一力 長五郎(いちりき ちょうごろう、1815年(文化12年) - 1859年9月21日(旧暦8月25日))は、常陸国新治郡若柴村(現:茨城県龍ケ崎市若柴)出身の元大相撲力士である。本名は山崎 安好(やまざき やすよし)。
来歴
1815年に常陸国新治郡若柴村(現:茨城県龍ケ崎市若柴)で生まれる。1837年10月場所において序ノ口から初土俵を踏み、1849年11月場所で新入幕を果たした。結果的に三役昇進は果たせなかったものの、劔山山谷右エ門、小柳常吉に強く、両者には無敗だったことから江戸相撲の中では「大物食い」として名を馳せた。1859年に奥州・一ノ関で行われた巡業に参加中、急逝した。44歳没。死因は病死または斬殺と伝わる[1]。
出身地である龍ケ崎市若柴の星宮神社には、一力が奉納したと伝わる灯篭2基が残っている。
主な成績
- 通算幕内成績: 64勝40敗26分4預(18場所)
脚注
- ^ 常陽リビング茨城歴史散歩 一力長五郎の墓
関連項目
外部リンク
- - ウェイバックマシン(2014年2月2日アーカイブ分)
- 相撲人名鑑・一力長五郎(大相撲記録の玉手箱)