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経歴
兄の忠種が伯父の旗本・大岡忠行の養子となったため、父である忠世の世子となり寛永18年(1641年)に父が亡くなるとその遺跡を継いだ。
万治2年(1659年)、書院番となり、江戸の赤坂一ツ木の邸宅に居住した。忠真は実子の(主馬)が早世していたため、貞享3年(1686年)、一族の奈良奉行を務めた旗本・大岡美濃守忠高の四男・忠相に娘(珠荘院)を嫁がせ養子とした。元禄7年(1694年)8月28日、駿府城定番に就任。元禄13年(1700年)に病没。享年64。1920石の遺領と家督は養子の忠相が継いだ。
脚注
- ^ 『系図纂要』