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円谷プロダクション

円谷フィールズホールディングス > 円谷プロダクション

株式会社円谷プロダクション(つぶらやプロダクション、: Tsuburaya Productions Co., Ltd.)は、日本の独立系映像製作会社。円谷フィールズホールディングス株式会社の連結子会社で、株式会社バンダイナムコホールディングスの持分法適用会社。

株式会社円谷プロダクション
Tsuburaya Productions Co., Ltd.
本社が入居する渋谷ガーデンタワー
種類 株式会社
略称 円谷プロ
本社所在地 日本
150-0044
東京都渋谷区南平台町16番17号
渋谷ガーデンタワー24階
設立 1963年4月12日
業種 (情報・通信業)
法人番号 8011001070222
事業内容 映像作品の企画、制作、配給、商品化、広告ライセンシング事業
ライブイベント企画、制作、運営
映像、造形技術提供
代表者 代表取締役会長兼CEO 塚越隆行
代表取締役社長兼COO 永竹正幸
資本金 3億1000万円(2008年1月21日時点)
売上高 55億8884万円(2007年2月期実績)
総資産 52億896万円(2007年2月期実績)
従業員数 162名
決算期 2月28日
主要株主 円谷フィールズホールディングス株式会社 51%
株式会社バンダイナムコホールディングス 49%
関係する人物 円谷英二(創業者)
外部リンク tsuburaya-prod.com
特記事項:
1963年4月12日、株式会社円谷特技プロダクションとして設立。
1968年12月6日、社名を株式会社円谷プロダクションに変更。
(テンプレートを表示)
東京都世田谷区八幡山の旧円谷プロダクション本社

高度な特殊撮影技術を用いた作品を作ることで知られており、「ウルトラシリーズ」を始めとする数多くのテレビ番組や映画を製作し続けている。

経営母体の変遷

円谷プロダクションの作品は「ウルトラシリーズ」に代表されるように、クオリティの高い作品が多いが、それゆえに1本当たりの制作費が高くなり、作れば作るほど制作費の赤字がかさむという負の連鎖に長年悩まされていた。やがて、この問題は円谷プロダクションの経営にたびたび大きく影響を及ぼしはじめた。

東宝の傘下

円谷プロダクションの設立当初は、創業者の円谷英二の出身の映画会社である東宝との結びつきが強く、円谷プロダクションの筆頭株主にもなっており、東宝役員が非常勤役員を兼ねたり支配人など事務系スタッフを出向させていた。また、東宝の東京都世田谷区にある撮影所の近くにある衣装部の倉庫や東京美術センター(東宝ビルトとなったあと会社解散になり解体済み)の提供を受けたり、東宝受注のテレビ番組と映画を孫受けて受注するなどしていた。

1969年、特撮テレビドラマ『怪奇大作戦』が終了するころになっても、テレビ局からの新番組の発注はなく、仕事が途絶えてしまう。経営に行き詰まった円谷プロダクションは資金調達のために増資を実施。筆頭株主の東宝がこれを引き受けて当社株の60%を取得し、子会社化した。社長は円谷英二だったが、東宝からは7人の役員が派遣され、東宝の藤本真澄も代表権を持った。東宝はリストラによる経営再建策で、金城哲夫が所属している企画文芸部を廃止して約150人いた社員を40人にまで圧縮した[1][2]。滞っていた業者への支払いや借金返済についても、親会社になった東宝の力によって5年間の猶予期間が設けられた。そのおかげで、円谷プロダクションは制作を継続することができた[3]

1970年1月25日、円谷英二の病死により、円谷一が2代目社長に就任。

1973年2月9日、円谷一の急死により、円谷皐が3代目社長に就任。

1979年、映画『ウルトラマン怪獣大決戦』が松竹富士系で大ヒットしたが、これに関して映画雑誌『キネマ旬報』に「ライバルの松竹に塩を送った格好の東宝は渋い顔」という内容の記述がある[要文献特定詳細情報][注釈 1]

1983年、経理は東宝から出向した重役が管理しており、代表印も東宝が保有していた。これにより、東宝のメインバンクであった三和銀行(現・三菱UFJ銀行)からの融資も容易になっており、経営難を乗り越えることができていた[4]。皐はこの状況を快く思っていなかった。

円谷家の経営

1992年TBSへ期限付きで譲渡していた「ウルトラシリーズ」の販売権や窓口権が戻ってくると、これらの権利を担保に得た資金で、円谷プロダクションの株式を円谷皐が15%、皐が設立した円谷エンタープライズが45.5%を取得して東宝との資本関係を解消。皐が株の過半数を握るオーナー社長として円谷プロダクションを運営していた[5]

1995年6月11日、円谷皐が病気により退任し、円谷一夫が4代目社長に就任。その後、皐が死去したため、円谷プロダクションの株は一夫に相続された[6]

2001年、特撮テレビシリーズの本格的再開により、制作費は増加してしまった。しかし、その一方で大ヒットに恵まれなかったこと、東宝からの離反に伴いかつての後ろ盾であった三和銀行が抜けたため、経営基盤が弱体化してTBSとの関係が悪化してしまう[7]2002年2月、円谷プロダクションを退社していた(円谷粲)が再入社して副社長に就任[8]

2003年、円谷一夫が辞任して円谷昌弘が5代目社長、円谷一夫が代表権を持つ会長、円谷英明が専務に就任。一方で専務取締役の高野宏一は、この過程でバンダイの乗っ取りに加担するクーデターを計画したとして、辞表を出すように要求され退社する事態となった[9]

2004年6月、円谷昌弘が女性社員へのセクハラ問題で辞任し、円谷英明が6代目社長に就任[10]。経理の正常化を目指した英明も1年後に役員会で解任動議が出され、過半数の株を持つ会長の一夫の同意により解任。東宝不動産の取締役だった(大山茂樹)が7代目社長に就任[11]

2007年2月、期決算で売上高約56億円に対して当期純利益は約4400万円にとどまった。累積赤字の膨張による倒産を危惧した役員は、一夫から制作部の昌弘への社長交代を要求。6月、取締役会で大幅なリストラを主張していた大山の解任により、一夫が8代目社長に就任[12]

TYOの連結子会社化

円谷プロダクションは銀行からの融資がストップしたため、30億円の累積赤字を抱えて倒産の危機に直面した。10月、非常勤取締役の(森島恒行)の紹介により、CM映像のコンテンツ製作などを手がける映像会社のTYOから、当面の資金繰りのための数千万円の融資を受けた。しかし、それを返済できなかったため、TYOが担保になっていた円谷エンタープライズの株の過半数を取得。さらに、TYOが第三者割当増資で取得した株と合わせて、円谷エンタープライズの株式の80%を保有し、筆頭株主となった。また、一夫が保有していた円谷プロダクションの株22.5%を円谷エンタープライズに譲渡することにより、円谷エンタープライズにおける円谷プロダクションの株保有比率を45.5%から68%に引き上げた。これらのプロセスを経て、円谷プロダクションの経営権をTYOが取得し、同社グループ入りした[13]

一夫は解任され、森島が9代目社長に就任。TYOの経営参画後は、一夫が円谷プロダクションと円谷エンタープライズの会長として残ったものの、円谷プロダクションの設立から続いてきた設立者一族の円谷家による同族経営に終止符が打たれた。

バンダイナムコグループの資本参加

TYOによる内部的な組織改革などが進み、これらと並行して円谷プロダクションとは「ウルトラシリーズ」で強い縁を持つバンダイナムコグループが資本参加。

2008年1月21日、TYOは持ち株のうち、33.4%をバンダイナムコグループの子会社であるバンダイに譲渡売却。10月、森島が辞任して大岡新一が10代目社長に就任。

2009年7月、さらなる株式譲渡が行われ(バンダイ持ち株比率は49%)、バンダイナムコグループの円谷プロダクションにおける経営発言力が増した。この間に一夫は会長から名誉会長へ退き、その後名誉職も退任し、これで円谷家は経営から一切排除されることになった。

フィールズグループへの参加

2010年4月2日、TYOは保有する51%の株すべてをフィールズに売却し、円谷プロダクションはフィールズの連結子会社になった[14][15]2014年3月期に2007年ごろから続いてきた債務超過を解消した[16]

2017年8月1日、大岡が辞任して(塚越隆行)が11代目社長に就任。2019年4月1日、塚越が辞任して(永竹正幸)が12代目社長に就任。塚越は会長に就任。

2022年10月、フィールズがグループ会社を含めた持株会社制に移行するのに伴い、円谷プロは「円谷フィールズホールディングス」の傘下となった。同年3月の時点でフィールズの営業利益のうち、4割近くを円谷プロが占めている。

沿革

  • 1948年(昭和23年)- 太平洋戦争中に戦意高揚映画を撮影したことから公職追放指定を受け、東宝を依願解雇された円谷英二が、自宅に円谷映画特殊技術研究所(通称「円谷研究所」)を設立[17][18]
  • 1950年(昭和25年)- 円谷英二が東宝に嘱託として復帰する[18]。東宝の撮影所のスタジオ内に円谷研究所と改称した施設を移転[17][18]
  • 1952年(昭和27年)- 円谷英二が公職追放を解除され、東宝に正式に復帰する[17][18]
  • 1956年(昭和31年)- 円谷英二が自宅の敷地に個人的な組織の円谷特技研究所を設立[19][18][20]
  • 1959年(昭和34年)初頭 - 佐川和夫中野稔が所属し、関沢新一の門下生であった脚本家の金城哲夫も参加し、同年に放送された毎日放送の連続テレビ映画『鉄腕アトム』の特撮パートを(松崎プロダクション)から受注する[19][18]
  • 1962年(昭和37年)- 東宝スタジオ内の小さな建物に研究所を移し、円谷特技研究所に改称する[19][18][20]
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月12日 - 円谷特技研究所を法人化し、株式会社円谷特技プロダクションを設立[21][17][19][18][20]。同年8月ごろには撮影助手として鈴木清が、撮影技師として東宝出身で共同テレビジョンのニュースカメラマンであった高野宏一が参加[19][18]
    • 10月27日 - 円谷特技プロダクションとしての特撮シーンの実質的な初仕事となる、日活石原プロモーションが提携した劇場映画『太平洋ひとりぼっち』を公開[21][22][19][18][23]
  • 1964年(昭和39年)3月30日 - 東宝が資本参加を決め、役員を投入[22][19][18][20]。また代表と取締役に東宝の藤本真澄と柴山胖が就任し、東宝の東京都世田谷区の撮影所近くにある旧衣装部の倉庫や東京美術センター(現・東宝ビルト)の敷地を円谷特技プロダクションに本社として貸与[19][18]うしおそうじが退社[24]
  • 1966年(昭和41年)
  • 1968年(昭和43年)
    • 円谷皐が入社。成田亨野長瀬三摩地が退社。
    • 5月10日 - 円谷皐が円谷エンタープライズを設立[17]
    • 12月6日 - 東宝が大幅な増資を引き受け、当社株式の60%を所有する親会社となる。役員10人中7人が東宝から派遣され、東宝の主導で150人の社員を40人にまでリストラして企画文芸部も廃止。商号を株式会社円谷プロダクションに変更[21][17][19][18]
  • 1969年(昭和44年)- 金城哲夫、上原正三、池谷仙克が退社。
  • 1970年(昭和45年)1月25日 - 円谷英二の病死により、TBSを退社した円谷一が2代目社長に就任[19]
  • 1972年(昭和47年)5月 - 円谷音楽出版(現・円谷ミュージック)を設立[注釈 3]
  • 1973年(昭和48年)
  • 1974年(昭和49年)- チャイヨー・プロダクションと共同で映画『』と映画『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』を制作。
  • 1979年(昭和54年)4月4日 - 初のテレビアニメ『ザ☆ウルトラマン』を放映開始。
  • 1983年(昭和58年)4月 - 円谷一夫円谷英明が入社[26]
  • 1984年(昭和59年)- 経営危機に陥る。倒産回避のため、この年から7年間の期間限定で番組販売権と窓口権をTBSに数千万円で売却[27]
  • 1987年(昭和62年)- アメリカハリウッドにウルトラコムを設立。
  • 1989年(平成元年)6月 - (円谷粲)が退社[8]
  • 1991年(平成3年)- 中国上海市に円谷アニメーションスタジオカンパニーを設立[28]
  • 1992年(平成4年)- 円谷皐が東宝が所有する当社株式を過半数取得し、東宝の傘下から独立。円谷皐が経営権を掌握し、諸権利は円谷プロダクション、円谷エンタープライズ、円谷音楽出版に配分された[29]
  • 1995年(平成7年)
    • 6月11日 - 円谷皐が病気により退任、円谷一夫が4代目社長に就任[8]。中国の上海市に「上海圓谷策劃有限公司」設立[30]
    • 12月 - このころからチャイヨー・プロダクションにより「『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』および『ジャンボーグA』の7作品において、日本以外における独占権(以下は本項において「ウルトラマンの海外利用権」)」の主張がなされる(詳しくは「ウルトラマン訴訟」を参照)。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月 - 円谷粲が再入社して副社長に就任。
    • 6月 - 資金繰りに行き詰まり、銀行からの借り入れも出来なくなり、バンダイから経営改善を条件に12月を返済期限に2億円の融資を受ける[9]
  • 2003年(平成15年)- 円谷一夫が辞任し、円谷昌弘が5代目社長に就任。クーデターを計画したとして辞表を提出させられていた専務取締役の高野宏一が退任[9]。右田昌万が退社。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月 - チャイヨー・プロダクションに対する著作権確認訴訟に関する敗訴が最高裁判所判決にて確定。その結果、円谷プロダクションは日本法において「ウルトラマンの海外利用権」を喪失。なお、この権利は1998年にチャイヨー・プロダクションがバンダイから1億円を受け取り、タイ以外の独占利用権行使放棄と引き換えに譲渡しており(本件はチャイヨー・プロダクションの円谷プロダクションへの著作権侵害損害賠償訴訟の敗訴の過程で最高裁判決により確定している)、日本法においては「ウルトラマンの海外利用権」はバンダイが保有していることになる。
    • 6月 - 円谷昌弘が女性社員へのセクハラ問題で辞任し、円谷英明が6代目社長に就任。
  • 2005年(平成17年)
    • 4月 - 本社を東京都世田谷区砧から東京都世田谷区八幡山に移転。旧本社は改装して砧社屋としてヒーローと怪獣の着ぐるみの保管やCG製作に使用。
    • 5月 - 円谷粲が退社。
    • 6月 - 円谷英明が解任され、(大山茂樹)が7代目社長に就任。
  • 2007年(平成19年)
    • 6月 - 大山の解任により、円谷一夫が8代目社長に就任。
    • 10月 - 当社株式の68%をTYOが取得し、同社子会社になった。円谷一夫の解任により、(森島恒行)が9代目社長に就任。設立以来の円谷家による円谷プロダクションの経営に終止符が打たれた。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月7日 - 円谷プロダクションが存続会社となって、円谷エンタープライズ及びTYOの傘下であるビルドアップと合併し、TYOの完全子会社になった。ビルドアップは円谷プロダクションの特撮製作セクションとして再スタートする同時に、資本金を1000万円から3億1000万円へ大幅増資。
    • 1月21日 - 「ウルトラシリーズ」の玩具を長年手がけてきたバンダイが、TYOより当社株式の33.4%を取得。同時に従来は年毎更新であった円谷プロダクションの作品の商品化権を独占化。丸山浩が退社。
    • 2月 - タイの最高裁判所は「ウルトラマンの海外利用権」に関する契約書は偽造されたものであると認定、譲渡は無効と判決。その結果、タイ法では「ウルトラマンの海外利用権」は依然、円谷プロダクションにあることとなる。
    • 2月6日 - 砧社屋を閉鎖し、敷地を東宝へ返却、及び隣接地の自社所有分を東宝不動産へ売却して取り壊しを発表。最後のマスコミ向け公開が実施された[31]
    • 10月 - 森島が辞任し、大岡新一が10代目社長に就任。
    • 12月15日 -「上海圓谷策劃有限公司」解散。
    • 12月24日 - ユーエムがチャイヨー・プロダクションから「ウルトラマンの海外利用権」を譲受して各種訴訟を承継。
  • 2010年(平成22年)4月2日 - TYOは保有する当社の全株式をフィールズに譲渡。円谷プロダクションはフィールズの連結子会社となり、フィールズの取締役会長である山本英俊が円谷プロダクションの取締役会長に就任。
  • 2011年(平成23年)7月 - 本社を東京都世田谷区八幡山から東京都渋谷区桜丘町に移転。
  • 2017年(平成29年)8月1日 - 大岡が辞任し、(塚越隆行)が11代目社長に就任。
  • 2018年(平成30年)4月18日 - カリフォルニア中央区地方裁判所は「ディスカバリー」を用いた調査の結果は「ウルトラマンの海外利用権」に関する契約書は偽造されたものであると認定、譲渡は無効と判決[32]。2019年12月5日、(第9巡回区控訴裁判所)における控訴審においても、この結論は維持された[33][34]。その結果、合衆国憲法で「ウルトラマンの海外利用権」は依然、円谷プロダクションにあることとなる。
  • 2019年(平成31年)4月1日 - 塚越が辞任して(永竹正幸)が12代目社長に就任。塚越は会長に就任。
  • 2021年(令和3年)3月17日 - ウルトラシリーズほか円谷プロ発の映像作品、ライブエンターテイメント、コミックなどを配信する公式デジタル・プラットフォーム・サービス「(TSUBURAYA IMAGINATION)」(ツブラヤ イマジネーション)サービス開始。
  • 2022年(令和4年)
    • 3月22日 - フィールズグループが同年10月をもって持株会社制に移行する旨を発表。
    • 5月13日 - ウルトラマン55周年記念長編劇場映画作品『シン・ウルトラマン』公開。
    • 10月3日 - フィールズがグループ会社を含めた持株会社制に移行。フィールズは「円谷フィールズホールディングス」に社名変更し、グループ統括及び持株会社となる。円谷プロは当該会社の傘下になる。
  • 2023年(令和5年)
    • 3月22日 - TBSテレビと新規コンテンツの企画・開発で包括業務提携を行うことを発表[35]。第1弾タイトルは「秋以降に発表予定」とされる。

歴代社長

歴代 氏名 在職期間 備考
初代 円谷英二 1963年 - 1970年 円谷プロダクションの創業者
第2代 円谷一 1970年 - 1973年 円谷英二の長男
第3代 円谷皐 1973年 - 1995年 円谷英二の次男
第4代 円谷一夫 1995年 - 2003年 円谷皐の長男
第5代 円谷昌弘 2003年 - 2004年 円谷一の長男。女性社員へのセクハラ問題で退任
第6代 円谷英明 2004年 - 2005年 円谷一の次男
第7代 (大山茂樹) 2005年 - 2007年 東宝不動産の取締役から招致。円谷家以外から初の社長就任
第8代 円谷一夫 2007年 大山茂樹を解任して復職
第9代 (森島恒行) 2007年 - 2008年 円谷エンタープライズの設立に参加
第10代 大岡新一 2008年 - 2017年 円谷プロダクションの生え抜きカメラマン
第11代 (塚越隆行) 2017年 - 2019年 ウォルト・ディズニー・ジャパン出身。MovieNEXの仕掛け人。
第12代 (永竹正幸) 2019年 - タカラトミーの海外部門「トミーインターナショナル」で海外事業を経験

作品

テレビ

映画

オリジナルビデオ

舞台

  • 銀色の少年(2004年10月8日)
  • (独りぼっちの地球人 feat.ULTRASEVEN)(2013年9月12日)

PV

  • (なめこスクールウォーズ)(2013年6月26日)

CM

制作協力

エピソード

ロゴマーク

マークは光学合成技師の中野稔がデザインし、「ツブラヤ」の「ツ」をモチーフにツの線に加えて各線端を繋いで形成した多角形と中段に「TSUBURAYA」の英字表記を記したものとなっている[36]

エイプリルフール

エイプリルフールになるとインターネットで手の込んだネタを発表していた[37][38]円谷英二のひ孫にあたる円谷洋平が所属しているサイバーエデン(円谷プロダクションの公式サイト「円谷ステーション」を運営している会社)が企画、円谷プロダクションが監修のもとで行われていた[38]

  • 2005年バルタン星人が円谷プロダクションの公式サイト「円谷ステーション」を乗っ取った。円谷プロダクションのエイプリルフールネタ第1号[38]
  • 2006年、「m-78(エム-ナナハチ)」(mixiのパロディ)を開設[38]
  • 2007年、前回と同じく「m-78」を開設。前回はアクセスが集中してしまったため、サーバダウンを起こして観覧できなかったファンから苦情が寄せられたこともあり、ウルトラの父による謝罪文を掲載していた。実際にサーバ環境の増強も行われていた[38]。また、前日が『ウルトラマンメビウス』の最終回だったこともあり、ウルトラマンメビウスのアカウントでログインする形になっていた。
  • 2008年カネゴンが「カネゴンの78ちゃんねるまとめブログ」(2ちゃんねるまとめサイトのパロディ)を開設[38]ウルトラ兄弟と怪獣たちが2ちゃんねる用語VIP語で会話を繰り広げるという珍妙な光景が繰り広げられていた。また、一部には(特撮!板)のウルトラネタも含まれていた。
  • 2009年、前回に引き続き、カネゴンのブログに加えてゾフィーの「光の国ではたらく隊長のブログ」、ウルトラマンタロウの「光の国ではたらく教官のブログ」、バルタン星人の「宇宙忍者的隠密行動ブログ」、メトロン星人の「地球人観察ブログ」、ゼットンの「ウルトラヒーロー攻略ブログ」、ゴモラの「ごもたん★ぶろぐ」(しょこたん☆ぶろぐのパロディ)などのブログが開設されていた。ゴモラのブログに書かれているメールアドレスに応援メールを送信すると個別にゴモラから返信があった(翌日に返信が持ち越された人もいた)。また、「シュワシュワ動画」(ニコニコ動画のパロディ)も開設して公式で配信されている動画以外にもニコニコ動画で人気だった動画のパロディも表示していたほかに生放送も実施していた。なお、生放送中に発表した「ウルトラマン80放送30周年記念 DVD-BOX」は実際に発売されることになった。
  • 2010年、「円谷ッター(ツブッター)」(Twitterのパロディ)を開設[38]。ウルトラ戦士と怪獣たちが24時間ほぼリアルタイムで、つぶやきを続けていた。つぶやき自体はTwitterの公認アカウントを取得して行われたため、ウルトラ戦士と怪獣のTwitterが閲覧できていた。(ブースカ)と『ウルトラマンフェスティバル』のアカウント以外は「翻訳者の体力的限界」を理由に1日のみで更新を停止してウルトラ戦士と怪獣のTwitterは全面的に削除された。「Twitterのパロディ」というアイディアは以前からあり、当初は名称を「デュワッター」にする予定だったが、わかりにくいという理由で「円谷ッター」に変更された[38]
  • 2011年東北地方太平洋沖地震東日本大震災)ならびに福島第一原子力発電所での福島第一原子力発電所事故への配慮からこの企画は行われず、代わりに「ウルトラ5つの誓い2011」をYouTubeで配信していた[39]
  • 2012年、円谷洋平が転職したことを機に行われなくなることがTwitterで経緯と共に告知された。

人気投票

過去にインターネットで歴代キャラクターの人気投票を実施していた。

  • 2010年、映画「ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国」の公開を記念して「円谷ヒーロー&怪獣・星人ランキング」を実施[40][41]
  • 2013年、円谷プロダクション創立50周年を記念して「ウルトラヒーロー総選挙」と「ウルトラ怪獣総選挙」を実施。「ウルトラ怪獣総選挙」の方はYahoo! JAPANの協力により、特設Webサイトが設置されたため、「ウルトラヒーロー総選挙」を上回って投票総数が80万近くに上る結果になった[42][43]
    • ウルトラヒーロー総選挙 - 1位:(ウルトラマンティガ)、2位:ウルトラマンゼロ、3位:ウルトラマンメビウス
    • ウルトラ怪獣総選挙 - 1位:ゼットン、2位:バルタン星人、3位:ゴモラ

スタッフ

過去のスタッフ

過去の関連スタッフ

円谷プロダクション芸能部

  • 1982年3月、円谷プロダクションに入社した円谷浩をマネジメントする目的で設置された。
  • 2007年10月31日、慢性的な赤字体質を脱却できず閉鎖。所属タレントの大半は円谷ミュージックの新会社であるT.M.Labに移籍する。
  • 2013年11月30日、T.M.Labが所属タレントのマネジメント事業を終了。所属タレントの大半は新たに設立した会社「vif」に移籍している。

過去の所属タレント

男性

女性

グループ

関連施設

砧社屋

 
円谷プロダクションの初代社屋

かつて東京都世田谷区に存在した円谷プロダクションの初代社屋。元々は東宝スタジオ京都衣裳(現・東宝コスチューム)の衣装倉庫として使用されていた。

1964年東宝が資本参加した際に円谷プロダクションへ提供していた[44]。京都衣装以前は医療関係の建物であったとされる[44]

2005年4月、本社移転により、名称をKinuta Digital SymphonyとしてCG部門の編集スタジオとして使用されていた。

2008年2月、Kinuta Digital Symphonyを解体。

快獣ブースカ』に登場した大作発明研究所や『ウルトラセブン』第8話に登場した警察署などは砧社屋の建物を使用して撮影されていた[44]。円谷プロダクションの製作以外の作品では『有言実行三姉妹シュシュトリアン』第40話で砧社屋がロケ地の1つとして使用されていた。

怪獣倉庫

かつて円谷特技プロダクションに東宝が資本参加していたころ、東京都世田谷区砧に存在した東宝撮影所の衣装倉庫が円谷プロダクション本社の初代社屋として貸与されていた時代、その2階にヒーローと怪獣の着ぐるみを保管していた倉庫。当初は着ぐるみに特化していたわけではなく、衣装、小道具、人形、模型、ミニチュアなども保管されていた[44][45]

2005年4月、本社の移転により、収蔵物の多くも新社屋に移された[46]

2006年7月、着ぐるみ、衣装、小道具、人形、模型の一部を陳列した展示スペースとして改装され、限定的に一般公開された[47][48]

2008年2月、砧社屋の閉鎖により、怪獣倉庫も解体された。京都衣装時代から残されていた衣装整理用の札が貼られた傷だらけの柱[48]の一部は、円谷プロダクションで保管されている[49]

なお、『ウルトラファイト』第196話や『ウルトラマンマックス』第24話などの撮影には、怪獣倉庫も使用されていた[44][45]

東宝ビルト

かつて存在した東宝の撮影所の1つである。円谷プロダクションの所有施設ではないが「ウルトラシリーズ」の撮影場所として長年使用されていた。

1996年には円谷プロダクションの出資で改築が行われていたなど、関係性が深かった[44]

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 東宝での配給は断ったという。
  2. ^ キー局での放送開始が特撮テレビドラマ『マグマ大使』に約2週遅れとなったため、最初のカラーテレビ特撮作品とはならなかった。
  3. ^ 2022年現在も、かつてのスタッフである「玉川静」が社長となって存続しているが、TYO買収以降の円谷プロとは一切関係ない別資本の会社となっている。「ウルトラマンメビウス」以前の作品の音楽の版権の一部は同社が保有している。
  4. ^ オスカープロモーションは所属タレントのアルバイト禁止を掲げているが、本業として会社・商店を別途経営及び運営参加するなどしている他社からの移籍者・業務提携での所属者については例外としている。

出典

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  2. ^ 円谷英明 2013, pp. 49–50.
  3. ^ (伊藤孝一)、公野勉、(小林義寛)「映画はこうしてつくられる」風塵社 2008年12月1日 pp.225 (円谷粲)のインタビューより
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参考文献

  • 『円谷英二特撮世界』勁文社、2001年8月10日。ISBN (4-7669-3848-8)。 
  • 白石雅彦『円谷一 ウルトラQと"テレビ映画"の時代』双葉社、2006年7月1日。 
  • 円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』講談社講談社現代新書〉、2013年6月18日。ISBN (978-4-06-288215-6)。 
  • 講談社MOOK(講談社)
    • 講談社 編『円谷ヒーロー ウルトラマン全史』講談社〈講談社MOOK〉、2013年。ISBN (978-4-06-389762-3)。 
    • 『テレビマガジン特別編集 ウルトラ特撮マガジン 2020』講談社(講談社MOOK)、2020年8月31日。ISBN (978-4-06-520743-7)。 
    • 『ULTRAMAN HISTORICA ウルトラQからシン・ウルトラマンまで』講談社〈講談社MOOK〉、2022年6月28日。ISBN (978-4-06-528129-1)。 
  • 講談社シリーズMOOK ウルトラ特撮 PERFECT MOOK(講談社)
    • vol.02《ウルトラマン》、講談社、2020年7月28日。ISBN (978-4-06-519603-8)。 
    • vol.04《帰ってきたウルトラマン》、講談社、2020年8月25日。ISBN (978-4-06-519974-9)。 

外部リンク

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