与那国島(よなぐにじま)は、南西諸島八重山列島の島。日本の最西端に位置する島で、国境の島と呼ばれる[3]。
与那国島 | |
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与那国島の空中写真。 2012年11月8日撮影の119枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 | |
所在地 | 日本(沖縄県八重山郡与那国町) |
所在海域 | 東シナ海・太平洋(フィリピン海) |
所属諸島 | 八重山諸島 |
座標 | 北緯24度28分6秒 東経123度0分17秒 / 北緯24.46833度 東経123.00472度座標: 北緯24度28分6秒 東経123度0分17秒 / 北緯24.46833度 東経123.00472度 |
面積 | 28.95[1] km² |
海岸線長 | 27.49[2] km |
最高標高 | 231.3[2] m |
最高峰 | 宇良部岳(うらぶだけ)[2] |
与那国島 与那国島 (八重山列島) 与那国島 与那国島 (沖縄県) 与那国島 与那国島 (日本) | |
プロジェクト 地形 |
概要
八重山列島の西端、台湾の北東に位置する。行政区分としては、一島で沖縄県八重山郡与那国町を成す。
日本最西端の島であり(与那国島西端の西崎(いりざき)の位置は北緯24度26分58秒 東経122度56分01秒 / 北緯24.44944度 東経122.93361度[4])[注 1]、東京からの直線距離は約2,000キロメートルを超え、日本の領土の中で東京から最も離れた島である[7]。
安全保障上重要な位置にあるため、2016年に陸上自衛隊の与那国駐屯地が開設されて沿岸監視隊が配備された。この配備により、自衛隊員とその家族250人が移り住み、人口の15%近くを占めるようになった[10][11][12]。
地理
面積28.95km2[13] で、小笠原諸島の硫黄島や父島より若干大きい程度である。人口1,680人(2018年7月31日時点)[14]、年平均気温23.8℃、年間降水量2,353.6mm[15]。石垣島からは約127kmの国境の島で、台湾(中華民国)宜蘭県蘇澳鎮までは約111kmしかなく、年に数回晴れて澄んだ日には、水平線上に台湾の山々[注 2] を望むことができる[16]。島は東西に細長く、ちょうどサツマイモのような形をしていて、起伏は激しいものの自転車でも3 - 4時間で一周が可能な大きさである。
島の成因はサンゴ礁の隆起ではなく、地質は主に第三紀堆積岩からなる。面積は小さいながら、200m級の山があるなど起伏が大きい。また、島の南海岸は波で浸食され、断崖絶壁が多数ある。南側の太平洋からは一年を通じて強い風が吹くが、中央の山地によって遮られ、高地までは影響があるものの、島の北側では風はそれほど強くない。島の東端には東崎(あがりざき)、西端には西崎(いりざき)の2つの岬がある。
中央北部に祖納(そない)、西部に久部良(くぶら)、南部に比川(ひがわ)の3つの集落があり、町役場は祖納にある[2]。主な産業は、漁業、サトウキビ農業、畜産、観光で、島の南半分及び東崎では牛馬が放牧されている。比川の近くにはエビの養殖場もある。
港などにある船舶用の浮標は「水源に向かって左側は緑色」「水源に向かって右側は赤色」と定められているが、浮標の色を定めるためには特定の地点を水源として決める必要がある。海上保安庁告示(第131号昭和58年 1983年7月5日付 官報 本紙 第16925号 5頁 浮標式を定める告示)により日本の沿岸における水源は原則として与那国島とされている[17][注 3]。
島名
与那国方言では、どぅなんちまと呼ばれる。
その由来には諸説があり、池間栄三は、「ゆうな」(オオハマボウ)という木に由来する説が有力であるとする。この説によれば、石垣島では与那国のことを「ゆのおん」というが、これは「ゆうなふん」の転訛で、「ゆうな」の「ふん」(群れ)、すなわち、ゆうなの群生を意味するという。そして、与那国方言では語頭のヤ行が濁音化してダ行となるから、「ゆうな」が「どぅな」となるとされる[18]。また、「よな」は海岸の洲や、米、砂を意味するという説もあり、富島壯英は諸説を検討した上で、「どぅなん」は砂や米を意味する「よね」に由来すると結論付けている[19]。
与那国島付近は天候が不安定で海を渡るのが難しいため、「渡難」(どぅなん)と呼ばれるともいわれるが、俗説とされる。
気候
熱帯雨林気候(Af)に属する。
与那国島特別地域気象観測所(与那国町与那国、標高30m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 27.5 (81.5) | 27.7 (81.9) | 29.0 (84.2) | 30.4 (86.7) | 33.1 (91.6) | 33.4 (92.1) | 35.5 (95.9) | 34.6 (94.3) | 34.4 (93.9) | 33.9 (93) | 30.2 (86.4) | 28.0 (82.4) | 35.5 (95.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 20.7 (69.3) | 21.3 (70.3) | 23.0 (73.4) | 25.5 (77.9) | 28.0 (82.4) | 30.3 (86.5) | 31.7 (89.1) | 31.4 (88.5) | 30.0 (86) | 27.8 (82) | 25.3 (77.5) | 22.2 (72) | 26.4 (79.5) |
日平均気温 °C (°F) | 18.5 (65.3) | 19.0 (66.2) | 20.5 (68.9) | 23.0 (73.4) | 25.4 (77.7) | 27.9 (82.2) | 28.9 (84) | 28.7 (83.7) | 27.5 (81.5) | 25.4 (77.7) | 23.1 (73.6) | 20.1 (68.2) | 24.0 (75.2) |
平均最低気温 °C (°F) | 16.6 (61.9) | 17.0 (62.6) | 18.3 (64.9) | 20.9 (69.6) | 23.4 (74.1) | 26.0 (78.8) | 26.8 (80.2) | 26.4 (79.5) | 25.3 (77.5) | 23.6 (74.5) | 21.3 (70.3) | 18.2 (64.8) | 22.0 (71.6) |
最低気温記録 °C (°F) | 7.7 (45.9) | 8.4 (47.1) | 9.0 (48.2) | 12.1 (53.8) | 15.0 (59) | 17.6 (63.7) | 21.9 (71.4) | 21.7 (71.1) | 18.2 (64.8) | 16.2 (61.2) | 11.4 (52.5) | 9.1 (48.4) | 7.7 (45.9) |
降水量 mm (inch) | 187.2 (7.37) | 163.6 (6.441) | 163.7 (6.445) | 153.0 (6.024) | 207.3 (8.161) | 162.3 (6.39) | 125.3 (4.933) | 213.0 (8.386) | 285.7 (11.248) | 238.5 (9.39) | 222.6 (8.764) | 200.8 (7.906) | 2,323 (91.457) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 18.0 | 15.7 | 15.8 | 12.6 | 13.1 | 11.6 | 9.3 | 11.8 | 13.2 | 12.4 | 15.6 | 17.3 | 166.4 |
% 湿度 | 75 | 76 | 77 | 79 | 81 | 83 | 80 | 81 | 79 | 75 | 76 | 74 | 78 |
平均月間日照時間 | 52.8 | 60.3 | 88.1 | 104.7 | 142.3 | 182.3 | 257.9 | 227.4 | 180.9 | 132.2 | 86.0 | 59.0 | 1,568.6 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1956年-現在)[20][21] |
自然
海岸線
崖が多い地形のため、島内各所で群青色の海が見下ろせるが、与那国島北岸にある通称「6畳ビーチ」、「ウブドゥマイ浜」、岬全体が牧場になっている「東崎」などがある。「西崎」は日本最西端の岬、日本最西端之地でもある。岩場の細かい形までわかるほど、透明度が高い[22]。
ヨナグニサン
ヨナクニの名を持つもっとも有名な動物は、日本最大のガであるヨナグニサン(アヤミハビル)である。ただし、この種は与那国島の固有種でなく、近隣の石垣島や西表島でも見られ、世界的には中国、台湾をはじめアジア各地に分布している。
与那国馬
北牧場および東牧場などでは日本在来馬の与那国馬が飼育されている。与那国馬は1969年3月25日に与那国町の天然記念物に指定されている。
鳥獣保護区
2010年11月1日に約1,040haの地域が国指定与那国鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)として新規指定された[23]。特別保護地区は63haである。これは国の天然記念物および国内希少野生動植物種に指定されているヨナクニカラスバトおよびキンバトの保全が目的である。これまで指定されていた鳥獣保護区は島の中央部の約187haのみで、今回の指定では地域の変更や大幅な拡充が伴われ、新規指定となっている[24]。
東崎の与那国馬(2020年11月4日)
与那国馬と観光客(東崎)
道路脇を歩く与那国馬
2006年7月18日(場所不明)
歴史
与那国島が文献に初めて現れるのは、1477年2月に朝鮮の済州島の住民3名が与那国島に漂着した事件である。3名の漂流者は八重山列島、宮古列島の島々を経て首里に至り朝鮮に送り届けられたが、与那国島に最も長く滞在しており、その詳細な記録が『李朝実録』に残されている[25][26]。
15世紀、八重山列島には群雄が割拠し、与那国島は女首長サンアイ・イソバ(実在不明)が統治していたという。1500年、琉球王府は宮古島の豪族仲宗根豊見親と結んで石垣島のオヤケアカハチを攻めて八重山列島を支配下に収めた(オヤケアカハチの乱)。その途次、仲宗根豊見親は嫡子仲屋金盛に命じて与那国島を攻めさせたが撃退された。その後、鬼虎(実在不明)が首長となり与那国島を統治するが、琉球王府による支配は徐々に強まり、1510年には西表島の豪族慶来慶田城用緒の嫡子用庶が王府から与那国与人に任命され、1522年[注 4]には仲宗根豊見親らにより鬼虎が討伐されて名実ともに琉球王府の支配下に入った[25][27]。
琉球王府は1609年の薩摩藩の琉球侵攻によりその支配下に入り、1611年(慶長16年)には薩摩藩役人毛利内膳正元親が来島し与那国島の測量を行い、初めて検地帳を作製した[25]。薩摩藩支配下の琉球王府からは人口に応じて課税される苛烈な人頭税が課され、妊婦に岩の割れ目を跳ばせて口減らしをしたという「久部良バリ」(くぶらバリ)の伝承等が今日まで語り伝えられている[28][29][30][31]。
1879年(明治12年)の(琉球処分)と共に日本の府県制に帰属する。台湾が日本領になった時代は、台湾住民との間で砂糖や米の密取引が行われるようになり、人口は2万人まで増加した(ケーキ時代)。
1908年(明治41年)島嶼町村制で間切制が廃止され、石垣間切・大浜間切・宮良間切の3間切が与那国島とともに八重山村となる[32]。1914年(大正3年)八重山村が分村し、与那国村となる[32]。
1941年12月8日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃を契機とし、太平洋戦争が始まる、1944年10月10日、那覇を中心に爆撃され、那覇全域は焦土と化す。12日には石垣島上空に米軍グラマン3機が飛来し、翌13日には与那国島久部良が爆撃された。この際、宮古島に向かう途中に(久部良港)に停泊していた日本陸軍暁部隊に所属する船舶が爆撃を受け、台湾の基隆港から乗船した朝鮮人従軍慰安婦53人のうち46人が犠牲になっている[33][34]。
1945年(昭和20年)に米軍の軍政下に置かれた。台湾が日本から分離したため、密取引は行われなくなり人口も急減。1948年(昭和23年)に町へ昇格し与那国町となる[32]。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約で米国統治となり、1972年(昭和47年)の沖縄返還により日本へ返還されて現在に至る。
1982年(昭和57年)、台湾の花蓮市と姉妹都市を締結[35]。
1986年(昭和61年)には、「海底遺跡」として紹介されることも多い与那国島海底地形が地元のダイバーによって発見されて話題となる。
産業
主要産業は、サトウキビや水稲栽培等の農業、(肉牛)飼育等の畜産業、カジキマグロ漁[36] やクルマエビ養殖[37] 等の漁業[9]。
与那国町地域に由来する製法によって与那国島で生産された織物(「畳べり地」を除く)は、「与那国織」として地域団体商標の登録を受けている[38]。
ダイバーに「海底遺跡」の名で知られる与那国島海底地形をはじめとするダイビングスポットに富み[10]、観光地としての認知度は高いものの、旅行者は多くない[39]。
花酒
日本国内では与那国島だけで生産されている特産物として、花酒(はなさき)がある。「はな」とは初めの意で、泡盛と同様の製造過程で最初に留出されるアルコール度数60度の非常に強く純度の高い蒸留酒である。一般的な泡盛はアルコール分45度以下で酒税法上(単式蒸留焼酎)に分類されるのに対し、アルコール分60度の花酒は(原料用アルコール)に分類される。島内で以下の3つの銘柄が製造されており、いずれもクバ(ビロウ)の葉で巻かれた独特の瓶に詰めて出荷される[40]。
葬制
古くは風葬の一種である崖葬が行われており、崖葬墓は当時の村落近くに設けられていた。その後、岩窟に遺体を安置して入口を石や土で密封して墓にするようになり、それが一般に広まって亀甲墓になったという[41]。
葬制としては、かつては遺体を棺に納め龕に乗せて墓まで葬送し、亀甲墓の前室に遺体を納めた棺を安置して、風化するのを待って(通常7年後)遺骨を取り出し、洗骨改葬を行うことが一般的であった(複葬、風葬)。与那国島には火葬施設がないこともあり、このような葬制は戦後も長らく残っていたが、島内には高度医療を担う医療機関がないため、近年は石垣島や沖縄本島の医療機関で死を迎え、島外で火葬に付される場合が多くなっている。しかし、一部では、従来の葬制を望む者もいるため洗骨改葬が行われることがあり、また、火葬の場合にも龕による葬送儀礼が行われることがある[42][43][44]。
島内には2ヶ所に墓地群がある。このうち、祖納集落の北東に位置する浦野墓地では、広大な墓地内にさまざまな形状の墓が多数存在し、「死者の都」とも称される[45][46][47]。
1億円の墓の門地元実業家の先祖墓の門
浦野墓地群。背後のピラミッド型の建造物は通称「1億円の墓」
浦野墓地群
崖上の浦野墓地に立ち海を見下ろす地蔵。環境の厳しさを感じさせる。
安全保障と対外関係
日本の最西端にある与那国島は、台湾や中国に近接しており、日本の安全保障や対外関係において重要な位置を占めている。日本国政府は、2016年4月に与那国島を含む八重山列島等の29地域を「有人国境離島地域」に特定しており[48]、領海等の保全等に関する活動拠点としての機能を維持するために、国の行政機関の施設の設置等を図ることとしており、その中には自衛隊の部隊の増強等も含まれている[49]。
2010年12月17日に閣議決定された防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画には、与那国島を想定した100人規模の沿岸監視隊配備が盛り込まれた[50]。与那国町議会は2013年6月20日に防衛省への町有地の賃貸を承認[51]。2014年3月31日の正式契約締結を経て[52] 4月19日に起工式が行われ[53][54]、2016年3月28日に与那国駐屯地が開設されるとともに沿岸監視隊が発足した[55][56]。この間の2015年2月22日に行われた住民投票では、配備賛成が多数を占めている[57]。
また、原子力規制委員会は、台湾等での原子力発電所の事故の発生を検知するために放射線監視装置(モニタリングポスト)を与那国島及び対馬に設置し、2018年2月15日に運用を開始している[58][59]。
交通
島外
空路
- 与那国空港 - 琉球エアーコミューターの定期路線が、那覇空港(1日1往復)及び新石垣空港(1日3往復)との間に就航している。
海路
- 久部良港 - 西部の久部良地区にある漁港。福山海運のフェリー「フェリーよなくに」(週2便)が、石垣島の石垣港との間に就航している。
- 祖納港 - 北部の祖納地区にある地方港湾。海況が穏やかな時季に「フェリーよなくに」が利用することがある。
島内
- 道路 - 沖縄県道216号与那国島線が島内を一周している。
- 路線バス - 与那国町営バス(最西端観光に運行委託)が一周線等を運行している。
台湾間との交通
空路
与那国町と台湾間には、定期便はないが、かつてチャーター便が運航されたことがある。
2007年(平成19年)10月4日、与那国空港から台湾の立栄航空による初の台湾直行チャーター便が台北国際空港に到着。花蓮市との姉妹都市締結25周年を記念した、与那国町の友好親善交流団128人が、乗り換えなしに直接台湾に入った[60]。
2008年(平成20年)7月4日、台湾の復興航空によるチャーター便が6日まで台湾花蓮市と与那国島を結び、双方から合わせて91人の乗客が利用している[61][62]。
2009年(平成21年)2月27日には、台湾の復興航空のチャーター便が往復。花蓮市から61人が来島し、与那国町からは30人が花蓮市に向かっている[63]。
海路
与那国島と台湾の花蓮市とを高速船で結ぶ構想がある。2005年3月に策定された「与那国・自立へのビジョン」での国境交流特区構想に盛り込まれ[64]、2020年度に推進事業を開始[65]。2021年度に実証実験として高速船を運航し、定期航路化することを目指している[66]。
名所旧跡・観光
名所旧跡
- 東崎(あがりざき)
- 与那国島の東端にある断崖絶壁の岬。東埼灯台が立つ。
- 西崎(いりざき)
- 与那国島の西端にある岬。西埼灯台が立ち、最西端之地の碑がある。
- 日本最後の夕日が見える丘
- 久部良港を挟んで西崎の向かいにある丘[67]。
- 宇良部岳(うらぶだけ)
- 久部良バリ(くぶらバリ)
- 久部良フリシ(くぶらフリシ)
- 久部良バリとともに国の名勝に指定されている[28]。
- 人升田(とぅんぐだ)
- 予告なくほら貝やドラを鳴らすことによって15-50歳の男子を招集し、規定時間内にこの田に入りきれなかったものを殺したとの伝承がある。
- ティンダバナ
- ダティグチディ
- 軍艦岩[72][73]
- サンニヌ台(三根台)[72]
- 立神岩(頓石(トンガン))[72]
- 与那国島海底地形
- 自然地形とする説のほか、海底遺跡とする説もある。
- 人面岩[74]
- 人の顔のように見える石。
- 六畳ビーチ[75]
- 六畳ほどの広さの砂浜。
- アヤミハビル館[76]
- ヨナグニサン(方言でアヤミハビル)等に関する展示を行う博物館。
東崎
西崎
西崎灯台
日本最後の夕日が見える丘
久部良バリ
久部良フリシ
ティンダバナ
立神岩
軍艦岩
与那国島海底地形
人面岩
六畳ビーチ
アヤミハビル館
ダイビング
ダイビングの名所として非常に有名な島である。特に冬場に西崎で見られるハンマーヘッド(シュモクザメ)は人気があり、多くのダイバーが訪れる。また、人工物とする説もあり、「遺跡ポイント」と呼ばれる与那国島海底地形にも潜ることができる。このポイントは、非常に潮の流れが速いことがあるため、上級者向けのポイントであるが、状況によっては初級者も見ることができる。ダイビングサービスは島内に5軒ある。
Dr.コトー診療所
与那国島は、2003年夏に放映されたフジテレビ系列のドラマ「Dr.コトー診療所」の撮影地となった。比川には撮影に使用した診療所のセットが残っており、有料で内部を見学できる[77]。2004年及び2006年放映の続編や2022年公開の「劇場版 Dr.コトー診療所」でも、与那国島で撮影が行われた[78]。
放送
与那国島を舞台とする作品
脚注
注釈
- ^ 正確な日本の最西端の地点は、2019年6月に初めて国土地理院の(2万5千分1地形図)に掲載されたトゥイシという岩で、西崎の北北西約260mに位置する(位置は北緯24度27分05秒 東経122度55分57秒 / 北緯24.45139度 東経122.93250度[5])[5][6]。ただし、国土地理院はトゥイシの場所を与那国島に含めている[7]。
- ^ いくつかの山は富士山より標高が高い。言い換えれば、日本国内から見える山で最も標高が高いのは富士山ではないということになる。
- ^ なお、港、湾、河川では、港、湾の奥部又は河川の上流が水源とされる。また、瀬戸内海の水源は神戸港、宇高航路の水源は宇野港、八代海の水源は三角港と定められている[17]。
- ^ 年代については、1513年以前とする説等、諸説がある[27]。
出典
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参考文献
- 池間栄三『与那国の歴史』池間苗、1959年。
関連項目
外部リンク
- 与那国町役場
- 与那国島観光案内 - 与那国町商工会
- 与那国島 - DOR39(沖縄39離島観光情報サイト)
- 与那国島 - 八重山物語(石垣市経済振興公社)
- 与那国島 - おきなわ物語(沖縄観光コンベンションビューロー)
- 与那国島 - リトハク(沖縄観光コンベンションビューロー)