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上遠野富之助

上遠野 富之助(かどの とみのすけ、1859年11月13日安政6年10月19日) - 1928年昭和3年)5月26日[2])は、明治・大正期の実業家。名古屋商業会議所会頭、名古屋鉄道社長。

上遠野富之助[1]
名古屋市天白区の八事霊園内の上遠野富之助の墓(2017年6月)

人物

出羽国横手の[2]秋田藩士・上遠野群吾の二男として生まれる[3][4]日新小学校の校長を経て、秋田改進党機関紙(秋田日報)の記者となった[3]東京専門学校開学を知り、同校政治学科に学ぶ[3]。その間、報知新聞の記事執筆、東京府会の書記なども務める[3]。東京専門学校は1886年(明治19年)に卒業[3]。名古屋財界の重鎮である奥田正香に認められ、名古屋商業会議所書記長に迎えられる[5]1909年(明治42年)には副会頭、1921年大正10年)には会頭となる[5]。その他、名古屋株式取引所理事、国際労働総会使用者代表も務めた[5]

1928年昭和3年)、胃がんで死去[5]。死後、遺言に従って、中区南久屋町の私邸が市に[注釈 1]、蔵書が名古屋商業会議所に寄付された[5]

初代神野金之助との関係

初代神野金之助が経営する明治銀行や名古屋電気鉄道の役員も務め、南久屋町の私邸は初代神野金之助の私邸は隣通しで二人は公私ともに親密な関係であった。

初代神野金之助は危篤に際し特旨をもて従五位に陞叙せられた[7]が、これは大正11年2月19日に明治銀行の頭取であった大三輪奈良太郎と連名で特旨を願い出て認められたためである。なお通説では初代神野金之助は生涯「ジンノ」姓であると言われているが、特旨を願い出した電報には「カミノ」姓となっている。側近中の側近の二人が姓を間違える訳もなく、初代神野金之助が亡くなる前に「カミノ」姓に改称していたことになる。

明治銀行の経営に参加

1896年(明治29年)8月に初代神野金之助、奥田正香など名古屋の新興財閥が中心となって設立され、1898年(明治31年)1月に初代神野金之助が頭取となった。明治41年に経済悪化の影響を受け、上遠野富之助を常務取締役に取り立てられ経営の改善を図った。[8]大正3年5月に北濱銀行の破綻により取り付け騒ぎが発生し、対応策として上遠野富之助が常務取締役退任、大三輪奈良太郎が後任となった。その後初代金之助は大正4年に大三輪奈良太郎を副頭取にし、翌大正5年末に頭取を辞任した。[9]

名古屋電気鉄道の経営に参加

名古屋電気鉄道は名古屋鉄道の前身であり、初代神野金之助は1894年(明治27年)の設立から係わり、初代取締役社長は甥の富田重助が就任する。神野金之助も1910年(明治43年)6月に取締役社長に就任する。1914年(大正3年)9月の電車焼討事件の責任を取り、神野金之助は相談役に退き、上遠野富之助が常務取締役に、甥の富田重助が社長に再任された[10]。上遠野富之助は1925年(大正14年)10月に社長に就任する。[11]

名古屋無電放送の設立に携わる

1924年(大正13年)に二代神野金之助を発起人としてNHK名古屋放送局の前身である名古屋無電放送の設立に尽力した。翌1925年(大正14年)に認可・設立となり、上遠野富之助は理事を務め二代神野金之助は理事長[12]となった。同年7月の本放送開始は「JOCK、名古屋放送局であります」という第一声と共に始まり神野理事長の祝辞や君が代の奏楽、上遠野富之助会頭の祝詞などが、ラジオを通じて伝えられた。[13]

著作

  • 『上遠野富之助病中雑話』上遠野亮三、1928年7月。 NCID BB06086236。(全国書誌番号):(44010592)。 

親族

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 『総合名古屋市年表 昭和編一』によれば、病床に就いていた上遠野が南久屋町の私邸を名古屋市長公舎として寄付したのは1928年(昭和3年)5月18日のことであり、亡くなったのは同年5月26日のことである[6]

出典

  1. ^ “上遠野富之助病中雑話”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2020年10月18日閲覧。
  2. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ^ a b c d e 北見昌朗 2016, p. 253.
  4. ^ a b 『秋田人名大事典(第二版)』166頁。
  5. ^ a b c d e 北見昌朗 2016, p. 254.
  6. ^ 名古屋市会事務局 1964, p. 154.
  7. ^ “開校廿周年記念東三河産業功労者伝(神野金之助)”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2020年10月19日閲覧。
  8. ^ 神野金之助重行. 神野金之助翁伝記編纂会. (2020.10.19) 
  9. ^ “東京名古屋現代人物誌(大三輪奈良太郎)”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2020年10月19日閲覧。
  10. ^ 神野金之助重行. 神野金之助翁伝記編纂会. (1940) 
  11. ^ 上遠野富之助病中雑話. 上遠野亮三. (昭和3年) 
  12. ^ “ラヂオ年鑑. 1926年度”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2020年10月18日閲覧。
  13. ^ “大正14年(1925)名古屋放送局の開局”. 名古屋商工会議所. 2020年10月19日閲覧。

参考文献

  • 名古屋市会事務局 編『総合名古屋市年表 昭和編 一』名古屋市会事務局、1964年11月25日。(全国書誌番号):(49011383)。 
  • 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。
  • 北見昌朗『愛知千年企業 大正時代編 「大恐慌の次は震災」の時代を生き抜いた名古屋商人群像』北見昌朗、2016年2月12日。ISBN (978-4-8062-0701-6)。 

外部リンク

  • 『(上遠野富之助)』 - コトバンク
  • 『(上遠野 富之助)』 - コトバンク
  • 上遠野富之助 (第8版) - 『人事興信録』データベース
  • 上遠野富之助が名古屋商業会議所の会頭に就任 - 愛知千年企業
先代
鈴木摠兵衛
名古屋商工会議所会頭
第8代:1921年 - 1927年
次代
伊藤祐民
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