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タンパベイ・バッカニアーズ

タンパベイ・バッカニアーズ英語: Tampa Bay Buccaneers、略称: TB) は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパに本拠地をおくNFLチーム。NFC南地区に所属している。第37回スーパーボウルオークランド・レイダースを破り初優勝を果たしている。2001年まではNFC中地区に所属した。愛称はバックスBucs)。ホームスタジアムは、レイモンド・ジェームス・スタジアム。本部と練習場は、スタジアムのすぐ隣に位置している。

タンパベイ・バッカニアーズ
Tampa Bay Buccaneers
創設 1974年4月24日 (49年前) (1974-04-24)
NFL参入 1976年シーズン
所属地区

チームデザイン
チームロゴ

ジョン・ラカム海賊旗のアレンジ
チームカラー
  バッカニアーレッド
  ピューター
  ベイオレンジ
 
ユニフォーム
チーム名
  • タンパベイ・バッカニアーズ(1976-現在)
ホームタウン
1976-現在

フロリダ州タンパ(1976-現在)

レイモンド・ジェームス・スタジアム(1998-現在)
タンパ・スタジアム(1976-1997)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (2回)
カンファレンス・チャンピオン (2回)
NFC
地区優勝 (8回)
NFC中地区
NFC南地区
ワイルドカード(4回)
プレーオフ進出(13/47回)
球団組織
オーナー グレーザー一族
GM (ジェイソン・リヒト)
ヘッドコーチ (トッド・ボウルズ )

歴史

創設期

当初チームのフランチャイズ権はフィラデルフィアの建設会社オーナーの(トム・マクロウスキー)に与えられる予定だったがNFLと金銭面で合意にならず、ジャクソンビル税理士であった(ヒュー・カルバーハウス)が初代オーナーとなった。チームの愛称は公募の結果、17世紀タンパ湾を始めとするフロリダの沿岸を荒らしまわったバッカニア(当時の海賊の総称)の縄張りであった事からバッカニアーズと名づけられた。本拠地に決まったタンパ・スタジアムは拡張工事がされ72,000人収容となった。

初代ヘッドコーチには長年USCヘッドコーチを務めた名将、(ジョン・マッケイ)が就任した。これまでマッケイはNFLの他のチームからのオファーを何度か断っていたが新チームを一から作り上げることに興味を持ち、300万ドルの契約を結んだ。マッケイは頼れるベテラン選手とドラフトで有望な選手を獲得し、5年計画でチーム作りを考えていた。だがこの時のエクスパンション・ドラフトは後に行われたものよりもはるかに厳しく高齢になりすぎた選手や他のチームで戦力外と見られた選手しか獲得できなかった。ミスタックルやスナップミスなどが相次ぎファンの支持やメディアの支援も失っていった。マッケイは1977年のドラフトで後に殿堂入りしたRB(トニー・ドーセット)ではなくRB(リッキー・ベル)を指名したことやUSCのプレイブックに多く頼っていること、カレッジフットボールで全米チャンピオンになったリーロイ・セルモンデューイ・セルモン兄弟の存在などからNFLでカレッジフットボールを行っていると皮肉られた。この不満は次第に高まりファンの間では"Throw McKay in the Bay"(マッケイコーチを湾にほうりこんでやれ)というバンパーステッカーが人気となったほどである。

チーム創設1シーズン目の1976年は暫定的にAFC西地区に所属したが開幕から14連敗でシーズンを終えた[注 1](既存のAFC13チームと同年設立のシアトル・シーホークス(同じく暫定でNFC西地区所属)との14試合に全敗した。)。この年4試合は完封負けを喫し、シーズン14戦での総得点はわずか125点、一方412点を相手に与えた[1]。怪我人も続出しCFLからも選手を獲得した。チームはジョニー・カーソンのトークショーやファンによってジョークのネタにされた。

NFC中地区

1977年からNFC中地区に移った。この年プレシーズンゲームではアトランタ・ファルコンズを17-3で破ったものの、2シーズン目に入っても連敗記録は止まらず6試合で完封負けを喫した。既存のNFC13チームとシアトル・シーホークス(AFC西地区に移動)との14試合を行い、第13週、敵地でのニューオーリンズ・セインツ戦で33-14と初勝利を挙げるまでにさらに12連敗。前年から通算で26連敗を記録した[2]。これは、NFLにおけるワースト記録である(北米4大プロスポーツリーグにおいても、NBAクリーブランド・キャバリアーズが2010-11シーズンに作った「26連敗」と並んでワースト記録)。この時敗れたセインツのQBアーチー・マニングは「バッカニアーズに敗れたことは恥だった。試合後に相手選手に嘲笑された」と述べている。試合終了後深夜タンパに戻ったチームを8000人のファンが歓迎した。最終週のセントルイス・カージナルスとの試合も勝利し2勝14敗でシーズンを終えた。

1978年も負け越しに終わったが新人QBのダグ・ウィリアムスのリーダーシップとプレーは将来性を感じさせるものでシーズン途中で怪我のためチームを離れたがこのシーズン5勝11敗の成績をあげて未来に期待を抱かせるものとなった。

 
1979年にチームは初の地区優勝を果たす

1979年にはダグ・ウィリアムスの成長、リッキー・ベルが初めて1000ヤードラッシャーとなり、最優秀守備選手賞に選ばれたリー・ロイ・セルモンなどによるディフェンスはNFLトップの成績をあげた。チームは開幕から5連勝を果たし10勝6敗でシーズンを終えてNFC中地区優勝を果たしプレーオフに初出場を果たした。ディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスを24-17で破る番狂わせをしNFCチャンピオンシップゲームではホームでロサンゼルス・ラムズを迎えうったが0-9と完封されて敗れた。

1980年は怪我人に悩まされ5勝10敗1分に終わった。1981年、チームは平凡な成績だったものの最終週にデトロイト・ライオンズと地区優勝を賭けた試合に勝ちプレーオフに出場したがプレーオフではダラス・カウボーイズに0-38で一蹴された。

1982年は開幕から3連敗したもののストライキで7週が中止となり、再開後の6試合を5勝1敗で終えて5勝4敗、この年拡張されたプレーオフに出場した。プレーオフではカウボーイズと対戦し、ハーフタイム終了時点ではリードしていたものの17-30で敗れた。その後カルバーハウスオーナーの下でチームが勝ち越すことはなかった。

1982年、QBダグ・ウィリアムスの年俸は12万ドルで先発QBとしては全チーム中最低、多くのチームの控えQBより安い契約であった。シーズン終了後ウィリアムスは60万ドルに年俸をあげるよう主張した。この価格はこれまでの彼の活躍や市場価値からすれば十分リーズナブルなものだったがカルバーハウスオーナーは40万ドルまでしかオファーを上げず、ウィリアムスはUSFLに去った。

1987年ドラフト全体1位でQBビニー・テスタバーディを指名した。

その後1991年にWR(ローレンス・ドーシー)がルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する活躍を見せたりもしたが1983年から1996年までの14シーズンプレーオフを逃し続けた。

ダンジーの時代

1996年に前年までミネソタ・バイキングスのディフェンス・コーディネーターを務めていたトニー・ダンジーがヘッドコーチに就任すると1997年には1979年以来となる10勝をあげて久々にプレーオフに出場した。この年から13シーズン在籍するモンテ・キフィン守備コーディネーターが作った(タンパ2)(英語版)というディフェンスはリーグ屈指の守備となった[3]。この年、ウォリック・ダンがオフェンス・ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

1999年にはウォーレン・サップがディフェンス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる活躍を見せてチームは1979年、1981年以来となる3度目の地区優勝を決めた。そしてスーパーボウルまであと一歩のところまで進出した。

2001年、前サンディエゴ・チャージャーズのQB(ライアン・リーフ)と契約したが、シーズン開幕前に放出した。

グルーデンの時代

 
ジョン・グルーデンは2002年にヘッドコーチとしてチームを初のスーパーボウル制覇へ導いた

2002年からはジョン・グルーデンがヘッドコーチとなった。NFC南地区所属となり12勝4敗でチーム創設以来最高の成績で地区優勝、プレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズフィラデルフィア・イーグルスを破り第37回スーパーボウルに出場した。オークランド・レイダースとの対決は、グルーデンコーチを巡る因縁の対決で話題を呼んだ。試合は48-21でバッカニアーズが大勝しスーパーボウル初制覇を遂げた。デリック・ブルックスがディフェンス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。

 
バッカニアーズの練習を訪れるジョージ・W・ブッシュ元大統領

2003年2004年とプレーオフ出場を逃したが2005年には11勝5敗で地区優勝[4]、ワイルドカードプレーオフでワシントン・レッドスキンズに10-17で敗れた[5]。RB(キャデラック・ウィリアムズ)が最優秀新人攻撃選手に選ばれた[6]

2006年は第6週のシンシナティ・ベンガルズ戦で14-13と初勝利をあげた[7]

2007年も地区優勝を果たしたがワイルドカードプレーオフで、ニューヨーク・ジャイアンツに14-24で敗れた[8]

2008年ドラフト5巡目でQBジョシュ・ジョンソンを指名した。この年の第4週、グリーンベイ・パッカーズ戦の4日前に生後3ヶ月の息子を亡くしたキッカーマット・ブライアントが3FGを決めて勝利に貢献した[9]。シーズン終了後の2009年1月にグルーデンが解雇され、ディフェンスバックコーチだった32歳の(ラヒーム・モリス)がヘッドコーチに就任した。

プレーオフ不足

2009年、2月にデリック・ブルックスウォリック・ダン、(ケイト・ジュン)らを解雇[10]、ドラフト1巡でQB(ジョシュ・フリーマン)を獲得した[11]。開幕前に(ジェフ・ジャコジンスキー)オフェンスコーディネーターを解任、(グレッグ・オルソン)QBコーチが後任となった[12]。開幕から3試合は(バイロン・レフトウィッチ)が先発、次の試合からジョシュ・ジョンソンが先発したが7連敗、その後ジョシュ・フリーマンが先発QBとなった[13]。1勝9敗となったところで守備のプレーコールを担当するのが(ジム・ベイツ)ディフェンスコーディネーターからラヒーム・モリスヘッドコーチに代わった[3]

2010年、開幕前チームの低迷を予想する声が多かったが、開幕から10試合を7勝3敗[14]、最終的に10勝6敗の成績をあげ、プレーオフまであと一歩と迫った[15]。この年ジョシュ・ジョンソンが成長しインターセプトが非常に少ないものとなった。また新人RB(ルギャレット・ブラウン)はこの年の新人でただ一人1000ヤードラッシャーとなった[16]。2011年1月8日にはラヒーム・モリスヘッドコーチとの契約を2年間延長した[17]

厳しいスケジュールで戦うこととなった2011年には[18]、第2週から3連勝するなど[19]、開幕から6試合で4勝2敗の成績をあげて地区首位タイであったが[20]、その後9連敗し地区最下位となった[21]。11月7日には前年のドラフト全体3位で獲得したジェラルド・マッコイ[22]、12月には(アキブ・タリブ)が相次いで故障者リスト入りした[23]。10連敗で4勝12敗、シーズン終了後ラヒーム・モリスヘッドコーチは解任された[24]

モリスの後任には、ラトガーズ大学から(グレッグ・シアーノ)を招へいした。1年目の2012年は7勝9敗の成績をあげたが、2013年は、開幕から不調のエースQBジョシュ・フリーマンを解雇、この年の3巡目に指名した(マイク・グレノン)を先発QBに昇格させた[25]。チームは開幕から8連敗するなど、4勝12敗に終わり、シーズン終了とともにシアーノヘッドコーチと、20年間GMを務めた(マーク・ドミニク)が解雇された[26]

2014年シカゴ・ベアーズのヘッドコーチだった(ラヴィ・スミス)をヘッドコーチに招へいした[27]。2月、新ユニフォームを発表したが、長らく使用されてきたオレンジのユニフォームが廃止された。5月28日、マルコム・グレイザーオーナーが84歳で亡くなった[28]。開幕から前年ベアーズで好成績をあげたジョシュ・マカウン[29]が先発QBを務めたが、第3週のアトランタ・ファルコンズ戦で右手親指を負傷し途中退場、マイク・グレノンが先発QBを務めた[30]。第4週のピッツバーグ・スティーラーズ戦でグレノンが(ビンセント・ジャクソン)へ決勝TDパスを成功しシーズン初勝利をあげたが[31]、その後4連敗して1勝7敗となったところで、再びマカウンが先発QBに返り咲いた。チームはこの年NFLワーストの2勝14敗に終わり、2015年のドラフト全体1位指名権を獲得した[32]

2015年、ドラフト全体1位でジェイミス・ウィンストンが入団し、先発QBに定着する。シーズンは地区最下位に終わり、スミスHCは解任され、後任に(ダーク・コッター)が就任した。2016年は地区2位、2017年2018年は地区最下位に終わり、11年連続してプレーオフを逃した。なお、2017年シーズンはタンパベイ以外の南地区3チームがプレーオフに出場した。HCのコッターは解雇された。

2019年1月、元アリゾナ・カージナルスブルース・エリアンスがHCに就任した。エリアンスの保有権を持っていたカージナルスは、バッカニアーズから6巡目のドラフト権を受け取る代わりに7巡目のドラフト権を渡すことで移籍が確定した。2019年シーズンは、QBウィンストンがNFL史上8人目、チームでは初となる5000ヤード超え(5,109ヤード)のパス記録を達成するもプレーオフを逃した。

ブレイディ獲得

 
2020年に電撃加入したQBのトム・ブレイディ

2019年シーズン終了後、ニューイングランド・ペイトリオッツからQBのトム・ブレイディが移籍した。ブレイディとペイトリオッツでコンビを組んだ後に引退していたTEロブ・グロンコウスキーも1年ぶりに現役復帰して、トレード加入した。前年まで先発QBだったジェイミス・ウィンストンニューオーリンズ・セインツに移籍した。また、ユニフォームも変更され、1997年から2003年まで使用したものに近いデザインとなった。

2020年シーズン開始後、10月27日にフリーエージェントだったWRのアントニオ・ブラウンと1年契約を結んだ。シーズンでは11勝5敗の地区2位となって、第5シードで13年ぶりにプレーオフに進出した。プレーオフ初戦では、7勝9敗でNFC東地区を優勝したワシントン・フットボールチームを破り、2戦目では4つのターンオーバーを得て、南地区優勝のニューオーリンズ・セインツを破り、3戦目のカンファレンス・チャンピオンシップではシード1位のグリーンベイ・パッカーズを破り、史上初めて本拠地で行われるスーパーボウルに進出するチームとなった[33]第55回スーパーボウルでは、前年の覇者カンザスシティ・チーフスを相手に31-9で勝利し、18年ぶりのチャンピオンとなった[34]MVPには、ペイトリオッツ時代を含め通算7度目のチャンピオンとなったトム・ブレイディが選ばれた[35][36][37][38][39]

2021年、地区優勝を果たし、ワイルドカードプレーオフではフィラデルフィア・イーグルスを破るも次戦ではロサンゼルス・ラムズに敗れてシーズンを終えた。シーズン終了後、ブレイディは引退を発表したが、わずか40日後の2022年3月13日に引退を撤回し、バッカニアーズで現役を続行すると発表した[40]。2022年3月30日、HCのエリアンスは引退を発表し、後任にはチームのDCで元ニューヨーク・ジェッツHCでもあった(トッド・ボウルズ) が就任した。

2022年、地区の全4チームが負け越す中、8勝9敗で地区優勝を果たし第4シードでプレーオフ進出を果たした。初戦でカウボーイズに敗れた。4シーズン在籍したOCバイロン・レフトウィッチを解雇した。

文化

ロゴマーク

1976年の創設以来、バッカニアーズはロゴマークを4度変更している(ただし、1997年のフルモデルチェンジ以降の3回はマイナーチェンジ)。創設時から20年間採用されていたロゴは海賊をモチーフとしたデザインだったが、1997年以降はジョン・ラカムをモチーフとした髑髏の海賊旗となっている。チームカラーも、初期はオレンジを基調としていたが、1997年以降は赤とグレー(ピューター色)である。

マスコット

 
キャプテン・フィアとアメリカ沿岸警備隊(2014年)

チームのオフィシャルマスコットとして、2000年にカリブ海の海賊キャプテン・フィア(Captain Fear)が誕生した。

チアリーダー

チームのオフィシャルチアリーダーは、1976年のチーム創設と共に結成されたタンパベイ・バッカニアーズ・チアリーダーズ(Tampa Bay Buccaneers Cheerleaders)である。1998年までは、スウォッシュバクラーズ(SwashBucklers)と称されていた。日本人では、小島智子が2003年から2010年、濱中彩恵が2008年、宮田憲江が2011年から2014年に在籍した。

2023年シーズン

2023年シーズンのバッカニアーズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス ジャガーズ ベンガルズ ビルズ 49ers バッカニアーズ バイキングス イーグルス
2位 チャージャーズ タイタンズ レイブンズ ドルフィンズ シーホークス パンサーズ ライオンズ カウボーイズ
3位 レイダース コルツ スティーラーズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ パッカーズ ジャイアンツ
4位 ブロンコス テキサンズ ブラウンズ ジェッツ カージナルス ファルコンズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2022年シーズン成績

NFC南地区 2022
チーム 勝率 総得点 総失点 平均得点 平均失点
(4)タンパベイ・バッカニアーズ 8 9 0 .471 313 358 18.4 21.1
カロライナ・パンサーズ 7 10 0 .412 347 374 20.4 22.0
ニューオーリンズ・セインツ 7 10 0 .412 330 345 19.4 20.3
アトランタ・ファルコンズ 7 10 0 .412 365 386 21.5 22.7
NFC 2022
順位 チーム 地区 勝率 対地区 対NFC 対戦
相手
勝率
勝利
相手
勝率
地区優勝
1 フィラデルフィア・イーグルス 14 3 0 .824 4–2 9–3 .474 .460
2[a] サンフランシスコ・49ers 西 13 4 0 .765 6–0 10–2 .417 .414
3[a] ミネソタ・バイキングス 13 4 0 .765 4–2 8–4 .474 .425
4 タンパベイ・バッカニアーズ 8 9 0 .471 4–2 8–4 .503 .426
ワイルドカード
5 ダラス・カウボーイズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 .507 .485
6 ニューヨーク・ジャイアンツ 9 7 1 .559 1–4-1 4–7-1 .526 .395
7[b] シアトル・シーホークス 西 9 8 0 .529 4–2 6–6 .462 .382
レギュラーシーズン敗退
8[b] デトロイト・ライオンズ 9 8 0 .529 5–1 7–5 .535 .451
9 ワシントン・コマンダース 8 8 1 .500 2–3-1 5–6-1 .536 .449
10 グリーンベイ・パッカーズ 8 9 0 .471 3–3 6–6 .524 .449
11[c] カロライナ・パンサーズ 7 10 0 .412 4–2 6–6 .474 .437
12[c][d] ニューオーリンズ・セインツ 7 10 0 .412 2–4 5–7 .507 .462
13[c][d] アトランタ・ファルコンズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 .467 .429
14 ロサンゼルス・ラムズ 西 5 12 0 .294 1–5 3–9 .517 .341
15 アリゾナ・カージナルス 西 4 13 0 .235 1–5 3–9 .529 .368
16 シカゴ・ベアーズ 3 14 0 .176 0–6 1–11 .571 .480
(タイブレーク)
  1. ^ a b カンファレンス内勝率で49ersがバイキングスを上回る
  2. ^ a b 第4週の直接対決でシーホークスがライオンズに勝利
  3. ^ a b c 同地区3チーム内の対戦勝率でパンサーズが1位なので、パンサーズの11位が確定
  4. ^ a b 同地区直接対決2戦のいずれもセインツがファルコンズに勝利

成績

NFC南地区(2002年-現在)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2022 TB (4w) 8 9 0 NO 7 10 0 ATL 7 10 0 CAR 7 10 0
2021 TB (2d) 13 4 0 NO 9 8 0 ATL 7 10 0 CAR 5 12 0
2020 NO (2d) 12 4 0 TB (5v) 11 5 0 CAR 5 11 0 ATL 4 12 0
2019 NO (3w) 13 3 0 ATL 7 9 0 TB 7 9 0 CAR 5 11 0
2018 NO (1c) 13 3 0 ATL 7 9 0 CAR 7 9 0 TB 5 11 0
2017 NO (4d) 11 5 0 CAR(5w) 11 5 0 ATL(6d) 10 6 0 TB 5 11 0
2016 ATL(2s) 11 5 0 TB 9 7 0 NO 7 9 0 CAR 6 10 0
2015 CAR(1s) 15 1 0 ATL 8 8 0 NO 7 9 0 TB 6 10 0
2014 CAR(4d) 7 8 1 NO 7 9 0 ATL 6 11 0 TB 2 14 0
2013 CAR(2d) 12 4 0 NO (6d) 11 5 0 ATL 4 12 0 TB 4 12 0
2012 ATL(1c) 13 3 0 CAR 7 9 0 NO 7 9 0 TB 7 9 0
2011 NO (3d) 13 3 0 ATL(5w) 10 6 0 CAR 6 10 0 TB 4 12 0
2010 ATL(1d) 13 3 0 NO (5w) 11 5 0 TB 10 6 0 CAR 2 14 0
2009 NO (1v) 13 3 0 ATL 9 7 0 CAR 8 8 0 TB 3 13 0
2008 CAR(2d) 12 4 0 ATL(5w) 11 5 0 TB 9 7 0 NO 8 8 0
2007 TB (4w) 9 7 0 CAR 7 9 0 NO 7 9 0 ATL 4 12 0
2006 NO (2c) 10 6 0 CAR 8 8 0 ATL 7 9 0 TB 4 12 0
2005 TB (3w) 11 5 0 CAR(5c) 11 5 0 ATL 8 8 0 NO 3 13 0
2004 ATL(2c) 11 5 0 NO 8 8 0 CAR 7 9 0 TB 5 11 0
2003 CAR(3s) 11 5 0 NO 8 8 0 TB 7 9 0 ATL 5 11 0
2002 TB (2v) 12 4 0 ATL(6d) 9 6 1 NO 9 7 0 CAR 7 9 0

NFC中地区(1977年-2001年)

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 CHI(2d) 13 3 0 GB(4d) 12 4 0 TB(6w) 9 7 0 MIN 5 11 0 DET 2 14 0
2000 MIN(2c) 11 5 0 TB(5w) 10 6 0 GB 9 7 0 DET 9 7 0 CHI 5 11 0
1999 TB(2c) 11 5 0 MIN(4d) 10 6 0 DET(6) 8 8 0 GB 8 8 0 CHI 6 10 0
1998 MIN(1c) 15 1 0 GB(5w) 11 5 0 TB 8 8 0 DET 5 11 0 CHI 4 12 0
1997 GB(2s) 13 3 0 TB(4d) 10 6 0 DET(5w) 9 7 0 MIN(6d) 9 7 0 CHI 4 12 0
1996 GB(1v) 13 3 0 MIN(6w) 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 6 10 0 DET 5 11 0
1995 GB(3c) 11 5 0 DET(5w) 10 6 0 CHI 9 7 0 MIN 8 8 0 TB 7 9 0
1994 MIN(3w) 10 6 0 GB(4d) 9 7 0 DET(5w) 9 7 0 CHI(6d) 9 7 0 TB 6 10 0
1993 DET(3w) 10 6 0 MIN(5w) 9 7 0 GB(6d) 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 5 11 0
1992 MIN(3w) 11 5 0 GB 9 7 0 TB 5 11 0 CHI 5 11 0 DET 5 11 0
1991 DET(2c) 12 4 0 CHI(4w) 11 5 0 MIN 8 8 0 GB 4 12 0 TB 3 13 0
1990 CHI(4d) 11 5 0 TB 6 10 0 DET 6 10 0 GB 6 10 0 MIN 6 10 0
1989 MIN(3d) 10 6 0 GB 10 6 0 DET 7 9 0 CHI 6 10 0 TB 5 11 0
1988 CHI(1c) 12 4 0 MIN(4d) 11 5 0 TB 5 11 0 DET 4 12 0 GB 4 12 0
1987 CHI(2d) 11 4 0 MIN(5c) 8 7 0 GB 5 9 1 TB 4 11 0 DET 4 11 0
1986 CHI(2d) 14 2 0 MIN 9 7 0 DET 5 11 0 GB 4 12 0 TB 2 14 0
1985 CHI(1v) 15 1 0 GB 8 8 0 MIN 7 9 0 DET 7 9 0 TB 2 14 0
1984 CHI(3c) 10 6 0 GB 8 8 0 TB 6 10 0 DET 4 11 1 MIN 3 13 0
1983 DET(3d) 9 7 0 GB 8 8 0 CHI 8 8 0 MIN 8 8 0 TB 2 14 0
1982 GB(3d) 5 3 1 MIN(4d) 5 4 0 TB(7w) 5 4 0 DET(8w) 4 5 0 CHI 3 6 0
1981 TB(3d) 9 7 0 DET 8 8 0 GB 8 8 0 MIN 7 9 0 CHI 6 10 0
1980 MIN(3d) 9 7 0 DET 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 5 10 1 GB 5 10 1
1979 TB(2c) 10 6 0 CHI(5w) 10 6 0 MIN 7 9 0 GB 5 11 0 DET 2 14 0
1978 MIN(3d) 8 7 1 GB 8 7 1 DET 7 9 0 CHI 7 9 0 TB 5 11 0
1977 MIN(3c) 9 5 0 CHI(4d) 9 5 0 DET 6 8 0 GB 4 10 0 TB 2 12 0

AFC西地区(1976年)

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1976 OAK(1v) 13 1 0 DEN 9 5 0 SD 6 8 0 KC 5 9 0 TB 0 14 0

主な選手

現役選手

永久欠番

タンパベイ・バッカニアーズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
55 デリック・ブルックス Derrick Brooks LB 1995–2008
63 リー・ロイ・セルモン Lee Roy Selmon DE 1976–1984
99 ウォーレン・サップ Warren Sapp DT 1995–2003

プロフットボール殿堂入り

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
63 リー・ロイ・セルモン Lee Roy Selmon DE 1976–1984 1995
8 スティーブ・ヤング Steve Young QB 1985–1986 2005
64 ランドール・マクダニエル Randall McDaniel OG 2000–2001 2009
99 ウォーレン・サップ Warren Sapp DT 1995–2003 2013
55 デリック・ブルックス Derrick Brooks LB 1995–2008 2014
81 (ティム・ブラウン) Tim Brown WR 2004 2015
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
ロン・ウルフ Ron Wolf GM/副社長 1976–1978 2015
トニー・ダンジー Tony Dungy ヘッドコーチ 1996–2001 2016

リング・オブ・オナー

抹消

個人賞

NFL最優秀守備選手

スーパーボウルMVP

プロボウルMVP

NFL最優秀新人賞

カムバック賞

歴代ヘッドコーチ

ギャラリー

脚注

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注釈

  1. ^ 後にデトロイト・ライオンズが2008年シーズンの16戦を全敗した。

出典

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  38. ^ “スーパーボウル、バッカニアーズが優勝 QBブレイディは最多5度目のMVP”. CNN.co.jp (2021年2月8日). 2021年2月9日閲覧。
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  40. ^ “Buccaneers QB Tom Brady announces 'I'm coming back' for 23rd season 'in Tampa'” (英語). NFL.com. 2022年3月14日閲覧。

外部リンク

  • 公式サイト (英語)
  • タンバベイ・バッカニアーズ (NFL JAPAN)
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