マイク・ネスミス(Mike Nesmith, 1942年12月30日 - 2021年12月10日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、作詞家、俳優、小説家、実業家、慈善家。テキサス州ヒューストン出身。ザ・モンキーズのメンバーとして知られる[1]。
人物
母親は修正液の発明者で実業家の(ベティ・ネスミス)(1924~80)。
在籍したザ・モンキーズでは、ギターとヴォーカルを担当。在籍時に書いた「悲しきロック・ビート(Different Drum)」が1967年にストーン・ポニーズ(リード・ボーカルはリンダ・ロンシュタット)にカバーされ、彼らのバージョンは翌1968年に全米13位を記録した。
モンキーズ解散後は自身のカントリー・バンドであるファースト・ナショナル・バンドで活躍、「シルバー・ムーン」等のヒットがある。1981年にミュージック・ビデオのカテゴリーで『(Elephant Parts)』がグラミー賞を受賞した。
クリスチャン・サイエンスの信者である[2]。
2021年12月10日、心不全のためカリフォルニア州の自宅で亡くなった[3]。同年11月のロサンゼルスでのミッキー・ドレンツとのツアー公演が最後のバンド演奏となった[4]。
出演
映画
- ハイド・アンド・シーク(1996年)クレジットなし
脚注
- ^ “「モンキーズ」ギター、ネスミスさん死去78歳 映画監督など幅広く活躍”. 日刊スポーツ (2021年12月11日). 2021年12月11日閲覧。
- ^ Marinucci, Steve (2018年5月31日). “Mike Nesmith Reflects on His Weed-Fueled, Post-Monkees Project First National Band & New Memoir”. Billboard2021年7月28日閲覧。
- ^ “マイク・ネスミス氏死去 米バンド「モンキーズ」メンバー”. 時事ドットコムニュース. (2021年12月11日)2021年12月11日閲覧。
- ^ “モンキーズのM・ネスミスさんが死去 78歳”. CNN.co.jp. (2021年12月11日)2021年12月11日閲覧。