中御門 資胤(なかのみかど すけたね)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿。右中弁・中御門宣教の養子。官位は正二位・権大納言。中御門家13代当主。
経歴
永禄12年(1569年)、大納言・(庭田重保)の子として誕生。母は広橋兼秀の娘。中御門宣教の養子となって名を宣光とした(のちに宣泰、次いで資胤と改名)[1]。
多くの役職を歴任したのち、元和3年(1617年)、正二位となる[1]。この頃には後陽成天皇の譲位宣命使や春日祭上卿を務めた[1]。
官歴
- 天正6年(1578年)
- 天正7年(1579年)1月14日 - 権右少弁
- 天正9年(1581年)
- 1月 - 従五位上
- 11月11日 - 左少弁
- 12月27日 - 蔵人
- 天正10年(1582年)1月5日 - 正五位下
- 天正11年(1583年)12月28日 - 正五位上
- 天正14年(1586年)11月4日 - 右中弁
- 天正17年(1589年)
- 天正18年(1590年)1月5日 - 正四位上
- 文禄3年(1594年)8月19日 - 右大弁
- 慶長2年(1597年)1月13日 - 参議
- 慶長3年(1598年)1月5日 - 従三位
- 慶長4年(1599年)1月11日 - 権中納言
- 慶長16年(1611年)4月21日 - 正三位
- 慶長17年(1612年)1月11日 - 権大納言
- 慶長19年(1614年)1月5日 - 従二位
- 元和3年(1617年)1月5日 - 正二位、神宮伝奏