» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

シドニー

シドニーSydney, 英語発音: /ˈsɪdni/[3]漢字表記悉尼」「雪梨」)は、オーストラリア南東部、タスマン海に面するニューサウスウェールズ州州都メルボルンと共にオーストラリアを代表する世界都市及び金融センターである。

シドニー
Sydney

左上から: シドニー・オペラハウスハーバーブリッジ、シドニー中心業務地区、ボンダイビーチダーリングハーバー、ルナパーク、ボタニー湾パラマッタの旧総督官邸
市旗 市章
位置

シドニーの位置
位置
シドニー
シドニー (シドニー中心部)
シドニー
シドニー (シドニー)
シドニー
シドニー (ニューサウスウェールズ州)
シドニー
シドニー (オーストラリア)
座標 : 南緯33度52分06秒 東経151度12分31秒 / 南緯33.86833度 東経151.20861度 / -33.86833; 151.20861
歴史
入植 1788年1月26日
旧名 ニュー・アルビオン
行政
オーストラリア
  ニューサウスウェールズ州
 市 シドニー
市長 クロバー・ムーア
地理
面積  
  市域 12,144.6 km2
人口
人口 (2021年現在)
  市域 5,231,147人
    人口密度   431人/km2
  備考 [1]
その他
等時帯 オーストラリア東部標準時[2] ()
夏時間 オーストラリア東部夏時間 ()
公式ウェブサイト : https://www.cityofsydney.nsw.gov.au/

概要

オーストラリアで最大の人口を持ち、同国の経済の中心地[4]。アメリカの不動産会社JLL2017年に発表した世界都市ランキングにおいて世界16位の都市と評価され、国内で首位であった[5]。また、A.T. カーニーが2022年に発表した総合的な世界都市ランキングでは世界17位で、国内ではメルボルンに次いだ[6]

オセアニアを代表する国際的な観光都市でもあり、海に臨むオペラハウスなどが著名で、世界で最も美しいといわれる都市のひとつである。四季もあり一年を通じて比較的温暖な気候で過ごしやすい。世界で最も移住に適した都市としても同国のメルボルンと共にマーサーエコノミストなどで挙げられる。

300km南西に特別区である首都キャンベラが所在するが、経済や文化の規模ではシドニーの方が活発であり、世界各国からの玄関口としてのシドニー国際空港もある。それもあってか、シドニーがオーストラリアの首都であると誤解する者も少なくない。2000年には夏季オリンピックである「シドニーオリンピック」の開催地となった。

地理

 
シドニーの衛星写真

位置

シドニーは、オーストラリア大陸南東岸のポート・ジャクソン湾(シドニー港)及びボタニー湾に面し、カンバーランド又はシドニー盆地と呼ばれる皿状の凹地の東縁に位置する。

オーストラリア全般に見られる人口分布型の一特徴として、少数の大都市及びその周辺に人口が極端に集中することを挙げられる。シドニーの場合、大陸最初の植民地として重要性が高く、港湾や倉庫といったインフラ整備が国内の他都市に先駆けて行われたことに起因している。シドニーは主たる港湾都市として国内経済の中心となったのに伴い、行政の中心ともなった。

地形

シドニーの市街地はポート・ジャクソン湾南岸を起源とし、主たる商工業地区もこの地域一帯に広がる。市街地の大部分は丘陵上に発達し、特に湾に面した地域では、短く急な坂道が多い。シドニーの海岸線は低木の茂る険しい岬及び三日月形の砂浜が交互に連なり、岩石台地、潟湖砂嘴陸繋島などが特徴を添えている。

四方は壮大な大自然に囲まれており、東に太平洋、西にブルーマウンテン山脈、北にホークスベリ川、南にロイヤル・ナショナルパークがある。多数の入江や海岸も存在し、ボンダイビーチは特に著名である。市街に面するポート・ジャクソン湾はリアス式海岸であり、世界最大の天然の入江とされる。近年はシドニーの沿岸に棲息するクジライルカの数も増え、湾内で出産や滞在をしたり、オペラハウスの真横など湾奥で確認される事も増えてきている。

自然災害である地震は、人体では感知できない無感地震を除いてほとんど無い。

気候

ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候(Cfa)に属し、年間平均気温18.2 ℃、降雨は一年を通じてある。トロピカル・サイクロンを受けることはない。旱魃と森林火災が発生した場合や、反対に嵐や洪水が発生した場合、エルニーニョ・南方振動の影響を受ける。

冬季は温暖で日中でも15℃前後まで上がる。朝晩は5度以下まで下がることは稀であり、観測史上最低気温は1932年6月22日の2.1 ℃と高い。しかし、内陸部はより冷え込み霜が降りる気温まで下がることもある。夏季は沿岸部では日中でも26度前後、朝晩は18度前後と下がり、温和であるが、内陸部は時に内陸部の砂漠地帯からのフェーン現象による影響で酷暑となることがあり、シドニー郊外の内陸にあるペンリスでは1月の平均最高気温はシドニーより4度も高い30.8℃となっている。近年は、酷暑となることが多くなっており、2018年1月7日の気温は47.3度を記録。1939年に記録した47.8度に次ぐ暑さとなった[7]

シドニーの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 45.8
(114.4)
42.1
(107.8)
39.8
(103.6)
33.9
(93)
30.0
(86)
26.9
(80.4)
25.9
(78.6)
31.3
(88.3)
34.6
(94.3)
38.2
(100.8)
41.8
(107.2)
42.2
(108)
45.8
(114.4)
平均最高気温 °C°F 25.9
(78.6)
25.8
(78.4)
24.7
(76.5)
22.4
(72.3)
19.4
(66.9)
16.9
(62.4)
16.3
(61.3)
17.8
(64)
20.0
(68)
22.1
(71.8)
23.6
(74.5)
25.2
(77.4)
21.7
(71.1)
平均最低気温 °C°F 18.7
(65.7)
18.8
(65.8)
17.5
(63.5)
14.7
(58.5)
11.5
(52.7)
9.3
(48.7)
8.0
(46.4)
8.9
(48)
11.1
(52)
13.5
(56.3)
15.6
(60.1)
17.5
(63.5)
13.8
(56.8)
最低気温記録 °C°F 10.6
(51.1)
9.6
(49.3)
9.3
(48.7)
7.0
(44.6)
4.4
(39.9)
2.1
(35.8)
2.2
(36)
2.7
(36.9)
4.9
(40.8)
5.7
(42.3)
7.7
(45.9)
9.1
(48.4)
2.1
(35.8)
降水量 mm (inch) 101.5
(3.996)
118.7
(4.673)
128.9
(5.075)
125.8
(4.953)
121.1
(4.768)
130.7
(5.146)
97.3
(3.831)
81.2
(3.197)
69.1
(2.72)
77.6
(3.055)
83.1
(3.272)
77.8
(3.063)
1,312.8
(51.685)
出典:Bureau of Meteorology

地域

シドニー都市圏

地方自治体 自治体設立日 面積[8] 人口[8] 地図
(バラ) / 地区 / ミュニシパリティ / シャイア 自治体 km2 マイル 順位 2018 順位
ベイサイド・カウンシル 1871年1月13日(シティ・オブ・ロックデール)
1888年3月29日(シティ・オブ・ボタニー・ベイ)
2016年9月9日[9] 50 19 15 174,378 12  
シティ・オブ・ブラックタウン 1906年3月6日 (ブラックタウン・シャイア)[10] 1979年3月7日 240 93 8 366,534 2  
バーウッド・カウンシル 1874年3月27日[11] 7.1 2.7 29 39,886 27  
カムデン・カウンシル 1889年2月6日[12] 201 78 9 94,159 21  
シティ・オブ・キャンベルタウン 1882年1月21日[13] 1968年5月4日 312 120 5 168,139 14  
シティ・オブ・カナダ・ベイ 1883年8月11日(コンコード)[14]
1890年1月18日(ドライモン)
2000年12月 20 7.7 22 95,159 20  
シティ・オブ・カンタベリー=バンクスタウン 1879年3月17日(シティ・オブ・カンタベリー)
1895年9月7日(シティ・オブ・バンクスタウン)
2016年5月12日[15] 110 42 10 373,931 1  
カンバーランド・カウンシル 1872年7月9日
(シティ・オブ・パラマッタの一部、オーバーン・シティシティ・オブ・ホルロイド)
2016年5月12日[16] 72 28 14 236,893 6  
シティ・オブ・フェアフィールド 1888年12月11日 1979年5月18日 102 39 11 210,612 9  
ジョージズ・リヴァー・カウンシル 1885年12月22日
(ミュニシパリティ・オブ・コガラーシティ・オブ・ハーストヴィル)
2016年5月12日[17] 38 15 17 158,411 15  
ホーンズビー・シャイア 1906年3月6日[10] 455 176 1 150,752 17  
ミュニシパリティ・オブ・ハンターズ・ヒル 1861年1月7日[18] 5.7 2.2 30 14,909 30  
インナー・ウェスト・カウンシル 1861年11月1日(マリックヴィル・カウンシル)
1871年12月28日(ミュニシパリティ・オブ・アッシュフィールド)
1871年12月29日(ミュニシパリティ・オブ・ライカート)
2016年5月12日[19] 35 14 19 198,024 11  
クーリンガイ・カウンシル 1906年(クーリンガイ・シャイア)[10]
1928年(ミュニシパリティ)
85 33 12 126,046 19  
レーン・コウヴ・カウンシル 1895年2月11日(ミュニシパリティ・オブ・レーン・コウヴ)[20] 11 4.2 26 39,486 28  
シティ・オブ・リヴァプール 1872年6月27日 1960年11月9日 306 118 6 223,304 8  
ミュニシパリティ・オブ・モスマン 1893年4月11日[21] 8.7 3.4 28 30,877 29  
ノース・シドニー・カウンシル 1890年7月31日[22] 11 4.2 25 74,172 23  
ノーザン・ビーチズ・カウンシル 1877年1月6日(マンリー・カウンシル)
1906年3月7日(ワーリンガー・カウンシル)[10]
1992年5月1日(ピットウォーター・カウンシル)
2016年5月12日[23] 254 98 7 271,278 3  
シティ・オブ・パラマッタ 1861年11月27日 1938年10月27日
2016年5月12日[24]
84 32 13 251,311 4  
シティ・オブ・ペンリス 1871年5月12日[25] 1959年10月21日 405 156 2 209,210 10  
シティ・オブ・ランドウィック 1859年2月23日[26] 1990年7月1日[27] 36 14 18 154,265 16  
シティ・オブ・ライド 1870年11月12日 1992年1月1日 41 16 16 127,446 18  
ミュニシパリティ・オブ・ストラスフィールド 1885年6月2日 14 5.4 23 45,143 26  
サザランド・シャイア 1906年3月6日[10] 334 129 4 229,213 7  
シティ・オブ・シドニー 1842年7月20日[28] 27 10 20 240,229 5  
ザ・ヒルズ・シャイア 1906年3月6日[10]
(バウカム・ヒル・シャイア)
386 149 3 172,473 13  
ウェイヴァリー・ミュニシパル・カウンシル 1859年6月16日[29] 9.4 3.6 27 74,114 24  
シティ・オブ・ウィロウビー 1865年10月23日[30] 1989年11月17日[31] 22 8.5 21 80,339 22  
ミュニシパリティ・オブ・ウラーラ 1860年4月20日[32] 12 4.6 24 58,964 25  

都市景観

 
( )
シドニータワーからのパノラマ
 
( )
シドニーの夜景

人口

人口は2019年6月時点で530万人を超えている。都市圏人口は410万人であり、世界104位、オセアニアでは首位である[33]

人口統計

国別海外出生者数
出生国 人口 (2006)
イギリス 175,166
中華人民共和国 109,142
ニュージーランド 81,064
ベトナム 62,144
レバノン 54,502
インド 52,975
フィリピン 52,087
イタリア 44,563
香港 36,866
大韓民国 32,124
ギリシャ 32,021
南アフリカ 28,427
フィジー 26,928
マレーシア 21,211
インドネシア 20,562
イラク 20,216
ドイツ 19,364
スリランカ 17,917
アメリカ合衆国 16,340
エジプト 16,238
クロアチア 15,501

2006年国勢調査によれば、シドニー都市圏の人口は3,641,422人で、シドニー統計区域の人口は4,119,190人であった。統計区域は成長を加減して算出された推計値を基にしたため、都市圏よりも人口が大きくなっている。シドニー市内の人口密度は、4,023人/km²で国内最大である。市民は一般的に「シドニーサイダー」と呼ばれる。2006年国勢調査によれば、シドニー居住の民族としては主に、イングランド系アイルランド系スコットランド系及び中国系であった。また、先住民アボリジニは全体のうち2%、海外出生者数は同じく31.7%であった。

主たる移民の出身国は、イギリス中華人民共和国及びニュージーランドである。また、ベトナムパキスタンレバノンイタリアインド及びフィリピンからの移住者数も多い。英語を第一又は第二言語としている市民が多いが、アラビア語(レバノン系が優勢)、中国語(ほとんどが北京官話上海語広東語)、イタリア語話者も多い。シドニーは、世界でも高度な多文化都市であるロンドンパリよりも海外からの移住者が多く、移住者数は世界第7位である。宗教は2006年国勢調査によると、調査対象者のうち64%はキリスト教徒、14.1%は無宗教、10.4%は無回答、3.9%はムスリム、3.7%は仏教徒、1.7%はヒンドゥー教徒、0.9%はユダヤ教徒であった。

また、住民の平均年齢は34歳と若く、65歳以上の高齢者層は全体の12%であった。

歴史

シドニー湾沿岸には少なくとも4万年前からアボリジニが定住していた。

 
シドニーの古地図(1789年)

ヨーロッパ人の関心がこの地域に向かうのは、1770年ジェームズ・クックによるポート・ジャクソン湾の望見の後である。 イギリス人による最初の入植は1788年1月20日で、アーサー・フィリップ総督によってこの「小川に近い、入り江の湾頭」はオーストラリア最初の植民地として定められた。フィリップは当初この地を「アルビオン」と呼ぶ意向であったが、シドニー入江に由来する「シドニー」が一般的に用いられるようになった。入江(シドニー・コーブ)はフィリップの命名で、彼の後援者であったシドニー卿(シドニー子爵)トマス・タウンゼントにちなんだものである[34]。このことは植民地開設の特許状がシドニー卿の斡旋で交付されたことに由来すると思われる。 新植民地の初期の人口は1000人を超える程度で、当地は流刑植民地であったことからその大部分は囚人であった。食料生産のため、20km西のパラマタにも入植地が設置された。

  • 1822年にはすでに銀行、市場、発達した道路網、警察隊を備えた町となった。
  • 1833年、町の行政は3人の行政官の手に委ねられた。
  • 1842年には自治体として成立した。
  • 1847年には囚人が人口にしめる割合はわずか3.2%にまで低下した。当時シドニーにはヨーロッパより週ごとに船が来航し、イギリスや他のヨーロッパからの移民が到着した。囚人の人口が減少するにつれ、商業活動が活発化した。
  • 1850年にはオーストラリア初の大学であるシドニー大学が創設。
  • 1855年にはシドニーと西郊のパラマタとを結ぶ鉄道が開通。
  • 1883年にはシドニー及びメルボルンを結ぶ鉄道路線が開通したものの、両植民地の鉄道軌間は異なっており、直通路線の開通は1962年まで待たねばならなかった。当初、煉瓦製造と製材に限られていた第二次産業の発展は、ニューサウスウェールズ州自由貿易政策が現地工業の確立を阻害したため遅々としていた。
  • 1901年の連邦成立後、自由貿易政策は否定され、各州間の緊密な連携のもとに州間交易が著しい進展を示した。

シドニーは、19世紀前半まではオーストラリアの6つのイギリス植民地の中心として、名実ともに最大の都市であった。1851年にニューサウスウェールズ州およびビクトリア州で金が発見され最初のゴールドラッシュが起こると、シドニーの人口は急激に増加し、急速に工業化が進んだ。だが、ゴールドラッシュおよびイギリス本国との間の大圏航路においてメルボルンのほうが好位置であったことも加わって、メルボルンが発達の速度を速め、19世紀後半にはシドニーは第2位に後退した。 この頃からシドニーとメルボルンとの間で伝統的な敵対関係が存在し、メルボルンはオーストラリアの最大都市かつ最も裕福な都市となっていた。

1901年オーストラリア大陸の6植民地が連合してオーストラリア連邦が成立すると首都は最大都市メルボルンに置かれたものの、この頃からシドニーは再び勢いを増していき、20世紀初頭になるとシドニーはメルボルンを人口で追い越し[35]、それ以来現在に至るまでシドニーは国内最大の都市に君臨し続けている。

1970〜80年代、オーストラリア準備銀行オーストラリア証券取引所と共に、シドニーのCBDは明らかに国内最大の金融都市となってメルボルンを追い抜いた。都市圏の拡大とともに人口の郊外化が進み、都市圏の西端は都心から60km以上も離れたブルーマウンテンの麓にまで達している。

20世紀全体を通して見ると、第二次世界大戦後の10年間を特に顕著とし、ヨーロッパやその後のアジアからの移民が増えるにつれてシドニーの都市圏は拡大を続けた。シドニーの特徴である多様で国際的な雰囲気は、移民によってもたらされた文化が主な要因である。

歴史年表

西暦 出来事
1788 最初のヨーロッパ人移民が入植。
1852 市として公認される。
1855 パラマタとシドニーを結ぶ、ニューサウスウェールズ初の鉄道路線が開通。
1870 Intercolonial 博覧会
1879 シドニー国際博覧会
1883 パラマタ - Intercolonial Juvenile Industrial Exhibition
1901 1月1日、シドニーでオーストラリア連邦の結成が宣言される。
1932 シドニー・ハーバー・ブリッジ完成。
1942 日本軍の特殊潜航艇によるシドニー港攻撃
1973 シドニーオペラハウス完成。
2000 9月15日から10月1日までシドニーオリンピック開催。
2007 6月28日にシドニーオペラハウス世界遺産に登録される。
2021 6月、新型コロナウイルス感染症の市中感染拡大に伴いロックダウンを実施[36]

政治

行政

 
シドニー大都市圏内の地方行政区分

一般的に単一都市として理解されることが多いシドニー大都市圏(metropolitan area)は、統計上の範囲として設定されているものであり、それ自体は自治体ではない。基礎自治体は大都市圏内に38ある地方行政区(LGAs: Local Government Areas)であり、個々の地方行政区は歴史的経緯を踏まえ、しばしば「市 City」と称する。こうした地方行政区の一つである「シドニー市 City of Sydney」は、シドニー湾に面した高層ビルが集中するCBD周辺の都心だけが市域である。観光地ともなっているシドニー市庁舎「タウン・ホール」は、広域のシドニー大都市圏ではなく、この「シドニー市」の市庁舎である。ただし、この「シドニー市」の市長は、オリンピックのようなイベントの際には、儀礼上、大都市圏全体を代表するような役回りを果たすことがある。

一般的にシドニー所在だと認知されている施設のうち、都心にあるもの以外は、「シドニー市」ではなく別の地方行政区に所在するものである。例えば、タロンガ動物園モスマンシドニー・オリンピックの主会場はオーバーンボンダイビーチウェーバリーシドニー国際空港はターミナルがボタニー・ベイ市、滑走路の先端はロックデール市にある。ここでは、英語の正式名称にCityと冠する地方行政区だけを「市」と訳しているが、City ではなく、Council、Municipal Council などと称する他の地方行政区も、一般的には「市」と訳されることが多い。

シドニー大都市圏全体に関わる行政は、公共交通機関の運営、主要道の整備、交通の制御、警察、中等教育以上の教育、主要な社会資本の整備計画など、ほとんどをニューサウスウェールズ州政府が管轄している。元来、州の人口の大部分がシドニー大都市圏に集中しており、州政府の行政機能も大部分がシドニー大都市圏に関わるものになっているため、州政府から分離した大都市圏を単位とする行政体の創出には、州政府が消極的である。

対外関係

姉妹都市・提携都市

一覧[37]

姉妹都市

友好都市

提携都市

国際機関

領事館

経済

シドニーは、商工業、金融及び交通の中心都市であり、2008年時点の域内GDPは2130億米ドルであり、世界第28位であった。2017年の調査によると、世界8位の金融センターであり、南半球の都市では1位である[39]

第一次産業

シドニー(ポート・ジャクソン)港はニューサウスウェールズ州の貿易の大部分を担っている。主要輸出品目は羊毛、小麦、小麦粉、羊皮及び肉類で、輸入品は機械類が最も多い品目である。国内や州内からの主たる移入品は、石炭、木材及び砂糖である。 シドニーは世界最大の原毛市場であり、ニューサウスウェールズ州の羊毛の3分の2はシドニー港から積出される。同港は造船・修理の中心でもあり、大型船舶も収容可能なドックを有する。

第二次産業

オーストラリアの産業界においてメルボルンとともにシドニーが突出している理由として、原材料調達の容易性を一因として挙げられる。シドニーは消費財を中心に、ニューサウスウェールズ州の工業生産高のうち約半数を生産しており、製材、造船、化学、農業土木機械、電気機械及び石油精製といった工業が発達している。

第三次産業

金融業

オーストラリア証券取引所(ASX)やオーストラリア準備銀行(RBA)、多数の国内大企業の本社が所在する。国内最大の雇用を生み、GDPのうちシドニーは25%を計上し、その経済規模は国内最大である。平均家計所得は国内諸都市のうち最も多く、失業率は2004年時点で4.9%である。

情報・通信

マスメディア

 
ABCシドニー

新聞社

シドニーの主な日刊紙には、シドニー・モーニング・ヘラルド及び(ザ・デイリー・テレグラフ)(The Daily Telegraph)の2紙がある。前者は高級紙であり、報道内容は国内外のニュース、文化及びビジネスと広範囲に渡る。現存する国内最古の新聞であり、1831年以来発行を続けている。後者はニューズ・コープ傘下のタブロイドである。

放送局

テレビ

テレビ放送局は、公共放送及び民間の放送ネットワークに大別できる。公共放送は、ABC及びSBSの2局がある。民間では、Seven NetworkNine NetworkNetwork Ten及びTVSの4ネットワークがある。

教育

 
1850年設立のシドニー大学は、オーストラリア最古の大学である

大学

シドニーには複数の有名大学がある。1850年設立のオーストラリア初の大学であるシドニー大学に加え、オーストラリアカトリック大学マコーリー大学ニューサウスウェールズ大学シドニー工科大学及び西シドニー大学の計6校が公立大学である。また、ノートルダムオーストラリア大学及びウロンゴン大学のキャンパスも市内にある。

職業教育

オーストラリアには、中等後または第三次教育で一般的に職業教育を行う教育機関として、TAFEと呼ばれる教育システムが存在する。このうち複数のキャンパスを持つ公立校としては、4校がシドニーに所在する。

交通

 
NSWトレインリンク
 
シドニーの近郊電車は2階建てである
 
ライトレール
 
サーキュラー・キーのフェリー乗り場

シドニーは、高速道路鉄道及びフェリーの広範囲な交通網を有する。

空路

国内最大の国際空港、シドニー国際空港キングスフォード・スミス国際空港)は南部近郊のボタニーベイ市のマスコット地区にあり、ボタニー湾の北岸に位置する。 国際線・国内線を問わずほとんどの定期便が発着する。同空港はシドニー・トレインズの路線が利用可能である。

空港

鉄道

2000年のシドニーオリンピック以後、シドニー・トレインズの前身組織であったシティレールの業績は著しく低下してしまう。 これに対処すべく2005年にシティレールは時刻表を再編成し、列車の運転士の雇用を拡大した。 なお、シティレールカントリーリンクは2013年に解散し、近郊輸送を担当するシドニー・トレインズとNSW州内の都市間輸送を担うNSWトレインリンクの2社へと分割された。

中心となる駅:シドニーセントラル駅

高速鉄道

シドニー=ブリスベン回廊
シドニー=パース回廊(オーストラリア鉄道)
  • 西部本線
シドニー=メルボルン回廊
  • 北東部線
ジャーニービヨンドレール

都市間鉄道

NSWトレインリンク

近郊路線

シドニー・トレインズ
  • ノースショア=ウェスタン線:
  • インナーウェスト=レピントン線:
  • バンクスタウン線:
  • 東部郊外=イラワラ線:
  • カンバーランド線:
  • オリンピックパーク線:
  • 空港=南部線:
  • 北部線:

地下鉄

ニューサウスウェールズ州政府の公企業であるシドニー・トレインズは、国内では他にメルボルンのみが持つ地下鉄を有する。ただし、これは純粋な地下鉄ではなく、都心部では地下を走り、近郊では地上を走る複合型の鉄道網である。 都心部のCBD内では環状運転するため、「シティサークル」(City Circle)と呼ばれる。ただし厳密に言えば、東京のJR山手線のように同じ列車が何周もするわけではなく、各列車はシティサークルを経由する形で郊外と都心を結ぶ大阪環状線のような運行を行っている。なお、2019年にはシドニー・トレインズとは別に、純粋な地下鉄である(シドニー・メトロ)が開通した。

軌道

トラム

路面電車は1960年代に一度廃止されたが、1990年代にライトレールとして復活した。現在では市民の足として利用され、延伸計画もある[注釈 1]

メトロ・ライト・レール

バス

路線バス

バスは都市圏の大部分のエリアを網羅しており、大部分の路線は1961年以前の路面電車の運行ルートに沿って運行する。

都市間バス

州内及び州外を結ぶ長距離列車カントリーリンクパース行きのインディアンパシフィック号)はセントラル駅(Central railway station)を発着駅とする。同駅構内には、高速バスターミナルが存在する。

道路

高速道路

市民の主な交通手段は自動車である。シドニー都市圏を環状に形成するメトロードは、交通の流れを円滑にし、都心部の渋滞を解消するため、特に重要な道路網である。

航路

港湾

シドニー港の中心となるのはポート・ジャクソン湾だが、南のボタニー湾にも重要な港湾設備がある。ポート・ジャクソン湾に面する都心近くのサーキュラー・キー(Circular Quay)には、国際旅客船ターミナルがある。

また、サーキュラー・キーからは、(マンリー)、タロンガ動物園ダーリングハーバー、その他住宅街を結ぶフェリーが発着している。(ニューサウスウェールズ州が経営)また、マンリー、タロンガ動物園などに向かう便はシドニー・オペラハウスの目の前を通る。また、ダーリングハーバーや西部の住宅地に向かう便はハーバーブリッジの下をくぐる。

観光

シドニーで最も有名な歴史的建築物は、ともに世界的知名度を誇るハーバー・ブリッジ及びシドニー・オペラハウスである。その他、南半球で2番目に高いシドニータワー、シティ中心部にあるクイーン・ヴィクトリア・ビルディング(商業施設)などが有名。ダーリングハーバーも人気の観光地である。中心部から東に8kmはなれたボンダイビーチはシドニーで最も有名なビーチであり、特にサーフィンのメッカとして知られる。

 
ハーバーブリッジ
 
シドニータワー
 
ピットストリート・モール
 
ダーリングハーバー
 
ザ・ロックス
 
ボンダイビーチ

観光スポット

文化施設

博物館・美術館

  • ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館
  • (オーストラリア博物館)(Australian Museum)
  • (オーストラリア国立海洋博物館)(Australian National Maritime Museum)
  • (マークレイ博物館)(Macleay Museum)
  • (パワーハウス博物館)(Powerhouse Museum)
  • (シドニー・ユダヤ博物館)(Sydney Jewish Museum)
  • (シドニー博物館)(Museum of Sydney)
  • (シドニー・トラムウェイ博物館)(Sydney Tramway Museum)
  • (現代美術館)(Museum of Contemporary Art)

文化・名物

 
スタジアム・オーストラリアは、2000年シドニーオリンピックのメインスタジアムとなった競技場である。
 
シドニー・クリケット・グラウンド

祭事・催事

シドニーでは、多くの異色な祭典や、オーストラリア最大の社会・文化的なイベントが催される。 例えば、毎年1月に開催される国内最大の芸術祭である(シドニー・フェスティバル)(Sydney Festival)や1973年以来続く現代アートの祭典である(ビエンナーレ・オブ・シドニー)(Biennale of Sydney)、ロックフェスティバルのビッグ・デイ・アウト、オックスフォード・ストリートのゲイ・アンド・レズビアン・マルディ・グラ(Sydney Gay and Lesbian Mardi Gras)、(シドニー・フィルム・フェスティバル)(Sydney Film Festival)を始めとする多くの映画祭がある。

シドニー・オリンピック公園の(シドニー・ロイヤル・イースター・ショウ)(Sydney Royal Easter Show)、オペラハウスにて開催のオーストラリアンアイドル決勝戦、毎年4、5月に開催される(オーストラリアン・ファッション・ウィーク)(Australian Fashion Week)がある。

また、大晦日オーストラリアの日(Australia Day)の祝典は国内最大である。

スポーツ

シドニーにおいて、文化における重要性が高いのがスポーツである。

シドニーを本拠地とするプロチームとして、バスケットボールネットボールラグビー及びクリケットのチームが存在し、各界においてシドニーは「シドニー・スピリット」と表現される。 この他、オーストラリアの国技であるオージーフットボールサッカーのプロチームもシドニーに所在する。

スポーツイベント

ナショナルラグビーリーグを始めとする大規模なスポーツイベントは、シドニーオリンピックのメインスタジアムであったスタジアム・オーストラリアで通常開催される。 他にも、ヨットレースの(シドニー・トゥ・ホバート・ヨット・レース)(Sydney to Hobart Yacht Race)、 競馬の(ゴールデン・スリッパー・ステイクス)(Golden Slipper Stakes)、 マラソンの(シティ・トゥ・サーフ)(City to Surf)といったイベントもシドニーで開催される。 プロテニスシドニー国際も開催される。 クリケットの国際試合を多数開催し、オーストラリアン・フットボールのシドニースワンズの本拠地でもあるシドニークリケットグラウンドは、長らくシドニー最大の競技場であった。 しかし、2000年シドニーオリンピック大会のメイン会場としてシドニー・オリンピック公園に建築された、当時国内最大のスタジアム・オーストラリアにその座を取って代わられた。

ラグビー

イングランド伝来のラグビーは最も人気の高いスポーツである。オーストラリア及びニュージーランドの国際リーグ戦であるスーパーラグビーには、シドニーからワラターズが参戦している。また、シドニー近郊のチームが参加するシュートシールドは、オーストラリアの各地域に存在する国内リーグの中で最もレベルが高い。シドニー・ユニヴァーシティFCは同国最古の"フットボール"クラブである。

ラグビー(13人制)

13人制ラグビーも人気のスポーツである。オーストラリア及びニュージーランドのチームが参加するナショナルラグビーリーグは、16チームのうち9チームがシドニーを本拠地とする。

バスケットボール

クリケット

ベースボール

ネットボール

オージーフットボール

サッカー

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 1988年に開業したモノレールが主たる商業地区やダーリングハーバー周辺を環状に結んでいたが、2013年6月に再開発の為廃止された。

出典

  1. ^ “Greater Sydney/2021 Census All persons QuickStat”. オーストラリア統計局. 2022年7月30日閲覧。
  2. ^ “Time zones and daylight saving”. Australia.gov.au. 2022年7月30日閲覧。
  3. ^ 「スィンニー」に近い
  4. ^ “オーストラリアのスタートアップ・エコシステムをひもとく(3)エコシステムの形成が進むシドニー、フィンテックやメドテックが盛ん | 地域・分析レポート海外ビジネス情報”. ジェトロ. 2021年12月12日閲覧。
  5. ^ JLL、世界の都市比較インデックスを分析「都市パフォーマンスの解読」を発表 JLL 2017年10月25日閲覧。
  6. ^ “Readiness for the storm: the 2022 Global Cities Report” (英語). Kearney. 2022年11月3日閲覧。
  7. ^ 豪シドニーで80年ぶり猛暑、気温47度超 火の使用禁止に CNN(2018年1月8日)2018年1月12日閲覧
  8. ^ a b “3218.0 – Regional Population Growth, Australia, 2017-18: Population Estimates by Local Government Area (ASGS 2018), 2017 to 2018”. Australian Bureau of Statistics. Australian Bureau of Statistics (2019年3月27日). 2019年10月25日閲覧。 Estimated resident population, 30 June 2018.
  9. ^ “Bayside Council”. Stronger Councils. (Government of New South Wales) (2016年9月9日). 2016年9月9日閲覧。
  10. ^ a b c d e f “Local Government (Shires) Act 1905 Proclamations”. Government Gazette of the State of New South Wales (Sydney, NSW: 1901–2001): pp. 1593–1644. (1906年3月7日). http://nla.gov.au/nla.news-article226474400 2018年6月15日閲覧。 
  11. ^ “Government Gazette Proclamations and Legislation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 27 Mar 1874”. nla.gov.au. 2017年3月3日閲覧。
  12. ^ “Government Gazette Proclamations and Legislation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 6 Feb 1889”. nla.gov.au. 2017年3月3日閲覧。
  13. ^ “Government Gazette Proclamations and Legislation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 21 Jan 1882”. nla.gov.au. 2017年3月3日閲覧。
  14. ^ “Government Gazette Proclamations and Legislation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 11 Aug 1883”. nla.gov.au. 2017年3月3日閲覧。
  15. ^ “Canterbury-Bankstown Council”. Stronger Councils. (Government of New South Wales) (2016年5月12日). 2016年5月14日閲覧。
  16. ^ “Cumberland Council”. Stronger Councils. (Government of New South Wales) (2016年5月12日). 2016年5月13日閲覧。
  17. ^ “Georges River Council”. Stronger Councils. (Government of New South Wales) (2016年5月12日). 2016年5月15日閲覧。
  18. ^ “Municipality of Hunter's Hill - Proclamation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 7 Jan 1861”. Trove. 2016年10月1日閲覧。
  19. ^ “Inner West Council”. Stronger Councils. (Government of New South Wales) (2016年5月12日). 2016年5月15日閲覧。
  20. ^ “Government Gazette Proclamations and Legislation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 11 Feb 1895”. nla.gov.au. 2017年3月3日閲覧。
  21. ^ “Government Gazette Proclamations and Legislation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 11 Apr 1893”. Trove. 2016年10月1日閲覧。
  22. ^ “Government Gazette Proclamations and Legislation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 31 Jul 1890”. Trove. 2016年10月1日閲覧。
  23. ^ “Northern Beaches Council”. Stronger Councils. (Government of New South Wales) (2016年5月12日). 2016年5月12日閲覧。
  24. ^ “City of Parramatta Council”. Stronger Councils. (Government of New South Wales) (2016年5月12日). 2016年5月15日閲覧。
  25. ^ “”. (Penrith City Council) (2009年5月25日). 2014年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  26. ^ “Municipality of Randwick - Proclamation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 23 Feb 1859”. nla.gov.au. 2017年3月3日閲覧。
  27. ^ https://www.randwick.nsw.gov.au/about-council/history/our-story/council-history
  28. ^ “” (PDF). City of Sydney. 2012年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月9日閲覧。
  29. ^ “Proclamation of the incorporation of the district of Waverley as a Municipality”. NSW Government Gazette No. 115, 16 June 1859, folios 1343–1344. (16 June 1859). 
  30. ^ “Municipality of North Willoughby - Proclamation - New South Wales Government Gazette (Sydney, NSW: 1832–1900) - 25 Oct 1865”. nla.gov.au. 2017年3月3日閲覧。
  31. ^ “Local Government Act 1919 - Proclamation - Government Gazette of the State of New South Wales (Sydney, NSW: 1901–2001) - 17 Nov 1989”. nla.gov.au. 2017年3月3日閲覧。
  32. ^ Jarvis & Kelly (1960). The History of Woollahra. Sydney: Halstead Press 
  33. ^ Demographia World Urban Areas Demographia 2017年4月更新時。
  34. ^ 「世界の大都市(下)」p98 高野史男編 大明堂 昭和54年6月22日発行
  35. ^ 「オセアニアを知る事典」平凡社 p127 1990年8月21日初版第1刷
  36. ^ “ロックダウン延長の豪シドニー、兵士数百人を動員”. BBC (2021年7月30日). 2021年8月16日閲覧。
  37. ^ City of Sydney: Sister City
  38. ^ http://www.city.nagoya.jp/shicho/page/0000006761.html 名古屋市 姉妹・友好都市2013年2月26日閲覧
  39. ^ Global Financial Centres Index 21 Z/Yen Group 2017年4月5日閲覧。

関連項目

外部リンク

公式

  • Home - City of Sydney:シドニー市公式サイト (英語)...地方行政区「シドニー市」のサイト
  • Sydney Metropolitan Strategy (英語)..ニューサウスウェールズ州政府計画部門の公式サイト

日本政府

  • 在シドニー総領事館 (日本語)

観光

  •   ウィキトラベルには、シドニーに関する旅行ガイドがあります。
  • シドニーの気候と服装|オーストラリア政府観光局 教育旅行公式サイト (日本語)
  • シドニーの交通機関と地図|オーストラリア政府観光局 教育旅行公式サイト (日本語)
  • 修学旅行のしおり|オーストラリア政府観光局 教育旅行公式サイト(日本語)
  • NSW州政府観光局 - シドニー (日本語)
  • オーストラリア政府観光局 - シドニー (日本語)

その他

座標: 南緯33度52分06秒 東経151度12分31秒 / 南緯33.86833度 東経151.20861度 / -33.86833; 151.20861

ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。