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ドージョー・チャクリキ(Dojo Chakuriki)は、オランダのアムステルダムにある格闘技のジム兼(国際チャクリキ協会)の本部。チャクリキジム(Chakuriki Gym)、パンクラチオン・チャクリキ(Pancration Chakuriki)、チャクリキ・アムステルダム(Chakuriki Amsterdam)とも表記される。1972年設立。創始者はトム・ハーリック。現在はハーリックとクリス・ドールマンの共同経営。
オランダキックボクシング界の老舗名門ジムとして知られており、ピーター・アーツ、バダ・ハリ、ブランコ・シカティックらK-1世界王者をはじめ、多くの強豪キックボクサー、ムエタイ戦士を輩出している。また、レスリングもプロクラスの指導をしており、空手、柔道、ボクシング、総合格闘技などの指導も行っている。
「チャクリキ(Chakuriki)」とは“導き出された力”を意味し、哲学や座禅の理論も含めた東洋格闘技の融合形である“借力”に由来しており、ムエタイ、キックボクシング、ボクシング、柔道、空手等をハーリックが融合させたオリジナルなファイトスタイルのことを指す。「パンクラチオン(Pancration)」とはエジプト起源の格闘技パンクラチオン(Pankration)に由来している。
概要
2004年10月1日、東京都江東区塩浜にドージョー・チャクリキ・ジャパンをオープンし、ノブ・ハヤシが館長に就いた。2009年1月に館長のノブが急性骨髄性白血病で入院したため、同年4月より東京道場は無期限休館。以後、大阪支部のチャクリキ康心舘を中心に活動。その後、関東地区では2013年より茨城県古河市にて(相澤宏使)によるドージョーチャクリキ・ジャパン古河が開館した。
歴史
創設時からオーナーはトム・ハーリックが務めていたが、1999年にハーリックがトレーナーに専念するためにオーナー職から退いて、20年間一緒にやってきたエルビンに売却譲渡し、チャクリキの名はエルビンが運営するセーナジムの一つのコースとして残る状態が続いた。その後、ハーリックが居住している地域の行政から「この地域の青少年育成のためにキックのジムを開いてほしい」という要請と支援を受け、ハーリックは幼馴染であるリングスオランダ代表のクリス・ドールマンに共同経営を要請。それまで自分のジムを持たずにやってきたドールマンは快諾し、リングスオランダの練習拠点であるニューエンダムジムをリニューアルして、チャクリキ30周年・リングスオランダ10周年となる2002年の8月に現在のジムが開設され、同年10月5日に公式オープン・セレモニーが行われた。
チャクリキ・アムステルダム出身のブランコ・シカティックが母国クロアチアに「チャクリキ・タイガージム」を設立したほか、ノブ・ハヤシを館長として日本支部を設立、ブラジルにも支部を創設。イタリア・ペルージャのドージョー・ブルドックカラムとは提携関係を結んでいる。
指導は立ち技がトム・ハーリックと息子のトミー・ハーリックらが、レスリングと総合格闘技はドールマンが中心となっており、ブランコ・シカティックもクロアチアからオランダ本部にしばしば指導しに来る。激しいスパーリングと精神力の強化を重視した指導を行っていることで知られている。
他のジムからの出稽古も基本的に歓迎しており、アムステルダム本部にも日本人選手をはじめとしてジェロム・レ・バンナ、ゲガール・ムサシらが出稽古に来ている。
また、非行など問題を抱えた青年たちにキックボクシングを通じて更生、社会復帰に向けた支援活動も行っている。
所属選手
- ピーター・アーツ
- ブランコ・シカティック - クロアチアにチャクリキ・タイガージムを設立して独立。以後もアムステルダムのチャクリキ本部に指導しに来ている。
- ヘスディ・カラケス
- アンダーソン・ブラドック・シルバ
- アミール・ゼヤダ
- セルゲイ・ラシェンコ
- (フランク・ムニョス)
- レネ・ローゼ
- (メノー・ダイクストラ)
- ノブ・ハヤシ - チャクリキ・ジャパン館長
- ジェロム・レ・バンナ
- 天田ヒロミ - チャクリキのマネジメント
過去の所属選手
外部リンク
- Chakuriki Japan