アントン・ヴィテク(Anton Witek, 1872年[1]1月7日 - 1933年9月18日[2])は、ボヘミア出身のヴァイオリン奏者[3]。
経歴
オーストリア=ハンガリー帝国領ボヘミアのザーツ(現在チェコ領ジャテツ)に生まれた。プラハ音楽院でアントニン・ベネヴィッツにヴァイオリンを師事した。1894年から1909年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めた。また、1903年から妻でスウェーデン人ピアニストのアヴィタと、ロシア出身のヨーゼフ・マルキンと共に(ベルリン三重奏団)を結成し、室内楽方面でも活躍した。
1910年にアメリカに渡ってボストン交響楽団のコンサートマスターを務め、1918年までその任を務めた。その後はボストン近辺でヴァイオリン教師として活動し、マサチューセッツ州ウィンチェスターで没した。
録音
レコードは、コロムビア・レーベルに教え子で後妻のアルマ・ローゼングレン=ヴィテクと共演したヨハン・ゼバスティアン・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲の録音(1928年)が残されている。