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南海高野線

高野線(こうやせん)は、大阪府大阪市浪速区汐見橋駅[1]から同市西成区岸里玉出駅を経由し、和歌山県伊都郡高野町極楽橋駅までを結ぶ南海電気鉄道鉄道路線である。一般的には、岸里玉出駅から南海本線に直通する難波駅 - 橋本駅 - 極楽橋駅間の運行系統を指し(運行形態を参照)[2]鋼索線(高野山ケーブル)の高野山駅までを含め、高野線と呼ぶことが多い。岸里玉出駅 - 極楽橋駅間と線路が分断されている、汐見橋駅 - 岸里玉出駅間には汐見橋線(しおみばしせん)という通称がある。

高野線
30000系による特急「こうや」
基本情報
通称 汐見橋線(汐見橋駅 - 岸里玉出駅間)
こうや花鉄道(橋本駅 - 極楽橋駅間)
日本
所在地 大阪府和歌山県
起点 汐見橋駅[1]
終点 極楽橋駅
駅数 42駅
路線記号 NK
開業 1898年1月30日
全通 1929年2月21日
汐見橋線分断 1985年6月16日
所有者 南海電気鉄道
運営者 南海電気鉄道
車両基地 小原田検車区、同区(千代田検車支区)
住ノ江検車区(汐見橋線専用車のみ)
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 64.5 km
軌間 1,067 mm狭軌
線路数 複線(汐見橋駅 - 橋本駅間)
単線(橋本駅 - 極楽橋駅間)
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
(最大勾配) 50
高低差 443 m(橋本駅と極楽橋駅との差)
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 (ATS-N)、(ATS-PN)
最高速度 100 km/h
路線図
(テンプレートを表示)

路線シンボルマークは、高野杉の林をイメージしたもの()で、ラインカラーは緑。山岳区間の橋本駅 - 極楽橋駅間には鋼索線とともに「こうや花鉄道」という愛称が付けられ、観光列車「天空」を運行するなど様々な取り組みが行われている[3]

また、かつて難波駅 - 橋本駅間には「りんかんサンライン」という愛称がつけられていた(命名経緯は後述)。

概要

日本有数の宗教都市霊場である高野山への参詣輸送路線であり、終点の極楽橋駅からは鋼索線に連絡している。加えて、大阪府南河内地域・和歌山県(伊都地域)から大阪市内への通勤・通学路線でもある。かつては南海本線に対して支線的な存在だったが、宅地開発による沿線人口の急増、さらには泉北高速鉄道線との相互直通運転による泉北ニュータウンから大阪市内への通勤客輸送等により、現在は南海本線と並ぶ南海の主力路線へと発展した。

全線でPiTaPaおよびICOCAなどPiTaPaと相互利用可能なIC乗車カードが利用できる。ただし、乗車回数に応じて割引が適用されるサービスはPiTaPaのみが対象となる。

高野線は、主に市街地を走る難波駅 - 橋本駅間と、曲線と勾配の激しい山岳区間を走る橋本駅 - 極楽橋駅間とに運行系統が分かれる[4]。橋本駅 - 極楽橋駅間の山岳区間に乗り入れる列車には、車両全長が短い通称「ズームカー」と呼ばれる平坦区間では高速運転が可能で山岳区間では大きな牽引力を出す専用車両が用いられる[5][6]。特に高野下駅 - 極楽橋駅間は50 の(勾配)を持つ登山鉄道であり(詳細後述)、南海には沿線に高野山という観光地があるという特徴を持つことから、同様に沿線に観光地があり急勾配区間がある日本の鉄道会社6社(南海のほか箱根登山鉄道富士急行大井川鐵道叡山電鉄神戸電鉄)の間で、2009年全国登山鉄道‰会を結成している[7](2019年にアルピコ交通が加入)[8]。また、2017年10月24日には同様の特徴を持つスイスモントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道 (MOB) と姉妹鉄道協定を締結している[9]

「りんかんサンライン」の愛称について

 
南海新今宮駅。1番線案内表示機に「りんかんサンライン」の文字(2015年2月撮影、現在は撤去済み)

1995年から2008年まで難波駅 - 橋本駅間には「りんかんサンライン」の愛称が付けられていた。「りんかん」は、澄んだ空気と豊かな自然とが調和するさわやかな街並みのイメージ、「サンライン」は太陽 (Sun) の明るさと暖かさ、さんさんと降り注ぐ陽光の輝きを意味している[10][11]

1994年12月14日、当時の社長川勝泰司が「田舎臭いイメージを変えたい」と発言したのがきっかけで岸里玉出駅 - 橋本駅間の名称を社内公募で選定し、1995年9月1日のダイヤ改正時から使用したいと発表[12]。社長案として「南海山手線」を提唱した[12][13]。川勝社長は会見で「名称がいま風、都会風になれば、当社の住宅分譲などにも効果がでるだろうし、利用客が増えるかもしれない。それには山手線がいい」とコメントした[12]。しかし、高野山の所在する高野町がそれに反発し、当時の町長と高野山真言宗金剛峯寺宗務総長が路線名存続の要望を出したことから路線名変更を断念して愛称を募集することとし[14]、「りんかんサンライン」に決定した。当初は難波駅 - 橋本駅間を「りんかんサンライン」、橋本駅 - 極楽橋駅間を「高野線」と路線図上では区別していたが、後に「高野線りんかんサンライン」と両名併記して案内されるようになった[15]。車内放送では、南海本線側からの乗換案内などで「高野線りんかんサンラインはお乗り換えです」と案内されていた。

なお「山手線」の名称は、南海電気鉄道の前身である南海鉄道が1940年に統合した阪和電気鉄道の路線、すなわち後に西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線となる路線の呼称として、戦時買収によって同線が国有化される1944年まで用いていたことがあった。

しかし、沿線住民の間では「高野線」の名称で定着しており、「りんかんサンライン」と呼ぶ人はさほど多くなかった。2008年の高野線ダイヤ変更より案内上でもほとんど「りんかんサンライン」の愛称が使われなくなり、2009年3月20日阪神なんば線の開業とともに、車内路線図から「りんかんサンライン」の表示が消去され、車内自動放送の乗換案内においても「りんかんサンライン」とは案内されなくなった。また公式ホームページにおいても現在は「りんかんサンライン」の案内はなくなっている。愛称使用終了前に印刷された駅配布の時刻表などもそのまま配布されていたが、2013年10月に行われたダイヤ改正時に発行された時刻表および駅掲出の時刻表には記載されていない。

なお、愛称使用終了後も泉北高速鉄道5000系車内案内表示器には中百舌鳥駅到着時に表示される乗換案内に「りんかんサンライン」の表示が残っていたが、同形式は2020年2月にリニューアル工事を終えたためその表示はなくなった。さらには案内サイン類の更新が順次行われ、現在では大半が「高野線」の名称に統一されており、「りんかんサンライン」の案内はごくわずかに残る程度となっている(2022年時点では、北野田駅高野山方面ホームのLED発車案内の上部に「りんかんサンライン」の表記が残存している)。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):汐見橋駅 - 極楽橋駅間 64.5 km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:42駅(起終点駅・汐見橋線の駅も含む)
  • 複線区間:汐見橋駅 - 橋本駅間(汐見橋線岸里玉出駅構内のみ単線)
  • 単線区間:橋本駅 - 極楽橋駅間
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 最高速度:橋本駅 - 高野下駅間80km/h、高野下駅 - 極楽橋駅間33km/h、それ以外100km/h
  • 2021年度の混雑率:101%(百舌鳥八幡駅→三国ヶ丘駅 7:20-8:20)[16]

沿線概況

停車場・施設・接続路線
(凡例)
 (難波駅 - )岸里玉出駅 - 極楽橋駅間 
阪神  阪神なんば線
 
 
 
 
大阪難波駅 近鉄  難波線
 
 
 
 
 
 
4.1 難波駅 (1) -1980
 
 
 
 
 
 
3.9 NK01 難波駅 (2) 1980-
     難波駅
   
阪神高速1号環状線
   
3.0 NK02 今宮戎駅
 
なにわ筋線(南海ルート)
   
 
 
 
 
JR西  大阪環状線関西本線  大和路線
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2.5 NK03 新今宮駅    動物園前駅
   
 
 
 
 
 
 
新今宮駅前停留場
   
 
 
 
阪堺  阪堺線
   
   
1.9 NK04 萩ノ茶屋駅
   
天王寺支線
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
0.9 NK05 天下茶屋駅  
 
 
 
 
左:天下茶屋車庫・工場 1903-1982
 
  高野線(汐見橋線)
 
 
 
 
 
 
 
0.0 NK06 岸里玉出駅
       
  南海本線
     
   
1.1 NK51 帝塚山駅
 
 
 
 
 
神ノ木停留場 阪堺:  上町線
 
 
 
 
 
 
2.0 NK52 住吉東駅
 
2.9 NK53 沢ノ町駅
 
3.2 若宮駅 -1917
 
3.5 NK54 我孫子前駅
 
 
 
   
大和川
     
梅鉢車輛 [* 1] 西工場/東工場 専用線
   
4.8 NK55 浅香山駅
   
6.4 NK56 堺東駅
 
堺東検車区 -1973[* 2]
 
 
 
 
JR西:  阪和線
 
 
 
 
 
 
7.9 NK57 三国ヶ丘駅
 
8.8 NK58 百舌鳥八幡駅
 
引き上げ線泉北高速鉄道線用)
 
9.5 NK59 中百舌鳥駅  
     
和泉中央駅   泉北高速鉄道線
 
10.1 百舌鳥貨物駅 -1912?[17]
 
10.4 (臨)中百舌鳥運動場前駅
 
10.5 NK60 白鷺駅
 
12.0 NK61 初芝駅
 
12.9 NK62 萩原天神駅
 
阪和自動車道
 
14.7 NK63 北野田駅
 
西除川
 
富士車輌大阪狭山工場 専用線
 
15.6 NK64 狭山駅
 
東除川
 
16.7 池尻信号所 -1914
 
17.2 NK65 大阪狭山市駅
 
17.6 第一半田貨物駅 -1930?
 
18.2 第二半田貨物駅 -1930?
 
18.3 NK66 金剛駅
 
20.0 NK67 滝谷駅
 
21.3 NK68 千代田駅
 
22.0 千代田信号所
   
 
近鉄:  長野線
 
 
 
 
 
 
23.4 NK69 河内長野駅
 
石川
 
天見川
 
天見川
 
天見川
 
25.1 NK70 三日市町駅
 
引き上げ線
 
   
26.7 NK71 美加の台駅
   
加賀田信号所 -1984
 
 
 
 
 
 
28.6 NK72 千早口駅
 
   
 
 
30.3 NK73 天見駅
 
   
 
     
 
 
 
 
新紀見トンネル (1,853m)
大阪府和歌山県
 
 
 
 
紀見隧道 (1,562m)
   
 
34.0 NK74 紀見峠駅
 
   
35.3 NK75 林間田園都市駅
 
 
36.2 橋谷信号所 -1983
 
   
37.3 NK76 御幸辻駅
 
 
38.2 小原田信号所
   
小原田検車区
 
京奈和自動車道(橋本道路)
 
39.5 (臨)市脇山駅 -1918?
 
39.9 橋本町臨時乗降場 -?
 
JR西:  和歌山線
 
 
 
 
 
 
 
40.1 NK77 橋本駅 高 92 m
   
高野山検車区橋本検車場 -1996[* 3]
   
40.6
0.0
妻信号所 -1959
   
     
   
-
0.6
紀ノ川口駅 -1959
   
紀の川
 
43.2 NK78 紀伊清水駅 高 87 m
 
45.8 NK79 学文路駅 高 79 m
 
47.6 NK80 九度山駅 高 94 m
 
丹生川橋梁 丹生川
 
椎出トンネル 長 399m
 
49.6 NK81 高野下駅 高 108 m
 
不動谷川
 
 
 
51.3 NK82 下古沢駅 高 177 m
 
トンネル2か所
 
中古沢橋梁 長 67.6 m
 
 
53.0 NK83 上古沢駅 高 230 m
 
トンネル2か所
 
笠木橋梁
 
トンネル4か所
 
56.0 NK84 紀伊細川駅 高 363 m
 
トンネル7か所
 
58.4 NK85 紀伊神谷駅 高 473 m
 
トンネル4か所
 
 
 
59.9 NK86 極楽橋駅 高 539 m
 
 
 
 
  鋼索線
 汐見橋線 
 
 
 
 
 
桜川駅 阪神:  阪神なんば線
 
 
 
0.0 NK06-5 汐見橋駅  (桜川駅)
 
 
JR西:  大阪環状線
 
0.9 NK06-4 芦原町駅
 
1.6 NK06-3 木津川駅
 
阪神高速17号西大阪線
 
2.6 NK06-2 津守駅
 
大阪市電阪堺線
 
3.6 NK06-1 西天下茶屋駅
 
 
 
 
   
4.6 NK06 岸里玉出駅   南海本線
 
 
 
     
  高野線
  1. ^ 西・東工場閉鎖後、鳳に移転し、
    帝國車輛工業東急車輛製造を経て
    現在は総合車両製作所が事業承継。
  2. ^ 2005年まで電留線群として、それ以降は側線1線のみ存続
  3. ^ 電留線および保線基地として存続

難波駅 - 橋本駅間は沿線に住宅地が多く、21m級の4扉大型車両を運行し通勤客を捌いている。

大阪市内の住吉東駅 - 我孫子前駅間を中心に大きな幹線道路と平面交差になるところもあり、『開かずの踏切』が点在する。沿線住民から高架化工事の要望もあるが、地形的な問題や線路と隣接して住宅などがあるため具体的な構想にまでは至っていない(なお堺市広報によると、浅香山駅および堺東駅の両駅周辺で高架化に着手する動きが出ている)。またカーブが多いため難波駅 - 堺東駅間は南海本線の難波駅 - 堺駅間よりも所要時間が幾分長い。また堺東駅 - 住吉東駅間は先行の各駅停車の後続で運転され、ラッシュ時を中心に列車間隔が詰まるため、低速での運転となっている。しかし日中の優等列車の運行頻度は南海本線の毎時8本(有料特急2本、一部座席指定特急2本を含む)に対し、高野線は毎時10 - 11本(うち有料特急は0 - 1本)であり(2017年8月時点)、高野線の方がわずかながら高い。

堺東駅から千代田駅にかけては国道310号、河内長野駅から橋本駅にかけては国道371号、紀伊清水駅から紀伊細川駅手前付近までは国道370号がほぼ同じ経路を併走している。

難波駅 - 橋本駅間

難波駅 - 岸里玉出駅間は、線路名称上は南海本線である。線路別複々線のうち、東側の複線は高野線列車専用となっており、高野線の帝塚山駅を経由する全列車が、岸里玉出駅から難波駅まで乗り入れる。運行系統上、難波駅から記することとする。

始発の難波駅は9面8線、のりばは1 - 9番線の構造を持ち、高野線の列車はこのうち1 - 4番線の東側4線を使用する。難波駅を発車するとすぐ右にカーブし、右手になんばパークス(旧大阪スタヂアム〈大阪球場〉跡地)・ヤマダデンキLABI1なんば・クボタニコニコのりの本社社屋・南海電気鉄道本社の入る南海なんば第1ビルなどを、左手に日本橋電気街(でんでんタウン)などを見ながら、阪神高速1号環状線をくぐり、左下に今宮戎神社が近付くと、高野線の各駅停車のみが停車する島式ホーム今宮戎駅。駅下の国道25号を越え、左手に通天閣が見えると程なくJRとの接続駅であり全列車停車駅の新今宮駅に着く。新今宮駅と2駅先の天下茶屋駅の高野線上り線ホームは、ともに南海本線の下り線と島式の同一面ホームである。新今宮駅の下を通るJRの大阪環状線関西本線(いずれも高架線)を高々架で跨ぎ、左右に釜ヶ崎あるいはあいりん地区と称されるドヤ街を、また左手遠方には高さ日本一の高層ビル・あべのハルカスを望みながら、やはり高野線の各駅停車のみが停車する島式の萩ノ茶屋駅を過ぎると、全列車停車駅である天下茶屋駅。かつてはこの駅から天王寺支線が分岐していたが、1993年に大阪市営地下鉄堺筋線(現在のOsaka Metro堺筋線)が同駅まで延長されてからは、その一部区間が代替を担っている。1980年までは南海の車両工場もあったが、同年高野線千代田に移転し、跡地には大阪フィルハーモニー交響楽団の練習場やスーパーマーケットが建っている。なお泉北高速線直通の特急「泉北ライナー」は同駅以南は高野線内の停車駅がなく[注 1]、直通先の泉北高速線泉ケ丘駅まで停車しない。天下茶屋駅を出て程なく左にカーブして南海本線系統の線路と別れ、「汐見橋線」との接続駅である岸里玉出駅を過ぎ、同時に阪堺線を越えると上町台地にさしかかり、線路は掘割の中を右カーブしながら南進を始める。掘割を抜けて上町台地に上ると帝塚山学院帝塚山学舎の最寄り駅でホーム幅の狭い帝塚山駅。この駅を過ぎると大和川を渡るまでカーブや開かずの踏切が連続する。阪堺上町線をくぐると、高野線では唯一、通過用複線を挟む待避線に相対式ホームのある(新幹線型配線ともいう)住吉東駅大阪内環状線国道479号)の踏切を過ぎて沢ノ町駅、続いてあべの筋府道大阪和泉泉南線)と斜めに平面交差して我孫子前駅を過ぎると、大和川を渡って堺市に入る。関西大学堺学舎やツツジの見所である浅香山浄水場の最寄り駅の浅香山駅を過ぎて、府道堺大和高田線の高架をくぐると、堺市役所などの最寄りで堺市の中心駅である堺東駅に着く。かつては堺東検車区などがあり運行の拠点だったが、現在は検車区は小原田検車区および同検車区千代田支区に移転し、跡地には高層マンションが建っている。堺東駅には特急泉北ライナーを除く全列車が停車し、緩急接続している。準急行はこの駅からは各駅に停車する。また泉北線直通の区間急行は直通先の泉北線深井駅まで停車しない。

堺東駅を過ぎると大きく左カーブをして南東に進路を変え、掘割区間に入って府道大阪中央環状線をくぐると、右側には仁徳天皇陵が垣間見える。すぐ下の掘割を通って交差するJR阪和線との接続駅の三国ヶ丘駅百舌鳥八幡駅を過ぎると、大阪府立大学中百舌鳥キャンパスの最寄り駅でOsaka Metro御堂筋線、泉北高速線との接続駅である中百舌鳥駅に着く。中百舌鳥駅は区間急行以上の優等列車は通過するものの堺市北東部の中心駅であるために乗降者数はかなり多い。またこの駅から一部の列車は泉北高速線と直通運転を行っている。中百舌鳥を出ると泉北高速線は上下線に挟まれた地下トンネルに入っていき、一方の高野線は線路容量に若干余裕が出ることや、線形がやや良くなることもあって、日中時間帯を中心に優等列車はこの付近から少し速度を上げて運転することが多い。線路は住宅地の間を通りながら、程なく待避設備のある白鷺駅、続いて初芝駅に至る。緩やかに右にカーブしながら萩原天神駅を過ぎて阪和自動車道府道泉大津美原線バイパスをくぐると一旦周囲には田園風景が見えるようになるが、すぐに近代的な住宅街や商業地などが整備された堺市東区の中心駅・北野田駅に着く。北野田駅は待避設備を持つ緩急接続駅で、特急以外の全列車が停車し、区間急行はこの駅より各駅に停車する。

北野田駅を出ると線路は西除川を渡りながら緩やかに左にカーブをしてすぐに大阪狭山市に入り、狭山駅を過ぎると、車窓右側には住宅街の向こうに日本最古の灌漑用溜池である広大な狭山池の堤防が、左手遠方にはパーフェクト リバティー教団(PL教団)の大平和祈念塔(PL塔)がそれぞれ見えるようになる。狭山駅 - 大阪狭山市駅間の築堤には煉瓦造りの暗渠が7か所あり、2020年に土木学会選奨土木遺産に認定された[18]。右にカーブをすると、かつて南海が狭山池畔で経営していた遊園地「さやま遊園」(2000年閉園)の最寄り駅であった大阪狭山市駅に至る。周辺には大規模なニュータウンが見え始め、府道森屋狭山線の跨線橋をくぐると、全列車停車駅である2面4線の金剛駅に着く。これら大阪狭山市内の駅は毎年8月1日教祖祭PL花火芸術の日には、周辺に眺望を妨げるものが少ないために多数の観客が訪れ激しく混雑するが、それ以外の日でも、大規模なニュータウンを周囲にもつ金剛駅は、南海電鉄全体での乗降客数の上位に入る駅となっている。

金剛駅を出ると富田林市に入り、次第に起伏の多い地形が目立ち始め、右手遠方に近畿大学医学部附属病院を望む。滝谷駅を過ぎ、河内長野市に入って千代田駅を過ぎると、南海最大の車両工場を併設する小原田検車区千代田検車支区が左右に広がり、本来高野線には入線しない空港特急「ラピート」や特急「サザン」の車両が留置されているのを時おり見かける。この千代田検車支区・高野線を大きく越える高架橋が国道170号(大阪外環状線)であり、このガードをくぐると住宅街の広がる丘陵を開削した区間となり、列車は下り勾配を駆け下りる。左後方から単線の近鉄長野線が近づいてきて並走し、国道170号の旧道と国道310号の重複区間となっている道路(東高野街道)を越えると、駅ビルのノバティながのを携える全列車停車駅の河内長野駅に着く。同駅は南海が2面4線、近鉄が頭端式1面1線の駅構造となっており、利用者数・利便性ともに南海の方が優位に立っている。またこの駅より急行は各駅に停車するため、各駅停車の多くはこの駅で折り返す。

河内長野駅を過ぎると車窓の雰囲気は一変し、新興住宅地が広がる山並みの裾を河岸段丘に沿って走る区間となり、石川やその支流の天見川が線路沿いを蛇行するように流れる。左右にカーブをするとすぐにフォレスト三日市と直結する三日市町駅に達するが、これより先は急勾配区間となり、南海本線所属列車など一部の列車は、ブレーキ性能等の関係でこの駅より先には入線できない。この駅を出て引き上げ線を上下線の間に挟みながら大きく左へカーブすると高架区間となり、新興住宅街・南海美加の台の最寄り駅で、高野線で最も新しい美加の台駅に達する。ここから先は山々がせり出し農村地帯を通る区間となり、かつて単線であった頃は山の谷間を縫うように線路が通っていたが、複線化工事の完成後は美加の台駅 - 千早口駅 - 天見駅の駅間に1本ずつトンネルが貫通している。また三日市町駅 - 美加の台駅間から並走してきた国道371号の(石仏バイパス)は、千早口付近(車窓左側から見上げることができる)で供用区間が途切れて、旧道とを結ぶ取付道路と交差する。天見を出た線路はなおも大小3か所のトンネルを通過した後、いよいよ紀見峠を貫く通称(紀見峠トンネル)に入っていく。紀見峠トンネルは上下線が離れた単線並行の2本(単線時代の(紀見トンネル)が上り、複線化時に新設された(新紀見トンネル)が下り)から成る。トンネル内に大阪府と和歌山県の府県境があり、同県橋本市に入る。

紀見峠トンネルを出ると、橋本駅手前まで約7キロにわたり急な下り勾配が続くようになる。トンネルを出るとすぐ紀見峠駅、続く大きな右カーブを通過する頃から周辺は車窓左側を中心に徐々に開けてくる。高い高架橋で国道371号橋本バイパスを越えると、南海が開発したニュータウン「南海橋本林間田園都市」の最寄り駅であり、2面3線の構造をもつ全列車停車駅の林間田園都市駅に着く。区間急行は最長でもこの駅までの運転となり、また快速急行はこの駅より各駅に停車する。続いてニュータウン内のメインストリートであるバイパス道路を跨ぎ、さらに右に国道371号橋本バイパスと並走しながら御幸辻駅に達する。やがて車窓の右側に小原田検車区の本区が見え、急勾配を下りながら一般道・京奈和自動車道・国道371号旧道の3本の高架橋をくぐる。住宅地直下の小原田トンネルを抜けると、線路は大きく左にカーブをして下り勾配が終了し、右後方から近づいてくるJR和歌山線と並走する形で、同線との乗り換え駅であり、橋本市の中心駅でもある全列車停車駅の橋本駅に到達する。橋本駅はもともと島式ホームで、複線化時に4扉大型車8両対応に延長された。4扉大型車や特急「りんかん」専用車両である11000系は、車両限界の関係でこの駅までの運転となる。また、難波駅から続く複線区間もこの駅までである。

河内長野駅 - 橋本駅間は、山間部の河岸段丘を縫うように敷設された線路で、以前は全区間が単線で、半径160mの曲線や25の勾配が連続する線形だった。このため、17m車4両編成しか走行できず、最高速度43km/h、平均速度30km/hで難波駅 - 橋本駅間を急行で64分を要した。沿線開発による輸送需要の増大に対応するために、同区間の複線化など大規模改良が実施された。1971年(昭和46年)5月12日に運輸大臣から、河内長野駅 - 橋本駅間を複線化するための認可を受け、1972年(昭和47年)3月から工事に着手した。

複線化のルート決定では、難波駅 - 橋本駅間の急行列車の運転時分を45分程度とするため、河内長野駅 - 橋本駅間の平均速度を60km/h程度とすること。既存の駅中心位置は移動させないこと。各駅のホーム長は、当初は135m(21m車6両編成)とし、将来的には220m(21m車10両編成)に延伸可能なよう曲線・勾配を考慮すること。駅構内の渡線道(踏切)を廃止して、地下道または跨線橋の立体交差とすることなどが条件だった。曲線と駅部の改良を重視したことから、単に在来線に並行した線増というよりも、新線建設に近い線形となった。複線化完成後は、半径400m未満の曲線は、全体の43.8%から5.2%に減少したのに対して、駅間の最急勾配は25.2‰から33‰ときつくなった。複線化と関連して、美加の台駅、林間田園都市駅の新設や、以前は橋本駅に隣接していた橋本車庫の機能を、小原田車庫に移転・拡充する事業なども実施された。河内長野駅 - 橋本駅間の複線化は7つの工区に分けられ、段階的に工事が実施された。第1工区の河内長野駅 - 三日市町駅間は1974年(昭和49年)3月24日に完成し、第7工区の御幸辻駅 - 橋本駅間は1995年(平成7年)8月30日に完成した。小原田車庫(第8工区)は1996年(平成8年)11月15日に完成した。これら工事費用の合計は556億55百万円だった[19]

橋本駅 - 極楽橋駅( - 高野山駅)

橋本駅 - 高野山駅間は「こうや花鉄道」の愛称が付けられ、駅名標も通常のものに加えて独自仕様のものが設置されており、各駅の標高が記されている。橋本駅 - 極楽橋駅間は山岳鉄道であり、特に高野下駅以南は50の勾配や、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。

山岳区間、とりわけ高野下駅 - 極楽橋駅間においては完全に線路が山の中に入るために、途中にある駅へは幹線道路からすれ違いの困難な狭い道路や林道があり、車で辿り着くのは容易でない。各駅の周辺の山間部は民家が少なく利用客もきわめて少ないが、すべての駅に簡易型の自動改札が完備され、駅係員も橋本駅および下古沢駅、紀伊細川駅から極楽橋駅のすべての駅に配置されている。橋本駅 - 極楽橋駅間は単線であるが、上古沢駅を除く全ての駅が行き違いのできる交換可能駅である。

上古沢駅と下古沢駅の間には、鉄道橋としては日本で10箇所だけで供用されているトレッスル橋(全長67.6m、高さ33.4m)の中古沢橋梁がある。この橋は、トラス構造とトレッスル橋脚とを組み合わせた鉄道用鋼橋としては日本に唯一現存するもので、2011年に土木学会選奨土木遺産に認定されている[20]。橋の下には、南海電鉄が2010年2月25日に設置した観光用の展望デッキと電車の通過時刻を記した時刻表を備え[21]、トレッスル橋を下から見上げられる。展望デッキまでは上古沢駅・下古沢駅から徒歩20分の道のりである。

九度山駅 - 極楽橋駅間には、橋本駅以南でもっとも長い「椎出トンネル」(九度山駅 - 高野下駅間、399m)[22] をはじめ、大小24箇所のトンネルがあり、このうち高野下駅 - 極楽橋駅間の23箇所には坑口に番号が振られている[注 2]

2009年(平成21年)2月6日に紀伊清水駅、学文路駅、九度山駅、高野下駅、下古沢駅、上古沢駅、紀伊細川駅、紀伊神谷駅、極楽橋駅、高野山駅、紀ノ川橋梁、丹生川橋梁、鋼索線が近代化産業遺産(高野山参詣関連遺産)に認定されている。

橋本駅を出ると線路は単線となり、東進してすぐ緩やかな左カーブとなりやや勾配を下る。JR和歌山線は見えなくなるが、やがて大きく右にカーブをして南進を始め、同線および国道24号のガードをくぐると線路は紀の川を渡る。さらに大きく右カーブし西進、ここからしばらくは車窓左側には山々が迫り、住宅地と田園地帯の錯雑が見られるようになる。右側には先ほど停車した橋本駅周辺の市街地を紀の川越しに望む。しばらく進み、国道371号と平面交差すると紀伊清水駅。この付近から右側に国道370号が並走を始める。車窓左側に学文路天満宮、かむろ大師奥之院を見上げると学文路駅。この駅の入場券は、毎年受験シーズンが近づくと、学文路天満宮の祈祷を受けた5枚セットが縁起物として販売される。線路はなおも紀の川に並行して南西に進み九度山町に入り、右・左にカーブしながら勾配を上ると九度山駅である。九度山には戦国武将真田信繁(幸村)が潜伏していた真田庵があり、九度山駅の駅舎も2015年にそれにちなんだデザインにリニューアルされた[23][24]。やがて左に大きくカーブをして南進を始める頃から、車窓右側には丹生川の深い渓谷が続き、左側は終点までほぼ完全に山に覆われる。丹生川橋梁で国道370号と美しい渓流の景観が見える丹生川を渡り、椎出トンネルを抜けるとすぐ島式ホームの高野下駅に着く。この駅から先は各駅停車の本数がさらに半減する。

ここから先は急カーブやトンネルの連続区間となり、車窓右側もいくつかの集落が見えるほかは山々に覆われた光景となる。高野下駅を出ると、ゆっくりしたスピードで右へ大きくカーブし、体感できるほどの急勾配を大きな音を軋ませながら上り始める。下古沢駅は2002年に行き違い設備がいったん撤去されていたが、2018年に隣の上古沢駅から移設される形で復活し、交換可能駅となった。やがて中古沢橋梁に差し掛かるあたりからは周辺の集落もほぼ見えなくなり、さながら秘境の様相を呈してくる。2017年の台風21号に伴う地すべりの影響で棒線駅化された上古沢駅を出て2か所のトンネルを通過し、笠木橋梁を渡って3本目のトンネルを抜けた付近で高野町に入り、さらにトンネルを1か所通過すると紀伊細川駅、続く7本のトンネルを経て島式ホームの紀伊神谷駅に至る。最終の4か所のトンネルを抜けて、右側に朱塗りの極楽橋が見えると、鋼索線(高野山ケーブル)との接続駅である終点の極楽橋駅に到着する。ケーブルカーのりばは列車を降りて車止め方向に歩いて突き当たった右側にあり、およそ5分で高野山駅とを結んでいる。

汐見橋駅 - 岸里玉出駅間

汐見橋駅 - 岸里玉出駅間も後述するとおりあくまで正式には高野線の一部であるが、1985年の線路分断後は事実上孤立した支線(南海本線とは線路が接続している)となっており、ほとんどの時間帯で1時間に2本の各駅停車が往復するだけの、いわば下町のローカル線の様相を呈している。以下、汐見橋から岸里玉出に向かって記述する。

駅舎にかつてのターミナル駅であった頃の面影を残す頭端式1面2線の汐見橋駅を出発すると、しばらくは車窓左側に高架の阪神高速15号堺線および新なにわ筋府道大阪臨海線)が並走する。JR大阪環状線の高架をくぐる地点で同時に新なにわ筋が左前方に別れて芦原町駅に着く。同駅下りホームの裏にあるランプウェイは阪神高速の芦原出口である。緩やかに右カーブをすると阪神高速も一旦左に別れ、かつての貨物取扱駅の面影を偲ばせる木津川駅に達する。阪神高速17号西大阪線および国道43号の高架をくぐり、大きく左にカーブをして、右側に西成高校や西成公園が見えると津守駅に至る。津守を出てすぐ新なにわ筋と阪神高速15号堺線の高架をくぐるが、新なにわ筋の高架橋(鶴見橋跨線橋)は1968年に廃線となった大阪市電阪堺線の路盤をそのまま道路に転用したものであり、廃線から半世紀近くたった後も架線柱の切断痕などが見られる。線路は下町の住宅地を直線状に進んで西天下茶屋駅、そのまま高架を上がって国道26号をオーバークロスすると線路は単線となって、左後方から右前方に向かって南海本線が、前方の延長線上から高野線の帝塚山駅以南に通じる路線がそれぞれ近づき、汐見橋線は南海本線に沿う形で右にカーブをすると岸里玉出駅に到着する。

運行形態

 
特急「りんかん」(我孫子前駅付近)

高野線の起点は汐見橋駅だが、現在は橋本・高野山方面へ行くすべての列車が難波駅から発着し岸里玉出駅から高野線に入る。汐見橋駅 - 岸里玉出駅間の通称汐見橋線は、この区間を往復する各駅停車だけが運行されている。

難波駅 - 極楽橋駅間に特急こうや」、難波駅 - 橋本駅間に特急「りんかん」が運行されている。特急のほか、快速急行急行、区間急行準急行各駅停車が運行されている。橋本駅 - 極楽橋駅間では観光列車「天空」が運行されている。また、泉北ニュータウンの足として泉北高速鉄道線と相互直通運転を行っており、直通列車として特急「泉北ライナー」・区間急行・準急行が運行されている。

 
高野山」のみで「極楽橋」の表示がない方向幕。(登場して間もないころの2000系

難波駅から高野山方面へ直通する列車を「大運転」といい[25]、かつては旅客案内でもこの名称が用いられていたが、特急「こうや」や日中運行される快速急行など一部の列車をのぞき大運転自体が減少したこともあって、近年はほとんど用いられなくなっている。大運転の高野山方面列車の行先案内は、高野線の実際の終着駅である極楽橋ではなく、鋼索線を経た「高野山」と表示されていた。また、方向幕を持たない21000系などの場合は、「急」という方向板を掲げるだけで行き先は表示されていなかった。表示方法の見直しが進んだ現在では、「高野山極楽橋」(ただし英語表記は「KŌYASAN」のみ)と表示されるようになっている。極楽橋駅で、鋼索線(高野山ケーブル)に接続している。

方向幕は南海本線と異なり、1000系や2000系をのぞく従来型通勤車はCI導入後も白地の英文なし幕を使用し続けていたが、2000年11月ごろから南海本線と同じタイプの黒地の英文入り幕に交換され始めた。これは同年12月23日のダイヤ改正で難波駅 - 三日市町駅間系統の急行を新設することになったものの、従来からの方向幕には「急|三日市町」の表示が入っていなかったためである。

特急は南海本線の「サザン」とは異なり全車両座席指定であり、通常ダイヤにおいて通勤型車両を用いる全車両自由席の特急や「サザン」のような一部座席指定列車は存在しない。

運行本数

日中の1時間ごとの運行本数の平均的なパターンは以下のとおりである。

日中の運行パターン
種別\駅名 難波 中百舌鳥 金剛 千代田 河内長野 三日市町 林間田園都市 橋本 高野下 極楽橋 備考
特急こうや 0 - 1本
快速急行・急行 2本 0 - 1本
区間急行 1本  
1本 0 - 1本  
4本   泉北線直通
準急行 2本  
各駅停車 2本 0 - 1本  
2本 0 - 2本  
  2本 1 - 2本

特急りんかん・泉北ライナーは朝と夕方以降の運転。

列車種別

以下に特急以外の種別の運行概況を示す。特急「こうや」「りんかん」および「泉北ライナー」については当該項目を参照のこと。また各種別の現行の停車駅は下図および「駅一覧」を参照。

 
停車駅表

快速急行

 
2000系による快速急行(帝塚山駅 - 住吉東駅間)

停車駅は千早口駅・天見駅・紀見峠駅を通過するほかは急行と同じで、急行が停車する河内長野駅 - 橋本駅間の各駅のうち特に利用客数が少ない前述の3駅を通過することで遠距離のスピードアップを狙うべく2003年5月31日のダイヤ改正で登場した[26]。2017年8月26日改正ダイヤ時点では平日が下り5本・上り1本、土休日は上下各1本の運行で、平日下り2本が難波駅 - 極楽橋駅間を直通(橋本駅で増解結)するほかは、難波駅 - 橋本駅間の運行(下りの一部をのぞき、橋本駅で高野山方面発着列車と接続)。いずれも、途中無待避での運転である。

平日夕方の難波発橋本行きの列車は2008年11月1日にJR和歌山線との接続を考慮して下り急行2本(現在は1本のみ)を格上げして設定されたもので、4扉大型車両8両編成で運行される。2013年10月26日のダイヤ変更で難波駅 - 極楽橋駅間の列車は大幅に削減され、特に土曜・休日ダイヤの下りはすべて橋本止まりとなった。また2008年10月31日まで、平日ダイヤに橋本駅 - 極楽橋駅間でワンマン運転を行う難波発極楽橋行き快速急行もあり、その車両側の種別幕は「快急」と「ワンマン」の二段表記となっていた。なお、この快速急行の前部の極楽橋行き車両は2300系2両で運行されていたが、ダイヤ変更後最初の平日ダイヤ実施日となる11月4日からは、再び2000系4両に戻され、併せて難波から橋本を跨いで運行する料金不要列車はすべて2000系に再び統一された。

案内放送では「快速急行」であるが、時刻表や方向幕での表記は「快急」、英語表記は“Rapid Express”である。

快速急行は初代が1958年に登場したが1968年には一度急行に統合されて消滅しており、35年ぶりに復活したことになる。その当時の停車駅は新今宮駅(1966年から)・堺東駅・北野田駅と河内長野駅以南の各駅だった。なお初代の快速急行は日本で初めての「快速急行」と名乗る種別であった。

急行

8300系による急行(2019年11月22日)

難波駅 - 三日市町駅・林間田園都市駅・橋本駅・極楽橋駅間で運行されている。現在は難波駅 - 林間田園都市駅・橋本駅間の列車が中心である。橋本駅で橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間に運行されるワンマン運転の各駅停車やJR和歌山線に接続している。前節の快速急行と同様に上下列車とも行き先駅まで原則先着するが、時間帯によっては河内長野駅で特急に追い抜かれる列車がある。2000年12月23日のダイヤ改正までは橋本駅や林間田園都市駅で特急に追い抜かれる列車もあった。

一部の列車は極楽橋駅へ直通するためにズームカーが使用されており、早朝時間帯の1本[注 3]を除いて快速急行同様に橋本駅で増解結作業を行う。極楽橋駅へ直通しない列車では主に大型車両が使われているが、こちらも朝から日中の一部にズームカーが使用されている。

2000年のダイヤ改正前の急行は難波駅 - 極楽橋駅間直通の列車が中心であった[注 4]。そのためズームカーで運行されていた列車が多く、特に深夜の下り急行に関しては激しい混雑が常態化していた。しかし、2005年10月16日の改正[注 5]で極楽橋方面への列車は系統分割が行なわれ基本的に橋本駅折り返しとなった。その後もダイヤ改正の度に極楽橋駅への直通列車は減少し、2017年8月26日改正ダイヤ時点では特急を除くと平日が上下各1本(他に快速急行が下り2本)、土休日は下り1本のみとなっている。なお高野下駅発着の急行は2017年のダイヤ改正で廃止された。

朝ラッシュ時、橋本駅・林間田園都市駅を始発駅とするズームカーを除く8両編成で運転する上り列車は、橋本駅 - 天下茶屋駅間で、難波寄りから4両目を女性専用車両としている。

英語表記は“Express”である。なお、橋本駅で極楽橋行(高野下行)の列車と接続する場合は「高野山・極楽橋(高野下)連絡、急行 橋本行」となり、接続のない急行橋本行とは明確に区別されている。自動放送もこの表現で統一されているが、難波駅のみこの表現が用いられず、「橋本で高野山極楽橋行(高野下行)に接続します」と放送される。2007年8月25日のダイヤ変更からは、方向幕にも小ぶりながら「高野山連絡(高野下連絡)」の表記が追記され、より区別が明確になっている。さらにこれに合わせて主要駅に備え付けの時刻表では本来のスペースに加え、直通列車のほか橋本駅で極楽橋行への接続がある列車用の時刻表(いわゆる「高野山極楽橋行専用時刻表」のこと)も別に掲載されるようになり、利便性が増した。

加えて、2008年10月31日まで極楽橋駅 - 橋本駅間でワンマン運転を行う極楽橋発難波行き急行もあり、その車両側の種別幕は「急行」と「ワンマン」の二段表記となっていた。

1968年までは、現在の急行は「快速急行」として運行され、これとはまた別に住吉東駅・三国ヶ丘駅・初芝駅にも停車する急行が設定されていた。

現行ダイヤでは河内長野駅以南で各駅に停車するにもかかわらず難波駅 - 橋本駅間を快速急行と同じ所要時間(48分)で運行される列車もある。

区間急行

 
6200系による区間急行(帝塚山駅 - 住吉東駅間)

難波駅 - 河内長野駅・三日市町駅・林間田園都市駅間で運行されているほか、泉北高速鉄道に直通する難波駅 - 和泉中央駅間の列車も運行されている(詳しくは「(泉北高速鉄道線)」も参照)。夕方・夜間の下りにおいては一部の列車が河内長野駅で特急に追い抜かれることがある。原則として快速急行や急行と同様に、上下列車とも行き先駅まで原則先着する。

1968年に新設された種別で、旧・準急行の停車駅から住吉東駅・三国ヶ丘駅・初芝駅を削減、即ち北野田駅以北の停車駅を旧・快速急行(現在の急行)に合わせ、以南を旧・準急行と同様に各駅停車とする種別として設定された。河内長野・三日市町・林間田園都市方面は2000年12月23日の改正で朝・夜のみの運転となっていたが、2005年10月16日の改正で再び終日運転となった。2013年10月26日のダイヤ変更で日中の1時間の運転本数が2本から3本に増便された(河内長野・三日市町・林間田園都市行きが1本ずつ)。2015年12月5日のダイヤ改正では平日朝上りのみの運転だった泉北高速線直通列車が毎日日中に毎時上下2本設定された一方、高野線系統の列車が日中は再度毎時上下2本に減便されているほか、平日夕方以降も上り列車の大半が急行に格上げされている。2017年8月26日のダイヤ改正では、日中の泉北高速線直通の各駅停車を置き換える形で泉北高速線直通列車が毎時上下4本になったが、夕方以降の泉北高速線直通列車は上下ともに準急行に置き換えられた。

2015年12月5日のダイヤ改正から区間急行も平日の朝ラッシュ時に女性専用車両が導入されている(泉北高速線直通列車を含む)[27]

案内放送では「区間急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「区急」、英語表記は“Sub Express”である。

種別幕の色は緑色である。1995年4月ごろ(泉北高速線和泉中央駅開業時)まで、種別幕の色は急行と同様に赤色(時刻表での表記は赤字に▲印)であったが、関西国際空港開港後の南海本線の区間急行に合わせて緑色に変更し、急行との区別を明確にしている。しかも白地に黒文字の旧幕(英字なし)のまま実施された[注 6]。なお、区間急行は関西国際空港開港前は高野線のみの種別であった。

1999年11月11日には、縁起の良い"11づくし"という南海独自の企画で、難波を11時11分に出発する列車に「平成11年11月11日 11時11分 難波駅発車」と記した記念のヘッドマークを掲げ、林間田園都市駅まで1往復した。

かつての泉北高速鉄道直通列車では10両編成運転が多数あったが、乗客減により減少し、2012年11月23日の泉北高速線のダイヤ変更で消滅した。

準急行

 
7000系による準急行(住吉東駅付近)

難波駅から主に泉北高速鉄道直通列車として終日運行されている。そのほか河内長野方面には平日朝の河内長野駅・千代田駅を始発駅とする難波行き上り列車と、2013年10月26日のダイヤ改正より平日深夜に難波発三日市町行きの下り列車が設定されている。河内長野方面からの列車は減少傾向にあり、2015年12月5日改正前までは三日市町始発難波行きの列車も運転されていた。

昼間は6両編成で運転される列車が多いが、夕方ラッシュ時以降は8両編成で運転される列車が大半となり、半分以上が泉北車での運用となる。土休日ダイヤは6両編成が多いが朝晩を中心に一部の列車が8両編成で運転されている。一時は平日朝ラッシュ時に10両編成運転が多数あったが、乗客減により減少し、2013年7月22日の泉北高速線の列車編成両数変更[28]で消滅、これにより南海の10両編成列車は全廃された。

大半は途中で上位列車を待避することなく終点まで先着するが、2017年8月26日改正ダイヤでは、堺東駅で特急「泉北ライナー」の通過待ちをする泉北高速鉄道線直通列車が平日に下り2本・上り1本、土休日に下り4本設定されている[29]。河内長野方面については上り列車は北野田駅・白鷺駅で後続の急行の待避を行なう。なお、平日深夜の難波発三日市町行きは終点まで先着する(住吉東駅での各駅停車の追い抜きや中百舌鳥駅での泉北高速鉄道線との接続も行なわれていない)。

現在の準急行は1964年から1968年まで運転されていた「直行」(途中新今宮駅・住吉東駅・堺東駅以遠各駅停車)を前身とするものであり、それ以前の準急行は堺東駅 - 北野田駅間でも途中三国ヶ丘駅・初芝駅のみ停車の通過運転を行っていた。かつては大運転の準急行としてごく一部にズームカーを使用しての極楽橋駅発着も設定されていたが、1964年のダイヤ改正で廃止されている[30]。また高野線からの泉北高速鉄道線直通列車は和泉中央駅が開設されるまで光明池行きが運行されており、和泉中央駅開業後も運行していたが、2013年のダイヤ改正ですべて和泉中央行きになった。

案内放送では「準急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「準急」である。自動放送更新前の泉北高速鉄道線内各駅における自動放送では「準急」と案内されていた。なお英語表記は“Semi Express”である。

各駅停車

 
6300系による各駅停車(天下茶屋駅付近)

難波駅 - 堺東駅・北野田駅・金剛駅・千代田駅・河内長野駅・三日市町駅・林間田園都市駅・橋本駅間で運行されているが、大半が難波駅 - 金剛駅・河内長野駅・三日市町駅間の運転で、堺東駅発着は始発難波行き[注 7]のみ、北野田駅発着は平日朝のみ、ほかも一部のみとなっている。このほか河内長野駅 - 橋本駅間、橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間にも運行されている。昼間以降、難波駅 - 河内長野駅間(一部は三日市町駅まで)の運転にほぼ統一されていた時期もあったが、一部の急行が区間急行に格下げされた関係で金剛駅・千代田駅発着の列車も増えている。

泉北高速線直通列車が昼間時間帯(始発駅基準で12時から15時まで)と、平日深夜に和泉中央発難波行きが1本運行されていたが、2017年8月26日のダイヤ改正で全廃され、泉北高速線直通列車はすべて優等列車のみとなった。

6両編成での運転を基本としている。2005年10月16日の改正で昼間は大型車両での4両編成運転がほとんどになっていたが、2017年8月26日のダイヤ改正で昼間数往復を除き6両編成での運転が再び多数を占めるようになった。2012年11月から2013年10月26日までは夜間にも4両編成の列車が運行されていた。一方で河内長野駅 - 橋本駅間運転の一部列車や泉北高速線内のみで完結する列車は8両編成もある。

橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間の系統のうち、2両編成の列車はワンマン運転(4両編成には車掌乗務)である。なおワンマン対応車両は2300系のみ。橋本駅で難波駅 - 橋本駅間の急行と相互接続を行いホームの高野山寄りから発車する。

案内放送では「各駅停車」であるが、時刻表や案内板の表記は「各停」である。また、南海本線の「普通(普通車)」と同様に、英語表記は“Local”である。

1970年11月23日に岸ノ里駅の難波直通列車ホームが使用開始されるまでは、難波駅発着列車は堺東駅折り返しの列車が「各駅停車」(ただし岸ノ里駅は配線上の都合で通過)として、堺東より南の北野田・河内長野方面に直通する列車が今宮戎駅・萩ノ茶屋駅・岸ノ里駅を通過する「普通」として運行されていた。また、汐見橋駅発の列車も「各駅停車」として住吉東駅まで運行されていた。南海本線にも高野線の列車が走行する難波駅 - 岸ノ里駅間の複々線の東側2線を走行して今宮戎駅・萩ノ茶屋駅にも停車する「各駅停車」が難波駅 - 住吉公園駅(現在の住吉大社駅)間で運行され、両線で「普通」と「各駅停車」が共存していた。先頭車両に掲出されていた行先を示す標識板は、高野線の難波駅発着の各駅停車が正方形で「難波 堺東(上段に縦書)・各駅停車(下段に横書)」、普通が丸形(高野線の普通廃止後は各駅停車も丸形)、汐見橋駅発着の各駅停車と南海本線の「各駅停車」は長方形であった。

観光列車「天空」

 
(観光列車「天空」)(橋本駅)

橋本駅 - 極楽橋駅間に運行される展望列車。列車種別は当初「臨時」であったが、2017年8月ダイヤ改正以降は特急列車の扱いになっている。種別幕には天空専用のロゴが表示されるが、南海が発行している『ハンドブック南海』の列車種別運転本数の項では特急列車として計上されているほか、公式ウェブサイトで公開されている冊子型の時刻表の列車種別欄にも「特急」の表示がある[29][注 8]。途中停車駅は学文路駅・九度山駅のみ。3月から11月は水曜・木曜をのぞく毎日運転、12月から2月は土曜・休日のみ運転。運行回数は1日2往復。3月から11月の土曜・休日はさらに1往復運転される。編成は極楽橋寄りに(2200系改造の展望車)2両、橋本寄りに自由席車の2300系または2000系2両を連結した4両編成。自由席車は乗車券(PiTaPa・ICOCA、もしくはこれらと相互利用できる交通系ICカードを含む)だけで利用出来るが、展望車については座席指定料金(おとな510円、こども260円)が必要。なお、車両検査時は代用できる車両がないため運休する。

指定席券については南海の「天空予約センター」で電話予約の上、乗車当日に引き渡しとなる。予約は乗車日の10日前に受付を開始する。空席があれば当日窓口でも受付が可能である。

南海が推進する「こうや花鉄道プロジェクト」の一環として導入されることとなり、2008年9月から10月に愛称を一般公募し、同年12月15日にこの愛称と2009年7月3日の運行開始が発表された。

運行開始に先立ち、2009年4月29日 - 6月20日の間の土曜・休日に7回、ほぼ本運行のものと同様のダイヤでプレ運行が実施されている。

汐見橋駅 - 岸里玉出駅間

汐見橋線とも呼ばれるこの区間では、以前は日中15 - 20分間隔で運行されていたが、2021年現在は平日も土曜・休日も同ダイヤの30分間隔(夜間は35 - 40分間隔)で運行されており、これは大阪市内で最も本数が少ない。2000年12月23日からは終日ワンマン運転を行っている。初電は6時前後(岸里玉出発5時55分、汐見橋発6時10分)と遅く、終電は22時台と早い(岸里玉出発22時25分、汐見橋発22時45分)[注 9]

複線区間であるが、2008年11月時点のダイヤでは終日2両1編成のみで運用されており、汐見橋線内での上下列車の行き違いはない。南海本線の支線と同様に上下列車とも先発先着である。

岸里玉出駅における接続は、15分間隔で運転している南海本線普通との接続時分はほぼ一定しているものの、7 - 16分間隔の高野線各停とは接続時分にバラつきがある。

1985年以前は、高野線岸ノ里駅以南と線路がつながっており、出入庫のため住吉東駅堺東駅発着の列車も存在(ただし、1970年改正以降は早朝・深夜の出入庫列車および臨時列車が時折運転される程度に激減)した。しかし線路が分断された後は、汐見橋線から高野線帝塚山方面へ直通は不可能となったため、岸里玉出駅 - 汐見橋駅間の運転のみとなり完全に支線運用扱いとなった(のちに設定された駅ナンバリングでも、岸里玉出駅からの枝番となっている)。汐見橋駅では阪神なんば線Osaka Metro千日前線桜川駅と徒歩接続しているが、両線との連絡運輸の設定はない。なお、阪神の桜川駅は南海汐見橋駅の真下に駅が設置されており、計画段階では汐見橋駅を名乗る予定であったが、乗降客数の多い千日前線に駅名を合わせた。

南海本線とは高野線分断前から線路がつながっており、車両は南海線住ノ江検車区所属の2200系・2230系が充当されている[注 10]。ただしこの区間は高野線分断後も高野線の一部として扱われており、乗務員も高野線側が担当し、列車種別も「普通」ではなく「各停」としている。高野線本体と分断される1985年以前は、高野線所属の主に6000系ステンレスカー2両編成で運行されていた。1985年から1995年までは南海本線の他の支線と同様に1521系が使われた[注 11]。1995年の2200系・2230系化により、南海本線所属ではあるものの、再び高野線出自の車両に戻ったことになる。

臨時列車

1990年代前半までは学校の夏休み期間中、大阪市堺市など沿線にある公立小学校児童の高野山林間学校団体輸送用として、21000系22000系による専用の臨時列車が多数運行されていたが、1990年代後半以降、少子化や林間学校の目的地の多様化、貸切バス利用への転移などによって高野線を利用する林間学校の小学生の団体は大幅に減少したため、現在は小学生団体専用の極楽橋直通臨時列車はほとんど見られなくなっている。

お盆期間

お盆期間における高野山への参拝客・観光客・墓参り客への対応については、特急は「こうや」とは別に、一般車(近年は2000系の4両編成が多く、2300系が連結されることもある)の自由席特急が運行される場合がある。停車駅は「こうや」と同じだが、全車自由席のため特急券は必要ない。ただ、お盆期間の平日はほかの関西私鉄とは異なり平日ダイヤによる運転となっている[注 12]。なお、お盆以外にも特急用車両の事故や故障などの緊急時に、一般車による自由席特急が代走することもある[33]

このほか、橋本駅 - 高野下駅間の各駅停車が高野下駅 - 極楽橋駅間を延長運行したり、橋本駅始発の急行に接続する形で極楽橋駅 - 橋本駅間の臨時列車が運行されたりする。高野下駅 - 極楽橋駅間はノンストップとなる列車もあり、この場合方向幕は「臨時」が表示される。また、橋本駅 - 極楽橋駅間運転の自由席特急が増発される場合もある。この特急は全線通しの特急と停車駅が異なり、途中学文路駅と九度山駅に停車する(即ち「天空」と同じ停車駅で運転される)。また、高野下駅 - 極楽橋駅間をノンストップで走る列車は、全区間で「臨時」幕を出すこともある。

PL花火芸術開催時

毎年8月1日の「教祖祭PL花火芸術」開催時には、大阪狭山市駅金剛駅が花火会場への最寄り駅となるため、一部列車の編成両数、発着時刻、待避駅の変更や臨時列車の運行が行われる。具体的には花火終了後、上り急行が大阪狭山市駅に臨時停車し、河内長野駅発の準急行・区間急行難波行き臨時列車が数本程度運行される。前者は2014年度より利用状況に応じて行われるようになり、2017年度から事前に告知されるようになった[34]。2015年度まで、花火開始前と終了後に運行している4両編成の一部各停が6両編成に増車されていた。また、花火開始前には難波発準急行河内長野・三日市町行きが2008年度まで運行されていた。2008年度以降、下りの臨時列車は運行されていなかったが、2018年度に難波発準急行河内長野行きが1本運行された[35]

年末年始

毎年大晦日から元日早朝にかけて終夜運転が行われている。各駅停車のみの運転で、全列車中百舌鳥駅で泉北高速鉄道の列車と接続する。2009年までの元日早朝は難波駅 - 河内長野駅間のみにおいて40分間隔で運行されていたが、2010年から元日早朝は難波駅 - 北野田駅間のみにおいて40 - 60分間隔で終夜運転、北野田駅 - 河内長野駅間は午前2時台までの運転となる。河内長野駅 - 極楽橋駅間と汐見橋線は終夜運転を行わない。2020年と2021年は通常の日と同じとなり、泉北高速鉄道も含め終電延長および終夜運転は行わなれなかった[36][37]。2022年についても終夜運転は行わないことが決定している[38]

高野山開創1200年記念大法会関連

2015年4月2日から5月21日にかけては「高野山開創1200年記念大法会」が執り行われるため、概ね以下のような臨時ダイヤ・編成両数変更が策定された[39]

  • 当該期間中の平日は橋本駅 - 極楽橋駅間で各停下り1本と特急上り1本を臨時に運転するほか、橋本駅 - 高野下駅間折り返し各停上下計6本を極楽橋駅まで延長運転(ただし高野下駅 - 極楽橋駅間は途中無停車)。
  • 同じく土曜・休日は高野下駅 → 橋本駅間の各停1本を極楽橋駅始発に延長運転(ただし極楽橋駅 → 高野下駅間は途中無停車)。
  • 通常、3月から11月まで水・木曜日は運休している「天空」を当該期間中の毎週木曜日に2往復臨時運転。
  • 橋本駅 - 極楽橋駅間折り返し各停を、昼間時間帯を中心に2両編成から4両編成に増結。
  • これら臨時列車の発着に合わせて、極楽橋駅 - 高野山駅間でケーブルカーを増発。

使用車両

1992年に1000系が導入されて以来、高野線に新型車両が投入されていなかった(1000系以降は南海線・高野線共通仕様という考え方を取り入れたため、一部が高野線所属となった[40])。これは高野線の車両と比較して、7000系・7100系など南海線車両の老朽化が塩害や車両の酷使[注 13]などでより進行していることや、関西国際空港の需要が拡大していることにより、同線への新型車両導入を優先させているためである。ただし、接客サービス向上や省エネルギー推進のため6200系や8200系でVVVFインバータ制御への更新を進めている(この更新により8200系は6200系50番台となった)。また、1962年に登場した6000系の置き換えのため、2019年11月より高野線仕様の8300系が運行を開始した[41]

4扉車は21m級と通勤車両としてはかなり大型である[注 14]。南下とともに山岳路線へと変化するため、南海線に比べ制約が多い。21m級の大型車両(11000系・6000系・8300系など)は橋本駅以南へ入線できない。かつては河内長野駅が21m車両の南限で、1963年に三日市町駅まで入線可能になった。さらに複線化に合わせて1984年に林間田園都市駅まで、1992年に橋本駅までの乗り入れが可能となった。また同じ21m級の大型車両でも南海線専用車両や泉北高速線所属車両は三日市町駅以南へ入線しない。1971年に開業した泉北高速線の所属車両による高野線運用も三日市町駅まで設定されていたが、その先へ乗り入れることなく、1989年9月3日のダイヤ改正以降は相互直通区間となる難波駅 - 中百舌鳥駅間の運用となった[42]。南海線所属車両のうち1000系以降の車両は南海線・高野線共通仕様とされ、抑速ブレーキなどの設備が落成当初より準備または設置されている。これにより50000系や12000系などがイベント時に入線することが可能となった。なお、7100系9000系などの南海線専用車両の一部は、性能確認試運転と廃車回送時に限って三日市町駅より南の小原田検車区まで入線している。

自社車両

電車
  • 31000系(こうや・りんかん):ズームカー
  • 30000系(こうや・りんかん):ズームカー
  • 11000系(泉北ライナー・りんかん)
  • 12000系(泉北ライナー):南海線所属・泉北ライナーの代走時のみ1編成を貸出して運用
  • 50000系(泉北ライナー):南海線所属・30000系の脱線事故に伴う車両繰りのために投入[43]
  • (1000系50番台)
  • 2000系:ズームカー
  • (2200系):元ズームカー。汐見橋線・「天空」用。
  • (2230系):元ズームカー。汐見橋線用。
  • 2300系:ズームカー
  • 6000系
  • 6200系
  • (6300系)
  • 6200系50番台
  • 8300系:2019年11月22日運行開始[41]

乗り入れ車両

泉北高速鉄道

導入予定車両

乗り入れ車両

泉北高速鉄道

過去の使用車両

自社車両

電車
  • 20001系(こうや号):ズームカー
  • 21001系:ズームカー。一部は一畑電車・大井川鐵道に譲渡。
  • 22001系:ズームカー。2200系・2230系に改造され一部現用。
  • 8200系:改造の上6200系(50番台)に編入され現用。
  • 8000系(初代):改造の上6200系に編入され現用。
  • 6100系:6300系に改造され現用。
  • 7100系:6100系の導入が遅れたため1969年から1970年にかけて一時的に配属されていた[45]
  • 1000系(2代):2022年時点で50番台以外は全車とも南海本線に所属。
  • モハ561形
  • モハ1251形
  • クハ1900形
客車
蒸気機関車

乗り入れ車両

泉北高速鉄道

乗務員

  • 難波駅 - 極楽橋駅間では、特急以外は中百舌鳥駅(各駅停車のみ)または橋本駅で乗務員交替が行われ、特急は始発駅から終着駅まで通しで乗務する。泉北高速鉄道線の直通列車は中百舌鳥駅で乗務員交替が行われる(泉北高速線直通の区間急行は中百舌鳥駅を通過するため、2015年12月までは光明池駅で乗務員交替を行っていたが、区間急行の増発と「泉北ライナー」の運行開始に伴い、和泉中央駅まで通し乗務するように変更となっている)。泉北高速鉄道が南海電鉄に業務を委託していた時代は南海の乗務員が通しで乗務していた。汐見橋線では、高野線難波支区に所属する専門系統(支線系統)の乗務員が乗務する。
  • 高野線において全席指定の特急電車運転士は希望調査の上決定され、特急乗務員になると「特急系統」と呼ばれる専用乗務行路が与えられ、同時に所属も高野線列車区難波支区となる。また、全席指定の特急には業務委託先の「アバン」に所属する女性車掌が乗務し、8両編成の特急には女性のパッセンジャーズ・アテンダント (PA) も乗務する。これは8両編成の場合、11000系+31000系の組み合わせ以外では両編成間の車内での通り抜けができず、進行方向前4両側にも車内検札等の係員が乗務する必要が生じるため。
  • 橋本駅 - 極楽橋駅間では、高野下駅以南の連続急勾配区間における特殊な運転技術や異常時対処方などが要求されることから、高野線列車区橋本支区の専門乗務行路が組まれ、ワンマン列車も運行されていることから一部行路で「乗組制」が敷かれていない。なお過去には高野下駅折り返しの急行において、一般系統行路担当乗務員が難波駅 - 高野下駅間を通しで担当する場合があった。
  • 橋本駅では、難波方面行き電車は通常4番線に入線するが、ダイヤの都合上5番線に入線する時は電鈴1打の合図を車掌に対して行う。この合図に対する車掌の返事も電鈴1打または2打である。なお、下古沢駅 - 紀伊神谷駅間でも、出発前に車掌に対して電鈴1打による閉扉良しの合図を送る。
  • 終着駅到着後、車掌が降車側の扉を開ける。その後運転士は車掌スイッチの切り換えを行い、切り換え完了後乗車側の扉を開扉し、車掌に対して電鈴で合図を送る。合図を受けた車掌は車掌スイッチが作動しないことを確認した後、電鈴で合図を送る。そして降車側扉は運転士によって閉扉される(南海本線では降車側扉の閉扉は車掌が行う)。
  • 運転士は指定された駅において、乗降客確認のための後方監視を行う(ただし任意で他の駅でも後方監視を行う場合がある)。
  • 九度山駅 - 極楽橋駅間では、トンネルが連続する区間であるため、昼間でも遮光幕を閉めることがある。
  • 始発駅から乗務する際、ヘッドライトの点灯確認を行う。なおヘッドライトは昼間時も含めて常時点灯である。

歴史

高野鉄道
 
種類 株式会社
本社所在地   日本
大阪府泉北郡向井村[46]
設立 1896年(明治29年)4月[46]
業種 (鉄軌道業)
代表者 社長 伊藤喜十郎[46]
資本金 1,500,000円[46]
特記事項:上記データは1907年(明治40年)現在[46]
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大阪高野鉄道
 
種類 株式会社
本社所在地   日本
大阪府南河内郡長野町[47]
設立 1907年(明治40年)9月[47]
業種 (鉄軌道業)
代表者 社長 根津嘉一郎[47]
資本金 4,000,000円[47]
(払込高:2,200,000円)[47]
特記事項:上記データは1922年(大正11年)現在[47]
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から西高野街道に沿って高野山を目指し、高野鉄道株式会社が1896年に設立され(この年時点の社長は松方幸次郎[48])、1898年に大小路駅(現在の堺東駅) - 狭山駅間を開業し、同年中に長野駅(現在の河内長野駅)まで延びた。当初の計画では大小路駅から南海鉄道の堺駅に接続する予定だったが、住吉大社我孫子観音への参詣客が見込めることから方針を転換。大小路駅から北上して住吉東駅を起点に狭山・長野方面、さらには和歌山県橋本への延伸を目論む。だが高野鉄道の経営は思わしくなく、(高野杉)や吉野杉を水運の拠点だった木津川口まで輸送することを企図することと[49]、難波延長は、当時の南海鉄道と並行するため、監督官庁の許可が下りず、道頓堀駅(現在の汐見橋駅)まで延伸して自力で大阪市内へ乗り入れた。それでも日清戦争後の不況で業績は好転せず、高野鉄道は長野駅 - 橋本駅間の延伸を断念。終には根津嘉一郎の出資によって設立された高野登山鉄道が事業を継承して、路線延長が図られることになった(この時に高野登山鉄道の現地支配人として根津によって送り込まれたのが、のちに東京地下鉄道を開業する早川徳次である)。

高野登山鉄道は、1915年に汐見橋駅 - 橋本駅間を開通させ大阪高野鉄道と社名変更。その後、和歌山水力電気が保有していた橋本 - 高野山大門間の免許を買収し、高野大師鉄道を設立して、このうち橋本 - 椎出(高野下)間の工事を着工する。1922年に大阪高野鉄道・高野大師鉄道はともに南海鉄道と合併し、高野大師鉄道によって着手していた橋本駅 - 高野山駅(現在の高野下駅)間は1925年に開通した[50]

だが南海鉄道との合併の際に、椎出(高野下)以南の免許は和歌山水力電気に返還。さらに和歌山水力電気も京阪電気鉄道に買収され、結局南海は別会社として高野山電気鉄道を設立。京阪から路線免許を再度買収の上で建設し、1928年高野下駅 - 神谷駅(現在の紀伊神谷駅)間が開業、翌年極楽橋駅まで開業し全通した[注 15]。南海鉄道は1944年に関西急行鉄道に合併し近畿日本鉄道となったが、この高野山電気鉄道は戦後、南海が分離独立する際の受け皿会社となった。

1960年代ごろから沿線の宅地開発が進み、南海も美加の台住宅地や南海橋本林間田園都市を建設する。その通勤輸送増加に対応するため、列車編成増強や河内長野駅以南の線路改良を進め、1995年には橋本駅までの複線化を完成させた[51]。この結果、1980年代前半までは三日市町駅以北に限られていた21m級車体の大型車両の運行区間が、1984年に林間田園都市まで、1992年には橋本駅まで延長された[51]。なお、全通当初の路線距離は汐見橋駅 - 極楽橋駅間で65.1kmであったが、河内長野駅 - 橋本駅間の線路改良で、1995年に河内長野駅 - 極楽橋駅間で0.6km短縮されている。

その反面、橋本駅 - 極楽橋駅間の乗客数は減少の一途を辿り、2000年12月と2003年5月のダイヤ改正で高野下駅 - 極楽橋駅間において日中の運転本数の削減が行われ(30分間隔→36分間隔→1時間間隔)、さらに2005年10月のダイヤ改正では同区間を運行する列車が4両編成の直通急行から2両編成・ワンマン運転の各停が中心となるダイヤに変更された。

一方、事実上支線化された汐見橋駅 - 岸里玉出駅間(汐見橋線)は乗客が減少し減便されながらも存続してきた。なにわ筋線構想が持ち上がって以降は、汐見橋線はその接続路線という意味でも注目されていた。しかし、なにわ筋線計画は高額の建設費がネックとなって長らく建設の事業主体が決まらず頓挫した状態にあり、しかも、2009年4月に地元首長や経済界・鉄道会社幹部が集まって開かれた「関西活性化に向けた今後の鉄道ネットワークのあり方に関する懇談会」では「建設が必要」という意見で一致しものの、同時に起点を難波駅とする意見も示されており、仮になにわ筋線の着工が決まっても汐見橋線が利用されるかどうかは流動的な情勢となっていた。さらに、2011年に発表された国土交通省近畿運輸局の調査結果では、汐見橋駅接続では黒字化が望めないのに対し、難波駅接続では最短で24年目に黒字化が望めるとして、難波駅接続ルートが有力とされた[52]。2012年には近畿運輸局の検討会で難波ルートとすることで合意され[53]、2019年7月には北梅田 - 新難波 - 新今宮の経路で事業許可が下り[54]、汐見橋ルートは完全に潰えた。

年表

  • 1898年明治31年)
    • 1月30日:高野鉄道により大小路駅(現在の堺東駅) - 狭山駅間が開業[55]
    • 4月2日:狭山駅 - 長野駅(現在の河内長野駅)間が開業。
  • 1900年(明治33年)
    • 9月3日:道頓堀駅(現在の汐見橋駅) - 大小路駅間が開業[56]
    • 9月7日:(臨)百舌鳥駅(現在の百舌鳥八幡駅)が開業[57]
    • 9月8日:大小路駅を堺駅に改称の旨届出があったと官報掲載[58]
    • 9月11日:住吉駅を住吉東駅に、堺駅を堺東駅に改称の旨届出があったと官報掲載[59]
  • 1901年(明治34年)1月1日:道頓堀駅を汐見橋駅に改称。
  • 1902年(明治35年)1月1日:(臨)我孫子駅(のちの若宮駅)が開業。
  • 1903年(明治36年)2月26日:勝間駅を阿部野駅(現在の岸里玉出駅)に改称。
  • 1907年(明治40年)11月15日:高野鉄道が事業一切を高野登山鉄道に譲渡。
  • 1912年(明治45年)
    • 同年ごろ:百舌鳥貨物駅廃止[17]
    • 3月16日:我孫子駅を若宮駅に改称届出。
  • 1912年(大正元年)
    • 10月10日:汐見橋駅 - 長野駅(現在の河内長野駅)間が600V電化。我孫子前駅・中百舌鳥駅・萩原天神駅が開業[60]
    • 11月15日:芦原町駅が開業。
  • 1913年(大正2年)
    • 2月21日:津守駅が開業。
    • 4月4日:河内半田駅 - 滝谷駅間に貨物駅として第一半田駅が開業(1927年 - 1930年ごろ廃止)。
    • 5月10日:第一半田駅 - 滝谷駅間に貨物駅として第二半田駅が開業(1927年 - 1930年ごろ廃止)。
    • 12月27日:百舌鳥駅を百舌鳥八幡駅に改称の旨届出があったと官報掲載[61]
  • 1914年(大正3年)
    • 5月22日:狭山駅 - 滝谷駅間の池尻信号所廃止届出。
    • 8月7日:北野田駅が開業。
    • 10月21日:長野駅 - 三日市町駅間が開業。以降当初から電化。
  • 1915年(大正4年)
    • 3月11日紀見トンネル(通称「紀見峠トンネル」、現在の天見駅 - 紀見峠駅間上り線)開通。三日市町駅 - 橋本駅間が開業。
    • 4月2日:高野辻駅 - 橋本駅間に(臨)橋本町駅開業。同年限りで廃止。
    • 4月30日:高野登山鉄道が大阪高野鉄道に社名変更。
    • 6月22日:浅香山駅が開業。
    • 9月1日:橋本駅 - (妻信号所) - (貨)紀ノ川口駅間が開業。
    • 9月18日:西天下茶屋駅が開業。
  • 1917年(大正6年)
    • 7月5日:河内半田駅(現在の大阪狭山市駅)が開業。
    • 8月1日:住吉東駅 - 我孫子前駅間の(臨)若宮駅が廃止。
    • 10月1日:高野辻駅 - 橋本駅間に(臨)市脇山駅開業。1918年まで開設。
  • 1922年(大正11年)9月6日:南海鉄道が大阪高野鉄道を合併。高野線になる[62]
  • 1923年(大正12年)
    • 4月21日:高野辻駅を御幸辻駅に改称[63]
    • 12月1日:汐見橋駅 - 橋本駅間で40分ごとに運転(大運転列車)[64]
  • 1924年(大正13年)
    • 3月18日:住吉東駅 - 我孫子前駅間が複線化。
    • 9月8日:阿部野駅 - 住吉東駅間が複線化。
    • 10月26日:汐見橋駅 - 木津川駅間が複線化。
    • 11月1日:妻信号所 - 学文路駅間が開業[65]。橋本駅 - 紀ノ川口駅間に妻信号所が開設。
    • 12月25日:学文路駅 - 九度山駅間が開業[65]
  • 1925年(大正14年)
    • 2月1日:阿部野駅を岸ノ里駅(現在の岸里玉出駅)に改称[66]
    • 3月15日:岸ノ里駅に南海本線との東連絡線開設。難波駅乗り入れ開始[65]。難波直通列車はホームがないため岸ノ里駅を通過。清水駅が開業。
    • 3月27日:清水駅を紀伊清水駅に改称[67]
    • 3月28日:高野山電気鉄道設立。
    • 6月8日:我孫子前駅 - 堺東駅間が複線化。
    • 7月30日:九度山駅 - 高野山駅(現在の高野下駅)間が開業[68]
    • 9月11日:高野山駅を高野下駅に改称[69]
  • 1926年(大正15年)12月3日:西天下茶屋駅 - 岸ノ里駅間および、岸ノ里駅東連絡線が複線化。西連絡線が開設。
  • 1927年昭和2年)7月19日:妻信号所 - 紀ノ川口駅間に(貨)紀伊河瀬駅が開業。
  • 1928年(昭和3年)
    • 6月18日:高野山電気鉄道が高野下駅 - 神谷駅(現在の紀伊神谷駅)間が開業。1500V電化。
    • 6月22日:堺東駅 - 西村駅間が複線化。
  • 1929年(昭和4年)
    • 2月21日:高野山電気鉄道の神谷駅 - 極楽橋駅間が開業し全通。
    • 10月10日:西村駅 - 北野田駅間が複線化。
    • 11月1日:高野線全列車難波駅より発着開始。汐見橋駅 - 岸ノ里駅が事実上支線化[70]。汐見橋駅発着列車は住吉東駅(出入庫列車は堺東駅)発着になる。
  • 1930年(昭和5年)
    • 3月1日:細川駅を紀伊細川駅に、神谷駅を紀伊神谷駅に改称。
    • 4月12日:木津川駅 - 西天下茶屋駅間、北野田駅 - 狭山駅間が複線化。
    • 6月29日鋼索線(極楽橋駅 - 高野山駅間)が開業し高野山上までの鉄道のみでのルートが完成。
  • 1932年(昭和7年)4月28日:高野山電気鉄道が600Vに降圧し、南海高野線と相互直通運転開始。
  • 1934年(昭和9年)12月26日:帝塚山駅が開業。
  • 1935年(昭和10年)8月1日:西村駅を初芝駅に改称。
  • 1937年(昭和12年)
    • 4月19日:狭山駅 - 金剛駅間が複線化。金剛駅が開業。
    • 3月17日:紀伊神谷駅で暴走した電車が脱線、転覆。乗客2人が死亡、12人重軽傷の被害[71]
  • 1938年(昭和13年)2月11日:金剛駅 - 長野駅間が複線化。千代田駅が開業。
  • 1942年(昭和17年)2月15日:沢ノ町駅・三国ヶ丘駅が開業。
  • 1944年(昭和19年)
    • 6月1日:関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道となる。
    • 9月3日:高野山電気鉄道紀伊細川駅 - 上古沢駅間で極楽橋行き電車が床下から火を噴き、停車して点検中に勾配を下り始めカーブで脱線転覆大破。71名死亡。
    • 9月4日:萩原天神駅で100m以上オーバーランした長野発難波行き各駅停車がホームまで戻ったところへ定刻より約10分遅れで同駅通過の三日市町発難波行き急行が追突、通勤通学客で満員の両電車大破。5名死亡。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月13日:難波駅乗り入れ休止、全列車が汐見橋駅発着となる。
    • 12月6日:汐見橋発橋本行き電車が速度超過により紀見峠駅の安全側線を越えて脱線転覆。27名死亡。
  • 1946年(昭和21年)7月1日:難波駅乗り入れ再開[72]
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月15日:高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更。
    • 6月1日:近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡。
  • 1949年(昭和24年)7月30日:中百舌鳥駅 - 初芝駅間に(臨)中百舌鳥運動場前駅が開業。
  • 1950年(昭和25年)4月1日:河内半田駅を狭山遊 ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。