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埜本修

埜本 修(のもと おさむ)、1952年10月6日- )は、日本実業家

のもと おさむ
埜本 修
生誕 (1952-10-06) 1952年10月6日(70歳)
日本岐阜県岐阜市
職業実業家

1975年早稲田大学卒業後、郷里に戻り十六銀行に入社。4年間の銀行勤務を経て79年独立[1]1980年、総合ソフトウェアコンサルティング会社の菱和グループを結成、代表取締役に就任[2]。損保会社と業務提携し、土地有効活用プロジェクトを展開。首都圏においてモーター業界を対象に200件余りのコンサルティングを実施。1985年岐阜県初のインテリジェント対応ビル菱和システムセンタービルを建設する[2]。 「21世紀を考える座会」の座長として20数年間各地方自治体、商工団体などの機関にシンポジウムや講演会を通じ提言した。[3]

文化活動としては、映画監督の今村昌平を自社の役員に迎え、『黒い雨』の映画制作に協力した。元宝塚の剣幸(つるぎみゆき)を中心としたエンターテイメント会社では、ミュージカルの自社制作、全国公演など、人材育成や文化活動を行った。

社会福祉活動として、高齢社会の到来により、1989年よりスタートしたゴールドプランの実施に先駆け、全国的に福祉関連施設建設の指導を手がけた。

2002年トヨタ自動車最高顧問の豊田英二の妻豊田壽子が設立した内閣府認証特定非営利活動法人(NPO法人)東海昆虫保存会の理事に就任[4]2003年菱和システムセンタービルを売却処分。本社機能を東京本部に一本化し、経営統合を図る。都市開発部門、経営コンサルティング部門、部門、投資部門を旧株式会社菱和設計に一本化し、株式会社アルテクス・アソシエイツとして再編した。

徐々に東京での基盤を固め、同年本拠地を六本木ヒルズに移転。経営顧問会社20数社との顧問契約及び自ら主催するROKUHIRU塾を開設し、200社のメンバーを主宰する。2008年NPO法人東海昆虫保存会を引き継ぎ、理事長に就任。名称を特定非営利活動法人(NPO法人)R-INE塾に変更[4]

2007年菱和グループ創業の地(岐阜市北鶉)にARTXさくやビルを建設し、岐阜の拠点と定めグループ会社を再編する。2013年グループ会社の会長職に就任。都内の住居兼執務室を赤坂タワーレジデンスに移しグループ会社の指揮をとる。2020年覚王山(名古屋市)に不動産取得しグループ会社の名古屋の拠点とする。

略歴

  • 1952年 - 10月6日岐阜県岐阜市に生まれる[1]
  • 大学時代 - 鳩山威一郎に師事し友愛青年連盟の青年活動に参加。中央委員に就任する[2]
  • 1975年 - 早稲田大学卒業[1]
  • 1975年 - 十六銀行入社[1]
  • 1979年 - 十六銀行退社、独立[1]
  • 1979年 - 鳩山威一郎参院議員の私設秘書兼岐阜県後援会事務局長となる[2]
  • 1980年 - 菱和グループ(コンピュータソフト開発会社、都市建築設計会社、エンターテイメント会社、海外投資会社等10数社)結成。代表取締役に就任[2]
  • 1985年 - 会社設立から4年目で自社ビルを建設。高度情報化社会を見越し、当時普及していないLANを導入した最先端設計技術を搭載した菱和システムセンタービルを建設する。岐阜県にインテリジェントシティを提言[2]
  • 1985年 - コンピュータシステム部門で、IBMと業務提携を結ぶ[2]。中部未来博を見据えて建設省都市局長梶原拓氏副知事に就任。埜本修氏との対談が岐阜日日新聞で一面記事として掲載された[5]
  • 1985年 - 岐阜県下呂市のニューリゾートホテル清芳閣を皮切りにリゾート開発を手掛ける。※リゾート法設置前[6]
  • 1986年 - 「21世紀を考える座会」発足。「21世紀を考える伊勢志摩鳥羽座会」発足[3]
  • 1987年 - 岐阜駅前開発の提言。(都市開発フォーラム開催)岐阜コンベンションシティ提言。未来博後の岐阜の都市計画を岐阜大学加藤晃教授と発表する[7]
  • 1989年 - 映画監督の今村昌平をグループ会社の役員に迎え、映画『黒い雨』の制作に協力。
  • 1991年 - 会員制リゾートホテル「パストール」100億円を投じ完成[8]
  • 1993年 - 高齢社会に対応した老人保健施設「サンバレーかがみの」の設計コンサルに携わる。これを契機に20数件の高齢者施設を手がけた。
  • 2002年 - 愛知万博を見据え、特定非営利活動法人(NPO法人)東海昆虫保存会発足、理事に就任(初代理事長豊田壽子)[4]
  • 2003年 - 菱和システムセンタービル売却。本社機能を六本木ヒルズに移す。
  • 2005年 -「ROKUHIRU塾」発足。
  • 2007年 - NPO法人東海昆虫保存会を引き継ぎ、名称を改めROKUHIRU塾を併設したNPO法人R-INE塾として発足。3代目理事長に就任[4]。5月、菱和グループ創業の地(岐阜市北鶉)にARTXさくやビルを竣工。岐阜の拠点としてグループ会社を再編する。
  • 2008年1月 - NPO法人R-INE塾主催「歴史を学ぶ座会」発足。
  • 2010年 - NPO法人R-INE塾は、日本の精神文化を再生する事を目標とした活動を開始する。第1回目の活動として比叡山延暦寺長臈小林隆彰師の講演会「信長と比叡山」を大垣市ソフトピアジャパンセンターにて開催[4]
  • 2011年 - 4月23日~5月8日 天台宗総本山比叡山延暦寺において「黒澤明生誕100年in比叡山」を開催[4]
  • 2011年 - 10月29日 山王総本宮日吉大社において「浅野温子よみ語りIN日吉大社」を開催[4]
  • 2013年 - 5月25日 長浜にて戦国歴史アワード総合プロデュース。チーフプロデューサーは戦国魂の鈴木智博氏。9月、肺がん手術後、都内の住居を赤坂タワーレジデンスに転居する。グループ会社から一線を引き、会長職で経営指導にあたる。
  • 2015年 - 5月、グループのフランチャイズ事業会社がコメダ珈琲店5店舗目の出店。羽島コスモスポーツプラザ店開業し、事業本部事務所を併設する。
  • 2017年 - 一般財団法人R-INE塾歴史文化まちづくり研究所法人設立。「持続可能社会のまちづくり」「歴史文化のまちづくり」を提唱。活動を開始。松下幸之助の経営哲学を学ぶ会「江口克彦先生に学ぶ人間観と日本歴史座会」を発足する。
  • 2018年 - 1月、「岐阜命名」450年記念事業「信長公の聴いた音楽会」を岐阜サラマンカホールで開催。10月、江口克彦先生に同行し、李登輝元台湾総統宅を表敬訪問。今後の日台関係を考える東アジア情勢研究会の発足を合意。帰国後、堺屋太一氏を最高顧問、理事長江口克彦氏、事務局長埜本修にて準備会発足する。
  • 2019年 - 2月8日、東アジア情勢研究会最高顧問 堺屋太一氏死去。4月3日、一般財団法人東アジア情勢研究会法人設立。12月李登輝元総統宅に発足の報告の為訪問。12月、持続可能社会のまちづくりシンポジウムを尾張旭市で「令和時代の新たなまちづくり」をテーマに開催。
  • 2020年 - 3月、覚王山(名古屋市)に土地建物を購入し、名古屋の拠点とする。12月ショコラ覚王山花壇開業。経営哲学学びの場茶室「花壇」を併設する。4月1日、「東亜八策」提言集発行。7月、李登輝元総統死去。10月、茶道会で中京の麒麟児と謳われた森川如春庵の田舎家(茶室)再建プロジェクト推進。一般財団法人R-INE財団森川如春庵顕彰会法人設立。代表理事兼事務局長に就任(代表理事会長尾州久田流 五代目家元下村瑞晃氏)。

関連項目

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 岐阜県人名鑑より
  2. ^ a b c d e f g 朝日新聞1985年5月24日付記事より
  3. ^ a b 岐阜日日新聞:1986年9月12日付記事より
  4. ^ a b c d e f g NPO法人R-INE塾ホームページより
  5. ^ 岐阜日日新聞:1985年10月17日付記事より
  6. ^ 岐阜日日新聞:1985年7月16日付記事より
  7. ^ 朝日新聞:1987年2月7日付記事より
  8. ^ 月間レジャー産業:1992年4月号記事より

外部リンク

  • 一般財団法人 R-INE塾歴史文化まちづくり研究所
  • (株)アルテクス・アソシエイツ
  • 一般財団法人 東アジア情勢研究会
  • 一般財団法人 R-INE財団森川如春庵顕彰会
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