ザ・フォー・ホースメン(The Four Horsemen)は、1986年から1990年代後半にかけて、アメリカ合衆国で活動したプロレスのユニットの名称。NWAのジム・クロケット・プロモーションズで結成されて、その後継団体のWCWでも活躍していた。親指を除く4本の指を突き立てるポーズをトレードマークにアメリカのプロレス界において伝説的な名ユニットとして語り継がれている[1]。
概要
結成時のオリジナルメンバーはリック・フレアー、アーン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、タリー・ブランチャード、マネージャーのJ・J・ディロン。当初は特に名前は付いていなかったのだがアーン・アンダーソンがインタビュー中で「俺たちは言わば『黙示録の四騎士(The Four Horsemen of Apocalypse)』だ」と発言して、これがユニット名に採用された[1]。
AWAのヒーナン・ファミリーなどの前例と同様に実力派のヒールたちがユニットを組んだホースメンは絶大な悪役人気を博した。互いに協力して試合への乱入や相手選手への襲撃を繰り返してフレアーがNWA世界ヘビー級王座をブランチャードがNWA・TV王座もしくはNWA・US王座を、オレイ&アーン・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーがNWA世界タッグ王座を常時保持していた。グループのキャラクター・イメージは流行の服を着こなして高級車を乗り回して美女を侍らせ豪遊する「大人の男」。実際これはリングの上だけではなく当時の彼らの凄まじい豪遊の武勇伝はいくつも残っている[1]。
1987年にオレイ・アンダーソンが一度脱退し、レックス・ルガーが加入。翌年にはルガーがフレアーと抗争に入り追放されて入れ替わりにバリー・ウインダムが加入。ホースメンの全盛期はこの頃まで。同年にはブランチャードとアーン・アンダーソンがWWFに移籍。その後も会社側(WCW)の要望もありスティング、シッド・ビシャスなどを加えユニットを継続していくが、かつての勢いは無く消滅していく。
その後もWCWはストーリーの展開につまるとホースメンを復活させてポール・ローマ、クリス・ベノワ、ブライアン・ピルマン、ディーン・マレンコ、ジェフ・ジャレット、カート・ヘニングなど数々のレスラーがホースメンのメンバーに名を連ねることとなった。1998年に、ホースメンの存在を批判していたエリック・ビショフとフレアーが対立してフレアーのWCW離脱騒動が取りざたされるがアーン・アンダーソンの仲介によって再びフレアーを迎え入れて復活するという出来事があった。
クリス・ベノワ(ワイルド・ペガサス)とディーン・マレンコは新日本プロレス限定で獣神サンダー・ライガー、(ブラック・タイガー)(エディ・ゲレロ)と共に、ジュニア・フォー・ホースメンとして一時期活動していた。
2003年、WWEでは初期ホースメンをオマージュしたエヴォリューションというユニットがホースメンのリーダー格であったフレアーを参謀に迎えて結成された。
2010年、TNAではフォーチュン(Fortune)というユニットが結成されてWWEのエボリューションと同じくフレアーを参謀として迎えるがメンバーを4人に固定せずに拡大していき大型ユニットとして活動していた。
2012年、フレアー、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャード、バリー・ウインダムの4人がマネージャーのJ・J・ディロンと共にフォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられた。
メンバー
- リック・フレアー(1986年 - 1991年、1993年 - 1999年)
- アーン・アンダーソン(1986年 - 1988年、1990年 - 1999年)
- オレイ・アンダーソン(1986年 - 1987年、1990年 - 1993年)
- タリー・ブランチャード(1986年 - 1988年)
- J・J・ディロン(1986年 - 1989年) ※マネージャー
- レックス・ルガー(1987年)
- バリー・ウインダム(1988年 - 1989年、1990年 - 1991年)
- スティング(1989年 - 1990年)
- シッド・ビシャス(1990年 - 1991年)
- ポール・ローマ(1993年)
- ブライアン・ピルマン(1995年 - 1996年)
- クリス・ベノワ(1995年 - 1997年、1998年 - 1999年)
- (スティーブ・マクマイケル)(1996年 - 1999年)
- ジェフ・ジャレット(1997年)
- カート・ヘニング(1997年)
- ディーン・マレンコ(1998年 - 1999年)
関連人物
脚注
外部リンク
- Online World of Wrestling
- WWE Hall of Fame