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北別府学

北別府 学(きたべっぷ まなぶ、1957年7月12日[1] - )は、鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市[2]出身の元プロ野球選手投手)。現在は日本プロ野球名球会理事[3]YouTuberとして活動している。

北別府 学
基本情報
国籍 日本
出身地 鹿児島県曽於郡末吉町(現:曽於市
生年月日 (1957-07-12) 1957年7月12日(65歳)
身長
体重
181 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1975年 ドラフト1位
初出場 1976年9月16日
最終出場 1994年9月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 広島東洋カープ (2001 - 2004)
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 2012年
選出方法 競技者表彰
北別府 学
YouTube
チャンネル
  • 北別府学チャンネル
活動期間 2019年7月31日 -
ジャンル 野球
登録者数 4610人
総再生回数 315,575回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2021年9月4日時点。
(テンプレートを表示)

経歴

プロ入り前

中学時代は最初テニス部に所属していたが校内野球大会での活躍が認められ、後に野球部のエースピッチャーになった[2]宮崎県立都城農業高等学校で1年生からエースとして活躍。1974年、2年生時の夏の甲子園県予選では準決勝で延岡高に敗退。翌1975年春季九州大会1回戦では、伝習館高を相手に完全試合を達成する。しかし同年夏も県予選準決勝で日南高に完封を喫し、甲子園には出場できなかった。

1975年のドラフト会議にて1位指名され広島東洋カープに入団した[4]。同期には山根和夫長内孝小林誠二らがいる(山根は1977年入団)。甲子園には出場していないため、この時はまだ全国的には無名の存在で、広島スカウト陣以外には日本ハムファイターズ監督に就任したばかりだった大沢啓二が目をつけているだけだった[4]。大沢は関係者から得た情報を基に北別府の指名を検討していたが、フロントやスカウト陣の反応は薄く、結局獲得は見送られてしまったという[4]。大沢は後に「無名の選手だったから獲得しようと思えば簡単にできた。指名できなかったのが心残りだ」と語っている。

プロ入り後

1977年から先発ローテーション入り。1978年に10勝を挙げる。1979年にはチームトップの17勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した[5]1982年には20勝し最多勝沢村賞を獲得。1986年には9月、10月で7勝0敗を記録しチームのリーグ優勝に大きく貢献。最多勝、最優秀防御率最高勝率MVP、沢村賞に輝いた。優勝した試合は8回まで投げきっており、9回も続投する予定だったが、自ら直訴し、最後は抑え津田恒実にマウンドを任せたという美談がある。津田は家族ぐるみでも親交のあった後輩で、後に彼が脳腫瘍を発症した際にも、しばしば見舞っていた。

1989年には12年続いていた規定投球回をクリアできず。1990年も2年連続規定投球回未到達で2年連続一桁勝利に終わり限界説が囁かれた。1991年に11勝を挙げ復活すると同時に最高勝率のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝に貢献。1992年7月16日、対中日ドラゴンズ戦で球団史上初の200勝を達成、これは同時に日本プロ野球における1990年代で唯一の達成で20世紀最後の200勝到達でもあった。オフの契約更改では広島初の1億円プレーヤーとなった。尚、広島のみに在籍して200勝を記録した投手は球団史上でも北別府のみである(NPBでは広島のみに在籍した選手の中でMLBでの記録を合算すると黒田博樹が達成している)。

1994年に、この年限りでの現役引退を表明。1994年8月21日巨人22回戦で松井秀喜から本塁打を浴び、金田正一の379を上回りセ・リーグの最多被本塁打記録となる380を記録した。またホーム最終戦となる9月20日の巨人戦では引退登板が予定されていたが、この年のセ・リーグは広島・巨人・中日の3チームが終盤戦まで三つ巴の激しい優勝争いを繰り広げており、この日の試合も展開が二転三転する状況で遂に登板の機会に恵まれず、試合後に引退セレモニーのみが執り行われた。なおこの試合は8対7で広島が勝利し、引退試合は翌1995年3月12日オープン戦にて行われた。

引退後

引退後は1995年から2000年までテレビ朝日広島ホームテレビ野球解説者に就任。2001年から2004年まで広島の投手コーチを務めた。2005年より再び広島ホームテレビ解説者を務めている。2005年から2007年まではデイリースポーツ野球評論家も兼任。2007年9月、自身の野球人生を綴った自伝「それでも逃げない」(グラフ社刊、友野康治との共著)を出版、この中で、娘が医学生であることを明かしている。

2010年からは沢村賞の選考委員を務める。2012年1月13日野球殿堂に競技者表彰にて選出された[6]。2017年6月、学生野球資格を取得[7][8][9]

2018年5月30日、私立英数学館高校硬式野球部のコーチ(非常勤)に就任[7][8][9]。2019年8月からはYouTubeに「北別府学チャンネル」を開設し、YouTuberとしての活動を始めた。

2020年1月20日、2年前に成人T細胞白血病と診断されていたことを公表した[10][11]。5月5日、骨髄移植を受けるために入院[12]。2022年6月28日、感染症からくる敗血症を患っていることを妻がブログで公表した[13]

プレースタイル

制球力

優れた制球力から「精密機械」の異名を取り、投手王国と呼ばれた1980年代の広島の主軸として活躍した。直球は投げる比率は低くて最高球速は144km/hで、球種はスライダーカーブシュートシンカーなどであった。特にスライダーの出し入れで内と外を使い分ける投球術が持ち味だった[14]

全盛期は非常に理想的な美しい投球フォームであった。広島大学の研究者が北別府の肩の動作解析を行い、力学的にどこにも無駄な力が入っていない、自然な肩の回転に驚いたというエピソードがある[15]

精密機械と呼ばれるほどの抜群の制球力を身に着けたきっかけは、プロ入りして間もなく、並み居る先輩投手の投球練習を見て、そのボールスピードに圧倒されたことだったという。速度で敵わないならコントロールを磨くよう心がけ[16]、3年頑張って結果を残せなかったら野球を辞めて故郷に帰ろうと考えていたと、後に本人は語っている。

そのコントロールの良さを示すエピソードとして、(本塁)上の三角形地点に置いた3個の空き缶を、たった3球投げただけで全て倒してのけたという話がある[17]。バッテリーを組んでいた達川光男もその投球について「ミットを動かさずに捕れる」と高く評価しており、広島投手コーチ時代に「筋肉番付」で「ストラックアウト」に挑んだ際には、現役選手でも中々達成できないパーフェクトを成し遂げていた。

記録

現役時代に残した通算213勝は日本プロ野球歴代第18位記録、先発勝利数200勝は歴代第10位記録で、これらは共に広島東洋カープの球団記録でもある。また通算成績のうち、対中日戦成績は52勝27敗の中日キラーであった[18]。1978~80年は12連勝、1983~86年は13連勝を記録、通算52勝27敗(勝率.658)という成績を残している。なお、200勝目を挙げたのも中日戦である。

セ・リーグ最多タイ記録となる最高勝率を3回獲得している。

一方、日本シリーズには5回出場(1979年・1980年1984年・1986年・1991年)し、11試合(先発は6試合)登板で防御率3.21ながら0勝5敗と一度も勝利投手になれなかった。

生涯記録したボークは2で、初登板から2420回1/3イニングボークなしという記録を達成している。

投手として200勝を挙げた一方で、打撃に関しても現役通算で5本の本塁打を放っており、これは広島に所属した投手(野手転向した選手は除く)としてはコルビー・ルイスと並び歴代最多である。

人物

愛称は「ペイ[19]、「ぺー[20]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1976 広島 9 4 0 0 0 2 1 0 -- .667 125 29.1 28 5 12 0 0 18 0 0 13 13 4.03 1.36
1977 33 22 3 0 0 5 7 0 -- .417 588 131.2 150 27 51 1 6 90 0 0 87 81 5.52 1.53
1978 39 25 8 2 1 10 7 0 -- .588 745 175.0 180 27 56 0 7 98 2 0 91 89 4.58 1.35
1979 36 33 12 3 4 17 11 0 -- .607 905 215.2 218 23 39 2 15 155 1 0 92 86 3.58 1.19
1980 30 30 6 2 0 12 5 0 -- .706 766 177.2 210 19 44 6 9 82 0 0 86 80 4.04 1.43
1981 32 32 13 2 3 16 10 0 -- .615 934 226.1 229 28 43 6 8 123 2 0 89 83 3.31 1.20
1982 36 35 19 5 5 20 8 1 -- .714 1061 267.1 223 22 44 5 6 184 2 0 89 72 2.43 1.00
1983 33 30 12 1 0 12 13 0 -- .480 918 215.2 228 25 61 2 8 106 1 0 108 95 3.96 1.34
1984 32 27 9 2 1 13 8 2 -- .619 855 203.2 215 18 46 3 2 99 1 0 83 75 3.31 1.28
1985 35 24 8 3 2 16 6 2 -- .727 833 199.0 209 19 55 3 8 85 3 0 88 79 3.57 1.33
1986 30 30 17 4 5 18 4 0 -- .818 915 230.0 216 21 30 4 10 123 0 0 67 62 2.43 1.07
1987 29 29 6 1 4 10 14 0 -- .417 776 181.1 206 26 31 5 2 119 2 0 101 88 4.36 1.30
1988 27 27 13 1 9 11 12 0 -- .478 861 209.2 224 22 27 5 3 112 3 2 87 73 3.13 1.20
1989 22 21 1 0 0 9 10 0 -- .474 482 110.0 135 22 18 0 4 69 1 0 75 67 5.48 1.39
1990 17 17 1 0 1 8 4 0 -- .667 420 98.1 115 15 14 3 2 58 1 0 52 48 4.39 1.31
1991 25 24 3 1 0 11 4 0 -- .733 582 141.1 149 20 31 2 2 73 0 0 56 53 3.38 1.27
1992 26 26 4 1 1 14 8 0 -- .636 735 181.1 179 15 28 1 2 101 1 0 61 52 2.58 1.14
1993 13 13 0 0 0 6 6 0 -- .500 302 69.0 79 13 17 0 3 38 0 0 41 40 5.22 1.39
1994 11 11 0 0 0 3 3 0 -- .500 215 50.2 62 13 9 0 2 24 0 0 33 32 5.68 1.40
通算:19年 515 460 135 28 36 213 141 5 -- .602 13018 3113.0 3255 380 656 48 99 1757 20 2 1399 1268 3.67 1.26
  • 各年度の太字はリーグ最高

通算打撃成績

1039打数140安打(.135) 5本塁打 55打点

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000投球回:1982年5月4日、対阪神タイガース2回戦(広島市民球場)、5回表3死目に達成
  • 1500投球回:1984年5月23日、対中日ドラゴンズ7回戦(ナゴヤ球場)、8回裏1死目に達成
  • 100勝:1984年6月28日、対横浜大洋ホエールズ14回戦(横浜スタジアム)、先発登板で6回2失点 ※史上85人目
  • 1000奪三振:1985年8月4日、対横浜大洋ホエールズ16回戦(横浜スタジアム)、8回裏にジェリー・ホワイトから ※史上71人目
  • 2000投球回:1986年8月20日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤ球場)、3回裏2死目に達成
  • 150勝:1987年9月29日、対阪神タイガース25回戦(阪神甲子園球場)、先発登板で5回無失点 ※史上37人目
  • 2500投球回:1989年5月31日、対中日ドラゴンズ6回戦(広島市民球場)、2回表2死目に達成
  • 1500奪三振:1990年7月30日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に中村武志から ※史上32人目
  • 200勝:1992年7月16日、対中日ドラゴンズ15回戦(ナゴヤ球場)、先発登板で8回1失点 ※史上22人目
  • 3000投球回:1993年4月10日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、7回裏1死目に達成
その他の記録

背番号

  • 20 (1976年 - 1994年)
  • 73 (2001年 - 2004年)

関連情報

出演番組

著書

単著
  • CARPはなぜCSに出られないのか・・・ 手を伸ばせば、すぐそこに・・・(2013年4月、ザメディアジョン)
  • カープ魂~優勝するために必要なこと~ (光文社新書)(2015年11月、光文社
共著
  • 北別府学それでも逃げない―二十世紀最後の200勝投手(2007年9月、グラフ社) 友野康治との共著

漫画・アニメ

  • 野球狂の詩 - 漫画・アニメ双方に登場。その他の漫画にもモデルとなった人物は複数登場。

講師

演じた人物

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 当時は最高勝率の連盟表彰はなかったが、日本野球機構オフィシャルサイト[1]には、1985年、1986年、1991年の「最高勝率」として北別府の名前が記載されている。なお、タイトルとしての「最優秀勝率投手」および「勝率第一位投手」については、「最高勝率 (野球)」を参照のこと。

出典

  1. ^ “北別府学 | 選手”. 週刊ベースボールONLINE. 2023年4月18日閲覧。
  2. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、184ページ
  3. ^ “日本プロ野球名球会オフィシャルサイト”. 2021年8月24日閲覧。
  4. ^ a b c “日めくりプロ野球 【12月24日】1975年(昭50) 広島にクリスマスプレゼント、北別府入団”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2007年12月24日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0712/kiji/K20101201Z00003360.html 2013年9月6日閲覧。 
  5. ^ “江夏の21球 “赤ヘル野球”軌道乗った1979年”. デイリースポーツ online (2022年7月14日). 2022年7月18日閲覧。
  6. ^ “故津田恒実氏 野球殿堂入り 北別府氏ら4人を選出”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2012年1月13日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/01/13/kiji/K20120113002423230.html 2012年1月13日閲覧。 
  7. ^ a b “元広島・北別府さんが球児指導 英数学館高の非常勤コーチ就任”. 山陽新聞デジタル. (2018年5月30日). https://www.sanyonews.jp/article/724003 2018年5月31日閲覧。 
  8. ^ a b “元カープの北別府さん、広島の高校の非常勤コーチに就任”. 朝日新聞デジタル. (2018年5月31日). https://www.asahi.com/articles/ASL5Z4270L5ZPITB00H.html 2018年5月31日閲覧。 
  9. ^ a b “北別府さん 球児を指導”. 読売新聞 (2018年5月31日). 2018年5月31日閲覧。[]
  10. ^ “元広島エース北別府学さん、白血病公表 21日入院「カープの日本一を見届けるために必ずや復活を」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2020年1月21日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/01/21/kiji/20200121s00001173030000c.html 2020年1月21日閲覧。 
  11. ^ “【医師の見解】北別府氏「白血病」…ウイルス原因、実際の白血病とは異なる病気”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2020年1月21日). https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2020/01/21/0013050572.shtml 2020年1月21日閲覧。 
  12. ^ “白血病公表の北別府さん、骨髄移植のため入院「息子達に母さんを頼むなと伝えました」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2020年5月5日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/05/05/kiji/20200505s00001173199000c.html 2020年5月5日閲覧。 
  13. ^ “元広島 北別府学氏が敗血症に 妻の広美さんが明かす「もう一度必ず家に戻してあげたい」/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2022年6月29日閲覧。
  14. ^ 強気なリードと闘志あふれる投球スタイル『北別府VS達川』を語る。 - YouTube
  15. ^ “第19回 北別府学「最近は完投に対するこだわりがなくなりましたねえ」 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2023年4月18日閲覧。
  16. ^ ベースボール博物館『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/6, 81頁。
  17. ^ 週刊ベースボール、引退記念の達川光男との対談で発言。
  18. ^ 【vs 北別府学】精密機械の完璧な制球力!西本聖対策の応用で見えてきたもの【谷沢健一 対戦の記憶】 - YouTube
  19. ^ NGなしの質問コーナー後編!現役時代の犬猿の仲トップ3高橋慶彦が語る - YouTube
  20. ^ 「ぺー、頑張れ」大島康徳さんが“がん友”北別府さんにエール「妻が奥様にお身体に気をつけてと…」― スポニチ Sponichi Annex 野球
  21. ^ “曽於市PR大使”. 曽於市. 2017年12月8日閲覧。
  22. ^ デイリースポーツ広島版2018年1月9日22面「あの人〜ネクストステージ〜 北別府学」. 2018年1月9日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 北別府学 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
  • 野球殿堂 北別府学 - 公益財団法人野球殿堂博物館
  • 北別府学(キタベップマナブ) | ホリプロオフィシャルサイト
  • 北別府学オフィシャルブログ - Ameba Blog
  • 北別府学 (@m_kitabeppu) - Twitter
  • 北別府学 (manabu.kitabeppu) - Facebook
  • 北別府学チャンネル - YouTubeチャンネル
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