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『ワイドサタデー』は、1970年10月から1983年3月まで、朝日放送(ABC)など、テレビ朝日(1977年3月まではNETテレビ)系列(1975年3月まではTBS系列)の近畿・中国・四国・九州各地のネット局(他系列局含む)が共同制作して毎週土曜日の15:00 - 15:55(JST)に放送されていた生中継番組である[1]。
概要
大阪万国博覧会が終わった年の秋から、お祭り広場からの中継の後の企画として放送が開始された。朝日放送をキーステーションに山陽放送・中国放送・RKB毎日放送・大分放送(以上TBS系列)・南海放送(日本テレビ系列)の6局を結んで瀬戸内海に面した地区[2]をレポート。ネットワーク局の中から2か所程度選び、タレントがその週のテーマに沿ったレポート(観光情報が主)をヘリコプターによる空撮も交えて、生の多元中継で展開するというものだった。冒頭部で各レポーターが中継内容をリレー紹介する際には、それぞれに河村立司のイラストが使われていた。女声コーラスのスキャットが美しいテーマ曲は南安雄の作曲による(途中でバージョンが変わる)。
1975年のネットチェンジ(毎日放送との(ネット交換)による腸捻転解消)によって、TBS系列の山陽放送・中国放送・RKB毎日放送が地域ネットから離脱し、これに代る形でNET(後のテレビ朝日)系列の瀬戸内海放送・広島ホームテレビ・九州朝日放送が加わった[3]。また、TBS系時代の末期に四国放送(日本テレビ系列)と宮崎放送(TBS系列)もこの番組のネットに参加している他[4]、大分放送・宮崎放送はNET系移行後も引き続き参加している[5]。
1983年春の改編をもって番組は終了し、当時の国鉄(現・JR)大阪駅ビル「アクティ大阪」に併設されたサテライトスタジオ「ABCエキスタ」からの2時間生中継番組『わいわいサタデー』に引き継がれた。その際に、四国放送・瀬戸内海放送・南海放送を除く4局が同時間帯の地域ネットを離脱している。
毎年8月に朝日放送が全国高校野球選手権大会中継(大阪府予選の中継含む)を放送する時には、地域ネット局には裏送りとし、近畿広域圏では当日23時台に時差放送(野球中止の際は定時に放送して、その時間は後続の番組を繰り上げる)していたが、放送時間中にネット局の地元代表校の試合がある場合、当該地域でも高校野球を放送し、本番組を朝日放送と同時ネットとすることがあった[6]。また、広島ホームテレビも自社制作番組(広島東洋カープ主催のデーゲーム中継や自社主催の『広島ママさんバレーボール大会・決勝戦』など)を放送した際は同様に当日23時台に放送していた[7]。
また、テレビ朝日系列で全国ネットのスポーツ中継が編成された際には、系列外の南海放送・四国放送・大分放送・宮崎放送に裏送り先行ネットでの生放送を実施し、テレビ朝日系列局では夕方または23時台に録画時差放送していた[8]。
出演者
ネットおよび共同制作局
腸捻転解消前
放送地域 | 放送局 | 放送系列 | 備考 |
---|---|---|---|
近畿広域圏 | 朝日放送 | TBS系列 | 制作幹事局 |
岡山県 | 山陽放送 | 当時の放送エリアは岡山県のみ | |
広島県 | 中国放送 | ||
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | 途中から参加 |
愛媛県 | 南海放送 | ||
福岡県 | RKB毎日放送 | TBS系列 | |
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | 途中から参加 |
腸捻転解消後
脚注
- ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』p.191
- ^ 時折、瀬戸内海沿岸以外の共同制作局の放送エリア内(各県の制作参加局の内陸部や、朝日放送の放送エリアの京都府・奈良県など)からのレポートが放送されることがあった。
- ^ 岡山放送はフジテレビ系列を優先していたため、参加しなかった。
- ^ 『ワイドサタデー』と伊丹さん - 伊丹十三記念館公式ブログ「記念館便り → 記念館からみなさまへ 」、2012年3月5日。文中に伊丹が出演した第197回(1974年10月19日放送)「終着駅の旅 その1」と、第209回(1975年1月18日放送)「たくましく生きる」の台本の表紙が掲載されているが、いずれも「共同制作」として四国放送・宮崎放送が既に記載されている。
- ^ 放送当時NET系にはテレビ岡山(正式社名は岡山放送)・テレビ大分・テレビ宮崎が加盟していたが、ネットおよび共同制作の移行は行われなかった。
- ^ 一例として、1981年8月8日は、朝日放送と瀬戸内海放送が『高岡第一高校 vs 志度商業高校』を放送し、本番組を23:45からの放送とした一方、広島ホームテレビと南海放送は先行ネットでは本来の時間帯に先行ネット放送していた(出典:同日の中国新聞および産経新聞・岡山版のテレビ欄)。
- ^ 中国新聞、1981年11月7日、24ページ、テレビ欄。この時は『広島ママさんバレーボール大会・決勝戦』を14:30 - 16:00に放送のため、当日23:15から録画時差ネットで放送。
- ^ 一例として、1982年10月9日には、プロ野球『大洋 vs 巨人』がテレビ朝日系列全国ネットで13:55 - 15:55に放送されたため、朝日放送では17:00から、広島ホームテレビでは23:20から、瀬戸内海放送では23:25からの録画放送となった一方、南海放送では裏送りで通常通り15:00から放送していた(出典:同日の中国新聞、産経新聞・岡山版各テレビ欄)
- ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
関連項目
- ワイドショー・プラスα - ABC制作で西日本のJNN→ANN系列を中心にネットされていた平日昼のワイドショー番組。
- ぐるりん瀬戸内 - ABCを幹事局として瀬戸内海放送・広島ホームテレビ・愛媛朝日テレビ・山口朝日放送の5局で放送された夕方ニュース番組のコーナー。
- 西日本横断生放送スペシャル どうにもとまらない2013 - ネットチェンジ後の2013年に毎日放送(MBSテレビ)を幹事局として、本番組に参加していた山陽放送・中国放送・RKB毎日放送との共同制作で生放送された正月特別番組。