ Media. 2022年9月28日閲覧。

外部リンク

  • 大奥 - 白泉社による作品紹介
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