沿革 - 1934年東京都墨田区に長瀬護謨製作所を設立。軟式野球ボール、軟式テニスボール等の製造販売を始める。
- 1938年第一次企業整備法により、同業ボールメーカーが合流して、日本軟式野球製造(株)を設立。
- 1943年第二次企業整備法により、日本軟式野球製造(株)は解散、工場を閉鎖される。
- 1945年終戦
- 1946年厚生省のボール製造指定工場となり、ボールの生産が始まる。長瀬護謨工業株式会社を設立。
- 1948年第一回長瀬杯争奪関東軟式庭球大会を創設。(現 関東オープンソフトテニス大会)大阪出張所を開設する。
- 1950年連盟が旧型軟式野球ボールを廃止して、新意匠を制定する。弊社のディンプル型健康ボール(軟式野球ボール)が連盟の公認球に指定される。
- 1951年業務拡充に伴い代理店制度を確立。有力問屋と特約契約を結び、全国的な販売体制が整う。ソフトボール(協会検定球)の製造販売に着手する。
- 1953年軟式庭球ボール(連盟公認球の新ブランド)を募集し、エヌワンテニスボールが誕生。
- 1956年第一回全日本女子招待軟式庭球大会を創立。(現 全日本女子選抜ソフトテニス大会)第一回全日本インドア軟式庭球大会を創立。(現 全日本インドアソフトテニス大会)
- 1965年大阪出張所を大阪営業所に改称する。
- 1980年バドミントンコート(協会公認)の製造販売に着手する。
- 1981年軟式野球資料室を開設する。
- 1982年軟式野球、ソフトテニスの海外普及に着手する。
- 1984年インドア専用テニスコート・新体操用フロアマットの製造販売に着手する。
- 1985年福岡営業所を開設する(現 九州営業所)。社名変更、ナガセケンコー株式会社に改称する。
- 1988年ケンコーナックステニスボール(協会公認球)の販売とプロモーションにむけ、ステファン・エドバーグと契約する。
- 1991年卓球用フロアマットの製造販売に着手する。(1992バルセロナオリンピックに正式採用)
- 1988年世界野球連盟から野球普及発展への貢献が評価され功労賞を受賞。
- 2000年軟式野球の国際化を目指し、ケンコーワールドを発売する。ソフトテニスボールをエヌワンからケンコーに改称する。
- 2002年ケンコーカップ第1回全国ジュニアソフトテニス大会を創設する。
- 2005年名古屋営業所を開設する。
- 2015年代表専務取締役に柳田昌作が就任する。
- 2016年代表取締役社長に柳田昌作、取締役名誉会長に長瀬二郎が就任する
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