尾関山駅(おぜきやまえき)は、広島県三次市三次町にかつて設置されていた、西日本旅客鉄道(JR西日本)三江線の駅(廃駅)である。
尾関山駅 | |
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駅舎(2008年7月) | |
おぜきやま Ozekiyama | |
◄粟屋 (3.0 km) (2.0 km) 三次*► | |
所在地 | 広島県三次市三次町1770 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | F 三江線 |
キロ程 | 106.1 km(江津起点) |
電報略号 | オセ |
駅構造 | 地上駅 |
(ホーム) | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- | 4人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1955年(昭和30年)3月31日[1] |
廃止年月日 | 2018年(平成30年)4月1日 |
備考 | (無人駅)[2] 路線廃止に伴う廃駅 |
三江線は米子支社浜田鉄道部が管轄していたが、隣の駅かつ三江線の終着である三次駅の構内(同駅場内信号機内方)のみ広島支社三次鉄道部の管轄であるため、浜田鉄道部管内としては広島県内では最南端の駅であった。三江線の廃止に伴い、2018年(平成30年)4月1日に廃駅となった。
歴史
駅構造
三次方面に向かって左側(構内東側)に、単式1面1線のホームを有する地上駅((停留所))であった。駅舎があったが、ホーム上に待合室等はなかった。ホームは島式1面2線に対応した形態となっており、停車する列車のほとんどは1両編成であったが、それに比べてかなり長いものであった。
前述のように、廃止時は浜田鉄道部が管理する無人駅であった。かつては駅舎内に窓口があり、きっぷを販売していたが、その後無人化されて窓口があった場所には板が貼り付けられた。また、駅舎内からのトイレへの入り口も閉鎖されており、外からのみトイレに入ることができた。
以前は駅前の商店で乗車券を取り扱う(簡易委託駅)であったが、2010年(平成22年)7月をもって簡易委託は廃止された。なお、当駅には自動券売機等の設備はなかった。
廃駅後は三次市から委託を受けた一般社団法人みよしSL保存倶楽部が維持管理を行っている[3]。
2021年(令和3年)2月末日時点では、旧駅舎やホームなどの施設、当駅周辺の線路が残存している。また、旧駅舎の東側(表側)と西側(ホーム側)に付けられていた「尾関山駅」の看板は取り外されていた時期があったが、この時点では東側の看板のみ再度、取り付けられている。
ホーム上の駅名板については2018年(平成30年)4月に撤去されたが、一般社団法人みよしSL保存倶楽部が来訪の記念に旧国鉄時代の復刻看板を作製して2022年(令和4年)8月に再設置された[3]。
廃線後の駅舎(2019年10月)
利用状況
1日平均の乗車人員は以下の通り。
駅周辺
駅周辺は、三次市(初代)発足前の旧双三郡(三次町)の中心部。初代三次駅(現在の西三次駅)および現在の三次駅は旧(十日市町)内に存在しており、当駅が旧三次町内にある唯一の駅であった。
その他
隣の駅
脚注
- ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、334頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ a b “通報”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1985年2月1日)
- ^ a b “旧三江線に「国鉄尾関山駅」再び 三次の旧駅舎に看板復刻、13・14日にイベント”. 中国新聞 (2022年8月11日). 2022年8月11日閲覧。
- ^ 「飲食・小売の出店を科学する出店戦略情報局」のアーカイブデータ
- ^ a b c d e f g 国土数値情報 駅別乗降客数データ
- ^ “三江線沿線地域公共交通網形成計画(案)” (PDF). 三江線沿線地域公共交通活性化協議会 (2017年8月). 2017年8月22日閲覧。
- ^ 三江線神楽愛称駅名・大型愛称駅名板・神楽演目解説 (PDF) - 三江線活性化協議会。