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ハービー・ハンコック

ハービー・ハンコック(Herbie Hancock、1940年4月12日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のジャズピアニスト作曲家編曲家プロデューサー

ハービー・ハンコック
Herbie Hancock
ハービー・ハンコック(1999年)
基本情報
出生名 Herbert Jeffrey Hancock
生誕 (1940-04-12) 1940年4月12日(83歳)
出身地 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
ジャンル ジャズ
ポスト・バップ
モード・ジャズ
フュージョン
ジャズ・ファンク
エレクトロ
クラシック音楽
職業 ミュージシャン
作曲家
担当楽器 キーボード
活動期間 1961年 -
レーベル ブルーノート・レコード
コロムビア・レコード
ワーナー・ブラザース・レコード
ヴァーヴ・レコード
共同作業者 ドナルド・バード
クラーク・テリー
マイルス・デイヴィス・クインテット
ウェイン・ショーター
チック・コリア
ザ・ヘッドハンターズ
V.S.O.P.クインテット
ジャコ・パストリアス
ジョニ・ミッチェル
ハワード・ジョーンズ
公式サイト herbiehancock.com

1960年代以降から現在において、ジャズ・シーンをリードするジャズの第一人者であり、ストレートアヘッド・ジャズ、フュージョンジャズ・ファンクなど多彩なジャズ・スタイルの最先端を走っている。

1960年プロとしてデビュー。1963年から1968年まではマイルス・デイヴィス・クインテットのメンバーとして活躍。1970年代以降もジャズ・ファンクの『ヘッド・ハンターズ』、アコースティック・ジャズ人気を復活させたV.S.O.P.クインテットの諸作、ジャズ・ヒップホップのアルバム『フューチャー・ショック』など、ジャズの新しい時代を切り開く話題作を発表してきた。代表的な楽曲に「ウォーターメロン・マン」、「(カンタロープ・アイランド)(英語版)」、「処女航海」、「(ドルフィン・ダンス)(英語版)」など多くのジャズ・スタンダードの他、ヒップホップとのクロスオーバーを図った楽曲「(ロックイット)(英語版)」もある。

略歴

デビューまで

ハンコックは1940年4月12日アメリカ合衆国イリノイ州シカゴで生まれ[1]、7歳でピアノ・レッスンをはじめた。11歳のときにはシカゴ交響楽団と共演しクラシック音楽の世界に足を踏み入れている[1]。ジャズの演奏をはじめたのは高校時代である。オスカー・ピーターソンビル・エヴァンスに影響を受けたといわれている。グリネル大学では音楽と電気工学を専攻[1]。卒業後は両親と同居し郵便配達の仕事をしながら[1]ニューヨークのクラブやスタジオ・シーンで名を馳せる。

1960年代:ブルーノートからのデビュー

コールマン・ホーキンスからの電話をきっかけとし[1]1960年ドナルド・バードのクインテットでプロとしてのスタートを切る。さらにドナルド・バードからブルーノート・レコードアルフレッド・ライオンを紹介された。その後、2年間のセッションマンとして実績を重ね、21歳になった1962年デクスター・ゴードンを迎えた作品『テイキン・オフ』でデビュー。この中に収録された「ウォーターメロン・マン」は1963年モンゴ・サンタマリアによるカヴァーが全米10位の大ヒットとなり[2]、この作品でハンコックは押しも押されもせぬブルーノート新主流派の中心アーティストにのし上がった。その後、エリック・ドルフィーのもとで活動し、映画『欲望』などのサウンドトラックを発表した。

1963年マイルス・デイヴィスのグループに抜擢され、1968年頃まで在籍する。脱退後もマイルス・デイヴィスのセッションに随時参加し、マイルスのいくつかのアルバムにその足跡を残している。またこの頃、自己のアルバムとして彼の代表作『処女航海』(1965年)や『スピーク・ライク・ア・チャイルド』(1968年)を発表した。

1960年代末~1970年代:エレクトリック・サウンドの導入

1969年にはブルーノートを離れ、ワーナー・ブラザース・レコードに移籍。『(ファット・アルバート・ロトゥンダ)(英語版)』(子供向けテレビ番組のサウンドトラック)では同時期のマイルスと同様に大胆にエレクトリック・サウンドを取り入れた。次作『(エムワンディシ)(英語版)』では更にアフリカの民族音楽、ポリリズムに傾倒し、自らもスワヒリ語名でアルバム・タイトル同様の「ワンディシ」というニックネームを名乗る。

1972年コロムビア・レコードに移籍[要出典]。また、同年グリネル大学より名誉博士(美術)の称号を授与されている[3]1973年に問題作『ヘッド・ハンターズ』を発表[4]。本作は従来のジャズ・ファンの枠を超えて反響を呼び記録的に売上げるとともに大きな名声を獲得したが、当時のジャズ・ファンからは、ハービーも堕落したなど非難を受けることもあった[要出典]。エレクトリック・ピアノ/キーボードを専ら弾く彼に対する「もうアコースティック・ピアノは弾けないんだろう」との野次に対し、舞台上でピアノを用意させて演奏を披露、観客を納得させるなどという出来事もあった[要出典]

1974年には、映画『狼よさらば』の音楽を担当して好評を博す。

1975年6月25日にザ・ヘッドハンターズとして広島で公演。その後、原爆被爆者に捧げるとして滞在先の広島市内でピアノに向かって徹夜で作曲し、翌日、ピアノ・ソロ曲「平和の街のために英語: For the City of Peace」を広島市に寄贈した[5][註 1]

1976年には、元マイルス・グループの黄金のクインテットと称された時期のメンバー(ウェイン・ショータートニー・ウィリアムスフレディ・ハバードロン・カーター)を集めて、モダン・ジャズのグループ、「V.S.O.P.クインテット」を結成し世界中をツアーした。

1980年代:ヒップホップの導入

1983年のアルバム『フューチャー・ショック』では、ヒップ・ホップを大胆に導入。(DJ)(スクラッチ)(英語版)を取り入れたスタイルはクラブ・ミュージックの方向性を決定付けた。このアルバムはベーシストプロデューサーであったビル・ラズウェルの実験的な音楽アイデアを元に製作された。またシングル・カットされた(Grand Mixer D.ST)(英語版)のスクラッチを取り入れた「(ロックイット)(英語版)」が世界中で大ブレイク。翌年の『(サウンド・システム)(英語版)』、1988年の『パーフェクト・マシーン』といったアルバムにもラズウェルが関わり、同じ作風の作品を発表している。これ以降の電気サウンド作品についても例に漏れず、不定期ではあるが作品を発表している(1994年の『ディス・イズ・ダ・ドラム2001年の『(FUTURE 2 FUTURE)(英語版)』など)。

1983年に初のグラミー賞となる「ベストR&Bインストゥルメンタルパフォーマンス」賞を受賞するなど、1980年代には3度グラミー賞を受賞#グラミー受賞歴の節も参照)[6]1985年にはベーシストのロン・カーターと共演したサントリー・ホワイトのCMがテレビ放映され、話題となった[7]。音楽監督を担当し自らも出演した映画『ラウンド・ミッドナイト』(1986年)では、アカデミー作曲賞を獲得している[8]

1990年代以降

1990年代には、現代のポピュラー・ソングを鮮烈なシャズ・ナンバーにしたアルバム『ザ・ニュー・スタンダード』(1996年)、アメリカが生んだ偉大なる作曲家ジョージ・ガーシュウィンの生誕百周年を記念した『ガーシュウィン・ワールド』(1998年)などを発表。2001年にはマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンの生誕75周年を記念してマイケル・ブレッカーロイ・ハーグローヴと「ディレクションズ・イン・ミュージック」というスペシャル・プログラム(全米ツアー)を行い、トロント公演のライブ録音は2002年にライブ・アルバム『』として発売された。

2003年からアジア最大級のジャズイベント「東京JAZZ」の総合プロデュースを担当[9]2004年国立芸術基金(NEA)ジャズマスターズ賞を受賞[10]

2008年第50回グラミー賞においては『リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』が同賞の主要4部門の一つである、最優秀アルバム賞を受賞している。ジャズ・ミュージシャンの総合部門における最優秀アルバム賞受賞は1964年スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルトの『ゲッツ/ジルベルト』以来43年ぶりである[11]。その他、1990年代にはのべ5回、2000年代にはのべ4回、2010年代にはのべ2回、1983年の初受賞から通算14回、グラミー賞を受賞している[6]#グラミー受賞歴の節も参照)

2011年ユネスコ親善大使に就任[12]2014年には、名門ハーバード大学の2014年チャールズ・エリオット・ノートン詩学講義の特別教授英語: Charles Eliot Norton Professor of Poetryとして連続講義を行った[13]2017年には俳優として映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』に出演している。

補足(生き方など)

創価学会インタナショナル(SGI)の会員である[14]。盟友ウェイン・ショーターもSGIの会員で、SGIの会長でもある創価学会名誉会長の池田大作とも対談している。

この対談を記録した本、「ジャズと仏法、そして人生を語る」も出版されている。

2007年に亡くなったマイケル・ブレッカーは死の6か月前にSGIに入信し、ハンコックはウェイン・ショーターバスター・ウィリアムスとマイケルの息子サムらと共に彼の追悼式に参列した。

2003年2月20日、日本外国特派員協会にて以下の発言をしている。[要出典]

「私自身は決してそういう人間にならないようにと願っています。自分は何でも知っていると信じ、ほかの人たちの言うことに耳を貸すことを忘れてしまった人、年長者だというだけの理由で年下の人たちよりも何でも知っていると思い込んでいる人、私は絶対にそういう人間にはなりたくありません。そこには非常に大きな誤りがあるんです。実際、私も教えるという機会に恵まれたときに経験したことですが、先生と呼ばれる人たちの多くが、教える生徒たちよりも、むしろ教える自分のほうが生徒たちから学ぶことのほうが多いと証言していました。これはとても良いことだと思います。」「私は演奏するとき、一生懸命にならないように努力しています。演奏するときはただ、オープンな気持ちになりたいと思うだけです。そうすれば、何が起きてもオープンに受け入れられ進んでその瞬間に起きていることの自然な流れの一部になりたいと思うようになります。」[要出典]

グラミー受賞歴

  • 第26回グラミー賞(1983年分) 最優秀R&B・インストゥルメンタル・パフォーマンス/「Rockit」(『フューチャー・ショック』所収)
  • 第27回グラミー賞(1984年分) 最優秀R&B・インストゥルメンタル・パフォーマンス/「Sound System」(『サウンド・システム』所収)
  • (第30回グラミー賞)(1987年分) 最優秀インストゥルメンタル編曲/「Call Sheet Blues」(デクスター・ゴードン『ジ・アザー・サイド・オブ・ラウンド・ミッドナイト』所収)
  • 第37回グラミー賞(1994年分) 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス(個人またはグループ)/『マイルス・デイヴィス・トリビュート
  • 第39回グラミー賞(1996年分) 最優秀インストゥルメンタル作曲/「Manhattan」(『ザ・ニュー・スタンダード』所収)
  • 第41回グラミー賞(1998年分) 最優秀インストゥルメンタル編曲/「St. Louis Blues」(『ガーシュウィン・ワールド』所収)
  • 第41回グラミー賞(1998年分) 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス(個人またはグループ)/『ガーシュウィン・ワールド』
  • 第45回グラミー賞(2002年分) 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム(個人またはグループ)/『』
  • 第45回グラミー賞(2002年分) 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・ソロ/「My Ship」(『ディレクションズ・イン・ミュージック〜マイルス&コルトレーン・トリビュート』所収)
  • 第50回グラミー賞(2007年分) 年間最優秀アルバム/『リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ
  • 第50回グラミー賞(2007年分) 最優秀コンテンポラリージャズ・アルバム/『リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』
  • 第53回グラミー賞(2010年分) 最優秀ポップ・コラボレーション・ウィズ・ボーカルズ/「Imagine」(『イマジン・プロジェクト』所収)
  • 第53回グラミー賞(2010年分) 最優秀インプロヴァイズド・ジャズ・ソロ/「A Change is Gonna Come」(『イマジン・プロジェクト』所収)

ディスコグラフィ

リーダー作品

  • テイキン・オフ』 - Takin' Off (Blue Note) 1962年
  • マイ・ポイント・オブ・ヴュー』 - My Point of View (Blue Note) 1963年
  • 『インヴェンションズ・アンド・ディメンションズ』 - Inventions and Dimensions (Blue Note) 1963年
  • 『エンピリアン・アイルズ』 - Empyrean Isles (Blue Note) 1964年
  • 処女航海』 - Maiden Voyage (Blue Note) 1965年
  • 欲望』 - Blow Up (MGM) 1966年(サウンドトラックヤードバーズの「Stroll On」も所収)
  • スピーク・ライク・ア・チャイルド』 - Speak Like a Child (Blue Note) 1968年
  • 『ザ・プリズナー』 - The Prisoner (Blue Note) 1969年
  • 『ファット・アルバート・ロトゥンダ』 - Fat Albert Rotunda (Warner Bros.) 1969年
  • 『エムワンディシ』 - Mwandishi(1971年1月録音)(Warner Bros.) 1971年
  • クロッシングス』 - Crossings (Warner Bros.) 1972年
  • 『セクスタント』 - Sextant (Columbia) 1972年
  • ヘッド・ハンターズ』 - Head Hunters (Columbia) 1973年
  • The Spook Who Sat by the Door (UA) 1973年(サウンドトラック)
  • 『スラスト(突撃)』 - Thrust (Columbia) 1974年
  • デディケーション』 - Dedication (CBS/Sony) 1974年
  • デス・ウィッシュ』 - Death Wish (Soundtrack) (Columbia) 1974年『狼よさらば』(サウンドトラック)
  • マン・チャイルド』 - Man-Child (Columbia) 1975年
  • 『洪水:ライヴ・イン・ジャパン'75』 - Flood (CBS/Sony) 1975年
  • 『シークレッツ』 - Secrets (Columbia) 1976年
  • ニューポートの追想』 - VSOP(1976年録音)(Columbia) 1977年(ライヴ)
  • 『ハービー・ハンコック・トリオ'77』 - The Herbie Hancock Trio(1977年7月録音)(Columbia) 1977年
  • 『VSOPクインテット:ライブ・イン・USA』 - VSOP: The Quintet(1977年7月録音)(Columbia) 1977年(ライヴ)
  • 『ライヴ・イン・ジャパン:熱狂のコロシアム』 - VSOP: Tempest at the Colosseum(1977年7月録音)(日本CBS/Sony) 1977年(「田園コロシアム」における「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」)
  • 『サンライト』 - Sunlight(1977年録音)(CBS/Sony) 1978年
  • チック・コリアと共同名義, 『(イン・コンサート)』 - An Evening With Herbie Hancock & Chick Corea: In Concert(1978年2月録音)(Columbia) 1978年(ライヴ)
  • 『フィーツ』 - Feets, Don't Fail Me Now(1978年録音)(Columbia) 1979年
  • 『ダイレクトステップ』 - Directstep(1978年10月17日、18日録音)(日本CBS/Sony) 1978年(「ソニー・ミュージックスタジオ」において録音)
    • 『ザ・ピアノ』 - The Piano(1978年10月25日、26日録音)(日本CBS/Sony) 1979年(「ソニー・ミュージックスタジオ」において録音)
  • 『ライヴ・アンダー・ザ・スカイ伝説』 - VSOP: Live Under the Sky(1979年7月26日、27日録音)(日本CBS/Sony) 1979年(「田園コロシアム」における「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」)
    • 『ファイヴ・スター』 - VSOP: Five Stars(1979年7月29日録音)(日本CBS/Sony) 1979年(「ソニー・ミュージックスタジオ」において録音)
  • 『モンスター』 - Monster(1979年11月~1980年録音)(Columbia) 1980年
  • MR.ハンズ』 - Mr. Hands(1980年録音) (Columbia) 1980年
  • 『マジック・ウィンドウズ』 - Magic Windows (Columbia) 1981年
  • 『ハービー・ハンコック・トリオ WITH ロン・カーター+トニー・ウイリアムス』(1981年7月27日録音)(日本CBS/Sony) 1982年。(「(ソニー・ミュージック信濃町スタジオ)」において録音。日本発売。)
    のち(改題)『ハービー・ハンコック・トリオ '81』 - Herbie Hancock Trio (Sony) 1992年。
  • 『ライト・ミー・アップ』 - Lite Me Up(1982年録音)(Columbia) 1982年
  • フューチャー・ショック』 - Future Shock(1983年録音)(Columbia) 1983年(#1."Rockit"が第26回グラミー賞(最優秀R&Bインストゥルメンタル・パフォーマンス)受賞)
  • 『サウンド・システム』 - Sound-System(1983年10月~12月録音)(Columbia) 1984年(#6."Sound System"が第27回グラミー賞(最優秀R&Bインストゥルメンタル・パフォーマンス)受賞)
  • 『ビレッジ・ライフ』 - Village Life(1984年8月録音)(Columbia) 1985年
  • ラウンド・ミッドナイト』 - Round Midnight (Columbia) 1986年(サウンドトラック)
  • (フォディ・ムサ・スソ)(英語版)らと共同名義, 『ジャズ・アフリカ』 - Jazz Africa(1986年12月録音)(NEC Avenue) 1987年(ライヴ)
  • パーフェクト・マシーン』 - Perfect Machine(1988年録音)(Columbia) 1988年
  • ウェイン・ショーターマーカス・ミラーらと共同名義, 『マイルス・デイヴィス・トリビュート』 - A Tribute to Miles Davis(1992年9月、1994年録音)(Qwest/Warner Bros.) 1994年(第37回グラミー賞(最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム(個人またはグループ)))
  • ディス・イズ・ダ・ドラム』 - Dis Is Da Drum(1993年、1994年録音)(Verve/Mercury) 1994年
  • ザ・ニュー・スタンダード』 - The New Standard(1995年録音)(Verve) 1996年(#10."Manhattan (Island of Lights and Love)"が第39回グラミー賞(最優秀インストゥルメンタル作曲賞)受賞)
  • ウェイン・ショーターと共同名義, 『1+1』 - 1 & 1 (Verve) 1997年(第40回グラミー賞(最優秀インストゥルメンタル作曲受賞曲ウェイン・ショーター作曲 #.2"Aung San Suu Kyi" 所収)
  • ガーシュウィン・ワールド』 - Gershwin's World (Verve) 1998年(第41回グラミー賞(最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス(個人またはグループ)))
  • 『FUTURE 2 FUTURE』 - Future 2 Future (Transparent) 2001年
  • マイケル・ブレッカーロイ・ハーグローヴと共同名義, 『』 - Directions in Music: Live at Massey Hall (Verve) 2002年(第45回グラミー賞(最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム(個人またはグループ)))
  • Jazz Masters: Herbie Hancock (Digital Musicworks International) 2004年
  • ポシビリティーズ』 - Possibilities (Concord/Hear Music) 2005年
  • リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』 - River: The Joni Letters (Verve) 2007年(第50回グラミー賞(年間最優秀アルバム、最優秀コンテンポラリージャズ・アルバム))
  • イマジン・プロジェクト』 - The Imagine Project (Hancock) 2010年(#1."Imagine"が第53回グラミー賞(最優秀ポップ・コラボレーション・ウィズ・ボーカルズ)受賞 、#9."A Change is Gonna Come" が同(最優秀インプロヴァイズド・ジャズ・ソロ)受賞)

主なセッション参加作品

ドナルド・バード

  • 『ロイヤル・フラッシュ』 - Royal Flush(1961年9月21日録音)(Blue Note) 1962年
  • 『ア・ニュー・パースペクティヴ』 - A New Perspective(1963年1月12日録音)(Blue Note) 1964年
  • 『アップ・ウィズ・ドナルド・バード』 - Up with Donald Byrd(1964年11月-12月録音)(Verve) 1965年
  • 『アイム・トライン・トゥ・ゲット・ホーム』 - I'm Tryin' to Get Home(1964年12月17日-18日録音)(Blue Note) 1965年
  • 『フリー・フォーム』 - Free Form(1961年12月11日録音)(Blue Note) 1966年
  • 『チャント』 - Chant(1961年4月17日録音)(Blue Note) 1979年

マイルス・デイヴィス

全作ともコロムビア・レコードからのリリース。

  • 『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』 - Seven Steps to Heaven (1963年)
  • 『マイルス・デイヴィス・イン・ヨーロッパ』 - Miles Davis in Europe (1963年)
  • 『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』 - My Funny Valentine (1964年)
  • 『フォア&モア』 - Four & More (1964年)
  • 『マイルス・イン・トーキョー』 - Miles in Tokyo (1964年)
  • 『マイルス・イン・ベルリン』 - Miles in Berlin (1964年)
  • 『E.S.P.』 - E.S.P. (1965年)
  • 『ライヴ・アット・ザ・プラグド・ニッケル』 - Live at the Plugged Nickel (1965年)
  • 『マイルス・スマイルズ』 Miles Smiles (1966年)
  • 『ソーサラー』 - Sorcerer (1967年)
  • ネフェルティティ』 - Nefertiti (1967年)
  • マイルス・イン・ザ・スカイ』 - Miles in the Sky (1968年)
  • 『キリマンジャロの娘』 - Filles De Kilimanjaro (1968年)
  • イン・ア・サイレント・ウェイ』 - In a Silent Way (1969年)
  • 『ジャック・ジョンソン』 - Jack Johnson (1971年)
  • オン・ザ・コーナー』 - On the Corner (1972年)

その他

脚注

  1. ^ 寄贈式にて演奏された同音源は続けて演奏された「ウォーターメロン・マン」とともに現在、広島平和記念資料館内の情報資料室(※12月29日~1月1日を除く9:00~17:00に開室)にて試聴できる。

出典

  1. ^ a b c d e Johnson, David (2020年4月6日). “Maiden Voyage: Herbie Hancock In The 1960s”. Indiana Public Media. WFIU. 2020年12月12日閲覧。
  2. ^ “Watermelon Man by Herbie Hancock”. Songfacts. 2021年1月29日閲覧。
  3. ^ Coryell, Julie、Friedman, Laura『Jazz-rock Fusion: The People, the Music』Hal Leonard Corporation、2000年、201頁。ISBN (0-7935-9941-5)。 
  4. ^ “Head Hunters - Herbie Hancock | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 2021年1月26日閲覧。
  5. ^ 1975年6月27日付の中国新聞インターネットアーカイブ
  6. ^ a b “Herbie Hancock | Artist”. GRAMMY.com. Recording Academy. 2020年12月12日閲覧。
  7. ^ “BIOGRAPHY - ロン・カーター | Ron Carter”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2020年12月12日閲覧。
  8. ^ “Herbie Hancock Academy Awards Acceptance Speech”. Oscar.org. Academy of Motion Picture Arts and Sciences. 2020年12月12日閲覧。
  9. ^ 岩浪洋三. “東京JAZZ 2003を聴いて”. 東京JAZZ 2003. 東京JAZZ. 2020年12月12日閲覧。
  10. ^ “The Unencumbered Herbie Hancock”. National Endowment for the Arts. 2020年12月12日閲覧。
  11. ^ “Herbie Hancock Wins Album Of The Year at Grammy Awards”. DownBeat. Maher Publications (2008年2月11日). 2021年1月23日閲覧。
  12. ^ “Herbie Hancock”. United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization. 2020年12月12日閲覧。
  13. ^ “Herbie Hancock appointed 2014 Norton Professor of Poetry – Harvard Gazette”. The Harvard Gazette (2014年1月9日). 2020年12月12日閲覧。
  14. ^ Sebag-Montefiore, Clarissa (2019年4月29日). “Herbie Hancock: 'I felt like I stood on the shoulders of giants and now it's my turn' | Vivid festival 2019”. The Guardian. 2020年12月12日閲覧。

著作

  • 川嶋文丸 訳『ハービー・ハンコック自伝 新しいジャズの可能性を追う旅』DU BOOKS、2015年。ISBN (4907583338)。 

外部リンク

  • 公式サイト(英語版)
  • ワーナーミュージック・ジャパン - ハービー・ハンコック
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