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イトマン事件

イトマン事件(イトマンじけん)とは、大阪市にあった日本総合商社伊藤萬株式会社をめぐって発生した商法上の特別背任事件である。バブル景気時代を象徴する事件の一つとされる。

経緯

背景

伊藤萬は、1883年明治16年)に創業され一族経営で繊維商社をメインとした会社で、かつては東証1部、大証1部に上場していた。1973年昭和48年)のオイルショックで経営環境が悪化したことをきっかけに、主力行の住友銀行(現:三井住友銀行)の役員だった河村良彦を社長として起用し、繊維商社から総合商社への方向転換を図った。

他方、株式会社協和総合開発研究所の社長(経営コンサルタント)だった伊藤寿永光は、当時仕手筋として名を馳せていた「コスモポリタン」会長や大阪府民信用組合理事会長に対し、雅叙園観光仕手戦に関して融資していた200億円の貸金が焦げ付いていた。伊藤はこのように資金繰りに窮する中、住友銀行の磯田一郎会長やその腹心である河村に急接近し、伊藤萬の経営に筆頭常務として参加するようになり、伊藤萬を介して住友銀行から融資を受けるようになった。

また、雅叙園観光の債権者の一人であった許永中も、同社の再建処理を行う上で伊藤寿永光との関係を深めるようになり、伊藤を通じて伊藤萬との関係を持つようになった。

事件の発生

1990年5月の日本経済新聞の報道で、伊藤萬の不動産投資による借入金が1兆2,000億円に及んだことが明らかになったことをきっかけに、許は、河村に、美術品貴金属などを投資すれば経営が安定するとの話を持ちかけた。これを受けて、伊藤萬は許永中の絡む三つの会社(中国系画廊のS氏も含め)から、許永中の所有していた絵画骨董品などを総額676億円で買い受けた。さらに磯田の娘も不明朗な絵画取引に加わったとされる。これらの美術品は鑑定評価書の偽造などが行われ、市価の2~3倍以上という法外な価格であったが、河村や伊藤はこれを認識しながら買い受け、これによって伊藤萬は多額の損害を受けた。異常な取引が続いた背景には、磯田の後ろ盾により河村がワンマン体制を敷いており、誰も河村を止めることができなかった事情があった。

そのほか、伊藤や許は、伊藤萬に対して、地上げ屋の経営や、建設の具体性の見えないゴルフ場開発へ多額の資金を投入させた。

その結果、伊藤萬本体から360億円、全体では3000億円以上の資金が、住友銀行から伊藤萬を介して暴力団関係者など闇社会に消えていった。中には伊藤萬の経営に対し批判的記事を書いた新潮社日本経済新聞社へのマスコミ工作と称して流出した資金もあった(実際にマスコミ工作が行われたのかは裁判でも明らかになっていない)。

1991年元日朝日新聞が「西武百貨店関西新聞→イトマン 転売で二十五億円高騰」「絵画取引十二点の実態判明、差額はどこへ流れた?」との大見出しで、絵画取引の不正疑惑をスクープした。

1991年7月23日、大阪地方検察庁特別捜査部特別背任の疑いで上記の許・伊藤・河村を含む6人の被疑者逮捕し、その後起訴した。

2005年10月7日、最高裁上告棄却決定により、許について懲役7年6月・罰金5億円、伊藤について懲役10年、河村について懲役7年の刑がそれぞれ確定した。

しかし、これらの巨額資金の行方は今もって謎に包まれている。

事件の影響

伊藤萬は事件発覚後、1991年1月1日にCIを導入し、片仮名の「イトマン」に商号変更したが、1993年住友金属工業(現:日本製鉄)の子会社でこれまで金属・鋼材類の製造・販売を行った住金物産(現:日鉄物産)に(吸収合併)され、本体は延べ110年の歴史に幕を下ろした。合併により伊藤萬の株式は上場廃止となったが、吸収した住金物産がその後大阪証券取引所に上場、2006年12月26日には東京証券取引所1部にも上場を果たした。なお、イトマンが運営していたイトマンスイミングスクールナガセ系列となって運営を継続している。

イトマン事件など相次ぐ不祥事の発覚により、磯田は住友銀行会長を引責辞任。1993年春から住友グループ幹部宅を狙った襲撃事件が10件以上も発生し、住友銀行横浜駅前支店では銃弾1発が撃ち込まれた。1994年9月14日には住友銀行名古屋支店長射殺事件が発生し、イトマンに伊藤寿永光を紹介したのが名古屋支店であったため、イトマン事件に関連する事件ではないかと報道された。バブル崩壊により住友銀行は不良債権処理に追われ、2001年にはさくら銀行を合併して三井住友銀行となり、イトマン事件はメガバンク再編の引き金となった。

またイトマン事件に絡み、許が経営に関与していたとされる関西新聞は、1991年4月に不渡り手形で倒産し新聞も廃刊した。同じく許が関与していたとされる近畿放送(KBS京都)は、1989年に関連会社役員だった許らが中心となってノンバンクから土地開発会社に146億円の融資を受けた際に、近畿放送本社社屋や放送機材等が根抵当権に設定され、一時は債権者であるノンバンクから差押えを受け社屋などの競売を申請したことで、放送局として存続の危機に立たされた。1994年に同社の労働組合員が未払い賃金である組合員の労働債権をもとに会社更生法を申請、廃局の事態は免れた。その後は100%の減増資により、イトマン事件関係者含む旧経営陣及び株主を排除し、京都放送に商号を変更して再建への道を歩み、2007年10月には会社更生法の解除申請が受理された。

参考文献

  • 日本経済新聞社編『ドキュメント イトマン・住銀事件』日本経済新聞出版社、1991年。(ISBN 4532160189)
  • 朝日新聞大阪社会部編『イトマン事件の深層』朝日新聞社、1992年。(ISBN 4-02-256411-3)
  • 江波戸哲夫『企業の闇に棲む男』講談社文庫、1998年。ISBN (4-06-263708-1) - イトマン事件を土台にしたフィクション小説
  • 國重惇史『住友銀行秘史』講談社、2016年。(ISBN 4-06-220130-5)
  • 大塚将司『回想イトマン事件 闇に挑んだ工作30年目の真実』岩波書店、2020年。(ISBN 4-00-061439-8)

関連項目

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