| この項目では、北海道釧路市にかつて存在した商業施設について説明しています。熊本県熊本市にある商業施設については「鶴屋百貨店」をご覧ください。 |
丸三鶴屋(まるさんつるや)は、北海道釧路市にかつて存在した日本の百貨店。
丸三鶴屋 MARUSAN TSURUYA |
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「丸井今井 旧釧路店 大通館」として改装後の旧「丸三鶴屋 釧路本店 本館」建物画像。 |
店舗概要 |
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所在地 | 〒085-0015 本館:北海道釧路市北大通5番地1 新館:北海道釧路市末広町4丁目2番地1 |
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開業日 | 1930年(昭和5年)9月25日[1] |
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閉業日 | 1996年(平成8年)8月31日[2] |
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施設所有者 | (株)丸三鶴屋 |
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施設管理者 | (株)丸三鶴屋 |
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商業施設面積 | 本館:5,607m2 新館:11,284 m2 |
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営業時間 | 10:00 - 18:30 |
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前身 | 丸三越後屋呉服店[1] |
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後身 | (丸井今井釧路店) |
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最寄駅 | JR根室本線釧路駅 |
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株式会社丸三鶴屋
MARUSAN TSURUYA,LTD.種類 | 株式会社 |
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略称 | 丸三 |
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本社所在地 | 日本 〒085-0014 北海道釧路市末広町4丁目1-2 |
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設立 | 1930年(昭和5年) |
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業種 | (小売業) |
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事業内容 | 百貨店 |
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代表者 | 両角茂 |
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資本金 | 2億円(1980年2月時点) |
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売上高 | 131億円(1979年3月~80年2月) |
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従業員数 | 460名(1980年2月) |
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決算期 | 2月 |
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主要子会社 | アビオン |
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沿革 - 1906年(明治39年)10月3日 両角栄治が当時呉服店だった丸井今井札幌本店にて修行を積み独立。真砂町(現在の南大通)にて前身にあたる丸三越後屋呉服店を創業[1]。
- 1930年(昭和5年)9月25日 百貨店・丸三鶴屋として北大通に開店。鉄筋コンクリート建築4階建て。4階フロアの面積は他の各階の半分程で大きめの半屋の様な形態であり、残り半分(北大通方向側)が一般開放された屋上であった[3]。
- 1930年(昭和5年)~1931年(昭和6年)頃、北見市(旧野付牛町)に北見店を開店。2階建て(屋上無し)[3]
- 1931年(昭和6年)3月25日 釧路市の第1回児童画展が4階で開催される[1]。
- 1937年(昭和12年)、(百貨店法)施行。1938年(昭和13年)より終戦まで施行され続けた国家総動員法により、物資流通(仕入れ)に大きなダメージを受けている。
- 1945年(昭和20年)7月14日 米機の空襲を受け、全館焼失。その後、北見店は閉店となった。
- 二年後に百貨店法が廃止されている(参議院 第001回国会 商業委員会 第20号 議事録内容)。
- 1950年(昭和25年)焼け残った鉄筋・外壁を補修し店内も修復、12月に4階建ての社屋を再建。
- 1960年(昭和35年) 7階建に増改築[1]。屋上は開放され、展望台に。
- 1968年(昭和43年)6月30日 赤提灯横丁移転跡地、および隣接し合う3館の映画館(銀映座、東宝、名画座)跡地に新館開店(地上2階、地下1階)[1]。
- 店舗の近隣に1967年(昭和42年)11月18日にオリエンタルデパート(1970年(昭和45年)7月25日にオリエンタルプラザに改称)が開業[1]。
- 1976年(昭和51年)5月 新館を2階建てから6階建てに増築[1]。新館6階は一部屋上展望台として一般客に開放される。本館6階の食堂街直営店・テナント入居店のほとんどを新館6階に移転。本館屋上展望台は閉鎖。
- 1976年(昭和51年)4月4日に長崎屋釧路店が十字街(当時、釧路市内の主要百貨店が集中的に立地していた北大通の中核的商業地域)から1kmほど離れた釧路駅西地区に出店している[1]。
- 1980年(昭和55年) ほぼ1年掛けて、本館2階~5階を大改装工事(その間、該当階フロアは一時閉鎖)。本館全階フロア設置エスカレーターも新機種に換装される。本館6階天井一部は吹き抜け化。本館6階フロアに(椅子に腰掛け読書中の、初老欧米人男性)ブロンズ像設置。
- 1980年(昭和55年)10月29日に十條サービスセンターが新館を開設して大規模増床を図った[1]。
- 1976年(昭和51年)6月19日に出店を表明していたイトーヨーカドー釧路店が新橋大通に1981年(昭和56年)7月8日に開業[1]。
- 1984年(昭和59年)9月8日に市立釧路総合病院が移転[1]。当店から徒歩圏の幣舞町から郊外への転出のため、入院見舞い客や外来患者の当店利用が難しくなる。
- 本館改装工事と同じ年に行われた行政調査にて、釧路市の乗用車台数が5万台(総人口の約4人に1人の割合)に達した事が判明しているが、当店は専用駐車場を持たなかった。
- 1982年(昭和57年)3月20日にくしろ市民生協の供給高(売上高)が対前年比で約15%増加して年間100億円を突破[1]。(市内店舗大型店集約化)
- 同時期に近隣地で相次いだ百貨店廃業(ショッピングヤスモト、オリエンタルデパート)もマイナス材料となった。
- 1996年(平成8年)
- 8月31日 閉店・百貨店業廃業[2]。
- 丸井今井が株式の大半を取得・買収して子会社となり[4]、ほとんどの従業員も丸井今井に引き継がれた。建物は閉店後も丸三鶴屋が所有し、親会社となった丸井今井に賃貸する形を取った[5]。土地所有権については、地元の経済人ら3人が保有[6]。
- 丸三鶴屋のメインバンクであった北海道拓殖銀行が当店の経営の継続性に疑義を唱えたことから、財務面で百貨店として自社で営業継続することを断念に追い込まれた[7]。
- 郊外型大型店などとの競合が激化して劣勢に立たされていたことも、営業断念の大きな要因となった。
- 10月4日 丸井今井釧路店開店[1]。
- 2004年(平成16年)8月30日 丸井今井釧路店大通館として活用されていた旧丸三鶴屋本館建物が閉鎖[1]。
- 建物は同年9月に東京の不動産業者「サンセイランディック」に売却されたが[8]、2005年1月には札幌市の会社に転売された[6]。
- 2006年(平成18年)
概要 存在した店舗
旧丸三鶴屋 釧路本店 事務館だった建物(正面(北西)側)
旧丸三鶴屋 釧路本店 事務館だった建物(正面(南西)側)
旧丸三鶴屋 釧路本店 事務館だった建物(裏(東)側)
- 旧釧路本店 本館
- 所在地:釧路市北大通5番地1 Google ストリートビュー画像
- 総床面積:5,607m2(地上7階)
- 内訳:【1階】538m2 【2階~6階】各830m2 【7階】919m2
- 旧釧路本店 新館
- 所在地:釧路市末広町4丁目2番地1 Google ストリートビュー画像
- 総床面積:約11,000m2(地上6階、地下1階)
- 旧釧路本店 事務館(関係者専用施設)
- 映画館 旧「国際シネマ」跡地に建設。
- 総床面積:約4,000m2(地上6階、地下1階)
- Google ストリートビュー画像
- 旧本館1階 - 旧新館地下1階 間(一般客用)
- 旧新館地下1階 - 旧事務館地下1階 間(関係者専用)
- 旧北見店
- 現在、跡地には「(ホテルルートインGrand北見駅前)」が立地(建物は全面建て替え)。
- 所在地:北見市北2条西1丁目Google ストリートビュー画像
- 店舗:地上3階建
当時の主なフロア構成入居していたテナント - ツルヤシネマ - 1949年(昭和24年)2月より本館3階で営業していた映画館。後に「釧路劇場」として旧くしろデパート裏へ移転、現在は閉館し建物も解体。
- 旧釧路劇場跡地には、(丸井今井旧釧路店本館(旧丸三鶴屋新館)と((稲荷小路)上空を)複数階空中連絡通路で連結された)(パステルパーク)(立体駐車場ビル 兼 商業施設)が建設され、丸井今井旧釧路店閉店後も運営され続けている
- 釧路市立博物館 - 1936年(昭和11年)7月14日に市役所(先代庁舎)2階に開館した釧路市立郷土博物館が1949年(昭和24年)2月に当店2階に臨時移転[1]。
- 消費者相談室 - 1968年(昭和43年)6月26日~1981年(昭和56年)に入居していた[1]。1981年(昭和56年)に旧丸ト北村へ移転[1]。現在は釧路市観光国際交流センター2Fに存在。
- 東家 - 蕎麦屋。現 東家文苑店。
- アラジンのランプ(中古レコードショップ・骨董品屋)- 本館3階で営業していた1980年(昭和55年)~1983年(昭和58年)頃は洋楽中心の品揃えだったが、本館7階に移ってから(1983年(昭和58年)頃~1996年(平成8年))はアイドル系邦楽中心となり、骨董品・古着・古本などの販売を始めた。
- モロゾフ、ユーハイム、六花亭、(マリーカトリーヌ)
- レコード・ショップ国原
- サンリオショップ - 数年後にテナント撤退し、近隣の自社店舗(平屋建築)に移転(Googleストリートビュー画像)。2020年代初頭に閉店。
- 回転寿司屋(1970年代頃。本館1階フロア)
- クレープ屋パンポット((スタンド式店舗)。後述の「喫茶ティーポット」店内に接続)、喫茶ティーポット
主な催し物 - 1976年(昭和51年) アメリカ建国200年展(本館7階)
その他 - 北大通が3車線化されるまでは、本館一階のフロアの一部が歩道にせり出す様な間取りだった[11]。その後、車道拡張に伴い撤去されている。
- 1970年代までは、他の百貨店・デパートと同様に本館の屋上が一般客に開放されており、新館の屋上も、増築後に食堂街フロアが移転オープンした数年間開放されていた。
- シーズサービスが2018年11月から同市北大通5丁目で運営している飲食店「丸参 みんなのお店北大通り支店」の“丸参”は、丸三鶴屋に由来している[12]。
丸三鶴屋および後身商業施設「丸井今井旧釧路店」を扱った作品 - コミックス「臨死!!江古田ちゃん」(作:瀧波ユカリ、講談社)単行本第2巻収録エピソード「25 水芭蕉 MIZUBASHOU」 - 釧路出身者である主人公の姉が丸三鶴屋の紙袋を持つシーンが3話目の2コマ目に登場している。ちなみに原作者も釧路出身であり、実弟は近隣に立地している(かつて「オリエンタルデパート」であった)飲食店ビル「オリエンタルプラザ」を経営している。
- ネット動画「【むかしの釧路】どうして寂しくなったの?消えたデパート丸三鶴屋!くしろデパート!金市舘!ステーションデパート! - YouTube」(作:(ハルチャンネル)、2023年3月5日)
- ネット動画「【北海道釧路発】元繁華街を流浪4 唯一の百貨店丸三鶴屋【おやじ倶楽部】 - YouTube」(作:(neoおやじ)、2022年5月24日)
- PCフライトシミュレーター・ソフト「Microsoft Flight Simulator X」用シーナリー・フリー提供データ「釧路 建物シーナリー」(作:(ひぐま)) - 同シーナリーソフト内に「丸井今井旧釧路店」建物が登場している。Gmax_World HPトップ、ダウンロード・コーナー(「kushiro_tatemono.zip」)
関連項目 - (鐘ヶ江邦政) - 長年、最盛期の丸三鶴屋を支え続けた元営業部長であり、創業者一族の外戚出身でもあった。後に手腕を買われ、イトーヨーカドー社長直々の引き抜きでヨークマツザカヤ(イトーヨーカドー資本提携化された旧札幌松坂屋新屋号・新社名。現すすきのラフィラ)営業部長として迎え入れられ、その後もホーマック副社長を歴任した[13]。現在は経営現場の一線から退き、自身の培った経験や知識を活かして札幌大学などが主催する経営セミナーなどにパネラーやコメンテーターとして協力するなど、後進の北海道内企業人の育成の一端に携わっている。
- (kuteプロジェクト) - 当初、丸井今井旧釧路店本館(旧丸三鶴屋新館)建物を買収した不動産会社(ノースキャピタル)が総合コンサルタント会社(株式会社アラ)(本社:札幌市)に再開発を外部委託、商業施設「kute(キュート)」として計画を推し進めた。屋上立体看板や外壁塗装の塗り替えもほぼ終わらせ、開店目前であったが、キーテナントのひとつとして入居予定であった家電量販店が参入見合わせを申し入れたのを契機に頓挫したままになっている。予定されていた店舗構成などの計画内容については、を参照の事。
- サンセイランディック - 丸井今井旧釧路店大通館(旧丸三鶴屋本館)建物を最初に購入した不動産会社(本社:東京)。その後、釧路市と釧路支庁への不動産取得税滞納により2007年(平成19年)8月に同建物不動産は差し押さえ処分となった。翌年2月、土地地権者に事後連絡という形で別の建築コンサルタント会社(リフレックス)(本社:札幌)に転売[14]。暫くの期間、北大通沿いの壁面に「テナント募集」の大きな垂れ幕広告が掲げられていた()。その後、同社も釧路支庁への不動産取得税滞納により2009年(平成21年)2月13日より同建物不動産としては二度目である差し押さえ処分を受けている。
- (パステルパーク) - 丸井今井旧釧路店本館(旧丸三鶴屋新館)と複数階連絡通路(旧・いなり小路跡地に造られた地上通路、上空通路)で連結された立体駐車場ビル兼商業施設。建設工事は市内ゼネコン企業である(クボタビルディング)が施工(同社本社は後にパステルパーク内に移転)。公募で決められた商号だが、隣接通り「パステルタウン」の名称とロシア文豪パステルナークをもじってモチーフに考案。市内老舗映画館であったミラノ座と釧路劇場、及びケンタッキーフライドチキン釧路末広店 初代店舗建物跡地に新築された。当初の構想では地階も設け、更に(時間帯制限で歩行者天国になっていた)(パステルタウン)部分地下にも地下歩行空間を設け、丸井今井旧釧路店本館(旧丸三鶴屋新館)・パステルパーク・kom(旧くしろデパート)・okuno(旧(そうごデパート))旧釧路店の地階同士を連結させる予定だった。丸井今井の釧路撤退後も、数少ない中心部商業施設として現在も健在。
- 旧くしろデパート - 近隣に立地し、若干想定客層が異なるものの、長年ライバル店として競合していたが、晩年では互いが相手(ひいては十字街商業地域全体)の集客力(自己店舗への客足波及)を期待し合う存在になっていた。丸三鶴屋閉店→丸井今井釧路店後も構図は変わらず、丸井今井釧路撤退が報じられて程なく廃業を決断し、同釧路店閉店の3日前に閉店した。くしろデパート建物画像(現存せず)
- (今井春雄) - 丸三鶴屋閉店後、従業員と建物を引き受けた丸井今井4代目社長(当時)。丸井今井創業者一族出身。翌年11月、丸井今井メインバンクであった北海道拓殖銀行の経営破綻を受け経営悪化問題が浮上、その翌月に開かれた臨時取締役会で急遽解任された。丸井今井の経営から外れた数年後(その間、札幌市厚別区新札幌にて(マルイストア)起業、札幌市北区新川西(マルイマート)新川店にて食品スーパー・アニス起業、小樽シーフーズ海商役員就任など着手)も、丸井今井釧路店閉店の決定に在野の立場から反対を表明するなどした。
- 釧路ガス - 丸三鶴屋創業者一族の親族(苗字は同じく「両角」)が経営する釧路管内唯一のガス会社。(両角靖二)会長は(釧路商工会議所)会頭を勤めた事があり、次男(現在、大学教員)は丸ト北村社長(当時)子息と共に道東地域屈指の進学校北海道釧路湖陵高等学校理数科の同期だった。
- 旧丸ト北村 - 丸三鶴屋の近接地に立地していた主に婦人服・学生服中心の百貨店。閉店・廃業は丸三鶴屋より後で、約4年3ヶ月後。1980年(昭和55年)前後の頃より、双方の創業者一族出身者の婚姻により縁戚関係となっていた。
- 旧オリエンタルデパート、旧リビングヤスモト - 共に丸三鶴屋向かいに立地していた釧路市内百貨店。丸三鶴屋本館が1Fを除くほとんどの階フロアを1年間近く閉鎖して着工した大改装(エスカレーターも全基新品に換装された)の前後に両店共に百貨店業界から離脱(前者は飲食店ビルに業態変更。詳細はオリエンタルプラザ参照の事。後者は生鮮青果店や歯科医院といった一部テナントを残し、閉店)、十字街商業地域に大きな斜陽が指す時代の幕開けとなった。
旧「オリエンタルデパート」から業態変更した「オリエンタルプラザ」建物(北西側)
旧「オリエンタルデパート」から業態変更した「オリエンタルプラザ」建物(南東側)
旧「ショッピングヤスモト」だった「伊藤ビル」建物(北東側)
- (OKUNO)旧釧路店(開店時の店名は「おしゃれのデパート そうご釧路店」) - 本店所在地は北海道旭川市。主に女性向けの洋服を扱っていた。釧路店閉店・撤退後、長い間、空きビル状態が続き、2000年代にはスポーツ用品チェーン「(オバラスポーツ)」や居酒屋チェーン「笑笑」(後に近接地に移転)のテナント入居を経て、その後も数年間、無料サロン施設兼コンベンション施設「(幣舞ふれあいホール)」となっていたが、諸般の事情により休館状態が続いている。
- 有限会社(丸三つるや) - 旭川市内で不動産オーナー(かつて長崎屋旭川店初代店舗や旧旭川マルサが入居し現在は(エクス旭川)となっている建物など。他、市内に数件)や煙草販売(自動販売機)、他、介護・自立支援を手掛けている企業。同社創業者が丸三鶴屋百貨店創業者一族と縁戚関係にあった所縁で、1960年代半ばの創業より同社名を掲げているが、あくまでも別の企業。
- (釧路市#歴史)
- (北海道拓殖銀行#経営危機の表面化) - 丸三鶴屋のメインバンクであった北海道拓殖銀行が、丸三鶴屋廃業直前に経営危機に陥っていた当時の状況を解説。
- 旧総合レジャー・ショッピング・パルコ、旧アベニュー946(長崎屋旧釧路店)、旧金市舘釧路店(閉店時の状況解説動画1、閉店時の状況解説動画2、閉店時の状況解説動画3)
旧「総合レジャー・ショッピング・パルコ」だった旧「駅前ホテル オーシャン」(北東側)
旧「長崎屋釧路店」だった旧「アベニュー946」(南東側。建物は現存せず)
脚注 [脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 釧路市地域史研究会『釧路市統合年表:釧路市・阿寒町・音別町合併1周年記念』釧路市、2006年。
- ^ a b “さようなら丸三鶴屋 老舗との名残惜しむ声 郊外大型店と競合 売り上げ減少止まらず”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1996年9月1日)
- ^ a b 株式会社 丸三鶴屋 五十年小史(出版:1966年)
- ^ “、丸三鶴屋(釧路)を買収 道東圏初進出、秋には釧路支店開設”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年7月12日)
- ^ a b “丸三鶴屋が特別清算へ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年12月15日)
- ^ a b “丸井今井釧路店の大通館が転売に”. 釧路新聞 (釧路新聞社). (2005年6月1日)
- ^ “丸三から丸井へ 提携合意の波紋 上 独自の路線実らず 銀行は将来の経営危ぐ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1996年7月9日)
- ^ “丸井今井釧路店 大通館の売却先、東京の不動産会社に”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2004年9月17日)
- ^ “丸井今井閉店 きょう歴史に幕 今月売り上げ前年比3倍”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年8月20日)
- ^ 釧路新聞|きょう最後の営業(2006年08月20日 記事)参考。
- ^ 北海道釧路湖陵同窓会 湖陵ゆかりの地 今昔物語|昔:ロータリー〜北大通(その2)参考。
- ^ “釧路の北大通で空き店舗を活用(シーズサービス)”. 会員企業トピックス. 一般社団法人 北海道中小企業家同友会 (2019年1月). 2020年1月1日閲覧。
- ^ [1]
- ^ 「丸井今井釧路店の大通館が転売に」(釧路新聞)
外部リンク - 道新写真データベース「フォト海道」(北海道新聞社) - Internet ARChive 保管版
- デジタルアーカイブス(Tomato system) - Internet ARChive 保管版 ※ 旧丸三鶴屋、及び丸井今井旧釧路店を含む画像のみ、抜粋。
- 北大通4丁目付近より幣舞橋方向へ(
- 北大通5丁目付近より幣舞橋方向へ()、()
- - Internet ARChive 保管版
- 北海道観光研究所 北杜の窓
- 丸井今井釧路店が閉店「駅前中心街」の定義とは何か
- 旧丸井今井釧路店店舗の再利用が決まる
- 旧丸井今井釧路店のその後
- 釧路中心街を歩いてかんじたこと
- 釧路中心街の衰退さらに進む「中心街」に対する発想の転換も必要では
- - Internet ARChive 保管版
- - Internet ARChive 保管版
- 釧路新聞 - Internet ARChive 保管版
- - Internet ARChive 保管版
- 釧路思い出話(とほほの主婦 イン SWEDEN) - Internet ARChive 保管版。各コーナーにて「丸三鶴屋」は「丸井今井釧路店」、「本館」は「大通り館」、「新館」は「本館」と記載。
- 釧路50年-丸井デパート裏(薄氷堂雑録)
- ここが跡地か?(北の風に吹かれて~独り漫遊記~) - 前身商業施設「丸三越後屋商店」立地場所(南大通西端)の探訪画像・考察および「丸三鶴屋に関するコメント寄せ書き」等。
- - Internet ARChive 保管版
- - Internet ARChive 保管版
- さよなら丸井今井…さよなら百貨店…(裏重BOX・重箱の隅)
- 丸三鶴屋で盛衰体験 ※ 三節目(週刊 重箱の隅 Web Edition)
- ラスト 丸井今井釧路店(腰抜け武士の独り言)
- デパートで買い物(一緒にダンスしませんか)
- MY HOMETOWN(僕らは、いつも楽しい驚き!)
- 北大通(クニタチ!な日々)
- - Internet ARChive 保管版
- かりんのひとりごと - Internet ARChive 保管版
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