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ビル・エヴァンス

ビル・エヴァンスBill Evans、本名:ウィリアム・ジョン・エヴァンス英語: William John Evans1929年8月16日 - 1980年9月15日)は、アメリカジャズピアニスト

ビル・エヴァンス
Bill Evans
1961年撮影
基本情報
出生名 ウィリアム・ジョン・エヴァンス
William John Evans
生誕 (1929-08-16) 1929年8月16日
出身地 アメリカ合衆国
ニュージャージー州プレインフィールド
死没 (1980-09-15) 1980年9月15日(51歳没)
アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン
ジャンル ジャズ
モダン・ジャズ
モード・ジャズ
職業 ピアニスト
作曲家
編曲家
担当楽器 ピアノ
活動期間 1956年-1980年
レーベル リバーサイド・レコード
ヴァーヴ・レコード
ファンタジー・レコード
ブルーノート・レコード
ワーナー・ブラザース・レコード
共同作業者 (ジョージ・ラッセル)(英語版)
マイルス・デイヴィス
キャノンボール・アダレイ
フィリー・ジョー・ジョーンズ
スコット・ラファロ
(ポール・モチアン)(英語版)
エディ・ゴメス
ジャック・ディジョネット
マーク・ジョンソン
ジョー・ラバーベラ
ジム・ホール
トゥーツ・シールマンス
トニー・ベネット
スタン・ゲッツ
ハービー・ハンコック
チック・コリア
キース・ジャレット
ブラッド・メルドー

モダン・ジャズを代表するピアニストとして知られ、音楽活動30年足らずの間に、リーダーとして50枚以上のアルバムをリリースし、グラミー賞に18回ノミネート、うち7回受賞、さらに(グラミー殿堂賞)(英語版)を2回受賞、死後には(グラミー特別功労賞生涯業績賞)(英語版)を受賞した[1][2]

概要

ドビュッシーラヴェルなどのクラシックに影響を受けた印象主義的な和音、スタンダード楽曲を題材とした創意に富んだアレンジと優美なピアノ・タッチ、いち早く取り入れたインタープレイといった演奏は、マイルス・デイヴィスハービー・ハンコックチック・コリアキース・ジャレットジョン・マクラフリンイリアーヌ・イリアスロバート・グラスパーなど多くの音楽家に多大な影響を与えた[2]。また、当時ニューヨークを拠点に活動していたジャズ演奏家としては少数派の白人であり、かつヨーロッパとクラシックの伝統を重要視していたエヴァンスは、ジャズ本来のブラックルーツから切り離された存在であった[3]

エヴァンスの作品はジャズ・ミュージシャンの中で知名度が高く、中でも、ドラムの(ポール・モチアン)(英語版)、ベースのスコット・ラファロと録音した諸作品(特にアルバム『ワルツ・フォー・デビイ』)は、ジャズを代表する傑作としてジャンルを超えた幅広い人気を得ている。また特色ある多数の楽曲を作曲し、そのうちの少なくない数が、後続のジャズ・ミュージシャンの多くにカバーされるスタンダード・ナンバーとなっている。

来歴

生誕から1950年代まで

 
エヴァンスの大学卒業演奏会のプログラム。曲目はバッハブラームスショパンなどのクラシック音楽。

エヴァンスはアメリカニュージャージー州プレインフィールドに生まれ、母はルシン人の系統を持ち、父は相当な身分を持つウェールズ系の人物であった[4]。彼の父は、兄のハリーと同様に、幼い頃からエヴァンスに音楽を学ばせている。ラフマニノフストラヴィンスキーなど、クラシック音楽に親しんだ後、10代に入ると兄と共にジャズにも関心を持つようになり、余暇にはアマチュアバンドでピアノ演奏するようになった。

1946年に(サウスイースタン・ルイジアナ大学)(英語版)(Southeastern Louisiana University)に入学、音楽教育を専攻。並行してアマチュアミュージシャンとしての音楽活動もさらに活発になり、充実した学生時代を送った。学生時代には後年のレパートリーの一つとなる曲「Very Early」を既に作曲している。

だが1950年の大学卒業後、1951年から召集を受けてアメリカ陸軍での兵役を強いられた。軍務中は当時の朝鮮戦争の前線に向かうような事態もなく、大学での経歴によって陸軍バンドでの活動機会も与えられたものの、エヴァンス自身にとっては不快な期間であったと伝えられる。また兵役中に、その後の生涯にわたる悪癖となった麻薬常用が始まったという。

1954年の兵役終了後、ジャズのムーブメントの中心地であるニューヨークに出て音楽活動を開始。ミュージシャンの間で、伝統的なジャズ・前衛的なジャズのいずれにおいても優秀なピアニストとして知られるようになった。この時代には、サイドマンとしての活動が主であり、リディアン・クロマティック・コンセプトで知られる音楽理論家・作曲家のジョージ・ラッセルの録音に参加している。ラッセルからの影響は、作曲に現れていると言われる。

その活動ぶりを買われてリバーサイド・レーベルからのスカウトを受け、1956年に最初のリーダーアルバム『New Jazz Conceptions』を残している。だが、このデビューアルバムは800枚しか売れなかった。

1958年にはマイルス・デイヴィスのバンドに短期間加わり、録音とツアーを行っているが、バンドで唯一の白人であること、ドラッグの問題、そして彼自身がリーダーとしての活動を望んだためにバンドを離れる。しかしデイヴィスの要望で、ジャズ史に大きな影響を与えた1959年の『カインド・オブ・ブルー』のセッションに参加している。ハード・バップ的な頻繁なコードチェンジではなく、モードに根ざしたアドリブをこのアルバムで目指していたデイヴィスは、エヴァンスのアイディアを必要としていた。このアルバムに、エヴァンスは自作「Blue in Green」を提供している(ただし、クレジットはマイルス作曲となっている。『ポートレート・イン・ジャズ』での同曲のクレジットはエヴァンスとデイヴィスの共作とされている)。また「Flamenco Sketches」が『Everybody Digs Bill Evans』収録の「Peace Piece」と発展させたものと伺えるなど、『カインド・オブ・ブルー』にはエヴァンスの影響が色濃く反映されている。

1960年代

 
1964年のエヴァンス

1959年に、エヴァンスはドラマーのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロをメンバーに迎え、歴史に残るピアノトリオ(ファースト・トリオ)を結成する。このトリオは、スタンダードナンバーの独創的な解釈もさることながら、即興性に富んだメンバー間のインター・プレイが高く評価され、ピアノトリオの新しい方向性を世に示した。

従来までピアノやベース・ドラムス、あるいはギターなどの楽器奏者は、ホーン奏者を支えるための「リズム・セクション(伴奏者)」としてリズムを刻む「道具」として扱われ、また、他の「ピアノ・トリオ」においても、主役はあくまでピアノでありベースやドラムスはリズムセクションの範疇をこえるものではなかった。

ビル・エヴァンス・トリオにおいては、この旧来の慣習を打ち破り、テーマのコード進行をピアノ・ベース・ドラムスの3者が各自の独創的なインプロヴィゼーションを展開して干渉し合い、独特な演奏空間を演出した。特筆すべきはベースのスコット・ラファロで、積極的にハイノート(高音域)で対位旋律を弾き、旧来のリズムセクションの枠にとどまらない新しいベースの演奏スタイルを形成した。また、ドラムスのポール・モチアンも単にリズムを刻むにとどまらずエヴァンスのインプロヴィゼーションに挑みかかるようなブラシ・ワークやシンバル・ワークを見せるなど、このトリオで収録した『ポートレイト・イン・ジャズ』『エクスプロレイションズ』『ワルツ・フォー・デビイ』および同日収録の『サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード』の4作は、「リバーサイド四部作」と呼ばれる。

しかし、『ワルツ・フォー・デビイ』および『サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード』の収録からわずか11日後、ラファロは1961年7月6日に25歳で交通事故死してしまった。エヴァンスはショックの余りしばらくの間ピアノに触れることすら出来ず、レギュラートリオ活動を停止することとなり、半年もの間シーンから遠ざかった。

このレギュラートリオ活動停止中の演奏活動としては、他セッションへの参加のほか、ピアノソロを録音するものの、エヴァンスの生前は総じてお蔵入りとなっている(没後、プロデューサーのオリン・キープニューズによって、ソロ演奏が『The Solo Sessions vol.1』『The Solo Sessions vol.2』として発表された。またエヴァンスのリヴァーサイドにおけるリーダー作を網羅した『The Complete Riverside recordings』が発売された)。翌年にはベースにチャック・イスラエル(英語発音:イズリールズ Chuck Israels)を迎えて活動を再開するが、スコット・ラファロと共演していた頃のような緊密なインタープレイは、その後退を余儀なくされた。しかしチャック・イスラエルはもともとラファロの影響を非常に大きく受けたベーシストであり、ヴォイシングこそ地味ながらも、エヴァンスの気まぐれのようなソロ渡しや空間創出に対し、メロディアスなソロで応えており、インタープレイがしっかりと行われている。この時期の収録作として『ムーンビームス』『ハウ・マイ・ハート・シングス』(1962年)などが挙げられる。

1966年にエヴァンスは、当時21歳のエディ・ゴメス(Eddie Gomez)を新しいベーシストとしてメンバーに迎える。若いが優れたテクニックを持ち、飛び込むかのように音の隙に入ってくる積極性を持つエディ・ゴメスは、ラファロの優れた後継者となる。以降、ゴメスは78年に脱退するまでレギュラーベーシストとして活躍し、そのスタイルを発展させつづける。

1970年代

 
1970年のエヴァンス(左)、右はエディ・ゴメス

1968年に(マーティー・モレル)(Marty Morell)がドラマーとしてトリオに加わり、家族のために1975年に抜けるまで活動した。ゴメス、モレルによるトリオは歴代最長であり、従って現在に至るも陸続と発掘・発売されるエヴァンスの音源は、このゴメス・モレル時代の音源が圧倒的に多い。このメンバー(セカンドトリオ)での演奏の質は、初期の録音でずっと後に発売されたライブ版『枯葉』(Jazzhouse)にも良く現れており、『"ワルツ・フォー・デビィ"ライヴ!』(You're Gonna Hear From Me)、『モントルーII』、『Live in Paris, 1972』、『The Tokyo Concert』、『シンス・ウイ・メット』(Since We Met)と、このメンバー最後のアルバムである1974年カナダで録音した『ブルー・イン・グリーン』などがある。この時期、特に1973年 -1974年頃のエヴァンス・トリオは良し悪しは別として、ゴメスの比重が強い傾向にある。

1973年の来日直後、エヴァンスは1960年代前期以来長年内縁関係にあったエレイン(一般にはエヴァンス夫人と見なされていたが、正式には未婚だった)に別れ話を持ちかける。新たに親しくなったネネット・ザザーラと結婚するためで、全くエヴァンスの一方的な意志によるものであった。ほどなくエレインは地下鉄へ投身自殺した。ゴメスとのデュオアルバム『Intuition』収録のピアノソロによる「Hi Lili,HiLo」は、不幸な形で亡くしてしまったエレインに捧げられた名演である。エヴァンスはエレインの死に大いにショックを受けたものの、結局はネネットと結婚し、息子エヴァンが生まれている。

1976年にドラムはモレルから(エリオット・ジグモンド)(Eliot Zigmund)に交代する。このメンバーでの録音として『クロスカレンツ』(Crosscurrents)、『アイ・ウィル・セイ・グッドバイ』(I Will Say Goodbye)、『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』(You Must Believe in Spring)が挙げられる。麻薬常習者であり、長年の不摂生に加え肝炎などいくつかの病気を患っていたエヴァンスの音楽は、次第にその破壊的内面・一見派手ではあるが孤独な側面、を見せるようになる。 エヴァンスの死後に追悼盤として発売された『You Must Believe in Spring』収録の「Suicide Is Painlessもしも、あの世にゆけたら)」は、映画『M*A*S*H』(1970年)及びTVシリーズ版『M*A*S*H』のテーマとして知られる曲である。

1978年にゴメスとジグムンドがエヴァンスの元を去る。後任に何人かのミュージシャンを試し、中にはマイルス時代の仲間(ヤク中仲間でもあった)だったフィリー・ジョー・ジョーンズもいた。最終的にはベースのマーク・ジョンソン、ドラムのジョー・ラバーベラにメンバーが落ち着き、これがエヴァンス最後のトリオ(ラスト・トリオ)メンバーとなった。このメンバーで、エヴァンスは管楽器を加えたクインテットによる1979年『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』(We will meet again)、またトリオで1980年6月ヴィレッジ・ヴァンガードにおけるライブ『ターン・アウト・ザ・スターズ』(Turn Out The Stars)を録音しているが、内省的でありつつもよりドライヴした明るい演奏をするようになった。ダイナミックレンジが拡大し、スケールが大きくなっているのである。しかし一方、時に粗さの目立つことがあり、急速調の演奏とスローな演奏との落差が激しくなっている。これは、常用している麻薬ヘロインから、コカインに移ったこととの関係が指摘される。また、兄のハリー・エヴァンスの自殺や家族との別居など、晩年の私生活問題も要因として挙げられる。1970年代末期のエヴァンスは私生活がまたも荒廃気味となり、ネネットや子供たちとも別居し、20歳以上も年の離れた若いカナダ人ウェイトレス・ローリー・ヴェコミンと愛人関係になっていた。

このラスト・トリオの極めて初期、1979年1月にアイオワ州立大学にて収録されたライブ映像『Jazz At The MaintenanceShop』における演奏と、非公式録音ではあったが現在公式な形でCD化(総計16枚)されているラスト・レコーディング、キーストン・コーナーにおけるライブ演奏を比べると、トリオ全体が大きく進化していることが良くわかる。エヴァンスの死の直前まで、彼らは、前進し続けたのである。エヴァンス本人がインタビューで語っているように、このラスト・トリオとの演奏がとにかく楽しかったのであろう。

薬物乱用について

 
1978年のエヴァンス

エヴァンスの薬物乱用は1950年代後半のマイルス・デイヴィスとの仕事の頃には既に問題となっていた。ヘロインのために体も蝕まれ、金銭的にも余裕はなかった。1963年、ヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏の時、右手の神経にヘロインの注射を刺したことから右手がまったく使えず、左手一本で演奏をこなすという事件があった。これを機にヘロインをやめることになったとされるものの、一時的な断薬には成功しても、晩年まで薬物との縁は切れなかった。

エヴァンス本人のアルバムジャケットなどでは堅く口を結んだ肖像写真が多く使われたが、歯を見せなかったのは、喫煙と麻薬の影響でひどい虫歯になっていたのが一因であると言われている。兄ハリーとの音楽に関する1960年代の対談フィルム動画などでは、対話するエヴァンスの前歯がボロボロの状態であるのが伺える。

1970年代後半のエヴァンスは長年の麻薬常用の影響で、既に健康を大きく損なっていた。彼が1970年代前期以降の晩年、それまでのトレードマークであった堅苦しいヘアスタイルや黒縁眼鏡をやめ、長髪や口・顎の髭をたくわえ、スモーク入りの大きな眼鏡という派手なイメージチェンジを図った背景に、健康を損なったことによる顔面の顕著なむくみを、髪や髭で隠そうとする意図があったと中山康樹が指摘している。また1978年11月にビレッジ・バンガードでエヴァンス・トリオのライブを聴いた小川隆夫も「彼(エヴァンス)の体が異常にむくんでいることに気付いていた」と記述している。キーストン・コーナーライブ時点でも、演奏時以外での疲労困憊した様子や、通常ではピアノ演奏が不可能と思われるほどに指が腫れ上がる症状が見られた(残された映像や写真によって、60年代にすでにこの手の異常を確認できる)。エヴァンスの体調を危惧したマーク・ジョンソンやジョー・ラバーベラは、活動を一時休止してでも治療に専念することを懇請したが、彼はそれを拒んでピアノに向かうことを続けた。

1979年の『We Will Meet Again』は、ピアニストかつピアノ教師であった兄ハリーのための作品でもある。この年の録音の4ヶ月前にハリーは動機不詳の拳銃自殺を遂げている。

1980年

1980年9月9日、ニューヨーク市のライブハウス「ファッツ・チューズデイ」において同バンド出演初日演奏を行った。既に激しい体調不良に見舞われていたものの、ジョンソンやラバーバラによる演奏中止要請を振り切って演奏を続行した。しかし、同バンドの開催2日目にあたる同年9月11日、ついに演奏を続行できない状態となり、やむなく演奏を中止し自宅で親しい人達によって3日間にわたり看護された。同年9月14日に再度ラバーバラの説得により、ニューヨーク市マンハッタンのマウント・サイナイ病院に搬送された。

1980年9月15日、月曜日に死去。51歳没。

死因は、肝硬変ならびに(出血性潰瘍)による失血性ショック死であった。永年の飲酒・薬物使用で、人体の薬物・異物分解処理を司る肝臓に過剰な負担をかけ続けた結末で、疫学的には周知されている結果であった。肝臓疾患はエヴァンス自身も自覚していた長年の持病と言うべきものであったが、ことに晩年の数年は必要な療養をとろうともせず、死の間際に至るまで頑なに治療を拒み続けた結果病状を悪化させ、死を早めたのだった。

自らが自殺の原因を作ったエレインと、兄弟・音楽の両面で絆の深かった兄ハリーの2人の自殺が、晩年のエヴァンスの破滅志向に影響を与えていたとする批評も見られるが、真相は定かでない。エヴァンスの死の直前に2度に渡り診察を行った医師ジェームス・ハルトは「自分がひどい病気であることを彼は知っていた。(中略)入院を勧めたが応じなかった。彼には生きる意思が全く無いように思えた」と証言している。ジャズ評論家で生前のエヴァンスと親しく、『ワルツ・フォー・デビー』『ターン・アウト・ザ・スターズ』の作詞者でもあった(ジーン・リーズ)(英語版)は、エヴァンスの最期について「彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった」と述懐している。

マーク・ジョンソンによれば、「ファッツ・チューズデイ」で最後にエヴァンスが演奏した曲は、長年の愛奏曲の一つ「マイ・ロマンス」であったという。

死後

 
ルイジアナ州バトンルージュにあるエヴァンスの墓

息子で映画音楽作曲家のエヴァン・エヴァンスが、14歳から23歳の時期にわたる父の未発表演奏の発掘プロジェクトを行っており、2000年、(E3レコード)より第一弾(『Practice Tape No.1』)がリリースされている。

2015年、ブルース・スピーゲル監督によるドキュメンタリー映画『Time Remembered:Life & Music of Bill Evans(英題)』が公開された(邦題「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」2019年上映)。デビー・エバンスやポール・モチアンなど、歴代トリオの元メンバーや共演者、近しい親族など、彼を直接知る人たちの貴重な証言や記録映像をもとに、その音楽性と死について表現されている。「五大陸国際映画祭」「モンテビデオ国際映画祭」をはじめとした世界各国の映画祭で最優秀ドキュメンタリー映画賞に輝いた。

評価

マイルス・デイヴィスは、自伝の中でビル・エヴァンスについて以下のように述べている。
"ビルの演奏には、いかにもピアノという感じの、静かな炎のようなものがあった。奴のアプローチの仕方やサウンドは、水晶の粒や、澄んだ滝壺から流れ落ちる輝くような水を思い起こさせた。"[5]

カナダの音楽評論家(ジーン・リーズ)(英語版)は、1970年にビル・エヴァンスとクラシック・ピアニストのグレン・グールドを引き合わせた。1977年、ラジオ放送中にグールドは、エヴァンスとクラウス・オガーマンの共作の録音の一部を演奏している。またオガーマンにエヴァンスとの共作を絶賛する内容の手紙を送っている。さらに、ある日リーズがグールドにエヴァンスの作品『Conversations With Myself』を送ると、グールドは電話でリーズに以下の言葉を送ったという。
"He’s the Scriabin of jazz."(彼はジャズ界のスクリャービンだ。)[6][7]

同じくクラシック・ピアニストのアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリは、ミラノで開かれたビル・エヴァンスのコンサートに出席した際に、以下のようなコメントを残したと伝えられている。
"Bill Evans would be an ideal interpreter of the music of Gabriel Fauré."(ビル・エヴァンスは、ガブリエル・フォーレの音楽の理想的な解釈者であろう。)[7][8]

ディスコグラフィ

リーダー/共作者としてのアルバム

アルバム メンバー レーベル
1956 New Jazz Conceptions Trio with Teddy Kotick (bass), Paul Motian (drums) Riverside
1958 Everybody Digs Bill Evans Trio with Sam Jones (b), Philly Joe Jones (d) Riverside
1959 On Green Dolphin Street Trio with Paul Chambers (b), Philly Joe Jones (d) Riverside
1959 The Ivory Hunters Quartet with Bob Brookmeyer (piano), Percy Heath (b), Connie Kay (d) United Artists
1959 Portrait in Jazz Trio with Scott LaFaro (b), Paul Motian (d) Riverside
1961 Know What I Mean? Quartet with Cannonball Adderley (alto sax), Percy Heath (b), Connie Kay (d) Riverside
1961 Explorations Trio with Scott LaFaro (b), Paul Motian (d) Riverside
1961 Sunday at the Village Vanguard Live - Trio with Scott LaFaro (b), Paul Motian (d) Riverside
1961 Waltz for Debby Live - Trio with Scott LaFaro (b), Paul Motian (d) Riverside
1961-2 Quartet with Herbie Mann (flute), Chuck Israels (b), Paul Motian (d) Atlantic
1962 Undercurrent Duo with Jim Hall (guitar) United Artists
1962 Moon Beams Trio with Chuck Israels (b), Paul Motian (d) Riverside
1962 How My Heart Sings! Trio with Chuck Israels (b), Paul Motian (d) Riverside
1962 Interplay Quintet with Freddie Hubbard (trumpet), Jim Hall (g), Percy Heath (b), Philly Joe Jones (d) Riverside
1962 Empathy Trio with Monty Budwig (b), Shelly Manne (d) Verve
1962 Loose Blues Quintet with Zoot Sims (tenor sax), Jim Hall (g), Ron Carter (b), Philly Joe Jones (d) Milestone
1963 The Solo Sessions, Vol. 1 Solo Milestone
1963 The Solo Sessions, Vol. 2 Solo Milestone
1963 The Gary McFarland Orchestra Orchestra with Special Guest Soloist: Bill Evans Verve
1963 Conversations With Myself Solo - Grammy Award winner Verve
1963 Theme from "The V.I.P.s" and Other Great Songs with orchestra conducted by (Claus Ogerman) MGM
1963 Time Remembered Live - Trio with Chuck Israels (b), Larry Bunker (d) Milestone
1963 At Shelly's Manne-Hole Live - Trio with Chuck Israels (b), Larry Bunker (d) Riverside
1964 Trio '64 Trio with Gary Peacock (b), Paul Motian (d) Verve
1964 Stan Getz & Bill Evans Quartet with Stan Getz (tenor sax), Richard Davis/Ron Carter (b), Elvin Jones (d) Verve
1964 Trio Live Live - Trio with Chuck Israels (b), Larry Bunker (d) Verve
1964 Waltz for Debby Singer Monica Zetterlund & trio with Chuck Israels (b), Larry Bunker (d) Philips
1965 Trio '65 Trio with Chuck Israels (b), Larry Bunker (d) Verve
1965 Bill Evans Trio with Symphony Orchestra Trio with Chuck Israels (b), Larry Bunker/Grady Tate (d). Orchestra conducted by Claus Ogerman Verve
1966 Bill Evans at Town Hall Live- Trio with Chuck Israels (b), Arnold Wise (d) Verve
1966 Intermodulation Duo with Jim Hall (g) Verve
1966 A Simple Matter of Conviction Trio with (Eddie Gomez) (b), Shelly Manne (d) Verve
1967 Further Conversations with Myself Solo Verve
1967 California Here I Come Live - Trio with Eddie Gomez (b), Philly Joe Jones (d) Verve
1968 Bill Evans at the Montreux Jazz Festival Live - Trio with Eddie Gomez (b), Jack DeJohnette (d) - Grammy Award winner Verve
1968 Bill Evans Alone Solo - Grammy Award winner Verve
1969 What's New Quartet with Jeremy Steig (flute), Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Verve
1969 Jazzhouse Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Milestone
1969 You're Gonna Hear From Me Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Milestone
1970 From Left to Right with orchestra conducted by Michael Leonard MGM
1969 Quiet Now Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) (Charly)
1970 Montreux II Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) CTI
1971 Bill Evans, Piano Player From various sessions with various musicians - includes 6 duos with Eddie Gomez (b) Columbia
1971 The Bill Evans Album Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) - Grammy Award winner Columbia
1972 Living Time with George Russell Orchestra Columbia
1973 The Tokyo Concert Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Fantasy
1973-5 Eloquence Live and studio - Solo, and duo with Eddie Gomez (b) Fantasy
1973 Half Moon Bay Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Milestone
1974 Since We Met Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Fantasy
1974 Re: Person I Knew Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Fantasy
1974 Symbiosis Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d), and orchestra conducted by Claus Ogerman MPS
1974 But Beautiful Live - Quartet with Stan Getz (tenor sax), Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Milestone
1974 Blue in Green: The Concert in Canada Live - Trio with Eddie Gomez (b), Marty Morell (d) Milestone
1974 Intuition Duo with Eddie Gomez (b) Fantasy
1975 The Tony Bennett/Bill Evans Album with singer Tony Bennett Fantasy
1975 Montreux III Live - Duo with Eddie Gomez (b) Fantasy
1975 Alone (Again) Solo Fantasy
1976 Quintessence Quintet with Harold Land (tenor sax), Kenny Burrell (g), Ray Brown (b), Philly Joe Jones (d) Fantasy
1976 Together Again with singer Tony Bennett (Improv)
1977 Crosscurrents Quintet with Lee Konitz (alto sax), Warne Marsh (tenor sax), Eddie Gomez (b), Eliot Zigmund (d) Fantasy
1977 I Will Say Goodbye Trio with Eddie Gomez (b), Eliot Zigmund (d) - Grammy Award winner Fantasy
1977 You Must Believe in Spring Trio with Eddie Gomez (b), Eliot Zigmund (d) Warner Bros.
1978 Getting Sentimental Live - Trio with Michael Moore (b), Philly Joe Jones (d) Milestone
1978 New Conversations Solo Warner Bros.
1979 Affinity Quintet with Toots Thielemans (harmonica), Larry Schneider (flute; alto & tenor sax), Marc Johnson (b), Eliot Zigmund (d) Warner Bros.
1979 Marian McPartland's Piano Jazz Radio Broadcast: Special guest Bill Evans Fantasy
1979 We Will Meet Again Quintet with Tom Harrell (trumpet), Larry Schneider (soprano & tenor sax), Marc Johnson (b), Joe LaBarbera (d) - Grammy Award winner Warner Bros.
1979 Homecoming Live - Trio with Marc Johnson (b), Joe LaBarbera (d) Milestone
1979 The Paris Concert: Edition One Live - Trio with Marc Johnson (b), Joe LaBarbera (d) Elektra Musician
1979 The Paris Concert: Edition Two Live - Trio with Marc Johnson (b), Joe LaBarbera (d) Elektra Musician
1980 Letter to Evan Live - Trio with Marc Johnson (b), Joe LaBarbera (d) (Dreyfus)
1980 Turn Out the Stars: The Final Village Vanguard Recordings Live - Trio with Marc Johnson (b), Joe LaBarbera (d) Dreyfus
1980 The Last Waltz: The Final Recordings Live - Trio with Marc Johnson (b), Joe LaBarbera (d) Milestone
1980 Consecration: The Final Recordings Part 2 Live - Trio with Marc Johnson (b), Joe LaBarbera (d) Milestone

トリビュート・アルバム

関連項目

脚注

[脚注の使い方]

注釈・出典

  1. ^ ARTIST: BILL EVANS, Grammy Awards.
  2. ^ a b 今なお日本で最も愛され続けるジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンスの新たに発掘された1975年のバンクーバーでの完全未発表ライヴ音源が45年の時を経て6月18日に日本先行リリース、先行トラック「アップ・ウィズ・ザ・ラーク」も配信スタート, BLUE NOTE CLUB.
  3. ^ Pettinger, Peter (2002) [1999]. Bill Evans: How My Heart Sings (New ed.). Yale University Press.
  4. ^ Wilson, John S. "Bill Evans, Jazz Pianist Praised For Lyricism and Structure, Dies; 'In Touch With His Feelings' Trouble With Scales", The New York Times, September 17, 1980. Accessed June 30, 2009. "Mr. Evans, who lived in Fort Lee, N.J., toured in Europe this summer."
  5. ^ マイルス・デイヴィス中山康樹訳), マイルス・デイヴィス自伝, 2015.
  6. ^ Robert Gottlieb, Reading Jazz: A Gathering of Autobiography, Reportage, and Criticism from 1919 to Now. p.421, Knopf Doubleday Publishing Group, 2014.
  7. ^ a b Classical, BILL EVANS-JAZZ PIANIST.
  8. ^ Deborah Mawer, French Music and Jazz in Conversation From Debussy to Brubeck. p.240, Cambridge University Press, 2014.

参考文献

  • 杉田宏樹『ビル・エヴァンス ディスコグラフィー』白石書店 2002年10月
  • ジャズ批評編集部『定本 ビル・エヴァンス』松坂 2003年6月
  • 中山康樹『ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄』河出書房新社 2005年3月
  • 中山康樹『ビル・エヴァンス名盤物語』音楽出版社〈CDジャーナルムック〉2005年5月
  • 中山康樹『エヴァンスを聴け!』ロコモーションパブリッシング 2005年10月
  • 中山康樹『新・エヴァンスを聴け!』 ゴマブックス〈ゴマ文庫〉2007年12月
  • 中山康樹『ビル・エヴァンスを知る名盤50選』廣済堂出版 2010年9月
  • ローリー・ヴァホーマン、山口三平訳『ビル・エヴァンスと過ごした最期の18か月』DU BOOKS 2021年9月

外部リンク

  • ワーナーミュージック・ジャパン - ビル・エヴァンス
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