大坂鎮台(おおさかちんだい)は、明治政府発足直後の1868年に、短期間大坂に設けられた行政機関である。後の史料で字は大阪鎮台とも書かれる。制度が整う前に大坂裁判所に改称した。
大坂鎮台は、鳥羽・伏見の戦いが決着してまもない戊辰戦争の最中に、新政府の手に入った大坂の行政のために設けられた。慶応4年(明治元年)1月22日に、公家の醍醐忠順と宇和島藩主伊達宗城が大坂鎮台に任じられた[1]。大坂鎮台は官庁の名でもあり、両人の官職の名でもあるようである。1月27日、大坂鎮台は大坂裁判所と改称し、醍醐忠順はその総督、伊達宗城はその副総督となることが決められた[2]。
22日設置、27日改称は『(太政類典)』の記載で両人の家記にもとづくが、同書の別の箇所には14日設置、22日改称とある[3]。両人は任命の前後に京と大坂の間を往復していたようで、いずれが正しいかはっきりしない。
脚注
参考文献
- 『(太政類典)』。国立公文書館デジタルアーカイブ にて、2019年3月閲覧。