レオン・フレデリック(Léon Frédéric、1856年8月26日 - 1940年1月27日)は、ベルギー象徴主義の画家。
レオン・フレデリック Léon Frédéric | |
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レオン・フレデリック/1910年頃 | |
生誕 | 1865年8月26日 ベルギー ブリュッセル |
死没 | 1940年1月27日 (74歳) ベルギー スカールベーク |
国籍 | ベルギー |
著名な実績 | 絵画 |
代表作 | 万有は死に帰す(大原美術館) |
運動・動向 | 象徴主義、20人会 |
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経歴
1856年、ブリュッセルの裕福な宝石商の息子に生まれた。ブリュッセル王立美術アカデミーで学び、1874年からオリエンタリズムの画家、ジャン=フランソワ・ポルテールの工房で学んだ。1876年から1878年の間、ローマ留学の奨学金の得られるコンクールに応募するが入賞できず、父親が資金を出して1878年から2年間イタリアに留学した。ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ベネツィアを旅し、サンドロ・ボッティチェリやドメニコ・ギルランダイオといった「クワトロチェント」様式と呼ばれる初期ルネサンス画家たちの作品から影響を受けた。
帰国後、ブリュッセルの展覧会に出展し、自然主義の画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの作品からも影響を受け、社会的な主題の作品も描いた。ブリュッセル王立美術アカデミー出身者が母体となった美術家グループ、「L'Essor(発展)」のメンバーになり、その展覧会に出展した。1882年のサロンで初受賞し、1889年のパリ万国博覧会の展覧会に出展し金メダルを受賞した。
1890年頃から象徴主義に傾倒し、1896年よりジャン・デルヴィルが主催した「Salon d'Art Idéaliste(理想主義芸術展)」に出展した。
ギャラリー
生命の源、1880年
少女たち、1885-1887年
少年たち、1885-1887年
葬儀の会食、1886年
ワロン人の二人の少女、1888年
自画像、1890年頃
夏、1893年
流れ、1895年頃
豊穣の本質、1895年頃
眠れる水面の湖、1895年頃
夜のアレゴリー、1900年頃
不妊のアレゴリー、1900年頃
曙、1900年頃
自画像、1900年頃
労働者の年齢、1900年代
朝、1901年
夕べ、1901年
朝のトイレ、1904年
シャクナゲの花、1907年
参考資料
- 高階秀爾、世紀末と象徴主義(世界美術大全集)(小学館、1996)(ISBN 4-09-601024-3)
- 千足伸行 (監修) 『すぐわかる画家別幻想美術の見かた』改訂版(東京美術、2010年)(ISBN 978-4-8087-0887-0)
外部リンク
- 大原美術館 万有は死に帰す
- 姫路市立美術館 フレデリック 作品3点