ジェフ・ヴァン・ガンディ(Jeffrey William Van Gundy、1962年1月19日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州(ヘメット)出身のバスケットボール指導者。NBAのヒューストン・ロケッツの元ヘッドコーチ。ディフェンスを重視する指導スタイルで知られる。ニューオーリンズ・ペリカンズのスタン・ヴァン・ガンディヘッドコーチは実兄。
無所属 | |
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役職 | ESPN 解説者 |
基本情報 | |
愛称 | JVG |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1962年1月19日(61歳) |
出身地 | カリフォルニア州(ヘメット) |
キャリア情報 | |
出身 | ナザレスカレッジ (ニューヨーク州) |
指導者経歴 | |
1996-2001 2003-2007 | ニューヨーク・ニックス ヒューストン・ロケッツ |
経歴
父(ビル・ヴァン・ガンディ)も大学でバスケットボールの指導者をしており、文字通りコーチの家系に育つ。ヴァン・ガンディのコーチとしてのキャリアはニューヨーク州ロチェスターの(マクウェイド・ジェスート高校)で始まった。その後(プロヴィデンス大学)でリック・ピティーノのアシスタント・コーチを務め、チームをNCAAトーナメントのFinal4に進出させる手助けをした。翌年はチームのヘッドコーチが(ゴードン・チエサ)に代わったがヴァン・ガンディはアシスタント・コーチを続けた。さらに翌年はラトガース大学に招聘され(ボブ・ウェンゼル)のアシスタント・コーチを務めた。
1989年7月28日、NBAのニューヨーク・ニックスのアシスタント・コーチに招かれ、その後、6年半に渡って(ストゥ・ジャクソン)、(ジョン・マクレオド)、パット・ライリー、ドン・ネルソンらを補佐した。その間、ニックスがアトランティック・ディヴィジョンの3位以下に落ちたことは一度もなく、3度のディヴィジョン優勝を成し遂げ、毎年のようにプレイオフに出場する中でヴァン・ガンディはNBAのコーチとしての経験を積んでいった。1994年はイースタン・カンファレンスを制しNBAファイナルに駒を進めたが、ヒューストン・ロケッツに敗れた。
1996年3月8日から2001年12月8日にかけてはニューヨーク・ニックスのヘッドコーチを務め、チームを毎年プレイオフに導いた。特にロックアウトで短縮された1999年は27勝23敗とイースタン・カンファレンス8位の成績で終え、辛うじてプレイオフ進出を果たしたような状態であったが、プレイオフ第1ラウンドでカンファレンス1位通過の強豪にしてパット・ライリーが率いる宿敵マイアミ・ヒートを破ると、勢いに乗って快進撃を続け、第8シードからNBAファイナルまで進んだ史上初のチームとなった。NBAファイナルではグレッグ・ポポビッチのもと、ティム・ダンカンを擁するサンアントニオ・スパーズの前に敗れた。
2001年12月8日、チームの成績不振の責任を取る形でヘッドコーチを辞職。暫く指導者としての地位から遠ざかるが、2003年にヒューストン・ロケッツと契約。チームの再建を託されたが、プレイオフ第1ラウンドを突破することが出来ず、2007年5月18日、ユタ・ジャズとの第7戦で敗退すると解雇された。
以降は、指導者職に復帰せずESPNの解説者を務めている。日頃から試合途中のインタビューにまともに答えてくれないことで有名なグレッグ・ポポビッチにインタビューを試みた際、ハグされただけで、何も聞けなかったことがある[1]。
脚註
- ^ Jeff Van Gundy's Emotional Interview With Gregg Popovich