略歴
江馬氏は(桓武平氏)・経盛流を称する飛騨国の国人勢力であり、飛騨北部に覇を唱えていた。
天正10年(1582年)、父の江馬輝盛が八日町の戦いで三木自綱や小島時光に敗死すると[1]、姉小路氏の攻勢の前に江馬氏は一気に勢力を失い、時政は越中国に逃れた(越前大野を領していた金森長近を頼ったとも)。
天正13年(1585年)に金森長近率いる飛騨侵攻軍に加わり、戦功を挙げた。この戦いで父の仇の姉小路氏は滅び、江馬氏の旧領も長近軍の手に落ちたが、時政に江馬氏旧領が与えられることはなかった。これに不満を持った時政は、後に(鍋山右近大夫)や(広瀬宗直)、三木国綱らと共に兵を挙げた(三沢の乱)が、鎮圧され自害した。
脚注
出典
- 『飛州軍乱記』(江馬家滅亡之事)
- 『飛州志』