丸の内(まるのうち)は、岡山県岡山市北区にある町丁である。岡山城本丸が所在する。
郵便番号は〒700-0823(岡山中央郵便局管区)。人口は1丁目が373人(男性161人、女性212人)、2丁目が266人(男性115人、女性151人)。世帯数は1丁目が213世帯、2丁目が141世帯(いずれも平成30年現在)[1]。
概要
岡山市中心市街地にあり、旧内山下地区の県庁通りから北部にあたる[2][3]。
旧(岡山市立内山下小学校)東南角にある石山跡から南下して内山下1丁目の南端、旧大手門跡付近に達した街路((石山みち))を境に、西側が丸の内1丁目、東側が同2丁目となる[2][3]。
当地の南側は内山下、西側は(表町)、北側は(石関町)・(天神町)、東側には旭川が南流しており、旭川を挟んで後楽園・(古京町)と接している。丸の内2丁目の県庁通り南側には岡山県庁が所在する(内山下2丁目)[2]。
町区改訂のため、現在は丸の内2丁目に岡山城本丸((鳥城公園))が所在するほか、岡山市民会館、林原美術館、岡山県立図書館、RSK山陽放送などがある。また、1丁目には日本銀行岡山支店や中国銀行の本店などが所在している[2]。
以前は、上記の他に当地には、岡山赤十字病院や榊原病院、(岡山市立美術館)、NHK岡山放送局なども立地していたが、いずれも市内他所へ移転している。また、当地には岡山市立内山下小学校や(岡山市立丸の内中学校)も所在していたが、周囲の学校との統廃合により、両校とも閉校となっている。丸の内中学校跡地には前述の県立図書館が新設されている。なお、(岡山市立内山下幼稚園)は現存する[2][4]。
小・中学校の学区
沿革
歴史
天正元年 (1573年)、宇喜多直家が現在のRSK山陽放送あたりにあった石山城に入城すると、直ちに城下町の経営に着手、子・秀家は(石山)の東の(岡山)に本丸を移し、現在の内山下・石関町などの一帯を城郭に取り込み、これを中心にして城下町の骨格を作り上げた[3]。
丸の内は内山下や天神町・石関町なども含め岡山の地名の発祥地であるといえる[3]。
地名の由来
「丸の内」とは、城郭の内側を意味する言葉である。当地の大部分は岡山城の内部にあたり、さらに当地内に本丸が所在することが地名の由来となっている[3]。
地勢
- 河川
- 丘
- (石山) - 山陽放送や旧内山下小学校南東あたり
- (岡山) - 岡山城本丸の地
- いずれも小規模な丘であり、市街化のため存在はわかりにくくなっている。
主要施設
- 公的施設
- 教育施設
- (岡山市立内山下幼稚園) - 2丁目
- 医療・福祉施設
- (表町診療所) - 1丁目
- 三宅歯科 - 2丁目
- 田村皮膚科泌尿器科医院 - 2丁目
- 日本赤十字社岡山県支部 - 2丁目
- 金融機関
- 一般企業・商店
- (ホテルコンフォート岡山) - 1丁目
- (禁酒会館) - 1丁目
- (シネマクレール丸の内) - 1丁目
- (アイサワ工業) - 1丁目
- RSK山陽放送 - 2丁目
- 文化施設
- 林原美術館 - 2丁目
- 神社仏閣
- 念佛宗無量寿寺岡山別院 - 1丁目
- 史跡・観光名所
交通
- 道路
- (烏城みち)
- (石山みち)
- (県庁通り)
- (城下筋)(岡山県道27号)
- 路面電車
参考文献
- 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
- 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2001年)
- 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
脚注
外部リンク
- 岡山市