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光徳寺 (柏原市)

光徳寺(こうとくじ)は、大阪府柏原市雁多尾畑にある真宗大谷派の寺院。 本堂は別称「雁林堂」(かりんどう)とも言い、「雁多尾畑(かりんどおばた)[1]」の地名の由来ともいわれる。  

光徳寺
本堂「雁林堂」
所在地 大阪府柏原市雁多尾畑1346
位置 北緯34度35分15秒 東経135度39分59.5秒 / 北緯34.58750度 東経135.666528度 / 34.58750; 135.666528座標: 北緯34度35分15秒 東経135度39分59.5秒 / 北緯34.58750度 東経135.666528度 / 34.58750; 135.666528
山号 照曜山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 永延2年(988年)
開基 (法円)(照躍峰寺として)
別称 松谷光徳寺、 雁林堂(本堂)
法人番号 2122005002321
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概要

平安時代永延2年に円融法皇が延暦寺の僧 (法円)法師に命じて建立した勅願寺である。 当初は「東廣山照躍峰寺」と号し、その後、天永4年(1113年)に大和国興福寺の僧兵に寺を焼き払われる。

安貞2年(1228年)に近江国園城寺(三井寺)の僧 (俊円)が照曜峰寺を再興。この年、後堀河天皇の宣旨を以て、河内国大県郡の山中300町歩の地を寄付され、寺号を改めて「照曜山光徳寺」の勅号を賜り、本堂を雁林堂とした。 俊円はさらに専修念仏門に入り、親鸞の弟子となり、「松谷仏念房信乗」と称するようになる。これ以後、光徳寺は一向専修の道場ともなっており、石山本願寺とも深い関わりがあった。

江戸時代初期に、本願寺が東西に分立する際に「教如を十二代法主とする本願寺教団」(現、真宗大谷派)に属し、現在に至っている。

現在の本堂は、明和8年(1771年)に再建されたもので、山門は宝暦年間(1750年頃)、太鼓楼は安永9年(1780年)のもの。

 
光徳寺山門。脇に「圓融法皇 後堀河院 勅願所 松谷光徳寺」と記された標がある。

脚注

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  1. ^ “【コラム】大県誕生から1,300年(2)大県郡の誕生”. 柏原市 (2020年10月23日). 2023年4月16日閲覧。

外部リンク

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