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カネボウヒューマンスペシャル

カネボウヒューマンスペシャル』は、1980年から2000年まで制作され[1]日本テレビ系列で放送されたスペシャルドラマ(テレビドラマ)。1980年から1984年までは水曜日の『水曜ロードショー』枠(21:02-22:54)で、1985年以降は火曜日の『火曜サスペンス劇場』枠(21:02-22:54、のち21:03-22:54。なお、カネボウは『火サス』のスポンサーの一社だった)で放映された。両枠は地域によって遅れネットだったが本企画に関してはスポンサーの意向もあってか当該局でも遅れ幅がほぼ無い状態でネットされていた。また、1980年度は12月3日に、1982年度以降は毎年2月に放映された(ただし、1989年度は8月15日、1998年度は3月3日放送)。

読売新聞で毎年募集しているヒューマン・ドキュメンタリー大賞の受賞作をテレビドラマ化したもの。全20作。カネボウの一社提供番組。 ドラマ本編終了後には、「ヒューマン・ドキュメンタリー大賞」受賞者本人や関係者のインタビュー映像が放送されていた。

20年間に渡り続いたが、2000年の放送をもって終了。最終回のエンディングでは「現代を生きる人々の様々な生き方・命の重さを描き続けてきた『カネボウヒューマンスペシャル』は今回で終了致します。20年間ありがとうございました。」という終了の挨拶(この間画面では全作品のタイトルがスクロール表示された)と共に「この企画は、21世紀に向けて今を生きる女性にスポットを当てた新企画へ生まれ変わります。ご期待下さい。」という案内がテロップ表示され、その後2002年度に「読売・日本テレビ『ウーマンズ・ビート大賞』カネボウスペシャル21」に転換したが、2004年度をもって終了している[2]。『ウーマンズ・ビート』の終了後はカネボウの経営問題やそれに伴う消滅もあったためか後継の新企画は設けられていない。

なお、一部作品はバップからビデオソフトとして発売されていた(当然ながらカネボウの提供クレジットやCM、エンディング後のパートは収録されていないが、ビデオ自体はカネボウ協力の下で発売されていた)

放映リスト

『小児病棟』

1980年12月3日放送。第1回「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞優秀賞受賞作品のテレビドラマ化。1980年の関東地区における長時間スペシャルドラマの視聴率年間第1位を記録した[3]。看護師のモモ子が、病気や障碍をもった乳幼児の看護に奮闘しながら、次第に子どもたちと心を通わせていく。

キャスト
スタッフ

『大河の一滴』

1982年2月24日放送。若い母親が脳性小児麻痺の義理の息子の就職、結婚のために悪戦苦闘する姿を描く。1982年の関東地区の長時間スペシャルドラマにおける年間視聴率第1位を記録した[4]五木寛之の「大河の一滴」とは無関係。

キャスト

『母ちゃんの黄色いトラック』

1983年2月23日放送。病気入院中の父に代わって一家を背負うため、女ながら4トントラックの運転手をするモーレツ母さんと母に反発する娘の姿を描く。

キャスト
スタッフ

『こぶしの花』

1984年2月15日放送。日本テレビ開局30年記念番組として放送。ジャズのトランペット奏者の父とピアニストの母を持つフルート奏者の青年がガンの一種であるホジキン病に冒され、21歳の若さでこの世を去るまでを描く。

キャスト
スタッフ
  • 原作∶(大日方妙子)
  • 脚本∶小林竜雄
  • 演出∶(吉野洋)

『かんころもちの島で』

1985年2月19日放送[5]長崎県五島列島の波留島にある日ノ浦中学校の特殊学級の女性教師が、いわゆる「特殊学級症候群」に悩まされながらも、子どもたちと心通わせるまでを描く。

キャスト
スタッフ

『脳死をこえて』

1986年2月11日放送。脳死腎臓移植問題を取り上げた女優・藤村志保の「脳死をこえて」のドラマ化。のちにオペラ化もされた。

キャスト
スタッフ

『赤い夕日の大地で-家路-』

1987年2月24日放送。中国残留孤児をテーマにした作品。TVでまもなく訪日する残留孤児の中に、かつて満州に残した娘を視た母。しかし別れて生きた長い年月の間、母はすでに新しい家族を持っていた。彼らは母の過去も、別れたその娘の存在も知らない…。

キャスト
スタッフ

『ダイアリー-車いすの青春日記-』

1988年2月16日放送。

キャスト
スタッフ

『故郷 天皇が振り向かれた時』

1989年8月15日放送。

キャスト
スタッフ
  • 脚本∶市川森一
  • 音楽∶羽田健太郎
  • 音楽監督∶鈴木清司
  • 演出∶せんぼんよしこ

『光れ隻眼〇.〇六 弱視教室の子供たち』

1990年2月20日放送。

キャスト
スタッフ
  • 原作∶(鈴木月美)
  • 脚本∶今野勉
  • 演出∶祖父江信太郎

『プサマカシ 若き助産婦のアフリカ熱中記』

1991年2月19日放送。アフリカの奥地で働く若い日本人助産婦の奮闘を描く。「プサマカシ」とはリンガラ語で「強く力みなさい」の意味。

キャスト
スタッフ
  • 原作∶(徳永端子)
  • 脚本∶今野勉
  • 演出∶(伊藤祥二)

『終の夏かは』

1992年2月18日放送。12歳の時に骨腫瘍のため右足を切断、さらに26歳の時に乳癌を発症、入退院を繰り返した末、32年の生涯を閉じた医療ソーシャルワーカーの生涯を描く。

キャスト
スタッフ

『ちゃんめろの山里で』

1993年2月16日放送。東京から長野の山里に移り住んだ主婦が、自然や地元の人々や動物とのふれあいの中で、しだいに人間らしい生き方とは何かを見出して行く。「ちゃんめろ」とはフキのこと。

キャスト

『ばいばい、フヒタ』

1994年2月15日放送。OLの直子は会社の同僚の藤田豊実、通称・フヒタと結婚する。だが新婚旅行後、豊実は脳腫瘍に侵され、わずか4ヶ月後に亡くなってしまう。

キャスト

『翼をもがれた天使たち』

1995年2月14日放送。高校を中退した子供たちが立派に一人立ちするまでを、父母の視点から描く。

キャスト

『生きのびて』

1996年2月13日放送。旧満州で敗戦を迎えた16歳の少女悦子は、家族と共に日本への脱出を図るが、途中で八路軍に見つかり、ただ1人捕まってしまう。悦子は生きるために八路軍に従軍していた年正と結婚、その後8年間、艱難辛苦をなめた末、ようやく帰国を果たす。

キャスト

『三人姉妹』

1997年2月11日放送。三人姉妹の二女みちるの婚約後まもなく、長女あんぬが子宮癌であることが分かる。あんぬは闘病の末、33歳の若さで他界する。その翌年、今度は三女あづみが、同じ子宮癌を告知される。病魔と闘う三人姉妹の愛と苦悩と赤裸々な生き方を描く。

キャスト

『付添人のうた』

1998年3月3日放送。娘の学費を出すためにした多額の借金の返済のため、病院で付添婦になった主婦が、アルツハイマー病の老人の世話をするうち、介護福祉士の資格を取ろうと思い始める。

キャスト

『小さな小さなあなたを産んで』

1999年2月2日放送。高齢出産の初産で、体重が678グラムという超未熟児を出産した女性の苦闘を描く。

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スタッフ

『大地の産声が聞こえる-15才 いちご薄書-』

2000年2月8日放送。中学3年生の少女が家族4人と共に田舎の古い農家に引っ越し、家族の絆と自然を大切にする両親の教育方針で夕食作りや妹の世話など家事の手伝いをさせられる。

少女はその生活環境に反発しながらも、優等生として受験勉強にまい進していた友人の死、父と同行した母の故郷への旅、さらに4人目の子供を身ごもった母の自宅での出産に立ち会ったことで、大きく成長していく。

キャスト
スタッフ
  • 原作∶(植嶋由衣)
  • 脚本∶市川森一
  • 音楽∶三枝成彰
  • 演出∶雨宮望

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 1981年度は制作されなかった。
  2. ^ “読売・日本テレビ「ウーマンズ・ビート大賞」カネボウスペシャル21受賞作一覧1-3回|文学賞の世界”. prizesworld.com. 2023年2月17日閲覧。
  3. ^ 小児病棟 - テレビドラマデータベース
  4. ^ 大河の一滴 - テレビドラマデータベース
  5. ^ 婦人生活』第39巻第3号、婦人生活社、1985年3月1日、10頁、(NDLJP):2324847/10。 

外部リンク

  • カネボウヒューマンスペシャル - テレビドラマデータベース
  • カネボウヒューマンスペシャル - 放送ライブラリー
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