歴史
- 1930年(昭和5年)3月27日:陸中八木 - 久慈間の開業と同時に鉄道省の駅として開業[1]。
- 1962年(昭和37年)10月1日:貨物取扱を廃止[2]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる[1]。
- 2004年(平成16年)10月16日:交換設備を撤去し、同時に無人駅となる。
- 2011年(平成23年)3月11日:東北地方太平洋沖地震とこれにより発生した大津波(東日本大震災)により全線で不通。
- 2012年(平成24年)3月17日:種市 - 久慈間復旧に伴い営業再開。
- 2019年(令和元年)10月13日:令和元年東日本台風(台風19号)の影響により、当駅構内の盛土が流出する被害を受ける[3]。
- 2022年(令和4年)4月1日:久慈駅長廃止に伴い、八戸駅長管理下となる。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。2004年10月15日までは相対式ホーム2面2線で、(タブレット)交換が行われていた。同日まで久慈駅所属の侍浜在勤駅員が配置されていた。配置要員が助役を含めて2人と少なかったため、月数回は久慈駅から助勤が行われていた。なお、当時は早朝夜間は駅員が不在となるため、陸中八木 - 久慈間で(併合閉塞)を行っていた。
八戸駅管理の無人駅。2022年4月1日までは久慈駅長管理下の無人駅であった。以前は木造平屋建ての駅舎があり、駅員がいた頃は出札口があったが、板で塞がれていた。現在は駅舎は撤去され、2008年3月より新たに待合室が設置されている。
使用されなくなった側の線路は撤去されている(2008年12月)
ホーム(2008年12月)
利用状況
JR東日本によると、1日平均乗車人員の推移は下記のとおりである。
駅周辺
隣の駅
脚注
- ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 21号 釜石線・山田線・岩泉線・北上線・八戸線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月6日、26頁。
- ^ a b 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、509頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ (PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道盛岡支社、2019年10月16日。 オリジナルの2019年10月17日時点におけるアーカイブ2019年10月17日閲覧。 。
- ^ “各駅の乗車人員(2000年度)”. 東日本旅客鉄道. 2018年3月6日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2001年度)”. 東日本旅客鉄道. 2018年3月6日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2002年度)”. 東日本旅客鉄道. 2018年3月6日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2003年度)”. 東日本旅客鉄道. 2018年3月6日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 駅の情報(侍浜駅):JR東日本