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難民を助ける会

難民を助ける会(なんみんをたすけるかい、英語正式名Association for Aid and Relief, Japan 略称・AAR Japan)は、1979年(昭和54年)に「インドシナ難民を助ける会」として創設された日本発祥の人道支援団体・特定非営利活動法人である。難民支援を原点として、国内外の自然災害の被災者や障がい者支援、地雷・不発弾対策、感染症・水衛生事業などに取り組み、アジア・中東・アフリカを中心に活動を展開。2022年3月末現在、日本を含む世界16カ国で34件の支援事業を展開している[1]

特定非営利活動法人難民を助ける会
Association for Aid and Relief, Japan
略称 AAR Japan 
国籍 日本
格付 特定非営利活動法人
法人番号 2010705000721
専門分野 難民支援
設立日 1979年11月24日
2000年10月27日 特定非営利活動法人の法人格取得
代表者 理事長 (堀江良彰)
活動地域 日本、カンボジアラオスミャンマー(ビルマ)、アフガニスタンタジキスタンザンビアスーダンパキスタンケニアシリアウクライナなど
主な事業 緊急支援、障害者自立支援、地雷対策
郵便番号 〒141-0021
事務所 東京都品川区上大崎二丁目12番2号 ミズホビル7階
会費 有・年会費 正会員7,000円 / 協力会員5,000円
関係する組織 外務省
国際連合
関係する人物 相馬雪香
加藤タキ
葉祥明
谷川真理
明石康
水鳥真美
外部リンク https://www.aarjapan.gr.jp/
(テンプレートを表示)

年譜

  • 1984年 - 東アフリカで大干ばつ・飢餓が発生し、毛布172万枚と13億円以上の寄付を集めて支援活動に充てた。これを機に「難民を助ける会」に名称改称。
  • 1992年 - 日本国内に居住する難民や在日外国人の生活・教育を支援する「社会福祉法人さぽうと21」[3]を設立。
  • 1993年 - カンボジアに障害者支援センター(KKC)を開設
  • 1996年 - 対人地雷廃絶キャンペーンの絵本『地雷ではなく花をください』を出版(別項)。
  • 1999年 - 英国の地雷除去NGO(ヘイロー・トラスト)[4]と協力し、アフガニスタンで地雷除去を開始。
  • 2003年 - 国税庁から「認定 NPO法人」認定を受ける。寄付金が税制上の優遇措置の対象に。
  • 2011年 - 東日本大震災発生。発生2日後の緊急支援から、2020年度までに総額36億円の支援を展開。
  • 2016年 - AAR主催「3・11被災者のためのチャリティ・コンサート」を開催。天皇・皇后(現在の上皇・上皇后)が臨席[5]熊本地震で炊き出しを実施。
  • 2020年 - 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、日本と海外計14カ国でマスク・衛生用品の配付など感染対策を実施。

エピソード

創立当初

ベトナム戦争が終結した1975年4月以降、インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)を脱出する難民が急増し、日本にもボートピープルが多数漂着して大きな政治・社会問題になった。日本は当時、難民条約(難民の地位に関する条約)を締結しておらず、難民受け入れには極めて消極的だった。相馬雪香は1978年、カナダ人の友人から「日本人は冷たい。同じアジアの難民を受け入れていないではないか」との手紙を受け取り、支援団体の設立を決意。準備段階で外務省に協力を求めたところ、同省高官から「難民支援は官の仕事。民間は余計なことをしなくていい」と言い放たれ、怒りを覚えた相馬は「それならよござんす。自分たちで勝手にやります」と椅子を蹴って席を立ったという[6]

・ある記者から「活動資金はどうするのか」と尋ねられた相馬は、とっさに「日本国民がひとり1円ずつ寄付してくれれば、1億1,000万円になる」と答え、新聞・ラジオを通じて協力を呼び掛けた。翌日から現金書留が続々届き、1円玉ばかり大量に送ってきた高齢者もいて、4カ月たたないうちに1億円を突破した[7]。なかには「このお金は、わたしが、ごみすてと、ぎゅうにゅうはこびをしてもらったお金です」という子どもの手紙もあった[8]

地雷キャンペーン

・同会は1992年にカンボジアに事務所を開設し、障がい者の自立支援を開始した。当初は「地雷は国境管理の問題であり、国家の軍事問題に関わるべきではない」との立場だったが、地雷が国境以外にも埋められ、一般人や子どもが障がい者となる事例が多いことから方針を変更[9]。1996年9月、絵本『地雷ではなく花をください』(自由国民社)を出版した。全7冊の同シリーズは2021年時点で累計61万部。収益は全て地雷問題解決のために利用されている[10]

・1996年10月、英国の地雷除去NGO(ヘイロー・トラスト)[11](The HALO Trust)と協力してカンボジアでの地雷除去作業を開始(99年9月まで)。1997年3月には国際的なNGOの連合体「地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)」)に加盟し、「NGO東京地雷会議’97」を主催した[12]。また、日本の中央省庁や自民党の政治家、関連部会などを回り、地雷廃絶に向けた取り組みを訴えた[13]

・1997年10月、ICBLのノーベル平和賞受賞が決定。同12月3日、日本政府が対人地雷全面禁止条約に署名した。ノルウェーの首都オスロで12月10日に行われたノーベル平和賞授賞式には、長有紀枝・事務局次長(当時)がICBLメンバーとして招待されて参加した[14]

・英国のダイアナ元皇太子妃の葬儀(1997年9月、ウェストミンスター寺院)には、地雷除去活動を通じた縁で、柳瀬房子事務局長(当時)が招かれて出席した。日本人で招待されたのは、ほかに藤井宏昭駐英大使(当時)のみだった[15]

・2022年時点ではアフガニスタン、シリア、ウガンダ、ウクライナで地雷・不発弾対策を展開。ヘイロー・トラストと連携した地雷除去のほか、子どもたちを対象とした地雷回避教育、地雷被害者の支援などを行っている。

トルコ東部地震での職員死亡

・2011年10月23日に発生したトルコ東部大地震(M7.2、死者約600人)をうけて、同会は職員を現地に派遣し、緊急支援活動を開始した。11月10日、再び大地震(M5.6)が発生し、職員2人が宿泊していたトルコ東部ワンのホテルが倒壊。職員の宮崎淳(当時41歳、大分県出身)ががれきの下敷きとなって死亡した[16]

・宮崎らが食料支援などを行う様子はトルコのメディアでも紹介されていたため、現地の衝撃は大きく、AAR Japanにはトルコ国民から多数のメールや手紙が届いた。ギュル大統領(当時)が天皇宛てに哀悼の手紙を送ったほか、12月6日に東京で行われた「送る会」にはアリ・ババジャン副首相が出席。現地では大地震から10年後の2021年10月、Atushi Miyazakiの名前をつけた森林公園が完成した[17]。また、小惑星の名前(27982 Atsushimiyazaki)にもなっている。

地雷ではなく花をください

・『地雷ではなく花をください』(じらいではなくはなをください)は、地雷廃絶キャンペーンとして難民を助ける会の元理事長で現名誉会長柳瀬房子が文章を、絵本作家の葉祥明が絵を担当して作成した絵本である。

「うさぎのサニーちゃん」が世界中を巡り地雷の問題について訴える内容で、平和教育などで活用されている。日本語英語併記。

入管法「改正」案に関わる名誉会長の発言問題

同会の名誉会長 柳瀬房子氏が、2021年4月21日に衆議院法務委員会で参考人として出席し、「参与員制度が始まったのは2005年からですので、私は既に17年間、参与員の任にあります。その間に担当した案件は2000件以上になります。…(中略)…私自身、参与員が、入管として見落としている難民を探して認定したいと思っているのに、ほとんど見つけることができません」「したがって、難民の認定率が低いというのは、分母である申請者の中に難民がほとんどいないということを、皆様、是非御理解ください」との発言をし、入管法「改正」案に与する発言を行った。

これに対し、関与した案件数が多すぎ、発言は虚偽ではないかとの批判がなされている。[18]

しかし、同氏が名誉会長を務める「難民を助ける会」は、同氏の国会での発言は同会と無関係と釈明している[19]が、同会内で柳瀬氏の発言に対する責任を追及する動きはなく、傍観者的な立場に終始している。

ビブリオグラフィ

  • 『サニーのおねがい 地雷ではなく花をください』、柳瀬房子 / 葉祥明、自由國民社、1996年 (ISBN 4426877008)
  • 『続・地雷ではなく花をください - サニー カンボジアへ』、柳瀬房子 / 葉祥明 / 相馬雪香 / 吹浦忠正、自由國民社、1997年 (ISBN 4426883008)
  • 『続々・地雷ではなく花をください - サニー ボスニア・ヘルツェゴビナへ』、柳瀬房子 / 葉祥明 / 相馬雪香 / 吹浦忠正、自由國民社、1998年 (ISBN 4426877016)
  • 『サニーのゆめ ありがとう地雷ではなく花をください』、柳瀬房子 / 葉祥明、自由國民社、1999年 (ISBN 4426877024)
  • 『地雷をなくそう - 「地雷ではなく花をください」50万読者からの質問』、吹浦忠正 / 長有紀枝 / 柳瀬房子、自由國民社、2000年 (ISBN 4426892023)
  • 『サニー、アフガニスタンへ 心をこめて地雷ではなく花をください』、柳瀬房子 / 葉祥明、自由國民社、2002年 (ISBN 4426883113)
  • 『サニーちゃん、シリアへ行く』、長有紀枝 / 葉祥明、自由國民社、2016/8/5 (ISBN 978-4426883133)

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ “AAR Japan 難民を助ける会”. 難民を助ける会. 2022年9月1日閲覧。
  2. ^ “これまでの歴史”. 難民を助ける会. 2022年9月1日閲覧。
  3. ^ “社会福祉法人さぽうと21”. 社会福祉法人さぽうと21. 2022年9月12日閲覧。
  4. ^ “The HALO Trust”. The HALO Trust. 2022年9月12日閲覧。
  5. ^ “日テレNEWS 両陛下 被災者支援のコンサートを鑑賞”. 日本テレビ (2015年3月5日). 2022年9月12日閲覧。
  6. ^ “理事長ブログ第2回「相馬雪香先生のこと」”. 難民を助ける会 (2015年3月5日). 2022年8月1日閲覧。
  7. ^ “時代を開いた女性たち 相馬雪香さん2”. 読売新聞. (2001年6月13日) 
  8. ^ “天声人語”. 朝日新聞. (1980年3月1日) 
  9. ^ 『難民を助ける会+さぽうと21 創設40周年記念「日本発 国際NGOを創った人たちの記録-つぎの10年に向けてー」』難民を助ける会、2020年
  10. ^ “絵本『地雷ではなく花をください』について”. 難民を助ける会 (2015年3月5日). 2022年8月1日閲覧。
  11. ^ “The HALO Trust”. The HALO Trust. 2022年9月12日閲覧。
  12. ^ “地雷廃絶へ「民」動く 東京でNGO会議”. 朝日新聞. (1997年3月9日) 
  13. ^ “ポリティカにっぽん 地雷禁止へ中曽根氏の「効用」”. 朝日新聞. (1997年11月11日) 
  14. ^ “「地雷廃絶へ大きな力」ノーベル平和賞国内の加盟団体”. 読売新聞. (1997年10月11日) 
  15. ^ 『AAR Japan[難民を助ける会]40年のあゆみ 1979~2019年』難民を助ける会、2020年
  16. ^ “トルコ地震、日本NPO職員1人死亡 死者12人に”. AFP (2011年11月11日). 2022年9月12日閲覧。
  17. ^ “トルコ、語り継ぐ「共助」 被災支援の邦人犠牲10年”. 日本経済新聞 (2021年11月15日). 2022年9月15日閲覧。
  18. ^ “日本に「難民ほとんどいない」は本当か?齋藤法相が心酔する「難民を助ける会」名誉会長に重大疑惑(志葉玲) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2023年5月21日閲覧。
  19. ^ “衆議院法務委員会における当会・柳瀬の意見陳述について | 日本生まれの国際NGO AAR Japan [難民を助ける会]”. 日本生まれの国際NGO AAR Japan[難民を助ける会]. 2023年5月21日閲覧。


外部リンク

  • 難民を助ける会 - 公式サイト
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