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三田 (東京都港区)

日本 > 東京都 > 港区 > 三田

三田(みた)は、東京都港区町名。現行行政地名は三田一丁目から三田五丁目。三田一 - 三丁目は芝地区総合支所管内、三田四・五丁目は高輪地区総合支所管内に属している。郵便番号は108-0073(高輪局管区)[3]

三田
三井倶楽部
三田
三田の位置
北緯35度38分56.27秒 東経139度44分34.58秒 / 北緯35.6489639度 東経139.7429389度 / 35.6489639; 139.7429389
日本
都道府県 東京都
特別区 港区
地区 (芝地区)(一〜三丁目)
高輪地区(四〜五丁目)
面積
 • 合計 1.03 km2
人口
2019年(令和元年)8月1日現在)[2]
 • 合計 19,929人
 • 密度 19,000人/km2
等時帯 (日本標準時)
郵便番号
108-0073[3]
市外局番 03[4]
ナンバープレート 品川
※座標は慶應義塾大学付近[5]

地理

三田一丁目と三田五丁目の古川(渋谷川)沿いの低地には、住宅地商店街が混在している。また三田二丁目の高台には高級住宅地が広がり、慶應義塾大学(旧島原藩中屋敷)、三井倶楽部(旧三井邸)、オーストラリア大使館(旧蜂須賀侯爵邸跡地)などがある。三田三丁目には主に商業地が広がる。三田四丁目は寺町となっており、三田台の上下にわたって寺院が数多く存在する。

歴史

江戸時代大名屋敷や御家人の屋敷が並んだ。三田四丁目の周辺には旧三田台町の台地が広がり、江戸時代には歌川広重によって月の岬として描かれるなど、風光明媚な地として知られた。

目黒区にある三田は目黒三田とも呼ばれ、現在では港区三田とは遠く離れた別個の町であるが、元来は同じ三田郷を起源とする荏原郡三田村の飛び地であり、同一のに所属している。

地名の由来

この地に朝廷に献上する米を作る(屯田)(みた)が存在したからとも、伊勢神宮または御田八幡神社神田(みた)があったからともいわれる。

沿革

  • 戦国時代までに、荏原郡三田郷として成立する。三田の名は、吾妻鏡の中の正嘉2年(1258年3月1日の条にすでに記されている。
  • 江戸時代初期、三田郷の地に三田村が成立し、荏原郡に所属する。
  • 1662年寛文2年) - 三田村に商家が立ち並ぶようになり、その地域が三田一丁目-三田四丁目、三田台町一丁目・三田台町二丁目などとして三田村から分離し、町奉行支配となる。これ以降、延宝年間までの20年ほどの間に計14ヶ町が次々と三田村から独立し、町奉行支配となった。この時新たに成立した三田14ヶ町は、三田一丁目-三田四丁目・三田台町一丁目-三田台町二丁目・三田台裏町・三田同朋町・三田古川町・三田豊岡町・三田老増町・三田南北代地町・三田久保町・久保三田町。
  • 1868年明治元年) - 東京府成立に伴い、三田地区の町と三田村は東京府所属となる。
  • 1869年(明治2年) - 三田地区の一部に町域統廃合が行われ、新たに三田綱町・三田功運町などが起立。三田南北代地町・三田久保町・久保三田町などが消滅し、代わりに三田小山町・三田君塚町・三田松坂町などが成立。また三田古川町は麻布東町(現:南麻布一丁目)と麻布新堀町(現:南麻布二丁目)に分割編入されて消滅した。
 
昭和初期の慶應義塾大学三田キャンパス
  • 1871年(明治4年) - 三田二丁目に慶應義塾が移転。
  • 1872年(明治5年) - 三田地区の武家地・寺地が新たに町として独立することになり、三田四国町・三田北寺町・三田南寺町などが起立される。
  • 1878年(明治11年) - 芝区麻布区の成立に伴い、三田地区の町と三田村の大半は芝区に、また一部は麻布区の所属となる。
  • 1889年(明治22年) - 三田村の残余部分(現在の目黒区三田)が隣接する荏原郡目黒村に編入され、三田村が消滅する。
  • 1947年昭和22年) - 芝区が麻布区・赤坂区と合併し、新たに港区が成立する。それに伴い三田地区の町名に「芝」の冠称がつく。
  • 1964年(昭和39年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区のうち芝三田四国町・芝三田同朋町が港区に編入される。
  • 1967年(昭和42年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区の大部分と周辺地域を併せて港区三田が成立する。また、三田台町三丁目・三田松坂町の一部は港区高輪となる。
  • 1969年(昭和44年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区の残余部分(三田老増町)が港区白金となる。

変遷

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部・かつての芝三田地区は太字
芝二丁目 1964年1月1日 芝三田四国町、芝金杉一-四丁目、芝金杉河岸、芝新堀町、芝新堀河岸、芝西応寺町
芝三丁目 芝三田四国町、芝新堀町、芝新堀河岸、芝松本町
芝四丁目 芝三田四国町、本芝一-四丁目、本芝入横町、本芝下町、本芝材木町
芝五丁目 芝三田四国町芝三田同朋町、芝田町一-三丁目など
三田一丁目 1967年7月1日 芝三田小山町、芝新門前町、芝新門前河岸、芝赤羽町、麻布飯倉町五丁目
三田二丁目 芝三田一・二・四丁目芝三田綱町芝三田北寺町、麻布新広尾町一丁目
三田三丁目 芝三田二-四丁目芝三田功運町、芝田町四-九丁目、芝通新町
三田四丁目 芝三田四丁目芝三田北寺町芝三田南寺町芝三田台町一-三丁目芝三田豊岡町
芝三田功運町芝三田松坂町、芝通新町、芝伊皿子町
三田五丁目 芝三田豊岡町芝三田松坂町、麻布新広尾町二丁目
高輪一丁目 1967年7月1日 芝三田松坂町芝三田台町三丁目など(その他については高輪の項を参照のこと)
白金一丁目 1969年1月1日 芝三田老増町、芝白金三光町、芝白金志田町、麻布新広尾町二丁目、麻布田島町
白金二丁目 芝三田老増町、芝白金三光町、芝白金台町一丁目

世帯数と人口

2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
三田一丁目 2,421世帯 4,278人
三田二丁目 2,350世帯 4,397人
三田三丁目 1,069世帯 1,661人
三田四丁目 2,013世帯 3,619人
三田五丁目 3,326世帯 5,974人
11,179世帯 19,929人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

丁目 番地 小学校 中学校
三田一丁目 全域 港区立赤羽小学校 港区立三田中学校
三田二丁目 全域
三田三丁目 全域 港区立御田小学校
三田四丁目 全域
三田五丁目 全域

交通

鉄道

路線バス

道路

施設・名所

三田一丁目

三田二丁目

三田三丁目

三田四丁目

三田五丁目

ギャラリー

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “平成27年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年10月1日). 2019年9月3日閲覧。
  2. ^ a b “各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年 - 平成31年・令和元年)”. 港区 (2019年8月1日). 2019年9月3日閲覧。
  3. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  4. ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月7日閲覧。
  5. ^ Google Earthより
  6. ^ “港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2015年4月1日). 2019年9月3日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 三田(みた)
  • 幕末・明治期の三田一丁目付近
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