概要
道頓堀の近くにあり(浪花座)、角座、朝日座、(弁天座)とともに「道頓堀五座」と呼ばれた。
1653年(承応2年)、道頓堀開削時に周辺に多く設けられた芝居小屋のひとつとして、同じ場所に中之芝居の名が確認されている。 1806年(文化3年)、(摂州大坂地図)に竹本座、角座、豊座、竹田座と並んで道頓堀五座と記されている。 1928年(昭和3年)火災により焼失、1930年(昭和5年)台風により倒壊、1945年(昭和20年)3月13日大阪大空襲により全焼と、何度も失われその都度再建を繰り返している。 戦後も、1948年(昭和23年)に木村組の大阪支店長、安倍恒夫の施工により再建され、藤山寛美が松竹新喜劇の上演の拠点にするなど、上方芸能を支えた。 1999年(平成11年)、老朽化と営業不振により閉館され、大阪府指定文化財の破風を残し取り壊された。
その後、飲食店が入ったビル「セラヴィスクエア中座」を経て、2009年7月、閉店したくいだおれの名称を借り受け、「中座くいだおれビル」となり、くいだおれ太郎が1年ぶりの復活を遂げるなど、現在も『中座』の名前は残り続けている。現在の運営元は「ザイマックスプロパティズ関西」。
かつて中座の奈落に祀られていた「柴右衛門狸大明神」が同ビルの4階に移されたが、2000年に「里帰り」し、現在は(洲本八幡神社)に祀られている。
解体時の事故
2002年9月9日3時10分、解体工事に際しガス配管の除去工事で、廃止管と取り違えて本管を切断する施工ミスにより大量のガスが漏出、引火爆発による大惨事を引き起こした。 これにより、解体前の中座および隣接するビルと法善寺横丁16棟が全焼したが、奇跡的に死者は出なかった。 原因は、1976年に行った改修工事時の図面誤りを確認しないまま、作業を行った為とされる[3]。
関連項目
出典
外部リンク
- 大阪名物くいだおれ
- 道頓堀中座くいだおれビル くいだおれ太郎