藤原 村雄(ふじわら の むらお)は、平安時代前期から中期の貴族。藤原北家、藤原豊沢の子。藤原秀郷の父。官位は従四位下・河内守・(下野守)。
経歴
父である豊沢から職務を受け継ぎ下野大掾に任ぜられ、その流れは子孫の(太田氏)や小山氏に至るまで続いた[1]。
仁和3年(887年)従五位下、延喜11年(911年)従四位下へと昇進。
承平2年(932年)7月15日、(卒去)。
人物
村雄は下級役人である史生の(鳥取氏)ではなく、自らと同じ国司の掾である鹿島氏から妻を迎えている。彼は下野国司として多くの地方豪族や農民を配下に収め、広大な土地を開墾し、父の代より高い権力を保持していたと考えられている[2]。
官歴
『田原族譜』、『下野国誌』、『皆川氏系図[3]』による。
系譜
脚注
- ^ 『吾妻鏡』建長3年12月28日条
- ^ 藤原秀郷 : 源平と並ぶ名門武士団の成立 2018, p. 23.
- ^ 藤原秀郷 : 源平と並ぶ名門武士団の成立 2018, p. 20.