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フジテレビ旧本社ビル

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フジテレビ旧本社ビル(フジテレビきゅうほんしゃビル)は、1959年3月1日の開局時から1997年3月9日まで稼働していたフジテレビジョンの旧本社ビルディング

フジテレビ旧本社ビル
情報
用途 テレビスタジオオフィス
設計者 梓建築事務所(メインビル)[1]
施工 鹿島建設[1]
建築主 フジテレビジョン
管理運営 フジテレビジョン
構造形式 鉄筋コンクリート造(メインビル・アーケード棟・グランドスタジオ棟)[2]
鉄骨鉄筋コンクリート造(タワービル)[2]
状態 解体
階数 13
開館開所 1959年
解体 1997年3月15日 - 1998年3月31日[2]
所在地 162-0054
東京都新宿区河田町3番51号
座標 北緯35度41分43.3秒 東経139度43分16秒 / 北緯35.695361度 東経139.72111度 / 35.695361; 139.72111 (フジテレビ旧本社ビル)
(テンプレートを表示)
1961年ごろのフジテレビ本社ビル
旧河田町本社への最寄り駅となっていた都営新宿線曙橋駅周辺のあけぼのばし通りにある、現在も残っているフジテレビ旧河田町本社への案内表示

概要

フジテレビ旧本社ビルの敷地には、戦前期はホテル「河田町会館」が立地していた[3]。フジテレビは開局当初、東京タワーへのアクセスを考慮し、新宿区河田町の18,500m2の敷地を購入し、本社ビルを建設した[1]

局舎はメインビル、タワービル、グランドスタジオの3つの建物があり、第1期工事竣工時では地上3階、地下1階、延坪14,000m2の建築であった(メインビル)。

1962年、フジテレビが本社機能を有楽町ニッポン放送本社ビル((糖業会館))から河田町に移転した。

その後、3期の増築工事を重ね、4棟からなるビル群まで拡張した[4]。1969年、開局10周年を記念し、地上13階、地下2階、塔屋1階建てのタワービルが完成した[5]。敷地入口には各々へのルートを示す看板が設置されていた。1969年9月から1976年3月まで、フジテレビのオープニングとクロージングのフィルム映像にも、本社ビルの模型が使用されていた。[6]

南側玄関口に設置された電波をイメージするモニュメントは野外ロケや情報番組のオープニングや天気予報中継などで見られた。

また、東京女子医科大学病院側の通りには通称「凱旋門」と称される正門があり、その横には局ロゴの看板と巨大な番宣ポスターが掲げられていた。凱旋門には多数の8マークロゴのオブジェ、メインビル入口に大きな壁画などが装飾されていた。

メインビル前に社員向用有料駐車場や中継車車庫(1992年に増築)があり、これを「満車」表示にして『FNS27時間テレビ』にビッグ3が車庫入れする放送がなされた。また、メインビル棟、グランドスタジオ棟の裏側からは商店街へとつながる階段があった(現在でも残っている)。

FNNスーパータイム』など、ごく一部の報道・情報番組では当時の正式な住所であった「〒162(-91→-88) 東京都新宿区河田町3番1号」でアナウンスすることがあったものの、ほとんどの番組においてのあて先は「〒162(-91→-88) 東京都(新宿区)牛込(郵便)局区内」として紹介されていた[7]

しかし、フジテレビの事業拡大に伴い、河田町ビルが手狭になり、1980年代から社内でフジテレビ本社の移転論が浮上した。当初は河田町にある社屋を解体し、跡地に新社屋を建て直す案もあったが、河田町の敷地が狭いことに加え、東京都から台場の都有地を安く貸与してもらえることもあり(2018年に東京都から約140億円で購入)、鹿内宏明会長(当時)はお台場に移転することを決めた。

FCGビルが着工した翌年である1994年から、フジテレビ旧本社ビルの解体作業を担当する鹿島建設により、FCGビルへの移転直後に行われる解体作業へ向け、アスベストの調査を開始。1997年3月10日未明(編成上は9日深夜)にマスターの電源が切られ、本社機能はFCGビルへ移転した。

その5日後の1997年3月15日からフジテレビ旧本社ビルの解体作業が開始され、1998年3月31日に解体工事が完了した[2]

その後、フジテレビ旧本社の敷地の跡地にはマンション「河田町ガーデン」が建設された。

スタジオ

1959年開局時点はメインビル棟を含む第1から第5スタジオが、1968年2月にはグランドスタジオ棟を含む第6スタジオとメインビル棟の第7・第10スタジオ、その後に凱旋門周辺が完成し開局10周年の1969年には第9スタジオを含むタワービルが完成した。タワービルには柔構造を採用していた[2]。なお、「F-SAT」と「F-STAR」という2つの衛星システムを稼働してからは、タワービル横に巨大なパラボラアンテナを、さらにタワービルの低層部屋上にもビル横のものよりは小さいが、大型のパラボラアンテナをそれぞれ設置していた。小型パラボラのあるタワービル低層部の屋上でも天気予報の中継が行われていた。

河田町本社ビルに合計12のスタジオを設置していた。そのうち、第1、2、3、4、5、7(ニュース専用)、10、A(当初はCM撮影用)[1]、B(当初はCM撮影用)[1]、C(当初は洋画のアテレコ用)[1]はメインビルに位置していた。最も広い第6スタジオはグランドスタジオ棟に設置していた。また、タワービルに第9スタジオ(報道番組用のスタジオだったが、FNNスーパータイムの開始と同時に、プロ野球ニュースなどスポーツ番組用のスタジオに転用した)。スタジオは各フロアとも低層部に設置され、その上に副調整室というスタイルとなっていた。

なお第2期の増設工事では第8スタジオも設置される計画があった[9]

第1別館(フジテレビ新宿支局)

  • 本社が台場という埋立地にあることによるアクセスの特殊性を考慮し、移転後も、旧本社敷地付近にある第一別館に報道の取材拠点を設置し、新宿支局として運用していた。新宿支局は簡易スタジオの常設他、取材撮影部、共同自動車部、報道技術部を有し、報道の取材拠点であり、中継車も常駐していた。建物は河田町本社時代のものをそのまま使用しており、通り沿いにある看板も「フジテレビ第一別館」のままであった。なお、河田町本社時代はフジクリエイティブコーポレーションの前身にあたるフジエイトやフジサンケイリビングサービス(現在のディノス)など関連会社も入居していた。また、フジテレビの姉妹局である韓国文化放送(MBC)の東京支局もフジテレビ新宿別館に入居していた。しかし、新宿支局が2009年に野村不動産四谷ビルに移転したため、第一別館は2010年に解体され、跡地にマンションが建設された。同支局の移転により、フジテレビを含むフジサンケイグループは、河田町から51年の歴史に幕を閉じ完全撤退となった。
  • なお新宿支局は、災害などでフジテレビ本社の送出機能が喪失した際のバックアップ施設として、FNN/FNS系列局である、関西テレビ準キー局)と共に指定されている[10]

旧社屋での演出

脚注

  1. ^ a b c d e f 長谷慎一, 「フジテレビの設備概要」『テレビジョン』 1959年 13巻 6号 p.255-262, 映像情報メディア学会, doi:10.3169/itej1954.13.255
  2. ^ a b c d e 現場から フジテレビ河田町旧本社ビル解体工事 - 月報KAJIMAダイジェスト版 September 1997(鹿島建設)
  3. ^ 7:戦後の発展
  4. ^ 現場から
  5. ^ フジ・メディア・ホールディングス レポート
  6. ^ 実際のフィルム撮影に使われた模型では無いが、『』の企画の一環で本社屋の模型が明石家さんまの63歳の誕生日プレゼントとしてマツコ・デラックスからプレゼントされている。
  7. ^ カッコくくりの地名は省略されることが多かった。また大口事業所向け専用番号が解禁されるようになって「〒162-88」が採用されるようになってからは地名(郵便局名)を省略して表示することも多かった
  8. ^ 『FNNスーパータイム』の番組演出上広い(ホリゾントの広さと天井の高さ)スタジオを必要としたなどの理由から、スタジオを変更したが、第9副調整室が報道用に特化した設備となっていたことなどから副調整室はそのままで、スタジオのフロアのみを第9スタジオと入れ替える「たすきがけ運用」となった。なお、フロアと副調整室を接続する類も全て入れ替えられたため第9スタジオのフロアはこの時点で報道スタジオとしての機能が失われている、、
  9. ^ a b c d 長谷慎一「フジテレビの設備概要」『テレビジョン 13巻6号』テレビジョン学会、1959年
  10. ^ “関西テレビ 2013年度CSR報告書”. 関西テレビ放送株式会社(2014年6月23日作成). p. 13. 2019年10月26日閲覧。

関連項目

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