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プラザ合意

プラザ合意(プラザごうい、: Plaza Accord)とは、1985年9月22日、先進5か国((G5))財務大臣・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市プラザホテルにちなむ。

会議の会場となった、ニューヨークのプラザホテル

会議に出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルクフランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカーイギリス蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本竹下登蔵相である。以後の世界経済に少なからず影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、この会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。

概要

 
1985年~1988年までの為替レート(日次)。プラザ合意が行われてから数日間で、急激に円高が進行している。
 
1981年1月~1990年12月までのDEM/USDFRF/USD、GBP/USD、JPY/USDの推移。1980年代前半は主要通貨安ドル高であり、プラザ合意前後にドル安に転じている[1]

1980年代前半、レーガン政権下(レーガノミクス)のアメリカ合衆国では、前政権から引き継いだ高インフレ抑制政策として、厳しい金融引締めを実施していた。米ドル金利は20%にまで達し、世界中の投機マネーがアメリカに集中した。ドル相場が高めに推移したことで、アメリカには輸出減少と輸入拡大による大幅な貿易赤字がもたらされた。一方で、高金利により民間投資は抑制され、需給バランスは改善された。結果として、インフレからの脱出には成功した反面、国際収支が大幅な赤字となり、財政赤字も累積していった(→「双子の赤字」項を参照)。

インフレーションが沈静した後は金融緩和が進行し、アメリカ合衆国は復活したと言われるほどの景気回復で、貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により、貿易赤字国の通貨である米ドルの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定になった。

こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、自由貿易を守るため、協調的なドル安路線を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著だったため、実質的に円高ドル安に誘導する内容だった。これがプラザ合意である。

発表翌日の9月23日の1日24時間だけで、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった[2]

日本においては急速な円高によって円高不況が起きると懸念されたが日本銀行公定歩合を引き下げずに5%のまま据え置き、逆に無担保コールレートを6%弱から一挙に8%台へと上昇させるという短期市場金利の「高目放置」に踏み切った[3][4]。その後、公定歩合の引き下げに動いたのは翌1986年になってからだった。このため、1985年には非常に金融引き締め的な経済環境になっていたと推測され[注釈 1]、その結果その後数年間のインフレ率は低迷した。このインフレ率の低迷と公定歩合の引き下げ長期化予想を反映して名目金利が低下したことが、貨幣錯覚を伴って不動産株式に対する投機を促し、バブル景気をもたらしたと考えられる。

また円高により、「半額セール」とまでいわれた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業が増えた。とりわけ東南アジアに直接投資する日本企業が急増したため、「奇跡」ともいわれる東南アジアの経済発展をうながすことになった。

その後、進みすぎたドル安に歯止めをかけるべく、為替レートを安定させるために1987年、再び各国が協調介入することをうたったルーブル合意が結ばれた。プラザ合意によるドル高是正がゆきすぎたのは、ユーロ円債の大量発行という強力な手段が採られていたからであった。

協調介入の効果

本来、為替レートなどを誘導する場合はソフトランディングへ誘導するのが一般的である。すなわち、実体経済への急激なインパクトを避け、投機的な資金の流出、流入を防止することで市場の安定性を確保し、同時に市場需給に基づく自由かつ柔軟な取引によって自律的に国際収支調整されることが期待される。

しかしある特別な場合において、複数の国間で為替レートを一定の水準まで誘導するよう、市場介入を協力して行う場合がある。協調介入といわれるこの手法は、自国の通貨の安定性を保つために行われる自国通貨への介入、すなわち単独介入とはその目的において大きく異なる。単独介入とは、急激な為替レートの変動があったとき、これによって実体経済への悪影響が懸念されるため、これを安定させる目的で行われるものであり、為替レートを一定の方向へ誘導する目的で行われるものではない。これに対し、協調介入はある種の経済的なゆがみ・不均衡があり、それによって複数の国の利害が総合的に悪いと判断されるときに当該国間で協議し行うものであり、為替レートを人為的に一方向へ操作するほどの強い影響力がある。ただし協調介入を行ってもマーケットがこれを予測してすでに織り込んでいる場合があり、サプライズ感がとぼしく大きな影響を与えない場合もありえる。

協調介入が特殊なものだとみなされる理由として、為替レートの誘導目標をあらかじめ公開する点があげられる。これは一般に単独介入が誘導目標を公開しないのと対照的であり、このため市場参加者の思惑売買を誘導することが可能となる。プラザ合意後、竹下が「円-ドルレートは1ドル=190円でもかまわない」と声明したことを受けて一気に円高が進んだことなどからも、市場参加者の思惑を誘う協調介入は大きな影響力があることがわかる。また協調介入が実施されるケースはごくまれであり、プラザ合意が行われた当時は大きな経済的ゆがみが認識されていたことが窺える。

こうした性格上、協調介入に関してはソフトランディングが非常に難しいという意見と、一方で経済のねじれを一気に解消する手法として積極的に活用するべきとの意見が拮抗する。ただし変動相場制における国際収支調整機能は、金融政策が経済調整を担う現代においてはほとんど失われている。これは金融政策で物価変動を抑制する限りマクロバランスの対外不均衡が調整されないためである。

議論・評価

プラザ合意についてはバブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、バブル景気とその後の失われた10年に始まる長期経済低迷の起点ではないかとの見解がある。

輸出により輸入資源のための外貨を獲得していた日本が為替レートを意図的に調節することは大きなリスクを伴う。協調介入によって人為的に円高に導いた結果、農林水産物も、鉱工業製品も、日本人労働も、全ての日本産品は競争力を相対的に失い、自然な経済成長リズムの破綻に繋がった。

日本にとって不利になるこの合意がなされた背景には、以前からの日米貿易摩擦に加え、ハイテク分野でも日本の成長が目立ってきたことなどによる危険視の加熱があった。日本産業の象徴であった民生用電子機器の輸出は1985年を境に急激に落ち込み、衰退の道を歩んでいく[5]

1980年代前半にはアメリカの莫大な経常赤字により日本では輸出が急伸し、経常黒字は著しく増大、これにより輸出産業を中心に好業績の企業が相次いだ(ハイテク景気)。当時アメリカは、財政赤字と貿易赤字という、いわゆる双子の赤字を抱えており、日欧諸国はアメリカによりもたらされる経常黒字が物価上昇圧力になっているという指摘があった。これらの世界経済不均衡を是正するための効果的な手段としてドル安への誘導がなされたという指摘がある。ドル安にすれば米国の貿易赤字、とりわけ対日貿易赤字が目減りすることが期待された。日本のバブル崩壊に伴い、1996年以降のアメリカにおける日本への好感度も、中立から1991年までの圧倒的な好感度に戻った[6]

当時の中曽根康弘首相・竹下蔵相・澄田智日銀総裁らによって決断されたこの政策は、日本がアメリカの赤字解消のための為替操作を容認した対米妥協策との解釈が一般的である。

2018年から米中貿易戦争が起きた中国では日本のプラザ合意が再び注目されており[7]、日本の福田康夫元首相やプラザ合意当時に官僚だった元日本銀行副総裁の岩田一政などが人民元切り上げを求めるアメリカの圧力に応じないよう助言したことが反響を呼び[8][9]、国営メディアの新華社も「プラザ合意で米国に屈した日本の経済低迷を忘れるべきではない」と主張した[10]。アメリカも中国が通貨安誘導を行っているとして相殺関税の導入や25年ぶりの為替操作国の認定でこれに対抗している[11][12][13]

関連人物

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ わが国の均衡実質金利 (PDF) , 図表12-15によると、この時期には金融引き締め度合いを示す金利ギャップが非常に大きくなっている。

出典

  1. ^ “Fed of St. Louis HP”. 2009年5月4日閲覧。
  2. ^ 為替の日次データ(1970年~1989年)、連邦準備制度理事会。2009年1月25日閲覧。
  3. ^ 黒田晁生「日本銀行の金融政策(1984年~1989年)--プラザ合意と「バブル」の生成」『明治大学社会科学研究所紀要』第47巻第1号、明治大学社会科学研究所、2008年10月、213-231頁、ISSN 03895971、NAID 120001941255。 
  4. ^ 最近における短期金融市場の動向について (PDF) , 日本銀行調査月報:1986年2月号
  5. ^ 予測できた「地デジ特需」終了 テレビ巨額投資の謎 - 日本経済新聞
  6. ^ Inc, Gallup (2018年3月6日). “Favorable Views of Japan, China Keep Climbing” (英語). Gallup.com. 2022年3月31日閲覧。
  7. ^ “【中国観察】中国が学ぶ日米貿易摩擦の教訓 「人民元版・プラザ合意」警戒”. 産経ニュース. (2019年8月16日). https://www.sankei.com/article/20190816-IXWL6K6KYRMK5AMSDSKPVD4Q7I/ 2019年8月22日閲覧。 
  8. ^ “「中国は日本から教訓を得るべき」、福田元首相の発言が中国で反響”. Record China (2018年4月10日). 2018年4月10日閲覧。
  9. ^ “通貨高求める米圧力で日本の経験中国に伝授-岩田元日銀副総裁”. ブルームバーグ. (2018年4月11日). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-04-11/P70E4N6KLVR401 2018年4月11日閲覧。 
  10. ^ “プラザ合意で苦しんだ日本に学べー米国との協議巡り中国メディア主張”. ブルームバーグ. (2018年8月17日). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-08-17/PDLHFT6JTSE801 2019年8月27日閲覧。 
  11. ^ “米、為替介入に相殺関税検討 人民元安誘導をけん制” (2019年5月24日). 2019年8月27日閲覧。
  12. ^ “米、通貨安誘導する国々に相殺関税へ-商務省が発表” (2019年5月24日). 2019年8月27日閲覧。
  13. ^ “米、中国を為替操作国に指定 圧力を強化”. 日本経済新聞. (2019年8月6日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48250880W9A800C1000000/ 2019年8月27日閲覧。 
  14. ^ 提唱者が見る「G2」 米中摩擦、多国間で解消 ピーターソン国際経済研究所所長フレッド・バーグステン氏 連携で経済効率化 (一部記事引用) 日本経済新聞 2010年6月7日 4:00

関連項目

外部リンク

  • データベース「世界と日本」(東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室)
  • 木地孝之「プラザ合意後のわが国経済構造の変化」『産業連関』第2巻第2号、環太平洋産業連関分析学会、1991年、36-43頁、doi:10.11107/papaios.2.36、ISSN 1341-9803、NAID 130005095445。 
  • 『(プラザ合意)』 - コトバンク
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