歴史
- 1899年(明治32年)7月23日:山陽鉄道の由宇駅 - 大畠駅間に神代駅(初代)が開業する[1]も10月5日限りで閉鎖[2]。
- 1900年(明治33年)
- 1901年(明治34年)
- 1903年(明治36年)7月1日:停車場開始9月30日まで営業[7]
- 1906年(明治39年)12月1日:山陽鉄道の国有化により官設鉄道の駅となる。
- 1907年(明治40年)7月1日:季節営業の臨時駅に格下げ、神代仮停車場となる。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。山陽本線の所属となる。
- 1916年(大正5年)6月30日:神代仮停車場廃止。
- 1917年(大正6年)7月13日:山陽本線の由宇駅 - 大畠駅間に神代信号場開設。
- 1944年(昭和19年)10月11日:駅に昇格、神代駅(2代目)となる。旅客営業のみの旅客駅。
- 1985年(昭和60年)2月1日:無人駅となる[8]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 2022年(令和4年)3月12日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[9]。
駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅。分岐器や(絶対信号機)を持たないため、(停留所)に分類される。駅舎は下りホーム側にあり、反対側の上りホームへは跨線橋で連絡している。
のりば
- 案内上ののりば番号は設定されていない。
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通りであり、山陽本線で乗車人員が最も少ない[10]。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
1999 | 131 |
2000 | 118 |
2001 | 115 |
2002 | 93 |
2003 | 85 |
2004 | 76 |
2005 | 75 |
2006 | 78 |
2007 | 93 |
2008 | 91 |
2009 | 85 |
2010 | 90 |
2011 | 82 |
2012 | 83 |
2013 | 83 |
2014 | 75 |
2015 | 71 |
2016 | 73 |
2017 | 73 |
2018 | 68 |
2019 | 69 |
2020 | 51 |
駅周辺
駅周辺は平坦な部分が少なく、北西側はすぐ崖である。南東側はすぐ海である。
隣の駅
脚注
- ^ 「停車場設置」『官報』1899年07月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「停車場閉鎖」『官報』1899年10月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「停車場開始」『官報』1900年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「停車場閉鎖」『官報』1900年9月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「停車場開始」『官報』1901年7月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「停車場閉鎖」『官報』1901年10月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「停車場開始」『官報』1903年6月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “通報”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1985年2月1日)
- ^ (PDF)(プレスリリース)西日本旅客鉄道、2021年12月17日。 オリジナルの2021年12月17日時点におけるアーカイブ2021年12月17日閲覧。 。
- ^ 山口県統計年鑑 - 山口県
- ^ 大村たかし: “”. ここいろ 山口、暮らしの自由帳。 (2021年2月15日). 2021年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月10日閲覧。
参考文献
- 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 2 』230頁
関連項目
外部リンク
- 神代駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道