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ゲーリー・ハート (プロレスラー)

"プレイボーイ" ゲーリー・ハート"Playboy" Gary Hart、本名:Gary Richard Williams1942年1月24日 - 2008年3月16日)は、アメリカ合衆国プロレスラーマネージャー、(ブッカー)。イリノイ州シカゴ出身。

ゲーリー・ハート
1969年
プロフィール
リングネーム プレイボーイ・ゲーリー・ハート
本名 ゲーリー・リチャード・ウィリアムス
身長 191cm
体重 108kg(全盛時)
誕生日 1942年1月24日
死亡日 (2008-03-16) 2008年3月16日(66歳没)
出身地 アメリカ合衆国
イリノイ州シカゴ
デビュー 1962年[1]
(テンプレートを表示)

ヒールのマネージャーおよびプロデューサーとしての実績で知られ、ザ・グレート・カブキや(ザ・グレート・ムタ)などの悪役スターを生み出した[2][3]。ブッカーとしても、ダスティ・ローデスの(フェイスターン)やフォン・エリックスファビュラス・フリーバーズの(抗争アングル)などに関わっている[2][3]

来歴

1962年にプロレスラーとしてデビュー[1]。地元のイリノイをはじめウィスコンシンオハイオミシガンなど五大湖周辺の中西部地区を転戦し、1965年から1966年にかけては覆面レスラーザ・ステューデントと組んで活動。フレッド・カリージノ・ブリットガイ・ミッチェルセーラー・アート・トーマスボボ・ブラジルなどと対戦している[4]

その後、テキサス州ダラスNWAビッグタイム・レスリング(後のワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング / WCCW)に参戦し、ザ・スポイラーのタッグパートナー兼マネージャーとなって活動。1967年10月23日、スポイラーとのコンビでブルート・バーナード&マイク・パドーシスからNWAアメリカン・タッグ王座を奪取[5]。翌1968年9月10日にも、フリッツ・フォン・エリック&グリズリー・スミスを破って同王座を獲得している[5]。その後もダラス地区では、ワフー・マクダニエルミル・マスカラスなどのトップスターと対戦した[6][7]

以降もレスラーとして活動する一方、弁才を活かしてヒールのプレイング・マネージャーを兼任。1971年から1972年にかけてはノース&サウスカロライナミッドアトランティック地区にて、リップ・ホーク&スウェード・ハンセンのブロンド・ボンバーズを担当、ネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズの牧童コンビとの抗争を指揮した[8][9]

1973年にダラス地区に戻った後、エディ・グラハムが主宰していたフロリダCWFに進出し、同年下期から1974年上期にかけては極道ヒール時代のダスティ・ローデスを担当。1974年5月にローデスとの仲間割れを演じ、彼のベビーフェイス転向〜アメリカン・ドリーム誕生という一連のアングルにおいて重要な役割を担っている[2]。ローデスのフェイスターン後は、新日本プロレスでのアントニオ猪木戦を終えてアメリカ遠征に出ていたストロング小林、そして同時期に渡米中だったジャイアント馬場のマネージャーも務めた(小林はCWFではパク・ソンのパートナーとして覆面レスラーのコリアン・アサシンに変身し、馬場もヒールのポジションでパクや小林と共闘した)[10]

CWFでは並行してレスラー活動も続けていたが、1975年2月20日、バディ・コルトアイアン・マイク・マッコードらと小型飛行機で移動中に墜落事故に遭遇[3]。現役引退を余儀なくされ、時折リングで試合を行うことはあったものの、マネージャー業務に専念するようになった。

1979年より古巣のダラス地区にて(ブッカー)業務も担当。1981年には、後のペイントレスラー・ブームの先駆けとなったザ・グレート・カブキをプロデュースしている[3]1980年代前半はカブキの専任マネージャーとなってNWAの他地区にも参戦し、ジム・バーネットの主宰するジョージアGCWでは、1982年ロディ・パイパーとも悪の同盟を結んだ[11]

以降、1980年代全般に渡りダラスのWCCWにてマネージャー兼ブッカーとして活動。フォン・エリック兄弟(ケビンデビッドケリー)とファビュラス・フリーバーズマイケル・ヘイズテリー・ゴディバディ・ロバーツ)の抗争劇などを手掛け、WCCWの隆盛を支えた[3]。また、自身もスカンドル・アクバパーシー・プリングル3世を相手に、悪徳マネージャー同士の抗争を展開したことがある。

USWAへの移行期にあった1988年にWCCWを離れ、末期のジム・クロケット・プロモーションズに移籍。同団体がテッド・ターナーに買収されWCWが発足した1989年からは、「グレート・カブキの息子」という設定だったグレート・ムタのマネージャーを担当[3]テリー・ファンクタッグチームを組ませ、リック・フレアー&スティングの頂上コンビとの抗争も指揮した(ムタとテリーのタッグは、日本人とテキサス人のチームとして「J・テックス(J-Tex)」と名付けられた)[12]

WCW離脱後はダラスに戻り、1990年代前半はダラスの新団体グローバル・レスリング・フェデレーションで活動。1999年にフルタイムのプロレスリング・ビジネスから引退した。以後は2004年1月にフィラデルフィアのメジャー・リーグ・レスリングに登場し、ロウ・キーホミサイドのマネージャーを務めた。

2008年3月16日心臓病のためテキサス州ユーレスの自宅にて死去[2]。66歳没。没後の2009年、自著 "My Life In Wrestling...With A Little Help From My Friends" が発表されている[13]2016年にはNWA殿堂[14]2020年にはWWE殿堂のレガシー部門に迎えられた[15]

カブキやムタをはじめ、日本人や東洋系レスラーをマネージメントすることが多かったが、来日は一度も実現していない。

獲得タイトル

NWAビッグタイム・レスリング
ナショナル・レスリング・アライアンス
WWE

マネージャー担当選手

脚注

  1. ^ a b “Gary Hart”. Wrestlingdata.com. 2014年12月27日閲覧。
  2. ^ a b c d “Manager/booker Gary Hart dies”. Slam Wrestling (2008年3月17日). 2008年3月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f “Gary Hart: ‘With a little help from my friends’”. Slam Wrestling (2008年3月17日). 2010年3月9日閲覧。
  4. ^ “The BTW matches fought by Gary Hart in 1965”. Wrestlingdata.com. 2014年12月27日閲覧。
  5. ^ a b c “NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年3月9日閲覧。
  6. ^ “The WCCW matches fought by Gary Hart in 1969”. Wrestlingdata.com. 2014年12月27日閲覧。
  7. ^ “The WCCW matches fought by Gary Hart in 1970”. Wrestlingdata.com. 2014年12月27日閲覧。
  8. ^ “The WCW matches fought by Gary Hart in 1971”. Wrestlingdata.com. 2014年12月27日閲覧。
  9. ^ “The WCW matches fought by Gary Hart in 1972”. Wrestlingdata.com. 2014年12月27日閲覧。
  10. ^ 『Gスピリッツ Vol.34』P66(2015年、辰巳出版、(ISBN 4777814165))
  11. ^ “The GCW matches fought by Gary Hart in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年12月27日閲覧。
  12. ^ “Great Muta”. Online World of Wrestling. 2014年12月27日閲覧。
  13. ^ “Posthumous Gary Hart autobiography one of the best ever”. Slam Wrestling (2009年10月27日). 2016年11月13日閲覧。
  14. ^ “2016 NWA Hall of Fame Inductees Announced”. Online World of Wrestling. 2017年3月16日閲覧。
  15. ^ a b “WWE Hall of Fame 2020 & 2021 Legacy Wing Inductions”. ITN WWE (2021年5月7日). 2021年8月5日閲覧。
  16. ^ “NWA Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。

外部リンク

  • Online World of Wrestling
  • ゲーリー・ハートのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database
  • Tribute page for "Playboy" Gary Hart
  • Posthumous Gary Hart autobiography one of the best ever
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